0274 もちろん俺は煩悩を捨てた覚えはないし捨てる気もない。あーおっぱい揉みたい
「ウサジぃぃ……!」
誰かがこちらに駆けて来る。あれはクレールの声だ。そう思う間もなく。
「ウサジぃ!!」
ノエラがそっと離れるのと入れ替わりに、まあ間違いなくクレールだと思われる人物が屈み込んだ俺の背中にまともにぶつかって来る! 受け身を取り損ねた俺はそのままもつれ合うように地面に転がり仰向けに倒れる、クレールはそのまま俺にのしかかり顔面にFカップを押し付けて来て……このわざとらしいラッキースケベも久し振りだな。
「また……また私を差し置いて魔王と戦ったな!」
―― ガシャーン! ガラガラ
後ろでクレールが放り投げた武器が落ちて転がる音がした。
「アタシ何の為にここまで来たのよウサジィ! 何でアタシが居ない所でそんなに泣いてるの、どうしてアタシにウサジを護らせてくれなかったの、バカ、バカバカ」
「すみません。泣くつもりはなかったんですが」
完全に覆い被さったその重みを全身に感じながら、俺はクレールの背中に手を回し、とん、とん、と軽く叩いて、上体を起こす。ノエラは深く気にする様子もなく離れて見ている。
ラシェルはその後ろから駆けて来た。
「二人とも傷だらけですよ、まだまだ油断しないで下さい」
ラシェルはいつも通りだ、優しい笑みを浮かべパーティ全体に治療呪文を掛ける……確かに周囲にはまだ怪異共の姿が見られるが、そのほとんどは意志を失ってしまったかのように立ち尽くし、あるいはふらふらと当てもなく彷徨っている……ああ、俺の体力もギリギリだったな。ラシェルの治療呪文がすごく有難い。
クレールまだ少しむくれた顔で俺を見上げていたが、俺が立ち上がるのに手を貸してくれた。ラシェルも反対側から俺の手を握る。
俺はもう一度、倒れているアスタロウに歩み寄る。クレールはすぐに手を離したが、ラシェルは強く握ったまま離してくれない。ふと見ると、ラシェルはやはり微笑んではいたが、目元にはいっぱい涙を溜めている。
「アスタロウさん、亡くなったんですか……それで、魔王は」
「誰も、次の魔王にはならない。アスタロウがそれを終わらせました」
俺はもう一方の手でラシェルの手を取ろうとする。ラシェルはそれでも手を離さなかったが、クレールが来てその肩に手を置くと、ようやく瞳を伏せ手を離した。
「ごめんなさい、だけど私、今度こそ本当に、ウサジさんがどこかに帰ってしまうような気がして……!」
ラシェルは眼鏡を取り、掌に顔を埋めて慟哭する。よせよ縁起でもねえ。
だけど女の子に手を握られたままじゃ、締まらないからな。
そうりょの仕事は生きている人間の悩みや苦しみを出来る限り取り除く事だと思う。少なくともヴェロニクの僧侶の仕事はそうだろう。それがヴェロニクの望みなのだから。
だけどアスタロウは明確に意志を表明していた。ヴェロニクの所に連れて行けと。まあヴェロニクは今こっちに居るので入れ違いになってしまうが、先に聖域で待っていてくれればいい。今度は二百年と言わず、二、三日で戻って来るはずだ。
「少し離れなさい」
俺は振り向いてノエラ、クレール、ラシェルに……いや、三妖怪にそう告げる。三人は頷き合い、素直に後ろを向いて駆け出し、俺から距離をとる。
「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色」
俺は物言わぬ骸となったアスタロウを回向する。
戦場となった裸の岩山の黒雲は消え、辺りには砂塵が渦巻いていた。俺はごうごうと鳴る風の音に負けないよう、声を張り上げる。
「受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽」
離れていた三妖怪が戻って来て、俺の後ろで一緒に合掌しているのを感じる。お前たち、やっと煩悩を捨てる事が出来たのですか。
アスタロウよぉ。お前は俺みたいなニセ坊主に回向されなくたって、ちゃんと自分で迷わず転生への道を選べたんじゃないのか。
お前はこうして、俺が最後の別れを惜しむ機会を得られるように、あんな事を言ってくれたんだろ?
深遠なる者だもんな。こんな事もあろうかと。お前は何でも予想済みだったんだろうな。
読経を終えた俺は振り返る。やはり三妖怪は普通に俺の後ろに居た。三人もその事実に驚いているようで、互いに顔を見合わせている。
「ウサジさん、僕達はもう煩悩を克服しました!」
「少しもくすぐったくなかったわ! 修行の成果かしら!?」
「私もです! 私達、ウサジさんの高弟になれますか!?」
「素晴らしいです三人とも、私も本当に嬉しいです……だけど煩悩を捨てるのはその人の地位や名誉の為ではありません、人が苦しみから解放される為に必要な事なんです。煩悩を克服した貴女達も、どうかその事を忘れないで下さい」
「はい!」「うん!」「解りました!」
俺はアスタロウの横に屈み込み、死に顔を整えてやる。怪異共にはもう俺達を襲って来る力はなさそうだ。まあ、戦いは終わりかな。
クレールの武器、平鋤も転がったままだ。ノエラが持って来て、俺が奪って使った勇者の剣も……勇者の剣……
待てよ! 砕け、ひび割れ、勇者の剣に貫かれたままになっていた、あの魔王魂はどこへ行った!?




