0205 益荒男の滾る血潮に冷や清水俺しょんぼりと水面に揺れる ウサちん
俺はそのままマドレーヌに手を引かれ、王女の塔の方へ連れて行かれた。そして約束通りボール投げの続きを教えろと言われたのだが、短期間で腕白少女に変身してしまったマドレーヌに教える事はもう無かった。
代わりに俺は今までの旅で見た珍しい物の話をしてやる。マドレーヌは俺から聞いた話を熱心に書き取る……こういう所はさすが王女様だな、勉強は得意なようだ。
外では時々兵隊達の号令の声や足音がしている。王と将軍、群臣達は会議室で今後の対応について協議しているという。クレールとラシェルもそこに居るらしい。本当は俺もそこに行った方がいい気もするのだが。
「ウサジ、続きを話すのじゃ」
どうやら俺はマドレーヌの相手を任されているらしい。俺がここに居る事は皆が知ってるはずだが、誰も呼びに来ない。
夜にはガスパル王が塔のリビングにやって来た。あの一件以来、時間があればなるべく親子で過ごす事にしているのだそうだ。
マドレーヌも喜んでいる……まあ、まだ小さいからね。
◇◇◇
ようやく王女のお守りから解放された俺は女官の案内で宿坊に案内される。例のあの、わざわざ華美な家具や装飾品を片付けた質素な寝室だ。質素な夕食もここに用意されていた。
こんなんだったらマドレーヌの所で食わせて貰えば良かったな……今夜のメニューはガスパル王が自ら作るビーフシチューらしい。
◇◇◇
そして俺はいつもの坂を駆け上がる。マドレーヌのお守りが終わったらこっちのお守りだよ。
皆は俺がのんきに早寝してると思ってるんだろうなあ。冗談じゃない、最近の俺は毎晩寝た後も働いている。
「ヴェロニク様ー! 今日こそ話を聞いていただきますよ!」
雲の上に出て、入場ゲートを駆け抜けた俺は入り口広場でそう叫ぶ。その途端。
『ヴェロニクさまー!』『ヴェロニク様、しゅきしゅきだいしゅき!』
遊園地の入場ゲートの両脇の岩から、地上の人々の囁きが染みだす。
「カリンは居るか? カリーン!」
俺は小屋の方に呼び掛けてみる。しかしカリンは出て来ない。俺は今度は両手をメガホンにして森の方へ呼び掛けてみる。
「ヴェロニク様ー!」
すると、森のあちらこちらから。
『ヴェロニクさまー』『しゅきしゅきー』『女神ヴェロニクさま!』
ヴェロニクの復活を望む人々の声が溢れ、木霊する……
おいおい。バイブス高まってんぞ? ヴェロニク。もう観念した方がいいんじゃないか?
俺がそう思って、ニヤニヤしていると。
「ウサジのせいでしょ……」
不安で泣きそうな顔のヴェロニクが、森の木の陰からそっと顔を出した。
ここで近づこうとすると逃げるという事は俺にももう解っている。俺はただ笑顔で頷いて、ヴェロニクを置いて沐浴場のある神殿の方へと歩いて行く。
「ねえウサジくん! 一体外で何をしてたのよ、今日一日でものすごくたくさんの声が、その……」
ヴェロニクは少し離れてついて来るようだ。俺は振り向かずに答える。
「貴女の力を必要としている人達に、貴女の声を届けただけです。ヴェロニク様のことですから、今日は一日頑張って力を送っていたんじゃないですか?」
『ヴェロニクさまー』『ヴェロニクさまにかんぱーい』『だいしゅきー』
外はもちろん夜なのだが、こんな時間になっても歓声が止まないのはきっと歓楽街でヴェロニク信仰が盛り上がってるからだろう。なんというか、すっかりそういう神様にされちゃったな。ハハッ。
「わたし芸能の事とか良く知らないのよう、なのに役者さんや音楽家さんが私の名前を呼ぶの、ホステスさんやホストさんも……ねえウサジ、聞いてる?」
「いいじゃないですか、どうか『しゅくふく』して差し上げて下さい」
俺は知らん顔で神殿への道を歩き続ける。途中の小さな泉や木の洞、道端の岩……どこからでもヴェロニクの名を呼ぶ人々の囁き声が聞こえて来る。
やがて大きな湖の畔で、ヴェロニクはとうとう俺に並びかけ、左腕にすがりつく。
「ねえ待って」
もちろん。俺は立ち止まり、ヴェロニクの方に向き直る……まだ手を伸ばしては駄目かな。
「私まだ自信がないの、こんなにたくさんの人たちの期待に答えるの無理なの」
「当たり前ですよ、全部なんて出来るもんですか、目についた範囲でいいんです」
「そしたら失望する人も出るわ、私どうしたらいいの、だから待って御願い」
涙目で俺を見上げるヴェロニク。そうねえ。そういう事もあるかもね。
「その為にヴェロニク様は昔、人々が貴女ばかりに頼らずお互いに助け合って生きられるよう、様々な知識や治療術を伝授したんじゃないですか」
「だ、だけど」
「そうですね……貴女の身に何かが起きて、閉じ込められて、二百年が経って……その間に貴女の信仰は風化してしまい、人間同士で貴女の知識を伝え合う教団は無くなってしまいました。一から作り直しです。まあそれをやるのは私やデッカー、それにあの若者達の仕事です、貴女は貴女のままでいいんですよ」
ヴェロニクは俺の腕をそっと離す。
「私が私のままだったら、女神になんてなれないもん。私……今でもウサジを独り占めにしたいって思ってるもん。居ないよ、そんな女神……」
そう言ってヴェロニクは俯いてしまう……もう押し倒してちょめちょめしちゃおうかなあ。待て、自棄を起こすな俺。
……
自棄でもないわ別に。俺はもう、ここでずっとヴェロニクと暮らすのもいいなと思っている。ヴェロニクが望むなら、それは俺の望みにもなるだろう。
俺はずっとここに居て、ヴェロニクは気が向いた時だけ向こうの世界を覗いて……完全復活なんか目指さなくて、そのくらいの関わりでも別にいいんじゃない? 今まで程、俺が居ないと絶望みたいな状態じゃないと思うんだよね。
だけどそれだと、あの世界をどこまで守れるか……
ノエラ達は魔王魂を封印出来るだろうか? 人類は衰退から発展に転じられるのか? 魔族と人間の融和は叶うのか? 男達に掛けられた呪いは?
出来ると思うんだよなー。俺とヴェロニクが最後まで頑張れば。
俺は、慎重にヴェロニクの肩に手を伸ばす……
「出来ますよ、ヴェロニク様」
「だーめー!! 自信が無いのようー!!」
その途端、向こうを向いて泣きながら駆け出して行くヴェロニク……!
ああっ、もう……何でもいいから、追い掛けて押し倒してやっちまうか?
はあ。そんな事出来るわけないじゃん。
気が済むまでおやりなさい。俺はとことん付き合いますよ。ヴェロニク様、しゅきしゅきだいしゅき。




