0191 きのこが生えそうな湿気ですね……おひとついかがですか? お嬢さん(ポロン
雲の上へと続く坂道を、俺は登って行く……なんだか随分久し振りのような気がするけれど、瓢箪の中に居た時なんて丸一週間会ってなかったのだ、それに比べたらどうって事ないはず。
そろそろ雲の上に出る頃なんだが。俺はそう思いながら歩き続ける。しかし坂が終わって道が平らになっても、辺りは雲に覆われたままだった。
ああ。遊園地のゲートのようなヴェロニク聖域の入り口が、雲の中から現れる……
「ヴェロニク様ー!」
俺は入り口から大声で呼んでみた。しかし濃霧のような雲に覆われた入り口広場で、返事が返って来る事はなかった。
「カリン!」
改札係のカリンの姿もない……無用心だな、俺が魔王だったらどうするんだ。
俺は5メートル先も見えない濃霧の中を、勘を頼りに進む。それにしても湿度が高い……湿気が全身に纏わりつき、ぬののふくもじっとりと湿り気を帯びる。
「ヴェロニク様……」
気温は決して高くない。むしろ少し寒気がするほどだ。だから俺の額に浮かぶ水滴は汗ではなく、この湿気のせいで生じた結露なんだと思う。これは冷や汗じゃない……これは冷や汗じゃない……
「ヴェロニク様……ヒッ!?」
不意に足元を冷たい手で掴まれた俺は、みっともなく悲鳴を上げて飛び上がる!
―― チャプン……
しかしそれはただ、俺が気づかずに池の畔に足を踏み入れてしまっただけだった。驚かせやがって……俺は後ずさりして池から出る。
―― トン……
背中に何かが当たった。それは例えるなら、身長160センチメートルくらいの華奢な女の子の体のような……たちまち俺の鼓動は早まる!
その女の子は、いつの間にか俺の真後ろにつき、ずっとついて来ていたらしい。
怖い。
振り向けない……!
「ウサジくん……」
きゃあああああああ!?
俺は心の中で乙女のような悲鳴を上げる、それは最早女神の声というよりは皿の枚数を数える井戸の中の女中の声だった!
「私、私ね、とっても後悔しているの」
何か言わない訳には行かない、何か言わなくてはならない、解っているのに、俺の口からは一つも言葉が出て来ない……!
「ごめんね……ごめんなさい……私、あんな事をするつもりは無かったの……本当よ……ウサジ……こっちを向いて……」
後ろを向く、振り返って女神と正対する、俺はさっきからそうしようとしているのだが、足も腰も震えが止まらず、全くそう出来ない。どうにか首だけは30度程回ったのだが……俺の背中に顔を埋めるヴェロニクの姿は、少しも見えなかった。
「あんな雷を、落とすつもりはなかったの。私本当はあんな風に世界に直接干渉してはいけないの、私のせいで洪水になるなんて、そんな事は絶対にあってはいけないの、本当に、本当にごめんなさい……!」
俺の足の振るえが……止まった。
何と言う思い違いをしていたのだ俺は。ヴェロニクが悲しんでいるのはそういう事の為だったのか。
「ヴェロニク様」
俺は余裕をもって振り返ろうとした。しかしヴェロニクは尚も、恨めしそうに囁く。
「私があの子を……あの子を狙って撃ったと、思ったんでしょう?」
……え?
魔王との直接対決を前に、俺はやむを得ず、萎れたノエラに元気を注入した。
元気を取り戻したノエラは勇んで宴会場に飛び込んで行った。雷が落ちたのはその直後である、そして雷は俺の頭上ではなく宴会場に落ちた。だから俺は雷が落ちる所を直接は見ていない。
……いやいやいや! 俺は少しもヴェロニクの雷がノエラに落ちただなんて思わなかった!
「本当は少し、そう思ったんでしょう? 私が嫉妬に狂ってあの子を雷で撃ったんじゃないかと、私がウサジならきっとそう思うわ! だけど私、本当にあの子を狙ったりしてない、私、頭の中が真っ白になって、気が付いたらもう雷は落ちた後で……!」
俺の背中を這うヴェロニクの指に、謎の力が篭る。
「転移門の間に入ったウサジは、あの子が元気に飛び回ってるのを見て、ホッとしていたわ……だって私も、あの子が生きていて本当に良かったもの……もしあの子が私のせいで死んでいたら……私、私……」
ヴェロニクはずるずると、俺の背中から足元へと滑り落ちる……俺は今度こそ機敏に振り向き、地面に崩れ落ちる直前にヴェロニクの体を支える。
「ヴェロニク様、しっかりなさって下さい、私は少しもそんな風に思いませんでした、お願いですからちゃんと私の頭の中を覗いて下さい! 私の心を直接見て下さい、貴女には隠し事など何一つありません!」
辺りの霧はいつの間にか霧雨となって、ヴェロニクと俺の全身を濡らす。ヴェロニクの美しく長い黒髪はしかし、すっかり濡れて乱れてヴェロニクの顔を覆い隠してしまっていた。
「……ねえ、ウサジ」
ヴェロニクの片目が、髪の間から少しだけ見えた。
「どうして? どうしてあの子を選んだの? どうして私じゃなかったの?」