0160 きしゃ♪ きしゃ♪ ぽっぽぽっぽ しゅっぽしゅっぽ しゅっぽっぽ♪
ジュノンは一応、カモフラージュテントを用意する。
魔族側の追手は近くまで来ず、ずっと山狩りをやっている……寺院のある独立峰のあちこちで、松明がチラつくのが見えるのだ。魔族は何を探している? 俺達か? それともノエラか?
だけどノエラはゆうしゃクラウドを持っているのだ、あんな山狩りになど捕まる訳がない。
では何故ノエラはここに居ない? ゆうしゃクラウドで逃げたノエラはどこへ行ったのか? 直前のキャンプ地であるここの事をまだ思い出せてないのか?
あいつは雲に乗って超高速で移動出来るようになったんだから、見に来てくれても良さそうな気もするが……だけど事前に打ち合わせもしていないのに、ここの事を思い出してくれというのも虫のいい話だ。
俺達には二つの手段がある。
一つは寺院の山に戻ってノエラを探す事。しかしそれはノエラがとっくにあの山を離れていた場合は無駄になってしまうし、再び魔王と対峙してしまう危険を孕んでいる。
もう一つは俺が眠ってヴェロニクに話を聞きに行く事だ。ヴェロニクは自分を信じる者の姿を見る事が出来る。そしてノエラはヴェロニクを信仰してくれている。だからヴェロニクに聞けばノエラがどうなっているのか解るはずだ。
なんだけど。
クレールはさっきから何度も自分の爪を噛んでいる……相当苛立ってるな。何だかんだ言ってノエラはクレールの親友なのだ。クレールは今すぐにでもこの山道を駆け戻り、寺院の山でノエラを探したいと思ってるのに違いない。
ラシェルはずっと鼻を鳴らしている。季節外れの花粉症かしら? んな訳あるか。この優しい子は泣いてるのだ、ラシェルもまたノエラを迎えに行きたいと思っているに違いない。だから俺は、眠ってもいいかと言い出し辛い。
いやもうどう思われても構わん、俺だってこのままで居るのは嫌だ。
「私は仮眠を取ります。一時間で起こして下さい。勿論異変があったらそれより早く起こして下さい」
ノエラを探しに行こうとも言わず、俺はそう言ってみた。クレールとラシェルに罵倒されても仕方ないと思いながら。しかし。
「うん……そうだよね、そうしないと。ノエラが帰って来た時の為に体調を整えておかないとね」
「ジュノンさんも一緒に仮眠して下さい、グスン、その間は私達がしっかり見てますから!」
しかし、二人はそう言って俺が仮眠する事に賛成してくれた。
身支度は省略だ、うがいと顔を拭くだけで。俺は低いテントに潜り込む。ジュノンも一緒について来る。
とにかくヴェロニクに聞いてみよう、それから行動を考える、その方が早いし正確だ、きっと。
「おやすみなさい」
「あの、ウサジ様」
しかし。いつもは黙ってついて来るだけのジュノンが、今日に限って食い下がって来る。
「僕達……本当にこうしていて良いのでしょうか、ノエラさん、魔族に捕まったりしていませんか」
それを知る為に、早く眠りたいんだよ。
「ノエラに限って、捕まっているという事はありません。まだこのキャンプ地の事を思い出せないのか、すぐに戻って来れない事情があるのかのどちらかでしょう」
だけどもし捕まってあんな事やこんな事をされていたらどうするんだ、そんな事は解っている、俺を誰だと思ってるんだ畜生。さっきから俺の頭の中は、捕まったノエラがされているかもしれない、あんな事やこんな事で一杯だよ。
俺は最低だ畜生。ノエラが殿を引き受けたのは俺達を逃がす為なのに。
俺はいつも通りジュノンに背中を向けていた。いくらテントが狭いからとは言え、こいつ本当にすぐ隣で寝るからな。
「そう……ですよね。仲間をただ心配するだけじゃなく、信じるのも仲間だって。解ってはいるはずなのに……僕、ウサジ様のように強くなれなくて……」
ジュノンは堰が切れたかのように声を湿らせ、震えさせる。俺は思わず振り向いてしまった。その20センチメートル前方にあったのは、涙に濡れた美少女の瞳と唇、そして無防備に開いたシャツの胸元……
「私だって、気持ちは貴方と同じです」
俺はそう言って、自分の懐を空けるように腕を上げる……何やってんだ俺は、こいつは、その、
「ウサジ様……!」
だけどジュノンは俺の胸に飛び込んで来たぁあ!? 何だこれやめろ馬鹿ちがう違う、ちがうから、立つな! 立ち上がるんじゃない!
「ごめんなさい、こんなのだから僕は前のパーティに捨てられたんです、信じるべき仲間を信じないで、無駄な心配ばかりしてるから……!」
そう言って俺の胸で泣くジュノン。さらには。
「クレールさん……少し周りを見に行きませんか」
「……そうね」
外でジュノンの泣き言を聞いてしまったラシェルとクレールが、気を利かせてテントから離れて行く!? おかしいだろォォ!? 何でお前らはジュノンだけそんなノーマークなんだよ!?
三人娘だけではない。
ノエラに性的いたずらをしようとしたらカミソリを送り込んで来たり、クレールのいたずら胴紐作戦を見破って邪魔して来たりしたヴェロニクも、ジュノンに関しては一切干渉して来ない。何となく、カリンと添い寝してる時にすら感じるヴェロニクの視線を、ジュノンと二人きりで寝ていても全く感じないのだ。
「僕……今すぐノエラさんを探しに行ってはだめですか」
「……だめです」
「そうですよね……だけど僕、どうにも気持ちがざわめいて……」
「それでいいんです。それが貴方の仲間を想う形です」
俺はやけくそでしゅくふくを唱え、空いているほうの手にヴェロニクの力を宿す……おーいヴェロニク? 俺こんな事してるけどいいのー?
「ヴェロニク様の……光……」
「さあ、受け取って」
俺はその光をジュノンの胸の方に近づける。ジュノンは子供のように小さく両手を伸ばして、その光を自分の胸に抱くように受け取る……
「少し眠りなさい」
「ウサジ様……」
少しの間、ジュノンは無言でいた後、
「……大好き……」
そう呟き……寝息を立て始めた。
ヴェロニクのしゅくふくには、気持ちを落ち着かせる効果もあるんだな。そう思って俺は自分にもしゅくふくを掛けてみたが、全く効果が無かった。
まあ、ジュノンのおかげで俺の脳裏にちらついていたあんな事やこんな事をされるノエラの幻影は吹き飛んだのだが。
俺の股間の暴走機関車はもうずっと猛り狂っていた。限界を超えて石炭をくべられた火室は真っ赤に灼け、パンッパンのボイラーは破裂寸前、ブレーキを一杯に掛けても車輪の空転は止まらず、煙も蒸気もそこらじゅうの弁やら継ぎ目やらから溢れ出て、それはもうえらい事である。
ここまで来ればもうあと一押しだ、運転士がほんの一瞬でも制御を諦めればこの機関車は走り出す、横浜はもちろん静岡でも浜松でも止まらないし名古屋にだって止まらない、俺はジュノンを乗せて、いやジュノンに乗って行き着く所まで行ってしまうだろう。
こんな状況で眠れるものか。
俺はヴェロニクに会えないまま一時間の後、クレール達に声を掛けられてテントから這い出した。