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聖なる夜の契約

作者: 烏田夕里

この世界は理不尽さとメタファーで満ちています。

目を覚ますと、枕元に見知らぬ男が立っていた。


真っ白なヒゲをたくわえた初老の男。赤い服に三角帽、肩には白い袋をかついでいる。

サンタだ。


「病院に行くか、行かないか。それが問題だ」


男はそう言うとため息をついた。そしてかついでいた袋を下ろし、こたつの前に座った。


私は枕元に置いてあった眼鏡をかけた。時計を見ると明け方の四時だった。


「どちらさまでしょうか?」


私が()くと、男は疲れた目をこちらに向けた。その瞳には、肉体労働者の哀しみのようなものが色濃く出ていた。


「おお、すまん。私は(あや)しいものではない」


男はそう言うと、タバコを取り出して火をつけた。


「すいません。外で吸ってもらえますか?」

「おお、すまん、すまん」


こたつの上に置きっぱなしだった、ほろ酔い白ぶどうの空き缶で、男はタバコの火を消した。

そして吸い(がら)を缶の中に捨てた。


「昔は駅のホームでタバコを吸っても良かったのにな。今じゃどこもかしこも禁煙だ。時代も変わったもんだ」

「はあ、そうですか」

「小泉だな」

「小泉?」

「ああ」

「元首相ですか? 改革で有名な」


そうだ、と言ってサンタの格好をした初老の男はうなずいた。


「小泉が変えちまったんだよ。改革だ何だと言って、あいつが世の中を全部おかしくしちまったんだ」


男は目をつぶって首を振った。

そして再びため息を吐いた。それは地獄の底から吹いてきた風のような深いため息だった。


「それで、あなたは一体どちら様なんでしょうか?」

「ん、そこから? そこから説明が必要?」


まいったな、と言って男は苦笑いをした。


「この格好だよ、わかるでしょ? サンタだよ。サンタクロース」


男は「いつやるの、今でしょ!」みたいな感じで言い放った。


「とりあえず、コーヒーでもくれないかな」

「え?」

「だめなのかい?」


私はしぶしぶ立ち上がりキッチンへ向かった。

そしてポットでお湯をわかした。


居間をちらりと見やると、サンタはしきりに右肩を気にしながら顔をしかめていた。

どうやら肩を痛めているようだ。病院はちゃんと労災で受けることにしよう、とか何とかつぶやいている。


「ブラックですか?」

「ん、何がだ?」

「コーヒーです」

「コーヒーか。ブラックでかまわんよ」


サンタは笑った。


「てっきりうちの会社のことを言っているのかと思ってしまったよ」


私はコーヒーを()れたマグカップをこたつの上に置いた。


「どうぞ」

「すまないね」

「いえ」


ずずず、と音を立てて彼はコーヒーをすすった。


「うまい。豆はグァテマラかい?」

「インスタントのネスカフェです」


サンタは笑みを浮かべた。

そして、グッド、と小さく言った。


「あのう、そろそろ何のご用件で訪れたのか教えてもらえないでしょうか?」

「そうだな。時は刻々(こくこく)と過ぎていく。いたずらに浪費(ろうひ)してはならない」


サンタはマグカップをこたつの上に置いた。

そして白ヒゲを一撫(ひとなで)した


「要件というのは他でもない。契約関係の話だ」

「契約ですか?」

「君はクリスマスの使用料を払っているかい?」

「クリスマスの使用料?」


彼はうなずいた。


「そうだ。私どものデータでは、この家の住人からの支払いは確認されていない。そうだね? 君は払っていないのだろう?」


私はうなずいた。


「そうですね。クリスマスの使用料なんて払ったことはありません」


サンタは袋から緑色のバインダーを取り出した。そこには契約書のような紙がはさまれていた。


「ここにサインをお願いできるかな」


私は契約書を見た。そこには、あれやこれやの難しい言葉が並んでいた。


要約すると、クリスマスを享受(きょうじゅ)する者はクリスマスに対する使用料を払う義務がある、とのことだった。

その額13990円(年)。


「ひとつ質問いいですか?」

「どうぞ」

「私は別にクリスマスを享受なんてしていないんですけど」

「というと?」

「見てもらえばわかると思うんですけど、私はこのワンルームのアパートで一人暮らししてて、彼氏はいません。昨日のイブも一人で過ごしました。一人で部屋にこもってブログの更新しながら、お気に入りのユーチューバーの動画を見て過ごしていました。明日は普通に仕事です。全然クリスマスを享受できていない、アラサーの乙女です」


サンタはゆっくりと二、三度うなずいた。

あなたの気持ちは充分(じゅうぶん)わかる、とでも言うように。


「そうは言ってもね、これは決まっていることなんだよ。一人ひとりに義務が課せられているんだ。書類にサインをしてくれ」

「義務ってなんですか?」

「その書類に書いてあるだろう。これは決まっていることなんだ。サインをしてくれ」

「これってみんな契約しているんですか?」

「当然だ。これは義務なのだから」

一軒一軒(いっけんいっけん)あなたが回って契約を取りつけているんですか?」

委託(いたく)を受けたスタッフたちが一軒一軒回っている」

「あなたもそのスタッフの一人?」

「そうだ」

「なんでサンタのコスプレしてるんですか?」


男は肩をすくめた。


「サンタはサンタだ。それも仕事なんだよ。サンタがいなかったら、一体誰が子供たちにプレゼントを配るのだ」

「それは、その子のおy……」

「いいかい。よく聞きなさい。私は何も契約を取りつけることだけが仕事じゃないんだ。ちゃんとプレゼントも配らなければならないのだよ。夜勤明けだよ。昨夜はずっとプレゼントを配り続けていたのだ。おかげで肩が上がらなくなってしまった」

「それは大変だったのでしょうけれども……」

「まったく。しかし、世間が休みの時に働くというのが客商売の鉄則だからね。(かせ)ぎ時というやつさ。さ、サインをしてくれ」


私はため息をついた。

どうすればいいのだろうか。

まさか自分の家にサンタが来るなんて思ってもみなかった。


サンタがクリスマス使用料の契約を取りつけに来ることは、噂では聞いていた。それもかなり強引な手口で契約を迫ってくる、ということも聞いていた。


確かに強引だ。

何せ、気づいたら枕元に立っているんだもの。

こんなのただの不法侵入じゃないか。


しかし、彼らの後ろには莫大な権力を持つ全国的な組織がついているのだ。彼らに逆らうことは誰にもできなかった。

何人かの勇気ある市民が立ち上がり、裁判を起こしたりもしたが、結局すべて負けることになってしまった。

それほどまでに彼らのバックについている組織の力は巨大なのだ。国家権力にまで力が及ぶほどだった。

だからサンタが勝手に家に侵入するのは問題とならないのだ。


「さあ、サインをしてくれ」


白ヒゲの男はなおも私に迫ってくる。

彼も生活がかかっているのだろう。何としてでも契約させてやるぞとの強い圧力を感じる。


しかし、わたしだって生活がかかっているのだ。今月は嵐のDVDに想定以上にお金を使ってしまった。これ以上の出費は厳しい。


私は何とかしてこの状況を打破しようと、わらにもすがる思いで契約書を見直した。

どこかに抜け道は無いだろうか……?


その時、私は契約書のすみに書かれている注意事項に目がとまった。

そこには、「以下のものを所有している場合、たとえクリスマスに自主的に参加していなくても使用料は払わなければならない」とイラストつきで書かれていた。


・ツリーやリース、キャンドルなどのクリスマス用雑貨

・クリスマスソングやクリスマスにまつわる映画、小説など

・ケーキやチキン料理、ワインなどクリスマスを匂わせるすべての飲食物

・ありとあらゆるクリスマスプレゼント類

・サンタやトナカイのコスプレ衣装など

・パートナーや子供


私はそれらのイラストを指してサンタに見せた。


「ほら、ここを見てください。契約書には、以下のものを所有している場合は契約をしなくてはならない、という記述になっています」


サンタは眉間(みけん)にしわを寄せて契約書をのぞき込んだ。

その表情には動揺(どうよう)の色が見えた。

いける、と私は思った。


「つまり、これらのものを所有していない場合、使用料を払う義務は生じないということなのではないですか?」

「まあ、それはそうだが」

「見てください」


私は自室を見まわした。


「どこにも何もないじゃないですか。ツリーもキャンドルもプレゼントもパートナーも」

「いや、でもまさか、何もないわけじゃないでしょう?」

「ありません。私には何もありません」

「本当に?」

「ない。私には何もない!」


サンタは、信じられない、という表情で白ヒゲを撫でた。

いい歳した乙女が「クリぼっち」であるという事実に心底驚いているようだった。


よし、あともう一押しだ。


「ない! 私には何もない! 私はクリスマスとはまったく関わっていない! クリスマスとは無縁だ!」

「そんな馬鹿な。この時代にまったくクリスマスと関わらない女子なんて……」

「うるさい、黙れ! 悲しくない、私は決して悲しくない! 私は私の生き方を肯定こうていする!」

「じゃ、じゃあ、昨日は何を食べた? クリスマスにまつわる料理を食べたりしなかったかね? ケーキやチキンは食べたりしただろう」


私は立ち上がってキッチンへ向かった。

そして、明日の月曜朝に出すためにまとめていたゴミ袋を取ってきた。


「どうぞ確認してください。昨夜の夕食は牛丼とサラダセットです」


サンタは愕然(がくぜん)としながらゴミ袋の中を確認した。

いい歳した女子がクリスマスイブに牛丼の持ち帰りを一人で、とか何とかつぶやきながら。


私は冷蔵庫を開けてその中も確認させた。傷みかけたもやしと消費期限の切れたタマゴしか入っていなかった。

サンタはもはやビビっていた。


「お引き取り願えますか」


私の言葉に、サンタはしぶしぶ立ち上がった。

玄関のドアへと向かう途中、彼は恨みがましく何度か振り返った。

が、やがてあきらめのため息と共にドアをあけて去って行った。


 *


こうしてクリスマス使用料の徴収員は去って行った。彼のいなくなった部屋には静けさが戻ってきた。

「クリぼっち」でも、私は別にむなしくはなかった。もともと一人で過ごすのが好きな性格なのだ。世間は世間、私は私でいい。


こたつの上の空き缶には、サンタの吸ったタバコの吸い殻が残されていた。

その空き缶の横に一枚の名詞が置かれていた。

名詞には「NCK(日本クリスマス協会)」と書かれていた。

私はそれをちぎって捨てて、缶を洗った。

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