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09


「アミー、帰ったか。」

「お父様!お戻りだったのですね。」


 家に戻ると、父が自ら出迎えてくれた。しばらくの間王城での仕事が忙しく、顔を合わせる機会があまりもてなかったのだが、仕事が落ち着いたのだろうか。疲れた様子で、目の下にはうっすら隈ができている。顔色も悪いような気がして、それほど大変だったのかと心配になった。

 わたしと同じ色をもつ父は、ものすごく整っている、というわけではないものの、顔立ちがきりりとしており、長身で、40代も半ばという年齢の割に引き締まっているため、若々しく見える。主に王と諸領の折衝役を務めており、現王からの覚えもめでたい。わたしの自慢の父である。


「お前に話があってな。時間はあるか?」

「ええ。お父様とお話するための時間がない、なんてありえません。」


 わたしの言葉に、父は口元を緩める。強張っていた目元も和らいで、わたしは少しほっとした。


 父に促され、書斎に入ると、古い本ならではの匂いがする。よくここに来る本好きなわたしとしては、親しみがあり落ち着く匂いだ。体を動かす方が好きな弟からすると、古臭くて埃っぽい匂いなのだそうで、彼はあまりここには寄り付かない。ベルもここにはあまり来ないので、わたしと父が2人で話すときは、自然とここに来ることが多い。

 置かれた丸机を囲む椅子は、腰を下ろすとギシリと音を立てた。古いが作りは丈夫な椅子で、がっしりとした佇まいはわたしのお気に入りだ。わたしの向かいに父が腰掛けると、同じようにギシリと音を立てて軋む。父が何やら疲れたような、困ったような表情で、わたしを見つめるので、何を言われるのかと居住まいを正して向かい合う。


「その、アミー。お前、婚約者選びをしているというのは、本当か?」

「はい、その通りですが・・・。」

「・・・そうか。」


 わたしの言葉に、父は苦虫を噛み潰したような顔をした。そのあと、大きくため息をつく。・・・そういえば、叔母様には相談をしたにも関わらず、父には相談していなかった。1人で先走ってしまったとも言える。もしかすると、それで父は怒っているのだろうか。

 叱責されるのかと身構えたわたしの考えを読み取ったのか、父はわたしを宥めるように言った。


「安心しろ、腹を立てているのではない。むしろ、お前が自分から相手を探そうと思い立ったこと自体は、とてもいい傾向だ。お前はいつも自分のことは二の次で、周りのためばかりに動こうとするからな。」

「そんなことは、」

「ある。仕事そのものが楽しい、という部分もあるのだろうが、結局は領地の経営を考えてのことだろう。年頃の娘らしく、もっと自分のことばかり考えたって何も悪くないんだぞ。」


 これは、父や叔母からいつも言われていることだ。わたし自身は今の自分をそこそこ気に入っているのだが、周りから見れば心配なのだろう。しかし、心配してもらえるというのは、想われているということだ。だからこそ、これを言われるたびに、好きにさせて欲しい、心配はいらない、という気持ちと、ただただ感謝したくなる気持ちと、両方に挟まれて、むず痒い気持ちになる。


「・・・わたしは、かなり好きにやらせてもらっているわ。叔母様や父様が何も言わずにのびのびやらせてくれるから、好きなことができるんだもの。世間から変わり者だなんて言われてもやめないんだから、ある意味、自分のことしか考えてないわ。」


 これがわたしの本心だ。わたしの行いは、わたしが必要な人脈を得られなかったり、赤字を出して事業を潰したりすれば、わたし個人ではなく侯爵家に返ってくる。女が男社会に入っていくことは、好ましくないとされているのだから、余計にそうだ。

 我が国は、労働階級では男女平等が一般的で、女性が仕事に就いているのも珍しいことではない。しかし、特権階級の人間の感覚はとかく前時代的で、女性は男性の言うことを聞き、家を守ることが一番だとされている。貴族の令嬢であれば、結婚に向けて行儀見習いとして働く、と言うことはあれど、わたしのように男性に混じって商談、など以ての外なのである。

 周りと違うとことをすれば目を付けられる、というのは、どこの世界でも共通だろう。にも関わらず、わたしに好き勝手やらせてくれるのは、父の寛大さに他ならないのだ。


「お前ならそう言うだろうことは分かっているよ。だがまあ、今回の問題はそこではないんだ。」

「と、いうと?」

「今おまえは、アベーユ子爵との話を進めようとしているんだったな。」

「そうだけど・・・。叔母様に聞いたの?」


 多忙な父が叔母からの連絡でわざわざ屋敷に戻ったのだろうか。時間を割かせてしまったことが申し訳ないな、と思いながら尋ねれば、何故か父は歯切れ悪く答えた。


「まあ、そうだな。それでな・・・・・・、それで

・・・・。」


 どこか言いづらそうな父に、黙って待ちながら視線で先を促す。すると、意を決したように、父が言った。


「・・・お前に、縁談が来た。」

「・・・え?」


 父が発した言葉が上手く処理できず、反応が遅れる。ようやく飲み込んだところで、驚きから、ついつい淑女にあるまじき、間の抜けた声を出してしまった。


「と、父様?縁談って・・・え?」

「・・・。」


 黙り込む父に、どうやら冗談ではないらしいと悟る。もともと冗談を言うような父ではないのだが、この場合、冗談だと言ってもらった方がよかった。なんというか、青天の霹靂である。

 これまで、侯爵家の令嬢であるにもかかわらず、我が家に縁談が持ち込まれることはほとんどなかった。わたしがまだ物心がつかないような時分には、我が家と縁続きになりたいというような家からいくつか話があったようだが、わたしがまだ幼かったこと、我が家にあまり益のない相手だったこと、その後我が家が色々ごたついたことなどから、進められなかったそうだ。

 わたしが長じてからは、変わり者として評判になってしまったため、縁談が持ち込まれること自体あまりなかった。それが今、アベーユ卿との話を進め出した途端、縁談が来るとは。まさか、「婿にしたい令嬢」のもとに向こうから話がやってくるとは思ってもみなかった。


「あの、お相手はどちらの方・・・?」

「・・・今の時点では、詳しくは言えない。」

「は?」

「時期が来るまで、名は伏せなければならないんだ。」


 縁談を持ちかけてきた相手を言えない、とはどういうことだろうか。一体どこの変わり者なんだろう。

 それに、我が家は侯爵家であり、立場上断れない話というのはあまりない。しかし、父は大変不本意そうだ。ということは・・・。


「・・・王族の方?」

「・・・。」


 沈黙は肯定だろう。まさか、そちらの筋からとは。

 現王には、3人の子がいる。王子2人に王女1人だ。我が国では、王にのみ多妻が認められているのだが、恋愛結婚だという王は正妃以外には妃をおいていないため、御子も少ない。

 第一王子は現在26歳で、既に結婚されている。隣国の姫君を娶ったのだが、仲睦まじく、誰かが間に立ち入るような隙はないという。

 第二王子は22歳で、彼は兄を支えるためにと早々に武官になった。王家の領土である西の国境付近で、領土拡大を目論む騎馬民族とのいざこざをいくつも平定し、武勲を立てている。西方将軍と呼ばれており、結婚でもしたら公爵位を得て、そのまま西方守護に専念するのではという噂だ。我が侯爵家の領土は東方なのであまり縁はないものの、評判はたくさん耳にしている。ぜひ嫁ぎたいというご令嬢はたくさんいるようだが、なかなかの遊び人であり、まだまだお相手を1人に決めるのは先ではないかと言われている。

 わたしの縁談の相手として、第一王子は当然ないし、第二王子にしても、遊び人だという噂が本当であるのならば、わたしのような女に声がかかるとは思えない。


「第二王子では、ないわよね。」

「ああ、それは違う。」


 念のため訊くが、思った通りの返答だった。でも、だとすれば一体誰からの縁談なのだろう?王家と縁続きの公爵家などを思い出してみるも、適齢期であったり、妻帯していなかったりという方は思い当たらない。殿下方とはあまり親交はないし、関わりのある方は老齢の方ばかりだし・・・。

 うんうんと考えていると、父が何かを決したように声をかけてきた。


「アミー、あのな。この話は、わたしからは断れないのだが、お前には決定権がある。」

「え?わたしに?」

「もしお前に関心がないのであれば、断っても・・・。」


 父が最後まで言葉を発する前に、ギイ、と扉が開く音がした。はっとして振り向くと、そこにはベルがいた。ベルが書斎に来るなんて珍しい。しかも、近頃では硬い表情ばかり見せていたにもかかわらず、やけに機嫌よさげなのも気になる。

 

「なんだか楽しそうなお話をしていますね。」

「・・・何の用だ、ベル。」


 にこにこと可憐な笑みを浮かべる妹と、対照的に苦々しい顔をしている父。一体何なのか。というか父様、こんなに可愛らしい自分の娘を見て、その表情になるとはどういうことなのか。


「姉様に縁談が来たなんて、ちょうど良いじゃないですか、父様。姉様、お相手探しを始めたんでしょう?」

「・・・・・。」


 黙り込む父に、ベルは笑みを深める。そうしてわたしの方に近づいてきて、手を取った。


「姉様、お会いするだけお会いしてみたらどうかしら?叔母様に紹介してもらうと言っても、選択肢は多い方がよいでしょう?」

「そ、そういうもの、かしら?」

「ええ!そういうものよ。」


 久しぶりの明るい笑顔を見られた嬉しさ半分、今までとの差への困惑半分といったわたしに対し、ベルは、わたしの手を両手で握り込み、ずいと身を寄せてくる。


「きっと、素敵な出会いになるわ!」

「そうは言っても、相手は一体どなたなのか・・・。」

「会ってみれば分かることよ。ね?・・・駄目かしら?」


 小首を傾げるベルは最高に可愛い。わたしよりも少し背が高いのだが、少しかがみ込んでいるため自然と上目遣いになる。小動物的な可愛さと少女らしい可憐さとで、くらくらする。これから大人になっていく妹の、今この時しかない姿だ。ちょっと不安そうな表情も、可愛い。子猫のようだ。可愛い、わたしの妹本当に可愛い。


「・・・そう、ね。ベルが言う通りなの、かも?」

「やったあ!お会いするのね!」

 

 なぜだか大喜びの妹がわたしに抱きつく。可愛い。ふわりと、馴染み深い妹の香りがする。わたしの所で取り扱っている香水の香りだ。ベルは甘い香りよりも、どちらかというと清涼感のある香りを好む。柑橘系の香りに、ウッディ系をほんの少し混ぜ、アクセントをつけたものだ。ベルの好みを考えてわたしが選んだものなのだが、それをつけてくれていることが嬉しい。

 ぎゅっと抱き返すと、ベルは嬉しそうに、ふふふ、と笑った。屈託のない様子に思わず笑みがこぼれたところで、黙っていた父がようやく言葉を発した。


「・・・アミー。おまえは今、アベーユ子爵と話を進めているのだろう。」

「・・・っ!」

「え、ええ。今日、初めて2人でお出かけしただけだから、お話を進めていると言うほどではないけれど・・・?」


 アベーユ卿の名前が出た瞬間、何故か腕の中の身体がはねる。不思議に思うが、わたしの肩口に額を預けたベルの表情は見えなかった。


「アベーユ卿のことは、どう思っている?」

「えっと、そうね、好ましい方、だとは思うわ。わたしが女でも関係なく、対等にお話をして下さるし、話題も合うし。まあ、たまに嫌われているのかな、なんて思うこともありますけど。」

「ほう、どんな時だ?」

「うーん、近づいた時に顔を背けられたり、身体ごと引かれたり?避けられているような気がしますが・・・、でも、今日は割りと和やかな感じで過ごせ、うぇっ!?」

「・・・・・・。」


 突然、ベルの腕の力が強まって息が詰まる。思わず令嬢に相応しからぬ声が出てしまった。それを見ていた父様は、なにやら楽しげに続ける。


「その話を聞く限りでは、感触は悪くなかったようだな。おまえの性格的には、同時に他の相手との縁談を進める、というのは気がとがめるのではないか?」

「そ、それは、そうです、が・・・っ!?」


 ぎゅうううう~っ、と抱きつかれ、言葉を発するのも難しい。というかベル、力が強い。こんなに力があったのか、というくらい強い。背骨が軋む音がする気がする。

 人から見ればくまのぬいぐるみにでも抱きつくような可憐な様子なのだろうだが、力がそんな可愛いものじゃない。というか、ぬいぐるみには背骨がないけれど、わたしには背骨も内臓もあるので、苦しくて堪らない。

 苦しみつつも、可愛い妹と引き離して良いものか迷っていると、父が助け船を出してくれた。


「・・・ベル、それくらいにしないとアミーが潰れてしまう。離しなさい。」

「・・・・・。」


 父の言葉を聞くと、何も言わぬままではあるものの、ベルは腕の力を緩めた。ほっとしていると、顔を上げたベルが、わたしを見つめる。涙がうっすら膜を張ったような瞳がきらきらとしており、思わず見とれた。


「姉様・・・、縁談をお受けにならないのですか?」

「え?えっと、アベーユ卿とのお話を進めようかと考えていたところだし、乗り換えるようなことはしたくないのだけど・・・。」


 何やら熱心に見つめてくるベルに、なんとなく気まずくて、視線を外そうとする。しかし、両手で頬を挟まれ、顔ごと視線を戻された。なにやら、逃げられないようだ。


「会うだけなら、別に不義理にはならないでしょう?」

「う、うーん・・・?」

「お会いするだけなら、とさっき姉様だって言ったじゃない。」

「そ、そうね・・・。」

「ね?・・・姉様、お願いっ。」


・・・わたしが、いずれ家を出るつもりだと言ったらあれだけ怒っていたベルが、何故これほど縁談を進めてくれるのかが分からない。しかし、なにやら必死な妹から言われれば、受け容れないというのは姉馬鹿として、あり得ない。


「・・・分かったわ、お会いするだけなら。」

「っ!ありがとう、姉様!!!」


 了承したわたしに、ベルは喜び、父は大きく溜め息を吐いた。


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