08
植物園の入り口に、供を連れた紳士が立っていた。見覚えのあるすらりとした長身に声をかける。
「御機嫌よう、アベーユ卿。」
「あ、ああ!アマーリエ嬢!ご機嫌麗しゅう!」
「本日はどうぞ、よろしくお願いいたします。」
「こ、こ、こちらこそ!」
・・・何か、アベーユ卿の様子がおかしい。普段夜会で顔を合わせる時は、いつもにこやかだが割ときびきびとした印象で、このように慌てたような様子は始めて見た。まるで人が違ったようだ。思わずまじまじと見つめてしまうと、視線をそらされた。・・・やはり、あまり快く思われていないのかもしれない。
やや気分が沈むも、植物園の中に入らねば始まらない。アベーユ卿を促し、植物園の中に入った。
「わあっ・・・!」
植物園はドーム型の建物だった。ほぼ全面がガラス張りで、外からの自然光が内部に差し込んでいる。室内だというのに緑と日光が溢れ、清々しい雰囲気だ。外から見えるよりも鮮やかで美しい様子に、思わず声を上げてしまう。
「見たことない植物がたくさん!さすがですね。」
「・・・室温が通年暖かく保たれているので、南の方の植物も多く植えられているようですよ。」
「へえ・・・!彩が豊かで、素晴らしいですね。私、あんな色の花は初めて見ました!」
鮮やかな青い花、濃い紅の大きな花など、見慣れない花がたくさんあり、年甲斐もなくはしゃいでしまう。知らないどこかでは婿にしたいなどと言われているそうだが、これでも一応貴族令嬢なので、美しいものは普通に好きだ。強い香りも物珍しく、それぞれの花をじっくり見てしまう。
「本当に素敵な場所ですね・・・。こちらの場所は、アベーユ卿から提案していただいたのでしたね。」
「喜んでもらえているようで光栄です。」
「お誘いいただいて、本当にありがとうございます。」
最初に会った時のそぶりは何処へやら、にこにこと微笑みながら、彼はこちらを見つめてくる。はしゃぐ様子が可笑しかったのかと若干気まずく思いつつも、表情に出さないように気をつけた。
南の地方の気温に近づけているのだろう園内は、外気と比べると室温が高く、少し歩けば汗ばんでくる。
「少し、暑いですね。太陽光だけで、こんなに暖まっているのでしょうか?」
「この季節はそうみたいですよ。ただ、冬場はそうもいかないので、植物のための室温機があるそうです。ほら、あそこに走っている太い管にスチームを流して、暖かさを循環させるそうです。」
アベーユ卿の指差す先には、白くて太い管が走っていた。よく見れば園内の至る所を走っているようだ。なるほど、これなら効率的に空気を暖められる。
「面白い仕組みですね。でも、維持費がかかりそうです。」
「そのようです。王立であることと、研究機関でもあることとで、維持運営が可能のようですが。」
「維持費さえどうにかなるのなら、作物の育成にも活かせそうですよね。」
「全く。綿や穀物の育成に活かせたらと思うと・・・。」
「同感です。」
互いにうんうんと頷き合う。・・・いくら知り合い同士とはいえ一応お見合い代わりの外出のはずが、いつもの夜会での会話とそう変わらない、色気のないものになってしまっている。夜会で会った談笑の会話としてもあまりそぐわないものだろうが、わたしとアベーユ卿はいつもこんな感じだ。・・・リリーが呆れたような表情をしているのが視界の端に映った。が、これがわたし、というかわたし達である。仕方がない。
わたしの口調も悪いのかもしれない。なるべく気を遣ってはいるのだが、ですわ、ですのよ、ですの、といった令嬢言葉が苦手なのだ。元が辺境育ちということもあり、領民との距離が近かったことと、自分の性質と、まあ両方が所以なのだが。
アベーユ卿との会話は楽しい。彼とは、性別や立場を気にせずに会話できるからだ。わたしが女であるとか、侯爵家の令嬢であるとか。そういうことを忘れさせてくれるほど、彼は対等に話してくれる。・・・なんというか、叔母様が彼を選んだ理由がよく分かる。
園内を一周したところで、休憩がてら併設のカフェでお茶をすることになった。貴賓席に通されたのだが、個室ではあるものの大きな窓があり、開放的だ。園内の植物が見渡せるのもよい。
互いの前に茶器と軽食が置かれた。カップに口をつけて喉を潤す。歩いて汗をかいたため、水分が美味しい。できれば、水で良いので温かくないものが欲しいところだが、今回は形式美の方をとるべきだろう。
ほう、と一息ついて顔を上げると、アベーユ卿と目が合う。どうやらわたしの方を見ていたようだが、目が合った途端、やんわりとそらされた。・・・本当に、わたしのことをどう思っているのかが分からない。
「お花、素敵でした。思っていた以上に綺麗な場所でしたね。」
「あ、ああ、そうですね・・・。」
話しかけると、ぎこちない返答が返ってくる。どことなく、表情も硬く、肩にも力が入っている気がする。何か緊張しているのか、暖かい園内を歩いて体温が上がったのか。紅くなった頬や襟元から覗く彼の首筋を見つめながら、残念な気持ちになる。先程はあれほど会話が弾んでいたのに、どういうことなのか。
忙しなくカップを口元に運ぶ彼は、一瞬こちらを見る。しかし、わたしが見ていることに気が付くと、また視線を外してしまう。会話も途絶え、部屋の中がしばらく静かになり、やや気まずい。
迷ったが、こちらから話しかけることにした。目をそらし続けるアベーユ卿に、なんだか意地になってしまい、相手をじっと見つめ続けながら。
「アベーユ卿は、植物に興味がおありなのですか?」
「はい、えっと、我が家の主な事業は、紡績だけではなく、原料の生産と販売もありますので・・・。」
「そうでしたね。では、花々はいかがです?」
「えっと、美しいものを見ることは、好きですよ。美術品でも、植物でも。あ、いや、わたしは、それほど知識豊富というわけではありませんが・・・。」
「わたしもです。綺麗なものは好きですが、一部の方ほど熱心に蒐集したり、論じたりはしませんね。」
会話が徐々にテンポよく流れるようになる。だんだんと滑らかになるからの口調に、少しだけ安心した。
「美術品に大枚をはたく、というのも、経済を回すためには必要な事なのでしょうがね。美術品の保護にも繋がりますし。でも、先程も言ったように知識があまりないので価値を見誤る気がして、手が出しにくいのです。」
「ふふっ、それはアベーユ卿が慎重だからではないですか?いいことですよ。」
段々とアベーユ卿の緊張も、ほぐれてきたようで、これが少し嬉しい。わたしの口元も綻んだ。それを見てなのか、アベーユ卿の表情も柔らかくなった。
もしかすると、わたしも硬い表情になっていたのかも知れない。そのために、アベーユ卿に気まずい思いをさせてしまったのかも。それに思い至り、勝手に残念に思っていた自分が、少し申し訳なくなった。
「でも、植物は価値だとかそんなもの関係なく愛でられるのがいいですね。気兼ねなく誉められます。」
「ははっ、確かにそうとも言えるかも知れませんね。」
「・・・花とか、変わりゆくものって美しく見えますよね。人も、そうですね。」
ふと、ベルのことを思い出す。幼い頃からあの子の成長を間近で見守ってきて、その美しさに触れてきた。変わりゆくからこそ、ずっと間近で見ていたくて、なるべく側にいられるようにしてきた。病弱とはいえ、体調を崩していない時には、明るく、生きる輝きに満ちあふれたような子だった。わたしの可愛い、大切な女の子。
・・・もうすぐ、彼女の一番近くにいるのはわたしではなくなる。だというのに、いつまでわたしは妹離れしないつもりなのか。目の前に殿方がいるにもかかわらず、ベルのことを思い出すなんて、どうしようもない。
黙り込み、やや俯いてしまったわたしに、アベーユ卿の視線が注がれるのを感じる。わたしは勝手に気まずくなって、沈黙を続けてしまう。すると、アベーユ卿から声がかかった。
「・・・変わりゆくものは、確かに美しいです。花も、もちろん素敵でした。でも・・・でも、わたしにとっては、その、あなたが・・・。」
「?」
「・・・・いえ、なんでもありません。」
顔を上げると、なぜだか顔を真っ赤にしたアベーユ卿が目に映る。その様子がなんとなく、照れ屋な弟を想起させた。良い子なのに、素直になれないところのある弟は、よくこんな顔をしていた。そんな弟を見る度に、可愛らしくて、髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜたことを思い出す。
自然と笑みを浮かべたわたしに、アベーユ卿はほっとした様子を見せる。おかしな様子を見せて、何か心配させてしまったのかもしれない。改めて、申し訳なくなる。
アベーユ卿は一口、紅茶を飲むと、話題を変えようと思ったのか、わたしの服に目をやった。
「先程から気になっていたのですが、そちらのレースはもしかして?」
「ああ、さすがアベーユ卿ですね。そうです、こちらが我が領の最新作です。」
模様が見やすいようにと、指先で軽く襟をつまむ。すると、興味をもったのか、よく見ようとアベーユ卿は隣の席へ移動してきた。
「なるほど・・・、植物繊維ですか。」
「ええ。そうなんです。」
「繊維は太いですが、素朴な色合いと模様が素晴らしい。」
「ありがとうございます!染色もできるんですけど、敢えて風合いを出すために、そのままの色なんです。模様も、職人直伝で。」
気取らない褒め言葉と、じっくりと見つめる顔から伝わる興味が嬉しい。そこそこ手間をかけて製品化したものであるため、紡績関連の専門家に褒められると感慨深いのだ。それで、宣伝がてらと、つい口が滑らかになってしまう。
「実は、どんな場所でも比較的育ちやすい植物で繊維を作れないかと試行錯誤して、行き着いたものなのです。使用している植物は、そのままではなかなか編んだり織ったりということがしづらかったため、特別に加工をしています。」
「一体、それはどんな?」
「ふふ、それは秘密です。」
「意地悪ですね。」
「アベーユ卿こそ。聞き上手で、つい秘密まで話してしまいそうになります。」
互いに顔を見合わせ、笑い合う。こういった駆け引きは、とても楽しい。いかに相手に興味をもたせるか、有益な情報を引き出すか。それだけでなく、自分の好きなものの話を興味深く聞いてもらえるのも、とても嬉しいことである。
「ただ、その加工をしないと、例え編めたとしても肌触りが大変悪いのですよ。」
「そうなのですね。・・・少し、触っても?」
「ええ、どうぞ。」
許可すると、アベーユ卿の指先がパフスリーブ部分のレースに触れる。少し撫でて、ほう、と感心したような溜息をついた。
「確かに、思っていたよりも柔らかいですね。」
「そうでしょう?この柔らかさも、実は売りの一つなのです。」
袖口から手を離したアベーユ卿は、今度は襟の部分をつまんで覗き込む。
「これは、つけ襟ですね?」
「ええ、そうすることで、様々な衣服と組み合わせられるかと。」
「女性ならではの視点ですね。模様が映えるのもいい。」
「ありがとうございます。これは、わたしもお気に入りなんです。」
嬉しくて、にっこりと微笑む。と、襟口から顔を上げたアベーユ卿が顔を上げた、瞬間。思ったよりも近い距離で、視線が合う。顔が、近い。
どきん、と心臓が一鳴りした。顔が、首筋が、熱い。目の前の顔は真っ赤で、もしかすると、わたしも同じような顔色なのかも知れない、と、どこか冷静な部分が思った。
「す、す、すみません!あの、女性に、こんな、」
「い、いえっ!わたし、じゃなくて、私も、その、夢中でお話ししてしまったから・・・!」
ずさっ、と、音がしそうなくらいに勢いよく、アベーユ卿は身体を離す。顔を隠したくて押さえた頬が、熱い。無性に恥ずかしくて、顔を背けると、アベーユ卿は、わたしの向かいの席に戻っていった。
「・・・ほ、本当に、すみませんでした。貴女とのお話が楽しくて、ちょっと、浮かれてしまったのかもしれません。」
「そんな!私も、アベーユ卿とお話できるのは、とても楽しかったです!だから、その、謝らないで下さい・・・。」
しゅんとした様子に、こちらの方がいたたまれなくなる。慌てて言ったわたしに、アベーユ卿はほうっ、と息を吐いて脱力した。
「ありがとうございます。・・・アマーリエ嬢は、優しい方なのですね。」
「そんなことはありませんよ。」
「・・・できれば、こんなわたしに懲りずに、またこうして会っていただけると嬉しいのですが。」
真剣な表情で言うアベーユ卿に、また心臓が、どきん、と音を立てた。・・・この方は、わたしを嫌っていたのではないのだろうか。そんな考えが頭をよぎったが、彼の言葉や表情から伝わってくる誠実さが、疑いを否定してくれるような気がした。
「・・・はい。こちらこそ、お願いします。」
答えた途端に広がった笑顔に、心臓の音が速くなる。もしかすると、この方と結婚するのかもしれない。まだ叔母から紹介された1人目で、2人きりになるのも初めてなのに、そんなことを考えた。・・・そうなると、妹と離れなければいけないのに、なんて考えには、必死に蓋をして。