プロローグあるいは一つのエピローグ
遠くからサイレンが、近くからは人の騒ぐ声が聞こえる。
目の前にはフロントガラスがクモの巣状にひび割れ、衝撃でゆがんだボンネットが見え、ボンネットの先は自分の腰から下を巻き込むように壁に突っ込んでいるのが見える。
これは死ぬよな。腰から下の感覚どころか他の所からも痛みを感じないし、と考えながら案外余裕があるなと自分自身でも思う。
自分の状況を理解してはいるが、生きたいとあがく気力もつもりもない。
元々死んだように生きていた身だ、誰かを助けて命を失うのなら無駄に死ぬよりは上等だろう。
左の方に目をやれば、小さな子供を抱いた女性が座り込んでいる。
少なくとも人二人分の命を救うことが最期に出来たなら、こんなゴミのような俺の命にも価値はあったのだろうと思いたい。
ガソリンでも漏れているのだろうか、それとも俺の血だろうかどちらかわからないが地面にシミが広がっていく。
じわりじわりと広がるそれを見ていると、まるで走馬燈のように今までの自分の事が脳裏によぎる。
いや、死にかけてるから走馬燈か、これ。
俺、善知鳥亮二は至って平凡に生きてきたと思う。
両親共に揃った中流家庭で生まれ、妹が一人いて家族仲もよかった。
妹は4つ下で小さい頃は喧嘩もよくしたが、俺がバイトを始めてからは(我が家は小遣い制が無かったので)バイト代から小遣いを渡したりある程度大きくなってからは親に内緒でタバコを分けたり、互いに面白いサブカルを紹介したりと親友みたいなノリになっていた。
親父は物心ついた頃から仕事で忙しく、仕事が暇になってからもあまり絡みは無かったが仲が悪いわけでもない。今思えばお互いにどう接すればいいのかわからなかったのだろうと思う、親子揃って変に不器用なところが似ていたようだ。
その分お袋とは仲がよかったように思う。
パワフルな人で俺が生まれる前まで中型のバイクを乗り回していたり、その割にお茶やお花といった習い事に、簿記資格だとかを持っていたりと活動的な人だった。
礼儀とか考え方だとか、俺がバイトを始めてからは仕事の仕方なんてものも教わった。
少し恩着せがましいところもあったが、人のために動くことを厭わず周りからも好かれていたようだった。
そういうのもあって、俺は人としてお袋を尊敬していたし、ある意味目標だったのだろう。
そんな割と一般的な家庭環境で育ってきた俺だが、どこかで一歩踏み外してしまったのか、道を間違えてしまったのか。
そのきっかけはなんだったのだろう。死ぬ間際の今でもわからない。
大学時代のバイトで彼女に出会った時だろうか。
新卒で入った会社の配属先の店舗で、パワハラ上司に鬱で自殺寸前まで追い詰められた時だろうか。
結婚を考えた彼女に振り回されるまま借金をしてしまったことだろうか。
ただ最後に繋がる一歩、ポイント・オブ・ノーリターンとも言えるものは思い当たる。
彼女が地元で就職し遠距離となり一年ほど経ち、俺は転職して独り暮らしを始めていた。当初はお互い交互に行ったり来たりをしていたのが、彼女が4か月に1度こちらに、俺がほぼ毎月向こうに行くようなペースが当然になり始めたころ。
突然仕事終わりに連絡があった。
携帯の画面を見れば親父の名前と番号が浮かんでいた。(日頃連絡が来ても、大概はお袋か妹からなのに珍しいな)と若干不思議に思いながら電話をとったのを覚えている。
「おぉ、すまんな。お疲れさん、仕事終わったか?」
「おう、今帰ってきたとこやで。どしたん、親父からなんて珍しいやん?」
「そっかそっか、悪いな。あーそのな…お母さんこないだから調子悪いて言うてたやろ?」
会話の始まりはいつも実家に帰った時の親父の話口だったが、この時点でさすがになにかよろしくない事があることは俺も察した。
「…おう。検査する言うてたやつな。」
「おぉ…あれや、癌やったみたいやわ…。」
「あぁ、そうか、癌か…。」
俺の中で何かが、めきりと音を立てた。
心臓を掴まれたような、心臓に氷水を流されたようなそんな感覚だった。
一年はもたないという話だった。
彼女にも状況を話すと困ったような何とも言えない顔をして、話を逸らされ何とも言えない気分になったのを覚えている。
仕事の合間を縫って実家に帰り、お袋に顔を見せたり家族全員であーだこーだ言いながら抗がん剤の影響で髪が無くなったお袋のウィッグを選んだり出来るだけの要望を叶えようとした。
お袋はいつものように台所に立ったり、庭木の世話をしながら明るく笑っていた。
半年ほど経った時に医者から数値が回復していると言われ、家族そろって一安心した。
丁度その時「結婚するなら安定した仕事でないと―」と彼女に言われ、資格が取れれば安定する建築業界に転職した俺は仕事に打ち込んだ。
パワハラ社長とモラハラ部長(社長長男)、イエスマン課長に囲まれ慣れない仕事に悪戦苦闘していたがそれを彼女へ愚痴ろうものなら機嫌が悪くなってだんまりになるだけだった。
働き始めて半年ほど経っただろうか、お袋の状態が悪化し緊急入院したと連絡があった。
医者からご家族の方にお話が、と言われ聞いてみれば抗がん剤は使用者の体にとっても悪影響があり、これ以上強い薬は使えない、前回は回復したが体力的にも今回は難しいでしょう。覚悟をしておいてください。そんな話だった。
病室のお袋はやせ細り、『骨と皮』というのが正しかった。
ここ2、3か月で急に体調が悪くなったらしいが『俺に心配を掛けたくないから連絡はしないでいい』とお袋が親父と妹に言っていたらしい。
しばらく見ない間にここまで…とショックを受けたし、仕事にかまけていた自分を責めた。
横を向かないと苦しいらしく、呼吸器をつけた状態で横を向いて辛そうにしながらもお袋は笑顔を見せ、こう言った。
「あんたは健康で元気に生きてくれればいい」
本人も近いことがわかっているのか、息も絶え絶えに言うその言葉はまるで遺言のように聞こえた。
あまり猶予はないとのことだったので、一度着替えなどを取りに帰るついでに彼女の所に寄って状況を説明した。
恐らく自分自身思っていた以上にショックを受けていたのと、一番近くでお袋の弱っていく様子を見ていた家族には弱音や泣き言は言えないという気持ちもあった。
話しているうちに思わず涙が出てしまったのだが、それを見た彼女には「泣かんといて、鬱陶しい」と手を払われた。
今思えば俺も混乱していたのだろう、彼女にごめんと謝りそのままお袋の病院へと戻った。彼女も実家に帰る予定だったので、家で別れ彼女はそのまま駅へと向かった。
お袋が無くなったのは翌日の事だった。
葬儀には多くの人が来てくれて、お袋はこんなに人との繋がりがあったのかと驚いた。
なんの実感もないまま、多くの人に惜しまれ眠ったように動かないお袋を火葬場で見送った。
俺の中で、何かがみしみしと音を立てていた。
実家から戻っても全く実感もわかなかった。
頭に靄が掛かったような状態で仕事に復帰し、1週間が経った頃彼女から連絡があった。
基本的には俺の方からの連絡だが、そういえばお袋が死んでからは連絡を忘れていた。
仕事終わり家に帰って電話を掛けると
「……別れて欲しい」
そんな話だった。
俺の中で何かが、ボキリと音を立てた。
「そう、わかった」
その言葉は案外すんなり出た。
今借りてる部屋も一緒に暮らすのを前提に借りたもの、結婚を考えて転職し指輪まで渡していた、全てがどうでもよくなってしまった。
続ける意義の見いだせなくなった仕事を辞め、寝て、起きて、寝て、起きて。
自分でも生きてるのか死んでるのかわからないような生活をしていたが、お袋の言葉が命綱か呪いのように最後の一歩を食い止めていた。
ただ生きている以上食わないと死ぬ。
家の食糧がなくなり、近くのスーパーへといくために久々に外に出て住宅街の丁字路を抜けようとした時だった。
若いお母さんだろうか俺の前にいた子供を抱いた女性が丁字の丁度真ん中近く、電柱の辺りまで進んだ時、視界の隅に車が来るのが見えた。
曲がるのかと思いきや止まる様子がない、減速せずにこちらに突っ込んでくる。
俺は巻き込まれない、が確実に前の親子は直撃するコースだった。
『アラサー独身無職』と『将来がある若いお母さんと子供』
自分の中の天秤が、一瞬で答えを出したのがわかる。
その時の俺は人生で最高の動きをしていたと思う。
親子との間の距離を一気に詰め、お母さんの肩を突き飛ばしさっきまで親子がいた位置に俺が滑り込むような形になったと同時、車が俺を壁と挟み込むように突っ込んだのだった。
さっきから意識が飛びつつあるので、どうもいよいよヤバいらしい。
血がどんどん抜けているのか、自分で体温が下がりつつあるのがわかる。
視界が徐々に暗くなって色彩を失っているのだろう、自分の血の色も認識できなくなっている。
そこで俺の意識は途絶えた。