ダイスの世界へようこそ。
「――けるなっ!」
気づけば森の中に俺は立っていた。
「え? は?」
突然の変化に理解が追いつかない。
先程白い部屋に召喚された時もそうだったが、変化が一瞬すぎて頭が情報を処理しきれないのだ。
「どこだここ……」
そこそこ立派な針葉樹の森。
立ち並ぶ樹々の背は高く、ぐるりと俺を囲んでいる。
不思議なのは俺の周りにだけ樹々がないのだ。
俺を中心にした半径50メートルほどが円状の広場のようになっている。
まるで森の中にポッカリと空いた穴のよう。
空を見上げると快晴で雲ひとつない。
昼を過ぎた太陽は背の高い樹に隠れているが、それでも陽光は俺の足元を明るくする。
状況が理解できない。
「もしかして……これがクエストか?」
マスターの言葉を思い出しながら呟いた言葉も静かな森の中に消えてしまう。
動くべきか、止まるべきか。
どう行動すれば良いか迷っていると、突然頭上が燃えた。
「うおっ!?」
慌てて頭を抱えてしゃがむも炎はかなり上方で生き物のようにウネっているだけだ。
《フォレストウルフリーダーを倒せ!》
そして炎は文字になった。
フォレストウルフリーダー?
どういうことだ……?
訳もわからないまましゃがんだ姿勢で浮かぶ文字を見つめていると、炎が再度ウネリ始める。
《ウェーブ・ワン》
うぇ、うぇーぶわん?
文字の意味が分からずに困惑していると炎が収束し、消滅した。
そして森から一匹の狼が飛び出す。
「グルルルルルッ」
体躯は一メートル半程の暗い緑色をした狼。
「フォレストウルフ……っ」
討伐難易度は一つ星だが群れで行動する事からソロ冒険者は出会ったら逃げるのが鉄則の相手。
一匹だけなら俺でもなんとか倒せるだろう。
だがそれ以上に気になるのは、フォレストウルフの頭上に名前と緑色のバーが浮かんでいること。
ふと自分の頭上を見上げると同じものが存在した。《ヴァイ・ザート》と書かれた名前と緑色のバー。
「ガウッ!」
フォレストウルフの鳴き声に慌てて前を向く。
緑色の狼はまさに俺に向かって攻撃を仕掛けようと走り出した瞬間だった。
50メートルほどの距離を一気に縮めてくるフォレストウルフ。
一旦距離を取ろうと脚に力を込めるが、足の裏が地面から離れなかった。
「なっ!?」
どんなに力を込めてもその場を動くことができない。
なんなんだこれはっ!
「クソッ!」
もう逃げることはできないと確信して剣を抜こうと腰に手を回す。
しかし、手は何も掴めなかった。
「あれ? うそ!? 剣がない!」
これまで長年使い込んできた愛用の鉄剣が腰に吊るされていない。
今までそこにあるのが当たり前で、無いと違和感を感じるほどの剣だったのに、マスターとのあれこれの衝撃が大き過ぎて失念していた。
「ふ、ふざけんなっ!」
もう十数メートルの距離まで近づいてきているフォレストウルフを見て叫んだ。
その瞬間、フォレストウルフの頭上、名前や緑色のバーが存在するさらに上にダイスが現れた。
ダイス。
サイコロ。
賽はおそらく正六面で一から六までの数字が点で記されているのだろう。
ここからは二と三と四しか見えないけど。
「なんだ――」
俺の発した言葉が言い終わる前にダイスが回り始めた。
「――あれはっ!」
慌てて俺の頭上を見上げると同じくダイスが存在して、回り始めている。
だが、そんなもの気にしている余裕はない。
呑気にダイスの目が出るのを気にしていたらフォレストウルフに噛み付かれてしまう。
目の前まで迫ったフォレストウルフを睨む。
俺から数メートルの位置で一瞬止まったフォレストウルフはその場から飛び上がり、喉に噛み付こうとしてきた。
「このっ!」
俺は慌ててその攻撃を上半身だけで避けるも、フォレストウルフは地に着いた右前足だけで方向転換し、後ろ足で再度跳ねる。
無理やり攻撃を避けようとした俺は体勢を崩していてこれ以上は動けない。
視界の端にチラリと炎の文字を捉えた。
フォレストウルフのダイスの上には五の文字。
俺のダイスの上には二の文字。
「ぐああああああ!」
フォレストウルフに噛まれた右腕に激痛が走った。
だが不思議なことに血は出ない。
牙が骨を擦る音すら聞こえたのに、血が溢れ出るどころか傷すら残っていなかった。
「くっそ……なんだこれは」
痛みは本物なのに怪我に現実味がない。
未だに熱を持ったかのように痛みがあるのに右腕は動く。
十メートルほど離れたフォレストウルフの牙にも血は付いていない。
謎の現象に頭がグルグルと回っているとフォレストウルフの頭上からダイスが消えていた。
素早く自分の頭上に視線を走らせると緑色のバーが四分の一ほど減少していることに気づく。
そして静止したダイスも存在した。
「グルルルルルッ」
フォレストウルフは唸るが動こうとしない。
そして俺の両足は自由になっている。
なんとなく理解できた。
「今度は俺の番って訳か……」
俺がフォレストウルフへ向かって走り出すと、フォレストウルフの頭上にもダイスが現れ、二つのダイスが同時に回り始める。
「この……いぬっころがっ!」
クエストはクリアーするか死ぬかの二択しかないのは直感で分かる。
マスターの言葉通りに死んでしまうかも。
肌がひりつくような這い寄る死の感覚に、俺の感情は高ぶっていた。
こんな感覚いままで味わったことがあっただろうか。
「おらぁ!」
ダイスの目はフォレストウルフが二。
俺が六。
渾身の蹴りが、深緑色の狼を吹き飛ばした。