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幕裏

少年は重い足取りで階段を降りる。

 まるで自分のやってしまったことを深く嘆くように。

「好きなら気付けよ。バカ」

 綺麗にラッピングされた袋を眺めながら、彼は自己嫌悪で吐きそうだった。


「あれ、和行、そんなところで何してるんだよ」


 臼井勲が告げる事実を少年は少しも否定しない。

「この暑いのに長袖なんか着て、正気の沙汰かよ。ていうか今日はさぼりか? しかもブレザーって……あっ分かったお前、洋行と入れ替わってたんだな。お前たちまだそんなイタズラしてるのかよ」

「……勲はなんでこんなところにいるんだ?」

「いやさ、教室にランニングシューズ忘れちゃって、急いで取りに来てたところ」

「……そっか」

 少年は……洋行に扮した和行は、笑顔の勲から、目を逸らす。

「和行?」

 無言のまま階段を降りて行く俺に、勲は訝しげに声をかける。

「和行? おーい。お前何かあったのか?」

 勲の心配する声は、俺にはもう届いてはいなかった。



〝和行、俺さ。彼女ができたんだ〟

 突如として告げられた事実はとても非情なものだった。

〝ほら、昨日帰ってくるの遅かっただろ? あれ実は告白に行っててさ。三回目の告白だったんだけど、三時間粘ってやっとOKもらえたんだ。〟

 そこで洋行は柄にもなく頬を染める。

〝気難しいやつでさ……多分和行とはすごく気が合うと思う。今度絶対紹介するよ〟

 そう言って洋行は嬉しそうにはにかむ。

〝それでさ。明日なんだけど……彼女に俺の誕生日を一日祝ってもらうから、入れ替わって欲しいんだけどだめか? 明日数学の演習があってさ……ほらお前数学はすごく得意だろ?〟

 そう自分勝手に懇願する兄のことを、俺は無下にはできず、彼女ができたと喜ぶ彼に怜奈のことを伝えることができなかった。


 校舎の一階まで降りて俺はブレザーのポケットから青色のネクタイを取り出した。

 ――結局どうやって結べばよかったんだろう――

 洋行の学校では、ネクタイは忘れたことにして一日通した。というのも起きたときには洋行は消えていて、ネクタイを結んでもらうこともできなかったからだ。

 だが、怜奈の場合そういう訳にはいかなかった。

 怜奈は和行がネクタイを結べないことを知っている。

 彼女には、少しでも洋行が和行なのではないかという疑いを持たせる訳にはいかなかった。

 だから長袖のブレザーまで来て、胸元を少しでも隠し、それでも隠せなかった部分は手で覆ったのだ。

「くそっ!」

 ネクタイを投げ飛ばし靴箱にぶつけ、ブレザーをその場に放り捨てる。


 少しでも傷つけたくなかった。

 怜奈に、告白させる機会だけは与えたかった。

 彼女の求める洋行を演じて、ただ断ろうと思っただけなんだ。


 でも、どうしたって彼女の気持ちを踏みにじったことには変わりない……


 洋行にちゃんと怜奈のことを伝えることだってできたはずだ。結果は同じでも、その方がずっと誠実だったのに俺は……


「ブーー、ブーー」

 座り込んでいるとズボンのポケットの携帯電話が震え始めた。

 俺は液晶で相手を確認して、徐に通話のボタンを押す。

『よっ、和行うまくやってるか? 今は部活に出てる頃かな?』

「部活には出てないよ」

『まじかよ。明日先輩に怒られるじゃんか。どうしてくれるんだよ和行』

「知らねぇよ。それより昨日訊き忘れてたけど、お前の彼女って学校内部のやつじゃないのか?」

『ああ、そうだよ』

「どこで知り合ったんだよ」

『まあまあ、その話は追々な』

 電話口で嬉しそうにはにかむ洋行の姿が目に浮かぶ。

「で、何の用だよ。今から部活戻れって言っても絶対嫌だからな」

『違う違う。ちょっと訊きたいことがあってさ』

「なんだよ」


『和行の好きなものって何なの?』


『ほら、前俺の好きなもの突然訊いて来たときがあっただろ? あれからちょっと気になっちゃっててさ。お前の好きなものって何なんだろうなーって。あっプラモデルとかペパークラフト以外でな。あれは俺にも分かる』

「なんでそんなこと……」

『俺ってさ。十六年も生きてると自覚が出てくるんだけど、無神経なところがあるからさ。知らない内にお前の気持ちを踏みにじってるとこあるのかなって少し反省するとことがある訳。……まあこの無神経さは治らないと思うけどさ。お前の好きなものくらい大事にしたいと思って』

「……」

『すぐ思いつかないなら帰ってからでいいや。母さんには今日遅くなるって言っといて』

 唐突にかかった電話は、俺の心をかき乱すだけかき乱して唐突に切れる。


 俺の好きなもの……


 いつも洋行の背中を見ていた。

 中学最後の試合、三キロメートル走のラスト四百メートル。俺はスパートをかけて洋行を追い抜いた。

 体力なんてないに等しい中で、俺を突き動かすのは洋行に負けたくないという負けん気だけだった。

 他の選手が脱落していく中で、残ったのは当然のように俺と洋行の二人で、残り百メートルまでは俺が前で走っていた。

 しかし、洋行は、俺のことを嘲笑うかのごとく、そこからまたスピードを上げていく。

 負けたくなかった。

 意地でも洋行だけには負けたくないと思った。

 それなのに……


 倒れ込む俺の耳元に歓声が鳴り響く。

 それは俺の学校の他の選手の声で、自校のワンツーフィニッシュを喜ぶものだった。

 洋行が一番で、俺が二番。


 努力が実らないとまでは思ったことはない。

 中学校の三年間努力をして無駄なことなんて一つもなかった。

 俺は洋行以外の誰よりも速くなった。もちろん学校推薦だって来たんだ。

 けれど。

 あの三キロメートルの息もできないほどきつい状態で、空を見上げたとき。

 俺は、もう疲れていたんだ。


 努力することに。洋行と張り合うことに。

 自分を信じ抜くことに。


 洋行は俺のことを好きだという。

 でも、俺は多分洋行のことをうまく好きにはなれないでいるんだ。


「陸上も嫌いになったのか?」

 勲の声がそう訊いた。

 自分でもよく分からない。

「洋行が嫌いだから、陸上も嫌いになったの?」

 ……そうなんだろうか……

「じゃあ、和行の好きなものって何なの?」


 俺はそこで携帯をズボンのポケットにしまう。

 そしてブレザーもネクタイもほったらかしにしたまま、校舎の中へ駆け出した。


「張り合っても負けると思ったの?」

 違う、洋行の方が好かれるのは当然だと思ったんだ。

「そうやって、自分の気持ちを誤魔化してたんでしょ?」

 そうかもしれない……


 俺は階段を駆け上がる。屋上に向けて……


 彼女の学校で見せるむすっとした表情を思い出した。

 洋行のことを考えて余裕がなくなる彼女のことを思い出した。

 ついでに引っぱたかれた頬の痛みを思い出した。

 大好きな本に囲まれたときの嬉しそうな顔を思い出した。

 お菓子作りに失敗して半べそになっている姿を思い出した。

 そして、あのニッコリと笑った笑顔を思い出した。


 そして自分がずっと告白の練習に付き合っていたことを。

 デートのときに無理してオシャレした意味を考えた。


 息が切れる、鼓動が速くなる。……それでも俺は走ることをやめなかった。


 他のことは全然分からない。

 陸上が好きなのか。俺は洋行のことがそんなに気に食わないのか。


 でも、これだけは分かったから。

 今、やっと自分の気持ちと向き合うことができたから……!!


 もしかしたら彼女の前で無様にこけるかもしれない。

 しどろもどろで何言ってるか分からなくなるかもしれない。

 本当に大事なところで噛んでしまうかもしれない。


 だって俺にはリハーサルは存在しない。


 屋上の錆びついた扉を勢いよく掴む。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

タイトルの意味にもお気づき頂けたでしょうか。

コメント頂けると大変うれしいです!!

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