テイク2
「くそ、一体どうなってるんだよ、これ」
日曜日の朝、部屋の姿見を見ながら、俺は首元でネクタイを外したりつけたりを繰り返していた。
ネクタイの結び方が分からない…… 制服の違う洋行は毎日つけて行っているはずだが、一体どんな魔法を使ってるんだ。
他の私服はジャージばかりでまともな物はないし……
「かずくん何やってんのー?」
「うわっ、びっくりした」
まだパジャマ姿の洋行が、後ろから抱きついてきていた。さっきまで二段ベッドの上で寝ていたくせに。案の定、眠そうに何度も目を擦っている。
「気持ち悪い呼び方するなよ」
「昔の呼び方しただけじゃん。いいんだよ〝ひろくん〟って呼んでくれて」
コイツのどこがクールなんだか。
「ネクタイ結んでんの? やってやろうか?」
言いながら洋行は、俺の首元に手を伸ばしてさっさとネクタイを結んでみせた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
洋行は俺から離れると、欠伸をしながら二段ベッドの一段目に寝転がった。
「おい! 上に戻れよ」
「面倒くさい。今日は部活もないし、もう一眠りさせて」
「……そう言えば、昨日ずいぶんと帰ってくるの遅かったな。母さんにも怒られてたけど、何やってたんだ?」
「ふふふ、俺は今幸せなのだ」
「はあ? どういうことだよ」
「まあまあ、とにかく和行はデート頑張ってきなよ」
「……デートじゃねぇよ」
俺のベッドで大の字で寝ている洋行を尻目に、俺は部屋を出た。
……全く誰のせいでこんなことになっていると思ってるんだか。
「駅前の噴水、十一時で合ってるよな」
腕時計を見ると、もう十分は過ぎていた。真面目なやつだから、時間だけはきっちりしているはずなんだが。
「ごめん! 和行くん待った?」
そう言いながら走り寄って来た彼女を、俺はずいぶんと惚けた顔で眺めることになった。
なぜなら彼女は白のワンピースに、淡い青色の服を羽織り、頭にはリボンなるものをつけて、はたまた化粧までしていたからだ。
普段の制服のクールなイメージと全然違うのな
「ど、どうかな?」
気恥ずかしそうに目を逸らしながら、怜奈が訊いてくる。
「お前にカワイイって言う日が来るとは思わなかったな」
「! どういう意味よ!」
「……すっげぇカワイイですって、イタイタイ頬をつねるな」
怜奈は一頻り俺の頬をつねり終えると、最初の可憐な乙女の顔はどこへやら、いつものむすっとした表情で駅の改札の中に入って行った。
「早く行くわよ」
「……お、おう」
怜奈らしい、いつものぶっきら棒な態度に俺はどこか安心していた。
「やっぱ、蒔田怜奈はこうでなくちゃな」
「何か言った?」
「いいや、何も」
券売機で切符を買うと、二人並んで改札を抜ける。
「……なんでネクタイなんかしてるの?」
「……いや、デートだから少しぐらいオシャレした方がいいのかと思って」
「ふーん」
「でも、全然結び方分からなくてさ。結局洋行に結んでもらった」
そこで前を歩いていた怜奈が大げさな動作で振り返る。
「まさか、今日のこと洋行くんに言ったんじゃないでしょうね」
「…………いや、友達と遊びに行くとしか行ってないよ」
実際は特に今日の言い訳を考えていた訳ではなかったのだが。
――帰ってから言い訳しとくか――
「ていうか、ネクタイ結べないなんてダサいわね」
「うるさいな」
駅のホームに着くと俺たちの乗る電車が丁度入って来るところだった。
「でもカッコイイよ」
「えっ」
「洋行くんみたいで」
電車に乗り込んだ怜奈は、物憂げに窓の外の風景を目で追う。
目的地に着くまで二人の間にはただ電車の揺れる音が響くばかりで、一切の会話はなかった。
「苦手なら無理して乗らなくていいだろ」
俺は自販機で買ったお茶を、ベンチで項垂れている怜奈に手渡す。
「だって、これも含めて練習だったんだもん」
「ジェットコースターに乗ることがか?」
俺は溜息を付きながら立ったまま、自分用にかったジュースをがぶ飲みした。
俺たちは今、街で一番でかい遊園地にいる。
「洋行、コースター狂だからフリーパス買って少なくとも十回は乗るぞ? それ全部付き合うつもりかよ」
「そうよ。だからこそ今練習してるの!」
「一回乗っただけで歩けなくなったお前がか?」
決定的事実に、怜奈は押し黙る。
「……取り敢えず、続けざまはどう考えても無理だろ。なんか違うアトラクションにしようぜ」
怜奈は俺の渡したお茶を飲みながら無言で頷く。
「お化け屋敷なんてどうだ。デートじゃ定番だと思うけど」
「お化けとか……そういうのダメ」
「……じゃあ観覧車は?」
「高いところ、……あんまり得意じゃない」
「……じゃあ、なんだったいいんだ?」
「…………メリーゴーランド……とか」
「高校生にもなってそれは、はずかしいな」
一瞬の沈黙。
「……お前、なんで遊園地なんか来たんだ?」
「だって、洋行くんが楽しめると思ったから!」
俺は本日何度目になるか分からない溜息をつく。
「良く分からないけどさ。デートって洋行だけが楽しめても意味がないんじゃないのか? そこまで無理して合わせなくていいと思うぞ。お前も楽しくないとデート相手の洋行も気まずいだろ」
怜奈は不満気な顔で、俺を上目遣いに見つめる。
「少なくとも俺は好きな相手が楽しめてなかったら嫌だ」
俺は言いながら、怜奈の腕を掴み無理矢理立たせる。
「よし。遊園地出よう」
「えっ、どこ行くのよ」
「怜奈の一番好きなところ」
「……私の一番好きなところ?」
「そう、ここが洋行の一番好きなところってことなら、次に怜奈の好きなところに行けば丁度バランスいいだろ。どんなに洋行の興味のないところでも付きあわせてやればいいんだ。それでこそきっと彼氏彼女だよ」
俺の無理矢理な論に怜奈はジェットコースターの疲れが残っていたのか、反論はしてこなかった。
「ねえ、本当にここに居て退屈じゃないの?」
「大丈夫、俺も漫画くらいには興味あるから」
遊園地から歩いて20分。俺たちはショッピングモールの中の一際大きい本屋の中にいた。
怜奈は本棚を舐めるように眺めながら歩いている。
本当に嬉しそうに。
「そう言えば、怜奈っていつも本読んでるよな、あれって恋愛小説とか?」
「どうしてそう思うの?」
「中二病こじらせてるから」
「えっ」
小声で言ったおかげで聞こえなかったらしい。
「いや、ちょっとした予想だよ」
「……前読んでたのは確かに源氏物語だったかな」
「源氏物語? えっ、それって恋愛小説なの?」
「……古典でのちのち出てくるよ。タイトルぐらい知っておいてもいいんじゃない?」
さいですか。
「こんなに大きい本屋だと、何時間居ても飽きないわ。背表紙見てるだけでも楽しい」
まじですか。
俺は徐に後ずさりする。
「じゃあ、俺。漫画見飽きたら、あそこの椅子に座っとくわ」
「うん、分かった」
振り向きもしなかった怜奈のそのときの表情は、どことなく輝いて見えた。
「おーい起きろ」
右頬をつねられて、俺は目を擦る。顔を上げると紙袋を抱えた怜奈が立っていた。
「こんなところで寝たら、風邪ひくよ」
「んーー今何時だ?」
「もう夕方の4時」
おいおい、本屋入ってから二時間は経ってるじゃねぇか。
「丁度いい時間だし、そろそろ帰るか」
「待って、まだあれやってない」
「? あれって?」
「告白の練習!!」
ということで、ここは外にあった公園。
錆びれた公園だからか、うまい具合に人はいなかった。
「こ、これ」
怜奈は、いつものように俺を洋行だと思って顔を真っ赤に染めている。
「誕生日プレゼント……受け取ってください」
手渡されたのは綺麗にラッピングされた袋で、俺はすぐさま口のヒモを解く。
中には真っ黒焦げのクッキーが入っていた。
「お前……これ」
「……失敗しちゃって」
「ハハ、失敗しちゃってって。これは人に見せられるレベルじゃないぞ。よくも堂々と持って来れたな」
悪気はなかった。ただ笑い飛ばそうとしただけなんだ。
「だって……誕生日プレゼント渡せなかったら……好きな人の……誕生日も、知ら、ない。非常識な人って思われちゃう」
目を真っ赤に染め上げ、鼻水を何度もすすりながら、怜奈はやっとの思いでそう言ってきた。
――どうしてお前は洋行のことになると、そんなに余裕がなくなるんだよ――
これは明日のリハーサルな訳だし、手作りがだめなら買った物をあげてもいいはずなのに。
俺は袋の中身をじっと見つめ、決死の思いで黒焦げのクッキーを一つ摘み上げると、口の中に放り込んだ。
「! えっ、おいしいの?」
「そんなわけあるか! まずいよ」
「じゃあ……」
今度は袋から三つくらい黒い物体を取り出し、口に放り込む。
「小麦粉には罪はないし、体の栄養くらいにはなるだろ。それに……」
口の中には甘味な味は一切なく、ただただ苦いだけだった。
「怜奈が……一生懸命作ったんだろ?」
洋行のことを思って……
「……ありがとう」
そう言って怜奈は目に溜まった涙を拭うと、紙袋から手の平サイズの四角い袋を取り出す。
「これ、一日早いけど誕生日プレゼント」
「えっ。誰の?」
「和行くんのだよ」
俺は惚けた表情で、それを受け取る。
「和行くんが寝ている間に買ったの、開けてみて」
俺は言われるがままに、袋を開けると……中にはペーパークラフトが入っていた。
「……どうして」
「昔からプラモデルとか好きだったじゃん。私、洋行くんのことはあまり知らないけど、和行くんのことは結構知ってる自信あるよ」
そう言いながら、怜奈は俺に背を向ける。
「和行くんは本当に優しいよね。告白の練習なんてめちゃくちゃなのに付き合ってくれてさ。多分ね……私、明日が不安で不安で堪らないから、今日誰かと一緒にいたかったんだと思う。
だから、本当に今日は一緒に居てくれてありがとう。明日はきっと頑張れる気がする」
「ああ、明日は応援してるよ」
俺がそう言うと、怜奈は振り返ってニッコリ微笑んだ。
歯に挟まっていた焦げたクッキーが舌に落ちて、口の中は苦くて堪らなかった。