テイク1
真夏の空は、残酷なまでに青く澄みきっている。
俺は紙パックのジュースを飲みながら、この暑さの中、大声を張り上げるラグビー部の横を通り過ぎた。
どうやら今日はサッカー部が練習試合でいないらしい。グランドは彼らラグビー部の独占状態で、顧問の声にはいつも以上に覇気がこもっていた。
俺は機敏な彼らとは対照的に、気だるげに、必要最低限の動作で歩く。
部活に入っていない俺が、放課後にこんな場所にいること自体、本来なら変な話だ。
実際、通り過ぎる者は皆ジャージ姿で、制服姿の俺はひどく浮いている気がする。
「よっ!」
背中を押され、突然のことに体がのけぞった。
危うくこけるところだ。
「いってぇ」
「ハハ、情けねぇな和行。運動不足なんじゃないか?」
「今の、運動不足に関係あるか?」
俺は言いながら、背中を押した犯人を睨み付けた。
臼井勲、女みたいな名前だが男で、俺のクラスメイトだ。ちなみに名前をちゃん付けすると怒る。同じ中学出身で、中学時代は同じ陸上部に入っていた。
「今から一キロ三本三セットやるんだけど、一緒にどうだ?」
「運動不足には到底無理な練習メニューだわ。ホント、暑い中ごくろうなことで」
俺の皮肉に、勲はどこか釈然としない表情をみせる。
「……なあ、和行。今からでも陸上部入らないか? うちの陸上部人数少ないし。お前だったら即戦力……」
「入らないよ」
俺の食い気味の返事に、勲は押し黙る。
「……勲って、やっぱ走るの好きなんだな」
俺はしゅんとしている勲に笑いかけ、そう訊いていた。笑っていたのは、食い気味に答えたことが勲を責めるためにやったことではないと伝えたかったからだと思う。
「……どうだろう。確かに嫌いって訳ではないけど、走るのってひたすらにきついところがあるからな…… どっちかっていうと、これしか取り柄がなかったっていう方が俺の場合は正しいかも」
「……ふーん。何の躊躇いもなく好きって言えるアイツが特殊なだけか」
「何のことだ?」
「いやこっちの話」
俺はそう言いながら腕時計を盗み見る。デジタルの数字の羅列は、待ち合わせ時間をとっくに過ぎていることを告げていた。
「……なあ、和行……」
「悪い! ちょっと約束があって急いでるんだ、またな。練習頑張れよ!」
俺は勲の言葉を遮って、致し方なく走り出す。
「……ああ、そうだ。その前にずっと訊きたかったことがあるんだけど…… 勲って俺と洋行どうやって見分けてるんだ?」
「………………雰囲気?」
振り向き様に見た勲は、悩ましげに首を捻っていた。
人気のない体育館裏というものは小説や漫画の中でドラマが生まれる場所である。果たし状が届けば不良の決闘が起きるし、陰湿ないじめは大抵こういう場所で起きる。
そしてもっとも多いシチュエーションが……。
「遅かったわね」
体育館の壁に凭れ掛かっていた彼女は、長い髪を掻き揚げると読んでいた文庫本を閉じた。
「おいおい。なんでカーディガンなんか着てるんだよ。暑くないのか? この猛暑の中正気の沙汰とは思えないぞ」
「そうね、誰かさんが遅れたせいでこの上なく暑かったわ」
「……悪かったって」
いつもと同じむすっとした表情で、彼女、蒔田怜奈は腕を組む。
長い綺麗な黒髪に、細い体。生徒会にも所属する才女の怜奈は、臼井勲同様、俺の中学時代からの友人である。
「じゃあ、始めるか。今日も練習ってやつ」
「和行くんのせいで雰囲気台無しなんだけど。だいたい告られる相手は先に待っておくべきものでしょう?」
「あのなあ……お前、それ洋行にも言えるのかよ」
洋行の名前が出た途端、怜奈は顔を真っ赤に染め上げる。
「ひ、ひろ……洋行くんは今関係ないでしょ! 私は和行くんの遅刻を責めてるんであって……」
「だーかーらー。今から洋行に愛の告白する練習するんだろ? 俺を洋行だと思わなくてどうするんだ」
「愛の告白なんて……そんな……」
違う。俺が伝えたかったところそこじゃない。
一体俺たちは人気のない体育館で何をしようとしているのか。答えはベタ中のベタ。告白イベントってやつなのだが……。
普通と違うのは、これがそのリハーサルだってところだ。
怜奈の好きな相手は洋行だ。洋行っていうのは他校に通っている俺の同い年の兄のことである。そう、俺と洋行は一卵性の双子なのだ。
つまり双子の弟の俺は絶好の練習台として良いように使われているというわけだ。
「と、とにかく。私あの木の影から出てくるから、和行くんも洋行くんになりきって待ってなさいよ!」
「お前はちゃんと俺を洋行だと思って大事にしろよ」
俺にそう言われて、怜奈は不機嫌そうにプイっとそっぽを向くと、ズカズカと木の影まで歩いて行った。
テイク1
怜奈は木の影から出て来ると、下を向いたままこちらに向かってくる。
後2メートルというところで、彼女がふと顔を上げると俺と目が合い……
「キャッ」
何もないところで足をほつれさせこけた。
「……大丈夫か?」
「やりなおすから、あんたは黙って立ってなさい」
さいですか。
テイク2
「あの、その、えっと、、、ああ、あのね。ふぃろゆきくん。わ、わたし……あの」
「……ごめん。何が言いたいのか全然分からない」
「もう、うるさいな!」
怒られた。
テイク3
「あの、洋行くん。……私……ずっと中学校の頃からあなたのことが、
しゅきでした!!」
「…………」
「バチッ」
突然、左頬に熱い衝撃が加わる。
「??? イッタ。なんで今ひっぱたいた」
「笑ったでしょ」
「いやいや笑ってないから」
「心の中で笑ったでしょ!!!」
表に出さなかっただけでも、褒めてくれたっていいレベルじゃないですか。
「だいたい和行くん、洋行くんに似すぎなのよ。緊張してだめじゃない」
双子の弟練習台にしておいて理不尽極まりないな、おい。
これが後五回は続いた。
「もう今日はいいんじゃないのか?」
「だめよ! 来週の月曜日には告白するって決めてるんだから、もう時間ないのに……」
「いいんじゃないか? よく分からないけどこういうのって練習するものじゃない気がするし。だめなら期日を延ばせいいだろ」
「期日変えたら一生告白できない気がする。月曜日は丁度洋行くんの誕生日だし。この機会を逃す訳にはいかないわ」
洋行の誕生日ってことは俺の誕生日だってことを、こいつは分かってるのかね。
「でも、もうすぐ生徒会の会議だろ?」
「そうね」
怜奈はむすっとした表情に戻って腕を組む。
「ねぇ。和行くん日曜日ヒマ?」
「えっ……まさか日曜日もやるのか!?」
「丁度よかったわ。デートの練習もしたかったし。日曜日告白とデートの予行しましょう」
「デートの予行って、まだ付き合ってもないのに?」
「だって付き合い始めたら他の人と予行練習なんてできなくなるじゃない」
そもそもデートの予行練習は必要なものなのか?
「ねえ、そう言えば、ちゃんと洋行くんの好きなもの訊いてくれた?」
「ああ、あれね。訊いたよ、朝に。走ることと……確か甘い物とかって言ってたかな……」
弟大好き発言はわざわざ伝える必要はないよな。
「甘いものか……誕生日プレゼント、食べれる物の方がいいかな?」
「いいんじゃないか? あいつ食うこと大好きだし」
怜奈の顔がほんの少し輝いたような気がした。
「これでやっと誕生日プレゼントが決められるわ」
「……なあ、何度も訊くけど、洋行のどこいらへんが好きなの?」
「クールで、物静かで、何でもできて、優しいところ」
クールで物静か……あのお調子者に対して、どう考えてもかけ離れた形容だと思うんだが……。
実際怜奈は中学時代、俺と三年間クラスが同じで洋行とは三年間違うクラスだったのだ。遠くから洋行のことを見て、ずいぶんとこじらせた人物像が出来上がっているらしい。
「じゃあ、後これ。月曜日洋行くんをここまで連れて行ってね」
そう言って怜奈は、ずいぶんと錆びついた古い鍵を渡す。
「? なんだこれ」
「学校の屋上の鍵」
「はっ、お前どうやってこれ手に入れたんだよ」
「告白はやっぱり屋上でしょ?」
もう戻らないと、そう言いながら不敵な笑みを浮かべた怜奈は、そそくさと校舎に戻って行く。
「……そのこじらせた中二病は治した方がいいんじゃないか」
俺は溜息をつきながら、鍵をポケットに入れると空を見上げた。
青い空はどこまでも透き通っていて、綺麗だと思った。
きっと勲みたいな奴は、毎日忙しくて空を見上げる余裕すらないんだろうな
空を見上げて綺麗だと思えることと、空を見上げる余裕がない程毎日が充実していることでは一体どちらの方が幸せなんだろうか。
漠然とそんなことを考えながら、俺はその場に一人突っ立ていた。