第2話
「政府が君の記憶を消さずに残す事に何か意味があるとすれば、この話は十分に考えられる。実はね、今政府はキミを捜しているんだよ。通常そういった仕事は警察に任せるんだが今回は違った。事故の処理にしても上の人間が直々に動くなんて滅多に無い事だ、しかし政府はあの事故を調べに来た。⋯⋯これだけでも十分疑うべき可能性だと思わないかい」
「政府が、私を⋯⋯?何故⋯⋯」
「それは分からない。昔から私達の様な下の人間には、上の考えなんてものは伝わっては来ないからね」
つまり、もしこの話が本当なのだとしたら、私の記憶には何か政府に関係のある記憶が隠されている⋯⋯と、言う事になる。
勿論、これは一つの可能性としての話であって必ずではない。
しかしイマイチ理解出来ない。話が大き過ぎて、とても本当だとは思えないし、私は騙されているんじゃないのかと疑いたくなる。だってそうだろう。まだ彼らとは出会って数時間だ、本当にこの人達を信用しても良いのだろうか?
モヤモヤとした気持ちを抱え、そんな風に人を疑う自分に嫌気がさす。
「あの⋯⋯ところで、ずっと気になってたんですが、第七区って一体どんな場所なんですか?」
とにかく、政府が囚人である(らしい)私を捜していると言うのならば、大人しく捕まったら私は再び記憶を弄られる恐れがある。そんな事は絶対に嫌だ、この記憶は私のもので、誰が弄って良いものでもない。私は莉子を見つけて、帰るんだ。
その為には、政府から逃れる必要がある。この近辺が区画整理されてしまったのならば、どう変わったのか⋯⋯知っておかなくてはダメだ。情報が欲しい。
「あぁ、まだ話して無かったかな。第七区は所謂ヤクザの街だよ」
「え? ど、どういう事ですか?」
「そのままの意味だ。奴らは七区一帯を自分達の領土にしてんだよ」
桐兎が忌々しげにそう口を開く。
楽園じゃなかったのだろうか。相反して不釣り合いな別称に、思わず目を見開き彼らを凝視してしまった。
「そ、そんな事が許されるんですか⋯⋯それを皆、許してるんですか?」
「許す訳ねぇだろ!」
許したくもない。そう顔に滲ませながら彼は目の前のテーブルへ想いをぶつけた。まだ手付かずのままの紅茶が跳ねた。
「アイツらの所為で⋯⋯母さんはっ」
ポツリと呟かれた言葉に私が首を傾げると、次いで、結城が静かに言葉を落とした。
「⋯⋯妻はね、八年前に七区へ囚人として、入れられたんだ。無実の罪でね」
「そんな⋯⋯!」
「母さんは無実だった。それを一区の奴らが有罪だと誤審して⋯⋯クソッ! あんな奴らが居るから世界が腐っていくんだ!」
今度はガチャンッと一際大きな音を立て、紅茶が零れた。
その桐兎の様子を見て止めないのは、きっと結城も同じ気持ちなのだろう。二人とも苦い顔をしていた。
しかし、それならば先程からこの会話を奥から見つめている彼女は、一体何者なのだ?結城は先程から彼女を妻であると振る舞っていたが⋯⋯再婚なのだろうか、どちらにせよ、余りプライベートを突つくのも気が引ける。
どう声を掛けるべきなのか分からず、暫く彼等の様子を見つめていた。
私には父が居ないが、無実の罪で捕まった訳ではない。彼等に「分かります、辛かったでしょう」などと軽い言葉を掛ける事など出来ない。想像は出来ても、本当に共感する事は出来ないのだ。
「⋯⋯」
そうして再び、幾分か沈黙が流れた後思い出したように結城が私に尋ねてきた。
「⋯⋯すまないね、暗い話をした。再婚したばかりで私も桐兎もまだ気持ちに整理がついていないんだ」
「あ、いえ、良いんです」
「そういえばさっきキミは双子の妹と、と言っていたが妹と六区へ?」
「え⋯⋯と、いえ、多分⋯⋯私だけ、だと思うんですけど」
確証があるわけではない為に、歯切れの良い返事が出来ない。先程の話を聞いてしまった手前、そもそもの話をすれば何も言えなくなってしまうし、この記憶が私のものであると確定したところで莉子との記憶はあの横断歩道以降、途絶えたままなのだ。
「しかし、双子か。⋯⋯もしかしたら、既に一区に居るかもしれないな」
「え、なんで……あ!」
そうだ。
もし、私が(理由は不明だが)囚人であるのならば、ひょっとして同じ顔をした莉子も私と間違われ、捕まってしまうのではないか?
考えてみれば、私が追われていると言われた時真っ先に思いつかなければならなかった。
居ても立っても居られず慌てて立ち上がると、横から「待て」と鋭く声が上がり、同時に腕を引かれる。それを非難するように、桐兎へと向き直った。
「妹が心配なのはわかるけど、お前一人があんな所に単身乗り込んだって待ってましたとばかりに、記憶消されて終わるだけだ。囚人だって自覚持てよ。それにお前、どうやって行くんだよ。手段は?手順は?行き方わかってんのかよ?」
「う⋯⋯だ、だって」
ぐうの音も出ない正論だ。わかっては居るが、こうしている間にも莉子が捕まってしまったら、記憶を消されてしまっていたら。そう考えると落ち着いてなど居られる筈がない。
「だけどね、三嶋さん。正直、キミのその家族構成も造られた記憶かもしれない。残酷な話をするようだが、これは最低でも頭に置いて行動した方が良い」
わかっている。考えられない話じゃないのだとも、思う。話を聞けば聞く程、私と言う存在が不確かになるなんて恐怖でしかない。しかしこれを飲み込まないと、私は前に進む事も出来ないのだ。
「そう⋯⋯ですよね。でも⋯⋯私、“妹を捜したい”⋯⋯」
だからこそ、私は彼女を捜さないと。私が私である為にも。
そうしないと、押し潰されてしまいそうだから。
「⋯⋯そうか。できる限り、私達も協力するよ」
「ありがとうございます」
私の心情を察してか、結城は小さく頷きそれ以上追求する事は無かった。
***
その後も、彼等から地図を見せて貰うなど主に第六区の情報を教わった。
その度に私の記憶と彼等の情報とで食い違いがあり、驚いたし理解するのにも苦労した。
私の居た渋谷区は無くなり今はこの第六区の辺りが当時のそれだと推定。これはもう私の存在や記憶をハッキリと否定したものだと言う事。
次に温暖化の進行。私の記憶では正直、深刻だと言われてはいたがそこまで切羽詰まるものだとは国民は認識していなかった様に思う。それが結城の言う話によると、もう人が住めなくなっている地域が全国で発生しているらしい。
そして一区から七区、その区域が今は東京都なのだと言う。この区画ははっきり言って、私の知っている形をしていない。と言うか、東京都が何か違う形になっている⋯⋯気がする。
こんな調子で、理解してもその先で新たな謎ばかりが増えていく為に、言い様の無い不安に駆られた。
(一度、考え纏めないと)
このままでは頭がパンクしそうだ。
「取り敢えず⋯⋯そうだな、先ずは総合館に行ってみると良いんじゃないかな」
「総合館、ですか?」
「資料館、市民館、他にも図書館とか色々な呼び方をしているが正式には“市民総合資料会館”(しみんそうごうしりょうかいかん)だ。その名の通り色々な情報が集まる場所だよ」
「凄ぇ広い敷地に建ててあって、中にテラスとかプールとか⋯⋯色々あるんだぜ」
「図書館に⋯⋯プール?凄い」
まるで我が事を自慢するかの様に、桐兎はフンッと腕を組み胸を張る。
成る程。そんな凄い資料館があるのなら二人から聞いた情報以上の物が、そこにはあるだろう。きっと知識として今後の私の行動にも役立つ筈⋯⋯情報は貴重だ。
先程から増えては消えていかない疑問にも、答えが見つかる気がした。
「それじゃ、先ずはそこへ行ってみます。色々と有難うございます」
「いえいえ」
「政府が何故私を探しているのか分からないですけど⋯⋯この記憶が私のだって事、きっと証明してみせます」
「あぁ、頑張って。僕はね、今の政府は好きじゃないんだ。何十年も前から環境汚染の問題はもう目に見えるところまで来ているのに⋯⋯あの石頭の親父共はちっとも私の話を⋯⋯」
まただ。桐兎がそんな顔をしては肩を竦めた。
どうも彼等は今の政治に納得がいかないらしく、度々こんな会話をしては水面下で異議を唱えているらしい。
正直私としては、数十年前と言う部分が気になる訳だが。それを確かめる為にも、やはり資料館には行った方が良さそうだ。
良い予感はしていないんだけど。
「よし。そんじゃ、親父は母さんに任せて行くか」
「え?」
すると突然、桐兎は立ち上がりそう私に笑いかけた。
「え、じゃねぇよ。行くんだろ? 資料館」
「い、行くけど⋯⋯」
チラリと彼を見る。最早行く気満々だ、よくある押し問答とかできそうにもない。⋯⋯いや、正直有り難いから別にいいんだけど。
「いいんですか?」
「良いも悪いも、お前場所分かるのかよ?」
「う⋯⋯」
「それと。敬語無しな、あと呼び捨て。同い年なんだし、畏まられても面倒」
「は、はい⋯⋯あ、うん」
勢いに呑まれ、言われるがままに首を縦に振ってしまった。そんな私を見て、彼は満足そうに「よし」と一言呟いた。
「それじゃ、桐兎。三嶋さんを頼むよ、暗くなる前には帰ってくる事」
「分かってるよ。ガキじゃねぇんだから。じゃあ母さん、ちょっと行ってくる」
「行ってらっしゃい桐兎、三嶋さん。気をつけて」
「はい、ありがとうございます。⋯⋯いってきます」
すっかり冷めてしまった紅茶を片付けながら、行ってらっしゃい、と優しく微笑みを向け私達を見送る彼女の姿に⋯⋯私は重ねた記憶を想い、また小さく、「いってきます」を繰り返した。
この記憶が本物だと確かめるように。
2017.11.23 加筆修正しました。