第2話 囚人2
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――ザザザ……ピピ……
何処かで、いつか聞き慣れたような音が響く。しかし音はするのだが、どうにも辺りは真っ暗だ。
(これ、何の音だったっけ?)
ボンヤリと頭の隅でそんな事を思うが、同時にそれは些細な事だとも思う。“ここ”が何処で、自分が何者かも、“ここ”ではどうでも良いような気がする。
『私は……誰……?』
ポツリと、零れる様に呟く。
するとそれに応える様に、懐かしい声が響いた。
『恵莉子!』
その瞬間、パッと辺りに色が咲いた。
頬には、雪が触れては溶けて、私達を囲む様な住宅地の塀の向こうは明かりが灯り、笑い声が溢れている。そうだ、今日はクリスマスだ。
『もう、ちゃんと話聞いてた?』
莉子が頬を膨らませ顔を覗き込んで居る。
(……夢……)
そうか、あれは夢だったのか。そも、考えてみればおかしい事だらけだ。目が覚めたら、火とバラバラの人達に囲まれた森の中だなんて、漫画や小説じゃあるまい。
私は訝しげな顔で覗き込む妹に、ニコリと微笑んだ。
『ごめんごめん、全然聞いて無かったわ』
『何と清々しい自白』
『で? 何だっけ?』
『だからさーママのクリスマスプレゼント、どうする?』
『うーん、そうだなぁ』
『やっぱりさー今年は量より質って事で、一緒にしない?』
確か、一つ貰うよりも二つ貰う方が幸せ二倍!とか言って、毎年別々に買っていたんだ。
それを今年は、割り勘にしようと彼女が提案して来たのだった。
『私は良いけど……どうしたの? バイトあんなにしてたのに。結構貰えたでしょ?』
『ん? んー……いやぁ、あれですよ、食費』
『ダイエットもう止めたのか。まだ1ヶ月も経ってないじゃん!』
何とも甘えた心に優しいダイエットだ。これじゃ減るものも減らないと思うのだが。
……そう言いつつも、ひっそりと摘まんだお腹を摩る。私のダイエットは先月で打ち切られていたりする事実は、この際黙って居よう。
『新作を次々と発売する製菓会社が悪いと思う』
『アンタ一回怒られたら良いと思う』
『もう! 恵莉子はああ言えばこう言うんだから〜』
『その言葉、まるっとお返し致しますわ』
『ノークレーム、ノーリターン! って、あーほらほら、プレゼント早く買いに行かないとケーキ買えなくなるよ! ダッシュダッシュ!』
『あ、ちょっ……ちょっと待ってよ莉子!』
バタバタと、積もり始めた雪の上を走り出し、莉子が楽しそうに笑い声を上げる。
『恵莉子早く!』
『待って! 待ってよ莉子!』
雪を蹴って、笑い声へ近付こうと走るのに、それはどんどん遠ざかって行く。
――追いつけない。
『莉子!』
***
「待って!」
ハッと我に返ると、見慣れない天井が視界に飛び込んで来た。
それが天井だと分かるのに、何故天井があるのだろうと、ぼんやりとそれを見上げる。
確か、莉子とクリスマスプレゼントを買いに行こうとしていた筈だ。
(あれは……夢?)
ゆっくりと身体を起こし、辺りを見渡す。
塀も、明かりも、雪さえもここには無く、少し質素な家具が並んだ部屋。何処かの客間だろうか。
その客間の隅に配置されたベッドに、私だけが座る。莉子は居ない。
一体どちらが夢なのだろう、まだ夢の続きを見ているのかもしれない。そう感じる程に、先程の夢はリアルだった。
「莉子……」
今を否定するように、俯き目を閉じる。そうして瞼を開いても、変わらずベッドに伏して居る。袖を捲ってみても、そこにはしっかりと囚人番号が刻まれていて、あの悪夢のような出来事こそが現実だと私に語り掛けていた。
どれだけそうしていただろうか、動くものは無い、唯一時計の針だけが忙しそうにしていたその喧騒は、桐兎の開いたドアによって破られた。
「何だ、起きてたのか。気分は? 記憶は戻ったか? まぁ戻っても言わねぇだろうけどな」
「……ここは?」
「俺ん家。起きたならちょっとこっち来いよ。色々お前に聞きたい事あるから。立てるか?」
身体は動く。森の中では動かなかったが、きっと頭を強く打ったせいで脳震盪でも起きたのだろう。私は小さく頷き、ベッドから身体を離した。
「あ、ちょい待ち。先ず言っておく。分かってると思うが、俺達に何かしようって事なら迷わずお前を政府に渡すからな。若しくは七区だ」
「……私は何も……」
「口では何とでも言えるだろ。因みに、六区だと思ってナメ無い方が良いぜ。上の方の奴らより俺達六区は護身に長けてるんだからな」
……つまり、下手に逃げようと思ったって逃げられない、危害を加えようものなら返り討ちにするぞ、と言う事か。しかも街規模で。ここはそんな人達が集まっている場所だと。
私としては別に彼らに何かしたい訳ではない。と言うか、莉子を探して家に帰りたいだけなのだが……袋叩きにされる趣味もないし寧ろ御免なので、とにかくこの街では穏やかで居ようと胸に誓う。出来る限り。
部屋を出ると長い廊下に出る。……何だろう、何処か日本離れしているような造りだ。天井は高いし……何と言うか、異国の建物の様だ。至る所に細かい装飾が施されており、硝子の窓がまるで外壁を切り取った様に嵌め込まれ、一面に並んでいる。そこから日の光が差し込みとても日当たりが良い。その向こう側には、広い庭が青々と草木を茂らせていた。
すると、それまで少し速いくらいの歩幅で前を歩いて居た桐兎が突然、立ち止まった。お陰で周囲ばかりに気を取られて居た私は、お約束と言わんばかりに彼の背中にぶつかってしまった。
「わっ」
「前見て歩けよ。ほら、先入れ」
地味に痛む首を押さえつつ、促された扉の向こうへと足を踏み入れた。
「お、目が覚めたみたいだね。良かったよ。君に聞きたい事があってね」
そこには桐兎の父親の結城と、見知らぬ女性が立っていた。エプロン姿な事を考えると、まぁ奥さんなのだろう。中々美人だ。
どうやら私はリビングに通されたらしく、奥にはキッチンが見える。
私の視線に気付き、ニコリと奥さん?らしき女性が笑みを返してくれた。……うん、優しそうだが、忘れてはいけない。武闘派なんだこの人も。
2017.11.23 加筆修正しました。