第1話
―――??年?月?日十二時二十六分。
ガヤガヤと遠くから話し声が聞こえる。
(何だろう⋯⋯)
ぼんやりとそう思うのだが、身体が動かない。しかし痛みは感じるようだ。
背中に硬い土の感触がする事から、私は地面の上に仰向けで倒れて居るのだと分かる。幸い、僅かだが首は動かせるようで、私はその話し声のする方へと顔を向けた。
薄っすらと瞼を開く。初めこそボヤけて見えたが、段々とその輪郭がハッキリとしてきた。
「⋯⋯っ」
人だ。それも複数の。
誘拐犯だろうか?だとすれば、絶対に見つかる訳にはいかない。
私は大きく息を吸うと、出来るだけ状況を把握する為に、その話し声に意識を集中させた。
「⋯⋯では、この件は黙って居るべきだと?」
「ええ、これは第七区の可能性が高いですから⋯⋯結城さんの命の安全を考えますとそれが得策かと思われます」
「ですが、この話はもう第七区へも伝わっているのでは? 恐らく私どもの目撃情報等も、既に」
「ええ、そして犯人が逃げ込んだ可能性もあります。ですから、尚更知らぬを通せば良いのですよ。第七区の住民は他の区域を犯せない、と言う法はご存知でしょう?」
声からして少し若い、三十代前半といった男が諭すように説明する。
しかし、その結城と呼ばれた奥の男性は困ったように頭を掻いた。
「それは勿論知っていますが、そうは言っても私は第六区の区長なんですよ。第七区へ出入りしなければならない」
第六区の⋯⋯区長?第七区?
⋯⋯そんな地区は知らない。十七年間生きてきて、そんな名前の地区は聞いた事も無い。
とすると、やはり私は東京では無い、何処か来た事の無い地へやって来てしまったのだろうか。
日本語で会話している事から、国籍は日本だと分かるのだが。
「成る程そうでしたか。では、第七区へ出入りの際は警官を配置しましょう。第一区へご連絡頂ければ、此方でそのように手配致します」
「⋯⋯」
結城と呼ばれた男性は暫く無言で彼を見つめていたが、諦めたのか一言「分かりました」と呟いた。
その様子を快諾と解釈したのか、手前の男達は満足そうに頷き「それでは、何かありましたらご連絡下さい」と言い残し、その場を後にした。
誘拐犯⋯⋯では、なさそうだ。少なくとも、手前の男達は姿も見えなくなった為当面の脅威では無くなった。
しかしこの結城と言う男。区長と言っていたが果たしてそれが事実なのかが分からない。
かと言って、このままここで助けを待つのも、無謀だと言える。一秒でも早く、この場から逃げなければならないのだ。
彼が犯人である可能性も捨てきれないが⋯⋯違った場合、戻って来た犯人に捕まりジ・エンド、という結末を迎える可能性が高くなる。更に言うと、目覚めた時は気付かなかったのだが、先程から体が動かない。痛みのせいかと思って居たが、指の先まで全く動かせないなんて異常だ。これでは逃げるなんて夢のまた夢だろう。
(声は⋯⋯出せるけど、こんな森の中じゃ大声を出したって助けも来ない)
つまり、この機会を逃せばほぼ助からない。そう考えると、最早賭けに近いなと思う。
暫くの間、結城は男達の去って行った方をジッと見つめていたが、溜息を吐くと歩き出し、視界から遠ざかって行く。
(ああ、行っちゃう⋯⋯!)
声を掛けてみるべきだろうか?
いや、しかし。そう迷っていた、その時だった。
話を聞く事に夢中になって居た私は、直ぐ傍まで迫って来ていた人影に気付かなかった。
「誰だ、お前」
突然降り掛かった問いと同時に、首筋にヒヤリと冷たい感触が伝わった。
「⋯⋯っ⋯⋯!」
ゆっくりと、声のする方へと振り返る。
そこには、見た事もない少年がしゃがみ込み、私の首筋へとナイフの様なモノを突き付けて見降ろしていた。
「おい、何か言えよ。お前何者だ、七区の人間か? こんなところで何してる」
ブルーの瞳に、赤い髪。顔は整っているが、まだ少し幼さが残っている印象だ⋯⋯猫を思わせる、ツンとした眼は訝しげに私を見降ろす。
見たところ同い年位に見えるのだが、その手にはおおよそ似つかわしくない物が光っている。
ひょっとして、この人が誘拐犯なのだろうか?
「貴方が、誘拐犯なんですか⋯⋯?」
「は?」
赤髪の少年は予想外の私の言葉に、数回瞬きすると困った様に頭を掻いた。そして倒れたまま、不安そうに見上げる私を一瞥し「はぁ」と小さく溜息を吐く。
「何だお前、質問に質問で返すなよ⋯⋯あーもう、父さんー!」
突然、彼が大声を上げ、僅かにナイフを離した。
⋯⋯状況的には今が逃げるチャンスなのだが、如何せん体がまだ動かない。ナイフを持った少年と、大人の男。最早逃げる事は叶わないのだと悟り、切られるのならその瞬間は見たくないな、と私はナイフから視線を逸らした。
「どうした?」
すると、ガサガサと音を立て顔を覗かせたのは先程、結城と呼ばれた男だった。
(ん?父⋯⋯さん?)
確かこの少年は、結城を父さんと呼んだ。
⋯⋯と言う事は、第六区の区長と、その息子?
「桐兎? その人は?」
結城は寝転がった私に自分の息子がナイフを突き付けたこの状況を、イマイチ飲み込めて居ないようだ。首を傾げ「強姦?」等と呟いている。
父親としてその発言はどうかと思うが、赤髪の少年⋯⋯桐兎は、そんな父親の様子を見ると私へと突き付けていたナイフを首から離し、手にしていた鞘に収めた。
カチン、と金属が合わさる音がすると同時、桐兎が立ち上がる。
「わかんねぇ。ここでこの状態で見つけた。七区じゃないっぽいけど⋯⋯」
「⋯⋯成る程」
桐兎からの報告を受け、結城は私達へと近づくと桐兎へ下がるよう命じる。膝を付き、私の身体を抱き起こすとニコリと微笑んだ。
⋯⋯よく見ると、結構若い。
「さて、お嬢さん。先ずは、君が何者かを教えて貰えるかな?」
何者。そう聞かれても私はただの女子高生だし、私としては貴方達こそ何者なんだ。と、聞きたい。しかしここは言う事を聞いた方が良いだろう、何せ一人はナイフ持ちだ。
「三嶋恵莉子⋯⋯女子高生、です」
「どこの?」
「えっと⋯⋯◯浜学⋯⋯」
「じゃなくて、何区の?」
「渋谷区です」
そう告げた瞬間、結城の顔から笑みが消えたかと思うと「失礼」とだけ告げ、いきなり私の腕を掴んで袖を捲り上げた。
すると、みるみる結城の表情は険しい物へと変わっていく。
驚きと焦り、そして僅かに悲しそうな顔を見せた。
「父さん?」
その様子に桐兎も訝しげに首を捻る。
「⋯⋯君は本当に、何者なんだ? この腕のナンバーは、囚人に与えられるものだ」
持ち上げられた左手首には、何時の間にか奇妙な⋯⋯バーコードの様な、不思議な模様と一緒に番号が書かれていた。
見に覚えもない。
母さんと莉子とケーキを食べて居た時だって、こんなものは見ていない。
2017.11.21 加筆修正しました。