強盗殺人犯(2)
それから――僅かに四半刻も経たない頃合いだったろう。要にお呼びが掛かった。
遣手の婆が上がって来て、ほんの二つ程のやりとりで決まった事だ。
「準備は出来てるかい?」
「はい。昼客にござんすか」
緋絹に金糸、打掛を艶やかに着崩し、前結びの帯で少し古風に。髪は結わず、前髪だけ切り揃えた長禿。何処へ出しても恥ずかしく無い色女の姿である。頷けば黒髪が水の様に流れて、遣手の婆も満足気に頷いた。
「相手は女だよ、問題は?」
「女……」
半ば、予感はしていた事であった。
要は処女ではない。処女性に価値は見いだせなかった為、殺しの道具として捨ててしまっていた。幾度かは男と肌を重ね、女としての喜びも知っていた。
だが、同性と睦み合った事は無い。そも同性同士で肌を重ねるなど、一部の物好きな男だけがする事だと思っていて、女が――まして自分がそうなろうとは、僅かにも考えた事は無かった。
遊女の気が乗らねば、客にも店にも良い事は無い。無理と言われれば遣手の婆も、この時は素直に引き下がるつもりでいた。
「……ありんせん、参りんしょう」
まるで不思議な事に、要は殆ど躊躇う事も無く、最初の客に同性を選んだ。
既に座敷に上って飲み始めている客の下へ、足袋を履かない足で板の間を掴み、歩いた。後ろを遣手の婆が、客の好みなど伝えながら追いかける。どうにも常連であるらしい。
「ようおこしなんし、誰も誰も一期一会の縁なれど、この日の逢瀬ばかりは――」
「口上は良い、酌をしろ。好みの美酒だが、手酌では味も鈍る」
女は早々に、一人で飲みを始めていた。芸者も太鼓持ちも居ない、がらりとした座敷である。
こういう客なのだ、とは聞かされた。賑やかなのは嫌いでないらしいが、それは飽く迄傍から眺めている時に限り、自分の座敷では静寂を好む。酒は質を、飯は量を、それだけ満たせれば気が済むらしい。
金払いが良い客だとも聞く。どう稼いでいるのかは、要は直ぐに思い当った――自分と同じ、殺しの副産物だろうと。
「……ふむ、良い買い物だった」
「買い物……はれ、わっちは商品ではございんせん。出会いは金子に開かれようと、主様とわっちは恋仲同士」
しなだれかかり、杯に酒を注ぐ。とっくり一つは注ぎ込めそうな大杯は、この客の特注であるらしく、黒地に銀の波の柄が入っている。くう、と一息に飲み干して、酔いはまだ、回った様子も無い。
「恋仲、か。一目惚れでは有るかも知れんな。初めて見た顔が気に入った、昼から飲むのは控えようと思っていたのだが」
体重を預けてみても、この女の体は揺らがない。壁に支えられているかの様で――だが、人の体温は確かに有る。
触れて見れば間違い無く、女性として成熟した体だ。ただし内に秘める力は、きっと要とは天地程に隔たりが有るだろう。これは殺すには手古摺るなと、意識せず手に力が籠る。
「なんだ、気が早いな。そう急くな、まだ日は高いぞ」
「あ……いえ、これは……」
首から肩へ回した手は、女の胸に触れていた。要は思わず手をひっこめようとして――手首を掴まれ、畳の上に引き倒される。
「震えているな。やはり突き出しでは無理も無いだろうが――まあ、何、そう心配するな。取って食おうという訳ではないぞ?
今暫しは飲んで食って、それからのんびり書でも読み耽ろうではないか」
「……お気を使わせて。お許しなさんして」
「詫びるより笑え。張りつめていてつまらんぞ」
言うなり女は、とっくりの一つに唇を触れさせ、口内に酒を落としこむ。酒精に濡れた唇を――要の唇に、そっと重ねた。
心音まで伝わる程、静かな昼であった。鼓動一つに身震いして、触れさせたまま、要は唇を開く。その隙間から舌が――それから、酒が忍び込んできた。
「ん――んっ、っ……んっ」
鼻で呼吸する事も忘れ、注がれた酒を飲み干す。飲んでみて分かるが、呆れる程に強い酒だ。水の様に飲んでいては、要ならばとっくり二つで酔い潰れる。
焼ける様に濃い酒精を、女の舌が掻き回し、要の舌に塗り込んだ。辛味の強い酒で、舌が痺れていく。痺れた舌を吸われるのが、眠る様に心地好かった。
手を伸ばして、女の頭に触れる。自分と同じ様に引き倒してやろうとしたが、女は岩の様に動かない。
一方的に覆いかぶさって、喉が焼ける様な酒を流し込み続ける。あまりに度が強すぎるので――
「……っごほ、けほ、え……!」
要は咽返り、口の端から酒を零してしまう。顎を伝って首へ、透明な雫が肌を濡らした。
女は漸く満足したのか、要を解放して置きあがると、
「代わりの酒を持て。もう無くなってしまった」
短く告げて、丼に盛られた白米を平らげ始める。全く、自己の欲求にばかり忠実な女であった。
女と、要と、座敷には二人しかおらず、襖の外に控える者も居ない。酒食の追加が必要ならば、どちらかが誰かを見つけて申しつける必要がある。
要は、僅かに飲まされた酒だけでも足元を危うくしながら、誰か使用人はいないかと探しまわっていた。
「……はあ、ぁ……っ」
長湯をして逆上せた様な感覚。時折立ち止まって、深く呼吸を繰り返し、頭を冷やそうとする。感覚が狂って、手足は物に触れても実感が薄いのに、聞こえてくる音はやたらに喧しかった。
僅かに、酒の一杯だけで――ただ一度の口付けだけで、覚束無い程に酔ってしまう。初めての経験だった。
「誰か、誰かー……来てくださんしー」
声を出しているつもりなのだが、実際に声は出ていない。ひゅうと息を吐く音だけ、風の様に流れていた。
だから、丁度その時に居た使用人も、要に気付かなかったのだろう。
「……? あれは……」
要はようやく、この達磨屋に潜り込んだ理由を思い出した。
関東一円で盗みを繰り返した、とある盗賊団が有った。
被害総額は数千両とも言われ、誰も殺さず手口は鮮やか、庶民ならば喝采を送らんばかりの高潔な連中だった。が、やはり盗人は盗人、大捕り物の揚句、全員が抵抗し、結局誰も捕えられず討ち死にした――と、言われていた。
実際のところ、一人だけ生き残りが居たのだ。そして盗賊団の集めた金は、未だに隠し場所が見つかっていない。
捕えて口を割られば、金の隠し場所は分かる。だが――その金が見つからない事で、利益を得る者もいる、という事らしい。この辺りは要にもとんと分からなかったが、もしかすればもう、隠し蔵の有りかは知れて、誰かが運び出しているのかも知れないとは思った。
役人に先んじてその男を殺し、首を持ちかえるべし。これが要への依頼で、達成の暁には二百両ばかりが手に入る。但し、殺した事を知られてはならず、死体を見つけられてはならず、また男が金の有りかを吐いてもならない。急ぎではあるが隠密に、中々面倒な条件で――今こそ、狙い目であった。
使用人の男はこそこそと、店の片隅の倉庫に入って行く。盗み癖でもぶり返したものだろうか。それは要にはどうでも良く、ただ人目に付かぬ場所へ自分から入り込んでくれたことが有り難かった。
足音を立てぬように後を追い、袖の中に仕込んだ袖箭に手を掛ける。ばね仕掛けで小さな矢を放つ暗器――争う音も無く殺すには良い道具だ。
倉庫の扉を覗きこめば、使用人の男は要に背を向け、金目の物を漁っている。首筋に狙いを付け、ばねの固定を解除し――手元が狂った。
「あっ……!」
「……うぉ、おっ!?」
矢は、男の右肩に突き刺さる。男は咄嗟に振り返り、自分に手傷を負わせたのが、物騒な武器を構えた遊女だと気付いて――近くの荷物を足場に、天井裏へと逃げ込んだ。流石に盗賊崩れ、見事な動きであった。
要も直ぐに、男を追って倉庫へ入り込む。足場の不安定は有るが、脚力に不足は無い。暗い天井裏に入り込み、手足四本を支えに着地した。
暗所に目を光らせれば、まるで獲物の姿は見えないが、傷に苦しむ呼吸音は聞こえる。その方角へ、頭を低くしたままで要は駆けた。足元を軋ませぬ程度に、抑えた走りでは有ったが――然程時間も掛からず、使用人の男の背が見える。
帯に指を掛け、中に仕込んであった針を抜き、口に含んで息で打ちだす。これもまた首を狙ったもので、狙いはまた狂い、男の頭に刺さる。頭蓋を針では貫けない、自分が追っている事を知らしめるだけになってしまった。
「ちぃ……幕府の犬か?」
使用人の男は此処へ来て、誰に憚る事も無く、追手を殺す事を決意した。仲間がいた頃は盗賊の流儀を貫いていたが、今は誰の目も無いのだから、自分という人間の本質を見せても良いのだ。この男だけ生き残ったのは、周りの者達より生き汚い根性が理由であった。
懐に隠しやすい短刀を引き抜いて、狭い空間をするすると近づいてくる。要は、この男は自分には荷が重いと悟り、逃げの手を打とうとした。
遅い。下手に動き回ろうとすれば、暗がりで足を何かにぶつけてしまう。恐らくは柱か何かか――思い当るより早く、男は短刀を逆手に構え、要の喉へ振り抜いていた。
「――っ、『双璧』『四つ壁』『八つ裂いて四八』!」
単節詠唱、発動させたは防御の術。針金を仕込んだ帯が自然と解け、蛇の様に持ちあがり、短刀の行く手を阻む。刀ならば針金も断ち切れようが、この狭さでは短刀に重さを乗せるのは至難の業であった。
「『三を裂いて二四』『四つに分かちて六』『六天に帰せ』――!」
短刀を受けた帯が、幾つもの布切れに断裂する。端切れ一枚一枚は鉄の様に固くなり、そして紙の様に薄い――つまり、剃刀の様に鋭利になる。要はそれを拾い上げ、手裏剣の様に男へ投げた。
命中した、かに見えた。確かに顔に届き、男は大きく仰け反った――様に、見えたのだ。
男は、上下の歯で帯手裏剣を受け止め、不敵に笑っていた。
まがりなりにも数千両を盗んだ盗賊団の一人、腕は立つかと思っていたが――要は、正面から殺し合いなど流儀でない。自分に優位な環境を作り、不意を討つのが常策である。痺れた頭の侭で獲物を追ったのが、そもそもの失敗であった。
再び、男の短刀が要の喉を狙う。防ごうとして、防ぎきれぬと悟り、幾分か諦めがよぎった時――床が、丸ごと抜け落ちた。
「ひゃっ、ぁ!?」
「うお、ッチクショウ!!」
男の足元も、要の足元も、先程まで存在した筈の床が――つまりは二階の天井が――板切れとなって落ちていく。当然、天井裏に潜んでいた二人も落下し、座敷の部屋の畳に落下した。
「おい、酒はまだか。あまり私を待たせてくれるな」
仰向けに落下して背を強打した要は、自分の客の女が、刀を抜いているのを見た。直ぐに要は、この女は天井を斬って、鼠を引きずり出したのだと知った。
使用人の男は、手足を器用に使って、犬の様な格好で畳に降りていた。抜き見の刃物を見て、凶暴な本性を示し――立ち上がり、歯を剥き出しに女を睨む。
「おい、お前。この男、盗人か何かか?」
「――、ぁ え……、て」
肺が衝撃から回復せず、呼吸は途切れ途切れながら、問われたからには答えようと思った。盗人であるのは間違い無いので――捕えてくれ、と言おうとした。
「そうか、分かった」
女は、右手の刀を鞘に納めると、無造作に男に歩み寄る。
「ふっ――おらっ!」
男は、短刀を胸の高さに構え、女の心臓目掛けて突き出した。その手に、女は手刀を落とし――手首を一撃で圧し折って、短刀を取り落とさせた。
「ぎゃっ――!?」
「叫ぶな、人が来る」
悲鳴をあげようとした男の口を、女は左手で塞ぎ――右手で男の肩を掴むと、雑巾を絞るかの様に手首をねじった。男の首は真後ろを向かされ、血の泡を吹いて倒れ――それっきり、動かなくなった。
漸く動けるようになった要は、裾に隠していた短刀を、逆向きになった男の喉へ突き刺した。確実に止めを刺したのだ。
「おい、酒を注げ。飲み足りんぞ」
一人を殺したばかりの女は、平然と酌の続きを要求した。
もはや耐え難かった。口を閉じても抑えられぬ程の恐怖が、要を突き動かしていた。
この女を殺さなければ、殺さなければ、脅迫観念が渦巻いて――自分から、女に唇を重ねた。
目を細める女を誑かす様に、舌を躍らせ、唇を擽ってやる。されるがままを楽しむ女の、意識が完全に自分へ向いていると確信した時、要は短刀を、女の首筋へと振るった。
ごきん、と体内で音が響いた。
「あ、っつ、ぁ……!」
腕が動かなくなる。要の両腕は、肩を外されて垂れ下がった。女は軽い手の動きで、要の肩関節を外していた。
「殺したいか、私を?」
問われ――頷く。理由などはもうどうでも良い。そうしたいと思ったから、殺しに掛かった。それだけだ。
「では、どうなろうと怨むまいな?」
喉を裂かれた男の死体から、血が畳に広がっていく。その上に要は、仰向けに押し倒された。
「それが、わっちらでありんす故に――った、た……主様の、お名前は?」
女の体重が、外れた肩を軋ませる。痛みに顔を顰めつつ――その痛みが何処か心地好く。食い殺される高揚混じりに、要は女の名を問うた。
「雪月 桜。お前の名も、まだ聞いておらんぞ」
「わっちは――」
恐怖に震えながら、涙を流しながら、要は笑っていた。仕事の為に見せる媚びた笑顔より、それは数段も魅力的だった。恐怖とは――ついぞ知ることの無かった、甘美な快楽であると知った。
全てを気儘に、己の望むように生きて、それが楽しさであると信じていたが――成程世の中は、侭成らぬ事が有ると心地好いらしい。殺せない、逃げられない、そんな不自由さが、要の女を濡らしていた。
打掛は血で汚されて、小袖も肌襦袢も引き裂く様に脱がされて、酒精に染められた裸体を晒し、
「――高松と、呼んでおくんなまし」
要はこの日、己の名を捨てた。
一年で高松は、達磨屋で一、二を争う遊女として、近隣の男どもの間で名を馳せる。
歌舞音曲の様な技巧は低いが、取り殺されそうな程に艶やかな笑みと、痛み苦しみを快楽として味わう身の性とが、数多の男を酔わせた。
だが――その男達の誰も、高松を己のものに出来ると、愚かな勘違いをする者はいなかった。
あれから高松の背には、白肌を下地として、起請彫りが施されていた。
血の様に赤い桜と、丸い月とが映す、ぞっとする程に美しい夜景色であった。
【本名】高瀬 要
【本編での作中年齢】17
【身長】154cm
【特技】不意打ち、騙し打ち
【苦手な事】楽器演奏、裁縫
【殺害人数】50~100
【好きな料理】関西風の味付けの薄いもの
【好きな異性】存在感の薄い者
【好きな茶器】鋳物
【好きな行為】苦痛を感じ、自由を奪われ、自分の意思とは無関係に嬲られる事