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強盗殺人犯(1)

 白粉の臭い咽返る、ここは品川、天下の岡場所。

 昼より夜に栄える街、その一角に、一際大きな宿が有る。

 他の妓楼とは違い、宿泊施設としての意味合いを強く押し出しつつ、だが抱える遊女の質は上等。

 売りは〝大概の要望に答える〟事であり、それはつまり、多種多様な需用に合わせ、十分な供給が出来る事を示している。

 場所が場所だけに常駐はしていないが、求められれば陰間だろうが呼んでくるだろう、そんな評判の店――それが、達磨屋である。 このお話は、とある遊女のちょっとした昔話。




 人の命は存外に安い。場合によっては数両で、右から左に首が売り渡される。

 勿論価値は平等でなく、権力者の首ならば数百両数千両、一方で貧民の首なら数百文、値打ちとて大差が付く。然し首一つを取るのにかかる労力は、決して報酬には比例しない。

 ならば、高額の首を。多少用意に時間が掛かったとしても、得られる金額の多寡次第では、十分に利益は上がる。

 高瀬たかせ かなめという女は、そういう商人の様な考え方の――殺し屋であった。

 腕に覚えは有る、望めば仕事は直ぐに見つかる。だが、あくせく働いて尻尾を掴まれるのは困るし、稼いだ金銭を使う時間は欲しい。

 つまり、金が好きなのではなく、金を使う事が好きなのが、このかなめという女なのだ。

 初めての殺しは十一の頃で、同期は着物を買う金欲しさ。緋色の小袖が気に入って、発作的に近所の老婆を絞め殺したのだ。

 驚く程に感慨が無かった。どうせ遠からず死ぬ人間を、少し早く死なせた――その程度の事としか、彼女には感じられなかった。

 それよりも、老婆の家の箪笥から、古い小判が何枚も出てきた時の喜びをこそ、彼女は強く味わったのだ。

 意気揚々と小袖を買って、それを自分の家に持ち帰ってから、ようやっと気付いた事が一つ。あの死体をどうしようか?

 考えるのが面倒だったから、彼女はその死体を、老婆の家の井戸に放り込んだ。

 これが、意外と誰も気づかぬものだった。漸く隣人が気付いたのは、十数日も経過して異臭が漂い出した頃。その頃には首の絞め痕など、腐敗してまるで見えなくなっていた。老婆は自分で井戸に落ちたのだろうと、皆が信じて疑わなかった。

 近所の人間が皆善良だった事も有るが――この一件でかなめは、人殺しは簡単な事だと学んでしまった。

 それからは、転げ落ちるように。

 美食の為に殺し、遠出する費用の為に殺し、とにかく殺して稼ぎ続けた。

 金を稼ぐ手段として殺しを選んだのは、それが自分には一番楽な方法だからで――気付いた時、自分の住んでいた小さな町は、皆が死ぬか引っ越すかで、殆ど誰も残っていなかった。

 その頃には生き残りの何人かも流石に、要が人殺しの鬼だと気付いていた。だが、幸運にも要は魔術の才に富み、また美しく生まれていた。だから、小さな町にしがみ付かなくとも、どこでも生きていくことが出来た。

 東へ、東へ、要は何人も殺しながら進んで行った。

 一つの地域には数週間から、長くとも数カ月の滞在。そこで、十日に一人程度の割合で殺し、金を奪って遊び呆けた。

 次第に、効率良い殺し方を身につけていく。

 老人には優しい声を掛ければ、簡単に背中に回り込む事が出来る。

 子供は遊びという事にすれば、目隠しも手を縛るも思いのままだ。

 若い女は夜を狙う。自分も心細いから――と同行を申し出ると、十中八九は引っ掛かる。

 男なら――閨に誘えば良い。脚を首に巻き付けて、ぐいと捩じって圧し折るか、もしくは血管を絞めて意識を奪い、そのまま鼻と口を塞ぐ。

 いずれにせよ、殺した後の始末こそは面倒だが、殺す事だけなら酷く簡単で、他のどんな方法より効率良く金を稼げた。高瀬たかせ かなめは生まれついて、破綻した人間なのであった。

 些細な失敗――殺した女の簪を、そのまま身につけて街を歩いた――から、初めて殺しが露見した時も、運はかなめに味方した。丁度その街の治安維持に当たる者が、少しならず邪悪な性質の人間で――且つ、好色な男だったのだ。

 その男に取って邪魔な者を何人か殺す事、暫くは慰み者になる事を条件に、要は磔を免れる。完全に要求を遂行した後、ついでにその男まで殺した要は、そろそろ殺しを仕事にしようかと思い立った。

 それから二年。すっかり麻痺した良心と金銭感覚を携えて、かなめは品川の土を踏んだ。数百両の首を二つ、持ちかえれと依頼を受けたのだ。




「簪、よーし。針金帯、よーし」

 自分の姿を大鏡に写して、要は子供の様に指差し確認をしていた。

 取らなければならない首が、品川は達磨屋の使用人の一人だと聞いたので、女衒を使って自分を身売りしたのだ。

 容姿には自信が有ったから簡単に商談は纏まったし、後で女衒を殺せば、その分の金も手に入る。深い考えではないが、兎角がめつい考え方ではある。

「針よーし、袖箭よーし、仕込み短刀よーし……面倒だから全部よーし」

 中に入って気付いた事だが、遊女暮らしもあまり悪くなかった。聞いていたより自由があるのだ。

 これは、かなめが入り込んだのが大店の達磨屋だった事、五十年程前に開国を強制された時、諸外国が人権云々で騒いだ為、幕府も政府も遊女の扱いを改善しようと、法の整備を進めた事が理由として上がる。田舎遊女は百年前と境遇は変わらないが、この町では、遊女は花型職業の一つでもあるのだ。

「んじゃ、お仕事行こうかしらー……っとと、お仕事に行きんしょうかしらー」

 禿かむろから育てられた者と違い、要は全く廓の常識など知らぬ女である。実際に客を取るまでにと、幾らか覚えさせられる事も多かった。だが、生来利発であったので、新しい事を覚えるのも早かった。

 遊女に求められるのは、顔と床の技と客あしらい。内、顔は生まれつき良かったし、人のあしらいは経験から生まれる技術。殺しを生業にするかなめには、人の心の隙など簡単に見えてくる。全て満点とは言わないが、数日で遣手の婆が、これなら金を取って良いと言い切る程であった。

 だからこの日は、かなめの新造出し――今は簡略化されているが、つまり遊女のお披露目の日。店の入り口に鮮やかな反物を飾って、道行く者に蕎麦の一杯も馳走し、今宵が突出し(初めて客を取る)の遊女がいると宣伝をしていた。

 その光景を、二階の窓から見下ろしつつ、要は何処か高揚感を覚えていた。

 全く、殺しとは楽なだけでなく、本当に儲けの多い仕事だ。

 生まれ育った小さな町では、年末年始だろうがこんな大々的に祝い事などしない。しかもこの騒ぎは、自分一人を祝う為に行われているのだ。自分が世界の中心に居る様な、高揚感が堪らなかった。

 女日照りの江戸の男は、美しく着飾った遊女を見上げ、口々に囃したてたり見惚れたり。これも、心の一部が子供のままで育ったかなめには、自尊心を満たしてくれる心地好い声援だった。

 我こそは女王なりと最大限尊大に、かなめは通りを見下ろし続ける――と、烏合の衆の中に一際、血生臭い者を見つけた。

 人の血に親しみ過ぎた為だろうか、同業の者を嗅ぎ分ける感覚は鋭くなっている。足運びから目の配り方から、表情が醸す気配から――そこに居たのは確かに、人を殺しながら生きている者だった。

 今時は滅多に見かけない二本差し、当世風に好き放題伸ばして結わぬ髪――髪に関しては要も同じだが――衣服もまた古臭く、小袖に袴に、紋無しの肩衣。すらりと背が高いが――

「――あら、女?」

 首から肩、胸へかけて浮かぶ曲線は、遠目にでも武士風のその影が、女性であることを示している。店の二階と一階程度の距離であれば、冷たくも美しい顔立ちまで、はっきりと見て取る事が出来た。

 周囲が祭り騒ぎで浮かれている中、その女だけは静かに佇んでいる。要は、珍しい物を見たとばかり思って、じいと氷の様な顔を眺めていた――目が合った。

「ひ――っ!?」

 息を飲みながらの悲鳴の後、要は、畳の上に尻餅を付いていた――刺されたかと思ったのだ。

 無論、体には一筋の傷も無い、ただの錯覚だ。ただ要は、女の視線を正面から受けて――腰が抜けて、立てなくなっていた。

 窓の枠に手を掛けて、そうっと、また通りを見下ろしてみる。冷たい顔の女は、引っ込んだ遊女がまた出てきたのを見届けると、雪解けの様に優しく笑って頷いた。頷いて――店の暖簾を潜った。

 壁にもたれかかり、呼吸を整える。あれは何だったのか――要は、まだ冷え切らない頭で考えた。

 思えば怖い物無しの生き方をしてきた。一度しくじって捕えられた時も、自分がこれで終わるとはまるで考えなかった。だのに、あの女の目から覚えたのは――恐怖、ではなかっただろうか。

 例えるなら、手も足も縛られて、野犬の群れの中に投げ込まれた様な。逃げる事も抗う事も出来ず、寸刻みに食い千切られると定まったなら、あの様に身が竦むのだろう。

 殺されるかとさえ思った。だのに要は――あの女を殺そうと思い立った。

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