第6話 キノとマコと千秋と学園祭
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十一月は、星白学園の学園祭。
「えーそれでは、今年の当クラスの出し物は、コスプレ喫茶を行うことに決定します」
委員長の如月は黒板に書いてある通りに、多数決にて決まった事柄を言った。隣には副委員長のマコがいる。
「なんで、そんな出し物…」
クラスの一部から聞こえてきた。
「それでは、喫茶の売り娘さんの選出です。副委員長の独断と偏見で、はい! 鈴美麗さん!」
マコは大きな声で、指さす。キノは机を、大きく鳴らした。
「おおっ!」
クラスから歓喜が上がる。
「な、なに?!」
キノは自分を指さした。
「それと責任者は、千秋さん!」
これまたクラス全体が注目する。オタクで知られる、赤いメガネを掛けた千秋の鉛筆が、落ちた。
「おお!」
彼女は責任者など思っても見なかったらしく、驚いて立ち上がる。が、顔はまんざらでもない。
「ちっ、千秋?」
キノは千秋の同人誌での事件で、散々な目に合っている。
「確かにコスプレ関連には、もってこいの人材だけど」
キノは少々、不安になった。
「二人とも、うまく協力してね」
「マコも協力してくれ」
「だめよ」
懇願するキノをよそに、軽くあしらう。
「どうして」
「そう。花宗院には、別のオファーがきているんだ」
如月は二人の間に入り、マコを遮ってキノに言った。
「うー」
キノは如月を睨む。
「俺に怒るな。演劇部からの、ちゃんとした出演依頼だよ」
「ははん? 演劇部?」
「花宗院は、今年の演劇部のヒロインに、スカウトされたんだ」
「そうそう。キノばかりじゃなく、私も意外ともてるんだからね」
マコは舌を出す。
「一体いつの間に?!」
机をカタカタ鳴らすキノは、合点がいかない様子である。
最後尾の千秋が、にこやかだったのが対象的だ。
「キノちゃん、前回以上に、最高に仕上げるわ」
彼女は、不敵な笑みをキノの背中から贈った。
「なんか、悪い予感がする」
悪寒を感じとったキノは、額に汗をかく。
「それでは他の人は……」
教室内を如月が見回すと、同時に二人の手が上がった。
「はい、海原くんと石井さん」
「自分も喫茶要員になるっス!」
海原は立ち上がり、叫んだ。クラス内が、静まりかえる。
「それと、石井さんもですか?」
「はっ、いっ、いやぁ、そのお」
石井は、キノが見ていることに気づいた。
「はい! やります、やります!」
「どっ、どうしたのよ、睦? いきなり」
山本はこれまでにない、いきなりの発言に呆気に取られて言う。
「いや、なんとなく」
「……どうすんだよ、海原が出てきて。おまえ、コスプレすんのか」
キノは石井よりも、海原が理解できなかった。
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放課後、下足箱に二人はいた。
「それじゃキノ、また後でね」
マコは手を振る。
「一緒に帰らないの?」
「ダメ」
「マコ、今日冷たい」
キノのテンションが下がリ通しだ。
「違うの。演劇部の先輩から呼ばれてるの。これから、打ち合わせと練習だって」
「じゃあ僕も」
「ダメ」
ついてこようとするキノの、行く手を阻む。
「何でぇー?」
キノは眉間に皺を寄せ、当惑した顔になった。
「そんな甘えた声出してもダメ。私は自分の与えられた課題を、やり通すの。キノにもあるでしょ、売り娘さんが」
「でも千秋だよ。これ以上どんな格好させられるか」
口が尖る。
「私がどうかした!?」
「ちっ、千秋!」
振り返ると千秋が、仁王立ちで立っていた。キノを手招きしている。
「こっ、こわい……」
「とにかく、キノちゃん」
「な、なによ」
怯えた表情をしたが、千秋は感知していなかった。
「何を着るか、決めないと。時間ないから」
彼女は腕組みして、鼻から息を吹きだした。
「何を着るって……」
「キノちゃん、聞いてなかった? 喫茶での衣装はコスプレよ!」
キノは、指を差される。
「つまり、衣装祭りよ! こんな公で出来るなんて、最高」
「最高って…」
当惑するキノを後目に、千秋は腕を引っ張った。
「ちょ、ちょっと、千秋」
焦るキノが抵抗する。
「キノちゃんは、この喫茶の看板娘なんだから。可愛くしないとね」
千秋は、ひとりごちした。
「看板娘?」
「そうそう」
千秋はキノに迫る。キノは、隣にいるマコの腕にしがみつくが、彼女はその手を外しつつ言った。
「キノ、とにかく喫茶コーナーに関しては、千秋さんとうまくやって頂戴。海原くんもいるんだし」
「海原なんて」
キノは面白くなさそうな顔だ。
「千秋さんは、裁縫が得意じゃない。だから色々とオリジナル服が作れるから、可愛い服を作ってもらってね」
くすっと、マコは笑った。キノは千秋の顔を、まじまじと見た。
「千秋、今度はじょ、女装するのか!?」
「女装って、キノちゃんは女の子じゃない」
千秋はキノの胸の先をちょんと突いて、お尻を触る。
「ひゃふ!」
「ほらほら」
指先で突かれて顔を真っ赤にしているキノを、隣で海原は食い入る様に小さい目を見開いている。
「キノー!、頑張ってねぇー!」
千秋がちょっかい出している間に、マコは演劇部の部室に向かっていた。
「おーい!」
キノの声は、空しく消えていった。
「じゃ、行こうキノちゃん」
「何処に?」
「つべこべ言わずについてきて、海原くん、キノちゃん連れてきてね」
体は嫌がるように、構える。
「お、押ス!」
「海原、やっぱりおまえも売り娘志望か?」
3
そこは一見、お伽の町の店に迷い込んだように、独特な雰囲気が広がっていた。
「ちっ、千秋さん、ここはマジですか?」
大きな体を極力小さくして、海原は小声で言う。額に汗が吹き出し、流れ落ちていた。
「やはり、実際を味わうのがいいかなと」
あっけらかんと、彼女は返事する。
「実際すぎるよ、メイドカフェなんて。大体何でおまえ、会員証持ってるんだ?」
声が上づっているキノも、緊張していた。中央のテーブルで、三人が座っている。
周囲は何だか嬉しそうな顔をしたヲタ人が『ご主人様』と呼ばれていた。時折『チューチューサービス』とヲタ人に頼まれたメイドさんが、オレンジジュースをストローで吸っている。キノの空いた口も、閉じれない。
「軟弱者めが!」と言いたげな海原も、即売会に続き、またしても困惑の極地だ。そんな中、ふと海原は目の前にいる二人を見据えていた。状況を客観的に見れば、このテーブルはどこよりも凄い。
メイド喫茶に、コスプレではない現役の女子高校生が制服姿で、厳ついスポーツ系の大男の目に前にいるのだ。一人はメガネっ娘で三つ編み、オタクの系には大ウケするようなに可愛い。更にもう一人は、容姿端麗、可愛いさと美しさを兼ね備えた超美人。これは周りから注目され過ぎていて当然だ。
「いかん、いかん。何を考えている」
海原はひとりごちした。
「海原、メガネっ娘が可愛いって、千秋のこと?」
キノと千秋の顔が近くにあり、二人の瞳が見据えている。
「むんっ!?」
テーブルが上下に大きく揺れる。
海原は妄想にふけると、口出してしまう癖だ。どこまで頭で思っていて、何処から口に出していたのか、本人は全くわからない。
「なっ、何でもないっス!」
むっつりした顔の奥では、感じさせないが、目が泳いでいた。焦っていることが伺い知れる。
「あのテーブルの女の子たち、可愛いね」
「彼女たちはメイドさん?」
「なんだ、あのでっかい高校生?」
海原の耳に幾度となく、この目の前の二人に驚嘆をする声が、聞こえてくる。
「ああ。囁かれすぎる…。目立過ぎだ二人とも。眩しすぎる」
彼は昇天しそうな、恍惚した表情になりかけていた。
「で、どうするの?」
キノが千秋に尋ねる。
「実はね、ここの衣装のデザインとサンプルは、私が作ったの」
「ええ! 千秋が!?」
キノはマコが言っていたことを、思い出した。
「本当に洋服を作れるんだね。どう作るのか、なんて僕には見当もつかない」
「初期デザインは、自分で作ってみないと気が済まないんだよね」
千秋はメイド服の彼女たちを見ながら、少し微笑んだ。
「ひょっとして、あのレイズ王子の制服も作ったの?」
「まあね」
「ちゃんと僕のサイズに合ってたね、あの制服」
千秋はメガネをずれを修正して、キノを見る。
「キノちゃん、ちゃんと調べたじゃない、きちんと寸法をね」
「もっ、もしかして、それって屋上で抱きついた時?」
「ピンポン!」
「抱きつかなくても、そう言えば良かったのに。あっ、でも計らせたかどうかは知らないけどな」
キノは慌てて口を尖らせた。
「うーん。でもキノちゃんには、一度触ってみたかったんだよね」
「それでも、キスは関係ないでしょ」
「あれは、衝動的」
千秋は自分の唇に指を当てる。キノは赤面した。ふと、気が付いたように尋ねる。
「もしかして、マコも計った? 美少女戦士」
「そりゃ……、ん?」
キノはテーブルから身を乗り出して、彼女を見つめていた。
「んー、秘密」
「千秋!」
机を叩く。
「本当におもしろいね、キノちゃん」
「ふん」
膨れ面して、そっぽを向く。
「大丈夫、襲ったりしてないから」
千秋は笑う。海原は話が見えず、取りあえず鼻から血を流していた。
「しかし、あの原稿みたいな、BL系イメージとは違うな」
内容はともかく、クリエイティブな面の千秋に少し、キノは感心する。
「キノちゃん、今回のコスプレ喫茶は、もう少し大胆にしなくちゃね。ふふふ」
何故か軽く細笑んだ。
「やっぱり、千秋ちゃんじゃない」
キノの背後から、声がした。少々だみ声だ。
「店長、お邪魔してます」
千秋は挨拶する。
「あら、この屈強な体の男性は、千秋ちゃんのもう一人の彼氏?」
親指を立てる、ダミ声店長。
「うっ!?」
海原は、もう一度机をガタンと鳴らした。千秋もびっくりして慌てる。
「そっ、そんな店長、違いますよ。私には彼氏はいません、全く!」
「まあ、そんなに向きにならなくても」
店長は微笑む。そして千秋の耳元で小声で囁く。
「……邦彦くんには、黙っているから」
「店長!」
千秋がやりこめられて、焦っている姿があった。さすがにキノも愉快になり、ケタケタと笑う。しかし次の瞬間、店長はキノの存在に気づき、顔を見るなり声を上げた。
「まあ!! なんてこと!」
急に両肩をつかまれ、引き寄せられる。
「なんて、あなた綺麗なの。美しいわ」
なめ回すように見た後、店長は言った。
「はうっ?」
「千秋ちゃんのお友達?」
「今度の文化祭で、喫茶コーナーを一緒にやることになったんです」
「……ちょっと、あの、離して」
「千秋ちゃん、一度あの服、この娘に着てもらいましょう!」
「ええ!?」
そう言うと店長は、キノを店の奥に連れ去った。
「だっ、大丈夫か?」
海原が呆然と事になり行きを見て言う。
「取って、喰いはしないわ、多分…」
千秋は、店の奥を見つめていた。
「……多分か」
4
「あの、先輩私は何をすればいいんですか?」
マコは演劇部部長の相原に尋ねる。
「もう決めてあるんだ。だから君を選抜した」
「はあ…」
マコは今一つ、合点が行かない顔で返事した。
相原は三年生で、今年の文化祭が最後だ。毎年この時期には、演劇部の一大イベントの創作劇が催される。
彼は背が高く、目鼻立ちも良く、顔もどちらかと言えば美形な、もてるタイプだ。キューティクル輝くサラサラヘアーを、片手でかきあげて言った。
「僕のお姫様に」
マコの前に躓き、右手を差し出した。
「はい?」
手が空を回る。
「私、演劇とかやったことないんですけど……」
「よいよい。学園祭程度だったら、なんとかなる」
相原は手の持って行き場を失って、そのまま立ち上がった。
「はぁ、でも一応台詞とか。あるんですよね?」
「そりゃあ、ヒロインだし。無口のままという設定ではないよ」
腰に手を当てて、立ち回る。
「やっぱり無理です」
マコがきっぱり断ると、相原は勢い良く振り返った。
「そんなこと言わないで!」
それまでの彼の端正な顔立ちが、崩れている。マコは後ずさりした。
「いっ、いや、大きな声を出してすまない」
相原は乱れた髪を、手で整えながら言う。
「とにかく、出来ることと、出来ないことがあるので」
「わかった。でも私の相手役は、花宗院くん、君に決めているんだ」
相原はマコの両手を、無理矢理取った。
「ちょ、ちょっと先輩、痛いです」
「ウホン!」
マコの隣にいた男は、咳払いをした。
「花宗院くん、ひとつ聞いていいかい。君の隣にいる、目が光って野蛮そうな男子は誰だい?」
「私のクラスの委員長の如月くんです」
「ども、如月です」
如月は深々と頭を下げた。
「君を呼んだ覚えはないが」
相原は如月を睨み付ける。しかし彼には、そんな眼力など通用しない。
「同じクラスの花宗院の、付き添いです」
「あっ、そう。じゃあもう帰っていいよ」
相原は手を軽く振って、向こうへ行けと追い払う。
如月は頭を下げ、「それじゃ花宗院くん」と後ろを向いた。
「あの先輩! 如月くんと通学が同じ方向なので、いつも送ってもらってるんです」
如月は立ち止まった。振り向くとマコが困った顔で微笑んだ。如月は一息吐いて、合図に応えた。
「ああ、そうだった」
わざとらしい返事だ。
「ひょっとして君たち、付き合っているのか?」
突拍子もない質問に、二人とも驚き、同時に首を横に振った。相原は疑い深い顔で、覗き込んでいた。
「まっ、まあ、君もいてもいいが、邪魔だけはするなよ」
「部長! まだ配役が決まっていないところがあるんですが、男性の彼にも協力してもらったら」
女子部員が言った。
「どこ?」
相原は配役を聞くと、ニヤリとした。
「如月くん、誠に申し訳ないんだが、ひと肌脱いでくれないか」
さすがに如月は困った。演技など小学校の学芸会以来やったことはない。まして「ジャックと豆の木」の草役が最後だ。
「斬られ役だ。それぐらいやれるだろう」
相原は言葉を捨てるように言った。
「この俺が斬られる?」
如月の目付きが変わる。
「あっ、安心したまえ。立ち回りは彼女が教えてくれる」
「よろしく、如月くん」
「はあ…」
浮かない顔で如月は返事した。
「さっ、花宗院くんは向こうで詳しい打ち合わせをしよう。後のことは、香川くんよろしく」
「はい」
小柄な香川は答えた。
「じゃあ、如月くん、また後で」
マコは小さく手を振って、如月と離れた。
5
「まあ、大変。こんなことってあるのね……」
店長はため息混じりに、うっとりとした。
「衣装も素晴らしいし、千秋ちゃんのデザインは秀逸よ。それを着こなすことが出来るあなたも素敵。モデルの素材がいいわ!」
驚嘆の声が上がる。いや絶賛だ。
「何? 美しい? 綺麗? いや、ワンダフル? いえ、ファンタスティック!」
「店長!、私もですぅ! 萌え過ぎます!」
一緒に手伝っていた女子店員も両手を合わせて、恍惚としている。
「あっ、あの!」
キノはまたしても理解不能な世界に、たまらなくなって叫んだ。
「私のご主人様になって!」
「じゃあ、わたしにも!」
次々と休憩中の店員たちの手が上がる。そして「はぁー」と、深々なため息が漏れる。
「さあ、千秋ちゃんに見せて来てご覧なさい。あなたの華麗なる姿を」
「ええ!? 千秋に!?」
「その衣装、千秋ちゃんの一番のお気に入りだったの。さあ、早く!」
店長がまたしても、ため息をついた。
「男装は、はっきり言って抵抗は無い。しかし、こんなキャラの格好は…」
キノは着せ変えさせられて、初めて姿見鏡を見た。全身が写し出される。そこには紛れもなくキノがいた。
ピンク地のフワリとしたフレアのスカートにワンピース、襞を打つレースの前掛け。胸元には大きな赤いリボン。そんな日常ありえない衣装を纏い、細くスラリとした長身な胴体と脚は、流れるように地についていた。長く細い髪は丸くまとめられ、頭の上に束ねられている。おまけに頭には白いカチューシャつきだ。
「ああ……」
複雑な思いが交差する。半分は何故だか嬉しい気持ち、半分は自分は女の子なんだという証拠を突きつけられた現実感。
「いや、僕なんだ。紛れもなくキノは女の子。こんなに可愛くて、綺麗…なんだ」
本当にキノは美しいと思う。
でも自分じゃない。
鏡に写ったメイド姿を指で触ろうとして、キノは止めた。頭を振る。
「なっ、何やってるんだろう?」
がっくりと肩を落としているキノに店長は、いきなり抱きついた。
「きゃあ!」
離れようとするが、力が入らない。店長は耳元でそっと言った。
「あなた、自分に素直になりなさい」
「えっ?」
「そう素直に」
「素直に?」
「そう、どう見てもあなたは綺麗。この衣装が似合うのはあなたしかいない。そしてこれを認めてあげるのは千秋ちゃんを認めること」
「千秋を認める」
「去年、あの子、大事な人を失ったの」
「えっ?」
キノは聞き返した。
「千秋ちゃん、メガネ掛けているでしょ。あれ伊達眼鏡。あの子、目は悪くないから」
「あのメガネ。外したくないって言ってた」
「彼氏だった子の形見らしいの。彼は、あの子を理解してくれる唯一の人だったのね」
しばし沈黙の時間が流れる。
「その彼、病気で亡くなったの。千秋ちゃんは、ずっと付き添っていたらしいのね」
「彼の形見がメガネか……。僕はそれを無理に取ろうとしたのか」
キノは自分がしたことを後悔した。
「千秋の過去、でも何故そんなことを、あなたが知っているんですか?」
「だって……」
「だって?」
店長は先程よりも、もっときつく抱きしめた。
「……千秋は、私の娘よ」
「ええ!?」
「離婚したの私。あの子が幼い頃」
ため息が漏れる。
「まさか、店長が母親って千秋は知らない?」
返事はないが、頭が縦に動いた。
「どうして……」
振り向こうとするが頭が動かせない。
「私が家を出てしまったの。わがままでね、若かったのね。今更名乗り出ることは出来ないわ」
キノを抱いている手が、震えていた。
「千秋ともう二度と逢うまいと決めたのに、出来なかった。ここに店を出したのも、あの子の傍に、少しでもいたいからだった」
室内の時計の秒針の音が、どこからか聞こえてくる。
「ウエブでお店のコスチュームの公募をしたのね」
「千秋のデザインがあった」
「そう。まさかと思ったけど、逢ってみて、すぐにわかった、千秋だと。言っとくけど、あの子だったから採用したわけではないわ」
「わかってます。たまたま千秋だったんでしょ」
少し店長の腕の力が緩んだ。
「そう、あの子の将来を手伝いたいと思った」
キノは王子の衣装と、BLマンガが浮かぶ。
「私、あの子を見守っていたいの」
「千秋を見守る」
「彼女の夢を信じる。それくらいしか私には出来ないから」
「羨ましい。千秋には、遠くからでも信じてくれる人がいる……」
キノの言葉が詰った。
「なに?」
「……いないんです」
「えっ?」
「僕の両親はふたりとも……、交通事故で死んじゃった」
「……そうなの。ごめんなさい。わたし、自分の事ばかり言って」
力なさげにキノは、愛想笑いする。
「あの。もう離して下さい……」
店長はゆっくりと離れた。彼女は何か声を掛けようとするが、出ない。キノは唇を真一文字に締めた。
「キノちゃん」
店長はキノの顔を見る。目頭に光があった。
「泣いたの?」
キノは何も言わず、店長に頭を付ける。彼女はキノの頭を優しく撫でた。
「キノちゃん、あなたも大事な人を無くしているのね。いつでもここに来ていいから。千秋と一緒じゃなくても」
ゆっくり離れ、深呼吸をして、真っ直ぐに店長を見る。背筋を伸ばすと、キノは凛々しくなる。
「千秋を守っていくんだね」
「そう、私は決めてる。あの子が昔の思い出から抜け出すまで」
「じゃあ、僕も千秋を守るよ」
「千秋と仲良くしてね」
店長は微笑む。
「千秋は、僕の仲間ですから」
勢いよく、キノは控え室から店内へ出た。
「千秋!」
中央のテーブルの千秋がキノに気づいた。店内の者も一斉に振り向く。皆が目を見張った。
「キノちゃん!」
千秋が立ち上がると、一瞬、店内が凍り付いたように何もかもが停止する。「チューチュー」のストローや食べかけのサンドイッチ、海原のイチゴパフェのスプーンが落ち、全員の目がキノに集中した。
「おまえを僕も守ってやる! だからこれを着る!」
「キノちゃんがそれを!?」
千秋はテーブルから身を乗り出す。海原のパフェが倒れた。
「千秋ちゃん、やっぱりあれは、キノちゃんが一番似合う」
店長が奥から出てきた。
「千秋、僕に着させてくれ」
「いやよ!」
千秋はきっぱりと断った。
「ええ!?」
勢いをそがれるキノ。店内の視線が今度は千秋に集まる。
「千秋さん! なんてこと! キノさんの気持ちがわからないんですか!」
そう言って、顔を赤くした海原も立ち上がる。頭上のテーブル照明に頭をぶつけた。男の想像以上の体格と大きさに、周囲が驚く。椅子から転げ落ちるものもいた。
「違うわ! キノちゃんには、もっと最高の服を着せてあげたいの!」
千秋はキノを指さす。海原は息を飲んだ。振り子時計の音だけが鮮明に聞こえる。千秋は両腕を腰に当て、微笑んだ。
「おまえに、任せるよ」
キノは、口元を締める。
『萌えぇぇー!!』
客やメイドを含め、全員が萌えたようだった。
『キノちゃん、萌えすぎるぅー!』
「あうぅ!」
キノはあまりの歓声に我に返り、顔を赤くして、その衣装に恥ずかしくなる。
「ウブねぇ。やっぱ、そうなるでしょ。綺麗で可愛いんだから」
店長は笑った。店内はキノと千秋の『萌えモード』で包まれる。海原は鼻血を流し、床にひっくり返っていた。
6
「で、どう斬られるんだ?」
如月は香川由美に言った。小柄な香川は同学年で、隣のクラスである。
「そんな大層な役でもないので、適当でいいよ」
「適当と言われても、演劇などやったことはないからな」
如月は、小学校時代にやった「ジャックと豆の木」を思い出していた。段ボールで作られた緑色の草を、何度も何度も振らされた記憶しかない。
「如月くん、最近、花宗院さんや鈴美麗さんと、よく一緒にいるよね」
香川は、倉庫から剣を出してきて、それを何回か振り回す。
「まあ、な」
如月は、剣先の化粧紙が剥がれた、出来の悪い剣を受け取った。剣先を少し直し、じっと目を閉じる。
「何故そんなことを聞く?」
ひと振りする。鋭い音が空を斬った。その空気は香川の髪を揺らす。
「あの二人、目立つから。特に鈴美麗さんは」
「そうだな。鈴美麗は目立つ」
「もしかして、気になってる人?」
彼女はじっと如月を見つめる。
「武道を志す、ひとりとして尊敬している。自分の信念を持っている人だ」
もうひと振りした。シュと音とともに、ガラス窓がビリビリ鳴る。
「武道?」
「そう。あいつは、いつも真剣だ。何事にも真正面から受ける」
剣先に如月の視線が、微動だにしない。
「ふーん。花宗院さんは?」
香川は椅子に座り、机に頬杖を付く。彼を見つめる目が何かを見つけている。
「花宗院か。彼女も心の強い、しっかりした人だ。鈴美麗をサポートして、信頼している。二人とも幼なじみだそうだ」
「ふーん」
「じゃあ、本田千秋さんは?」
剣を振っていた手が止まった。
「千秋は……、千秋は、いい奴だ」
「でも女の子のオタクって言うか、腐女子でしょ、本田さん」
如月は、香川を見る。
「おかしいか?」
「うーん。ちょっと、理解できない」
「かもな。あいつの世界は、俺にも理解できんところもある。けど……」
「本田さんは、気になる人なの?」
香川は、如月の話を遮る。
「おい。一体の話なんだ? 聞きたいことがあるなら、さっさと聞けよ」
如月は少し苛ついた調子で言った。
「そう。言っていい?」
「だから、なんだ?」
「私、如月くんのことが好きなの」
振っていた剣が手から離れて、飛んでいく。窓に当たった。
「はあ?」
「だから、そう言うこと」
香川は剣を拾った。如月に近づく。
「今日、合ったばかりだぞ」
「あなたはね。私は一年の時から、ずっと見てたわ」
「いきなりそう言われても、俺は全く君のことを知らない」
困った顔になった。香川は如月を見据える。彼女は、飛んでいった剣を渡そうとした。
「これから、知ってよ、私のこと」
いきなり、香川は如月の懐に入り込んだ。
「おっ、おい!」
「もっと、知りたいの。如月くんのこと」
如月は、香川を押し退ける。
「香川、いい加減にしろ!」
「私、本田さんには負けなから」
ドアが開く。
「今日はここまでにしよう、明日演技指導だ」
相原は手を叩いた。
「どうかしたか、君たち?」
その場の雰囲気を察して、相原は言う。
「先輩、その顔どうしたんですか?」
香川は逆に尋ねる。頬が赤く、鼻にティッシュの詰め物があった。
「いやぁー、そこで転んじゃってね。ははは」
「そうですよ、先輩。気を付けて下さいね。じゃ、これで失礼します」
マコはドアを開けて部室を出た。慌てて如月もついていく。
「如月くん……」
香川は呟いた。
マコは下足箱まで、無我夢中で早歩きしてきた。
「おい、どうしたんだ」
「だってあの先輩、稽古だって言って、あんまり体に触るもんだから平手したの。それに真剣に教えている感じでもないし」
「なるほど、道理でな。平手だけじゃないだろ。もうやめるのか?」
「最後までやるわ。キノに申し訳ないし」
困った顔をしていたが、少し笑った。
「何かあった?」
「はっ?」
「香川さんと、あの部屋で」
「べっ、別に……」
マコは如月の顔を見るが、素知らぬ顔をする。
「まあ、いいけど」
もう一度如月の顔を見るマコ。
「千秋ちゃん、泣かしちゃダメだよ」
「なっ、何を言い出すんだよ、花宗院!」
マコはじっと、如月を見つめる。
「ははは、大丈夫だって」
「でも、もう! 男ってどうしてああなのよ!」
マコは再び思い出して、怒っていた。
正面の登校門に差し掛かる。
「マコ!」
正門の傍から、飛び出した者がマコに抱きついた。
「きゃあ!」
キノだ。
「マコ、やっぱ、女ってのも大変だな!」
「もう! 男って生き物は!」
キノも平手を喰らった。目が点になる。
「何? どうして?」
涙目のキノが、頬を押さえながら呟いた。
「知らない!」
キノの顔も見ずに、唇を尖らせて歩いていく。
「鈴美麗……。タイミングが悪かったな」
「はっ? 如月、おまえマコに変なことしたのか?」
如月は堪えながら、苦笑をした。
7
学園祭前日、放課後。
毎夜遅くまで準備に追われている『コスプレ喫茶』チームは、眠い目をこすっていた。
「さあ! いよいよ明日ですよ!」
「なんで本田はいつも元気なんだ?」
装飾係りの男子はぼやく。
もともと朝が弱いキノは、連日の朝からの用意に、疲労の色を隠せなかった。そのため、ついつい椅子で熟睡していた。
「キノちゃん!!」
千秋は椅子を蹴った。
「なっ、なんだ?!」
ひっくり返って、キノは目が覚める。
「いくらキノちゃんだって、優遇なんかしないからね。みんな頑張ってるんだから!」
「はいはい、わかってます、わかってますよ」
スカートの埃を払いながら、キノは聞きあきた台詞を流していた。
「海原くん、あなたもよ! 部活終わったらすぐに駆けつけて!」
「押ス!」
海原は敬礼した。
明日に向けて、装飾が教室に張り巡らされる。なかなかの華やかになっていた。
「おまえ、明日何のコスチュームにするんだ?」
野田は、装飾用の端切れを切りながら、藤尾に言った。
「コスプレって、おまえもするのかよ」
「当たり前だろ! 俺はそれが楽しみだ」
野田は自信有りげに言った。
「そんな趣味あったのか……」
藤尾はぼやく。そんな中、キノは不器用に裁縫していた。何故か下地まで縫いつけて、千秋に叱られている。
「それにしても、鈴美麗はどんな格好になるんだ?」
藤尾はじっとキノを見る。遠くからでも華やかさは人一倍ある。
「メイドさんじゃねえの? あいつ、やっぱ可愛いし、スタイルいい。個人的には、かなり期待する」
野田は凝視する。
「『萌え』だよな、ははは。でもさ、鈴美麗って彼氏いたりとかするのかな?」
「普通はいると思うけど、前に石井がフラれた噂していたよな」
「あれ、ホントかな?」
「そうだな。うーん」
藤尾は唸った。
「わからない。いるような雰囲気ないな。花宗院といつも一緒だし」
「ホント、いつもだ。トイレぐらいか、別なの」
二人とも笑う。
「なに二人とも、キノちゃん見て、変な笑いしてるのよ」
「なんだ、石井か」
「なんだじゃないでしょ、失礼ね」
二人と並んで、石井は座り込む。
「なあ、石井、おまえ、鈴美麗がフラれたっていう噂を聞いたって言ってたよな」
野田は尋ねた。
「あっ、あれねぇ」
「ほんとのとこ、どうなんだよ? マジか?」
今度は藤井だ。
「……詳しくは知らないわよ。あくまでも噂だから」
「噂ということは、そうじゃないこともあるんだな」
「まさか、あんた達。キノちゃんにちょっかい出す気? 出したらダメよ!」
「なぜ、石井がそんなこというんだよ」
野田も応戦する。
「えっ、ほっ、ほら! この喫茶の看板娘だから、ね」
頬を赤らめながら、石井は取り繕った。
「キノちゃーん!」
遠くで千秋がキノを呼び止めていた。
「石井ー!、おーい、服チェックだってー!」
キノは手を振りながら、石井を呼ぶ。
「はっ、はーい」
「石井、普段より何か、嬉しそうだな」
藤井は指摘する。
「べっ、別に。お仕事よ。お仕事」
そう言うと、急いで石井はキノのもとに駆けていった。
「いいなぁ」
野田と藤井の二人は声を揃えて呟いた。
8
「まずまずだ、花宗院くん。結構上手くなったよ。まあ、明日はうまく出来そうだ。今日はここまでにしょう」
相原はマコの肩を、ポンと叩いて言った。
「先輩のご指導の賜物です」
マコは、皮肉を込めて答えた。
「やっぱり、気づいた」
相原は気づいていなかった。満足気に歩いていく。
「はあー」
マコはため息をつく。
「キノは、どうしているのかなぁ」
「花宗院」
「如月くん。どお、そっちは?」
野武士のような格好の如月は、似合っているのかどうか、判断つかないような感じだった。
「うん。台詞何ぞないからな、気楽だ。剣振って倒れるだけ」
「けど、実際みんなが見ている前で演技するのよ」
「おい、脅かすなよ」
「実際講堂だし、そうだよ。私なんかそれ考えただけで緊張しちゃう」
マコは不安そうな顔になる。
「そうかぁ、緊張するな。うん」
彼は腕組みして頷いた。そして、二人してため息をつく。
「最近、千秋ちゃん遅くまで、頑張っているらしいね」
「そうみたいだな」
素っ気なく如月は答える。
「何か話してる?」
「別に。こっちも何かと忙しいからな」
「ダメよ、しっかり話さないと」
マコは彼の横顔を見た。
「だって、あいつの方からも連絡してこないし……」
「また自分勝手に考えてない?」
如月は顔を背ける。
「忙しくても、声だけでもいいんだからね」
「花宗院さん」
マコは振り向く。
「如月くんは生徒会との忙しい中、無理して演劇部に来てもらっているから、余計な事を考えさせないでくれる」
香川はマコを睨んでいる。
「香川さん、余計な事って……」
「勘違いしないで、私は中途半端な形ではやってもらいたくないだけ」
「ごめん、そんなつもりじゃないんだけど」
マコは香川に謝った。
「いや、すまん。花宗院は悪くない」
「香川さん、如月くんと千秋さんは」
「本田さんが、演劇とどう関係するのよ」
香川とマコは向き直った。
「演劇とかじゃなくて」
「ちょっと、花宗院さん! 今は明日のこと考えてよ!」
「おい!」
二人を止める。
「花宗院、俺の問題だから」
如月はそう言うと、部屋から出ていった。
9
「みなさん、明日のメイドさん達です!」
「おおっ!」
装飾していた、藤尾と野田は叫んだ。
「早く、キノちゃん! こっち!」
千秋は教室にキノを手招きする。
「千秋! ちょっと、この格好は……、なあ石井」
廊下で立ち止まっていたキノは、顔を赤らめながらはにかんだ。
「いやぁ、もう! いいよキノちゃん、似合いすぎ!」
「おっ、おまえ、本気で言ってるのか? おまえも一緒の格好なんだぞ」
キノと同じ格好をしている石井は、自分の姿を見た。ちょっと考えて笑う。
赤いワンピース。レース地の装飾が胸から肩までを華やかにし、喉元の大きなリボンが強調されている。赤い革靴に、膝上までの白いストッキング。キノは長い髪を左右に分けて束ねて、赤い色の帯で縛っている。頭の上は、宝飾されたティアラでまとめられていた。
「まっ、いいんじゃない? こんなこと一度だけだし、キノちゃんいるし」
「おまえは一度だからいいよ、僕は毎日制服コスプレだ」
キノは肩を落として観念した。
「睦!」
山本が声を掛けて、走ってくる。
「こんなになったのね、コスプレ。意外と可愛いね」
「何かさぁ、生まれ変わったみたい」
「確かに、現実離れしているよね。これって、オタクが言う『萌え』なの?」
「いや! 私、なんだか『鈴美麗キノ』になってるみたいなの!」
「睦、あなた大丈夫? 何か壊れてない?」
山本は呆れた。
「僕になるのはやめろ、石井」
腕組みしてキノは、迷惑そうに言った。山本は振り向く。
「やっぱり素敵だわ。そんな格好も似合うね、鈴美麗さん」
さすがに彼女も感心してしまった。
「きっ、キノさん……、さすがです」
海原の小さい目が、丸く見開いている。
「海原! キノちゃんに触っちゃダメだからね!」
腰に手を当てて、石井は海原に注意した。
「おおい、何で石井がそんなこと言うんだよ」
「うっ!」
海原の動きが止まった。
「どうしたのよ、海原」
「石井さん、可愛いです」
「えっ?」
石井は海原の言葉に、勢いがなくなる。
「睦、海原くんが、可愛いってよ!」
山本ははやし立てる。
「そっ、その。……耳ピョコは、……いいです」
「耳ピョコ?」
キノは石井を見た。肩までの髪から耳の先が少しだけ出ている。
「これ?」
石井の耳先を指さす。
「ちょ、ちょっと! 何言っての海原! 変態!」
顔が赤くなる。
「ねえ、キノちゃん、何してるのよ」
千秋がしびれを切らしてやってきた。
「へぇー。こんなの?」
キノは千秋の髪を押さえて、耳ピョコする。
「おおう!」
「それがツボなんだ。ほれ!」
キノも自分で耳ピョコした。
「う!」
みんな笑う。海原は周りを、耳ピョコ隊に囲まれた。
「おい、千秋、話があるんだけど……」
如月が声を掛ける。
「ばう!」
海原は案の定、ひっくり返った。キノは如月の背後にいた。
「ほほう、男の耳ピョコも意外と効くのか」
「何してんだ、鈴美麗」
耳ピョコのまま、振り向く。
「べっ、別に」
「キノちゃん! まじめにやってよ!」
千秋は怒鳴った。
「はい、はい」
キノは教室に入った。声援が飛び交っている。
「演劇と生徒会、忙しそうね」
千秋は尋ねる。
「まあ、な」
如月は彼女を見た。メガネから瞳だけが見ていた。
「何、話って?」
「いや、もういいよ」
如月は歩き出す。
「変なの?」
千秋は教室に戻るために、向きを返る。
「千秋!」
彼女は振り向いた。メガネのズレを直す。
「お互い、頑張ろうな」
「う、うん」
「千秋ー! ここどうすんのー!」
走って、千秋は教室に戻っていった。
10
文化祭は、実にショッキングな出来事から始まった。『コスプレ喫茶』教室には準備に来た千秋と、数人のクラスメイトがいる。
「ひでぇ」
藤尾は思わず声を漏らした。
「どうしたんだよ、これ……」
「何故、こんなことに」
野田も呟く。千秋は、呆然と立ち尽くしていた。キノが廊下を走ってくる。
「千秋!」
キノは教室に入るや否や、絶句した。
教室内は辺り一面、紙屑や装飾した布や紙が引きちぎられて、散乱していた。昨日、皆が一生懸命に作ったものだ。整然と並べてあった机も傾いたり、倒されたりしている。
「一体、どうなってる!?」
キノは顔を左右に振りながら、状況を確認した。
「……ちっ、千秋さん」
石井が震えながら、声を掛ける。
「こっ、これ」
千秋とキノは、彼女が大事そうに持っているものを見た。ぼろぼろに引き裂かれた、赤色の布。
「……それって」
形さえもなくなっているが、キノは想像出来る。昨日、耳ピョコで試着していた衣装だ。
「そんな……」
「おい、マジかよ! 衣装ぼろぼろじゃんか!」
野田は思わず叫んだ。
「ひどい……」
千秋は全身の力が抜け落ちたように、膝折れした。つかさずキノは、体を支える。
「千秋! おい、千秋! しっかりしろ!」
「千秋さん!」
石井も叫ぶ。皆が取り囲んだ。
海原は、朝練を終えて、教室にたどり着いた。ただならぬ雰囲気に、圧倒される。
「なっ、何かあったんスか?」
「朝来たら、この有り様で……」
石井は指さした。
「千秋さんが、倒れちゃったの!」
彼女はどうしようもなく、涙目になっている。海原は目を見張った。
「むう!」
キノが千秋を抱き止めている。
「石井! 千秋を保健室へ連れていって! 海原、加勢しろ! 片づけるよ! みんなも手伝って! 早く!」
キノは叫んだ。
「もう、時間に間に合わないよぉ」
石井は泣きじゃくっている。
「最後まで諦めてはダメです。千秋さんを頼みます。さあ、行って」
海原は小さい目を見据えて、彼女を諭した。
「海原……」
大きな体を真っ直ぐにし、口を真一文字に構えて直立する。太い腕が拳を作った。
「あなたたちを、守ります」
11
「おい! 『コスプレ喫茶』は中止だって!」
「えーなんでぇ?」
その声は、演劇部まで届いてきた。
丁度、リハーサル中だった。演劇部の講演は午前午後の二講演ある。
「コスプレは無くなったそうだ」
相原は呟いた。マコはいても立ってもいられなくなった。
「先輩! 私ちょっと……」
「ダメだよ!」
相原はマコを止める。
「でっ、でも」
「花宗院くん、君が行ったところで、何が出来る。君が心配するのはわかるが、彼ら自身ががやるしかないんだ」
「それでも……」
「やめとけ。君はこの演劇部もダメにしてしまうつもりか? 今君が抜けたら、誰もフォローできない。公演は中止するしかない。それでも行くのか?」
相原は真剣な顔で言う。この男もこれに懸けているのだ。
「わっ、わかりました……、すみません」
マコは頭を垂れた。如月が寄って来る。
「大丈夫だ。千秋と鈴美麗がなんとかするさ。海原もいる」
ポンとマコの肩を叩いて行った。
「如月くん……」
「大変そうね、千秋さんとこ」
香川がすぐそばで言う。マコは振り返った。一息つく。
「相原先輩の言う通りだわ。私が行っても邪魔になるだけ。今向こうでは、立て直しをしているはずだわ」
マコは呟いた。
「随分、お気楽ね」
「何があったかは知らないけど、キノがいるから」
「本当に脳天気な人ねぇ。もう少し賢いかと思ってた」
マコは、香川を凝視する。
「一体なんなの、香川さん。さっきから」
「別に」
香川は、用意に舞台の奥に引っ込んで行った。
12
「大丈夫?」
千秋は保健室のベッド上で気がついた。声を掛けたのは山本だった。
「ここは……」
山本を千秋は見て、周囲を伺う。
「保健室よ」
「私、一体?」
「倒れたの、教室で」
千秋は思い出して、はっとした。掛け布団を払いのけて起き上がる。
「どうなったの!?」
山本は千秋の両肩を支えて、微笑む。
「安心して、本田さん」
まだ不安気な千秋の顔を彼女は確認した。
「復活したわよ、コスプレ喫茶」
「本当に!」
「うん。鈴美麗さんや石井、海原くんたち、みんな頑張った」
「衣装は!? めちゃくちゃだった! あれがないとダメよ」
また一気に嬉しさが冷める。
「鈴美麗さんが、店長さんという人に頼んで持ってきてもらってたよ、衣装」
「キノちゃん! 店長も!」
千秋の顔が明るくなる。
「でも、誰、店長さんって?」
「行く! 私も行く!」
ベッドから降りて、靴を履き出した。
「瀬野先生、いいですか?」
「あー、はいはい。もう元気だから、いいよ。私も後から行くから、コーヒーよろしくね」
白衣姿の瀬野は振り向かずに、右手を上げる。
「はい!」
千秋は大きく返事して、山本と出ていった。
「いいか、わかってるね君たち」
相原は念を押すように、後輩に言った。
「わかっています、先輩」
二人の演劇部の後輩たちは頷いた。
「歴代、我が演劇部の部長には、彼女がいない! 例に漏れず、私もだ。何故だ?」
「それは、忙しいから?」
「才能がないから?」
「美しくないから?」
「もしかして、頭が悪いから?」
「君たち、この私に喧嘩を売っているのか」
相原の口元が引き吊っている。後輩は後ずさりした。
「午後からの公演では、午前中の物語に加え、愛する姫様を助けるために、悪漢と何度も戦い、傷つきそして救う王子をもっと演出したい」
「部長、それはプラン2を実行ですね」
「そういうことだ」
「でも、花宗院先輩は知ってるんですか?」
「彼女が知る必要はない」
断言する相原。
「知ってもらったら、意味がない」
「でも、うまくいきますか」
「それは、君たち次第だ。私の高校生最後の演劇活動の集大成として、成功させたい」
二人は顔を見合わせて、ゴクリと唾を飲む。
「いずれにしても、後半のストーリーの変更と名司会を期待する」
「はい」
「私に花を持たせてくれ。このラストチャンスに!」
相原は人差し指を立てて、叫ぶ。白装束の王子姿の彼は笑った。
「来年の部長って誰だっけ?」
「さあ」
「俺ら、早いとこ彼女作らないと、やばいぜ」
「この部のジンクスだな」
王子の後ろで、二人は先を思いやる発言をした。
13
『コスプレ喫茶』は大繁盛していた。物珍しさやその手の好きな者、本物の人たちなどが、来店していた。
「やっぱ、可愛いね、あの衣装」
「俺、もっとタクっぽいって思っていたけど、意外といいじゃん」
「鈴美麗先輩、やっぱり綺麗!」
「あのやくざみたいな、大男、誰?」
「ピンク色の人は、美人だねぇ」
「男子は、全然目立たんな」
教室から出てきた人が、色々と批評している。
千秋が教室を覗くと、キノが右往左往していた。
「キノちゃん! こっち、こっち! 違うよ、向こうの人!」
石井が叫んでいる。
「あわわわ」
愛想を振りまくどころか、眉間にしわが寄っていた。石井はなんだか楽しそうにやっている。
「キノちゃん、いらいらしてるね」
千秋は言った。
「でも、みんな凄いよ。私、睦がこれをやるって言ったとき、信じられなかった」
山本は呟く。
「あの子とは、一年の時から一緒だったけど、こんなに生き生きとした顔は久しぶりに見た。なんかそれまで、惰性的にやっていたことが多かった。いつも人の噂や悪口を言うことで、発散していたんだと思う」
山本はため息をついた。
「でも、鈴美麗さんと花宗院さんが転校してきてからは、違ってきた」
「そうね」
千秋は頷いて、じっとキノを見つめる。
「特に鈴美麗さんは、人を引きつける魅力がある」
「キノちゃん、真っ直ぐなの」
室内のキノは相変わらず、不慣れな手付きで飲物を一生懸命運んでいた。
「私も変わった。私ってオタクでしょ」
「あっ、あの、本田さん。その、私たちあなたに色々嫌なこと、言ってきた……」
千秋は山本の方を振り向いて、微笑む。
「いいの。みんなを責めるなんて気持ちはない。私もそれはそれで、自分から打ちとけることなんて考えもしなかった。自分の世界だけあればいいと思ってた」
もう一度、彼女はキノを見た。お盆をひっくり返している。自分に付いた水滴など気にも止めずに、せっせと相手の世話をしていた。石井がフォローに入る。
「でも、私、それが何でもないことだと知ったの」
「……」
「彼女は全然、臆していないの。私を認めてくれてる。あの服を着てくれている。キノちゃんね、言ったの」
千秋は両手を握った。
「『千秋を守ってやる』って」
「本田さん……、私」
山本は、千秋の横で、唇を噛む。
「私、そんなに強くなれないかも」
「いいえ、みんな同じ。キノちゃんだって一緒。色々迷っている。ただ、自分の信じている事や想っている人のために、自分を動かすことが出来るかどうかなのかもね」
千秋は更に、握りしめた。
「それが、あの子の強さよ」
背後からダミ声がした。驚いて二人は振り向く。
「そう、思う」
「店長」
千秋は、その暖かい目を見つめた。
「あの子だけじゃない。二人とも、いい仲間がいるわ。信じてくれる仲間がね」
「うん」
キノは店長と千秋達を見つけた。急いで駆けつける。
「千秋!」
「キノちゃん!」
千秋はキノに飛びつく。
「こっ、こら、千秋! 何する?」
「……キノちゃん、ありがとう。キノちゃん」
「いいよ、そんなこと」
キノは照れくさそうに言う。顔が赤い。
「もう! 二人とも可愛いんだから!」
店長も二人に抱きつく。
「てっ、店長!?」
「でも、どうして店長が」
千秋は尋ねた。
「だって……」
店長は口ごもる。
「僕ら、店長の大事な娘だから」
キノは頬を染めた。
「キノちゃん……」
「大事な娘?」
今度はキノに聞き返す。
「そう、僕たちは店長の娘。だからママに、助けてって、泣いて頼んだ」
「まあ、ママだなんて、この子たち」
店長ははにかみ、もっと抱きしめる。
「このデザインは、もともと千秋のだったし」
キノは店長を見た。キノはウィンクする。
「山本、はい」
キノは頭のティアラを取って、山本の頭につける。
「なっ、何?」
山本は訳がわからず、聞き返した。
「いいだろ、それ。おまえも可愛いぞ」
「ええっ?」
「手伝ってくれるだろ」
キノは山本を見つめる。彼女の顔が赤らんだ。
「うっ、うん」
「石井ー! 山本も手伝うってー!」
キノは手を振って、石井を呼ぶ。
「何? 本当?」
彼女はにこやかに返事して、海原を呼び止めた。キノは山本の背中を押す。
「後頼むよ、山本。僕はマコの演劇を、見に行きたいから」
「わかった。頑張る。行ってきて」
山本は走って教室の中に、入っていった。
「千秋、演劇へ行くよ」
「ゆっくり見て来てね」
千秋は手を振る。
「おまえも行くんだよ」
「えっ? 何故?」
「ばか、如月が出てるんだろ」
「でも、ここが……」
「大丈夫。ほらあいつ頑張ってるから」
海原が中央で構えながら、指揮を取っている。
「案外あいつ、こうゆうの向きかも。それに」
石井が何かと海原に、声を掛けている。
「二人ともなんだか、いい感じなんだ。石井も毛嫌いしているわけではなく、頼っているみたいなんだ」
「あれあれ」
千秋はクスッと笑い、店長に向き直った。
「店長、ご迷惑掛けてすみません」
「何言ってるのよ、愛する娘のためにしたことよ」
「ありがとうございます」
「行くよ、千秋」
キノは走り出す。
「千秋ちゃん」
千秋もキノの後を追いかけようとした時、店長は呼び止めた。
「キノちゃんを大切にね、あの子本当にいい子よ。それと邦彦くんも」
メガネのズレを直して一礼し、彼女は去っていく。
「本当に、可愛い娘」
14
演劇部のその物語は、平和な国の披露宴の席で、愛する姫様を連れさらわれたその王子が、敵対する国へ探しに行くというアドベンチャーもの。その間に様々な出来事が起こり、やがて仲間が増えていき、最終的にはボスキャラと戦うというネタだった。姫を演じるのは、もちろん花宗院真琴、そして主役は、相原だ。
キノたちが講堂には入った時、すでに後半の幕が上がっていた。舞台にはマコが立ち、台詞を言っている。
「わたしの大切な人たちを返して下さい!」
「ならん! しかし、おまえが、わしの要求を飲むなら許してやってもよい」
悪役のボスキャラは言い放った。
「わたしで出来ることなら何でもします! ですからお願いです!」
マコは両手を合わせて懇願する。会場が緊張に包まれていた。席に座るや否や、言葉を飲み込む。
「マコさん、凄い。迫真の演技だわ」
「うっ、うん」
キノもマコの演技に圧倒された。
「姫! この魔物の言うことを聴いてはいけません! あなたの心を惑わせているだけです! どうか、早く、逃げてください!」
捕われの主人公とその仲間達は、叫ぶ。
「どうか、お願い」
マコが躓いた。
「よおし、それではわしの要求は、おまえだ。わしの后になれば、そのもの達を解放しよう。どうだ出来るか。は、は、は」
少しの間の後、頭を垂れる。
「仕方ありません。でも必ず、私の大切な者達は返して下さい」
「よかろう」
三人の手下達が、姫の剣を持ち上げ、捕まえた。マコは三人と共に歩いていく。
「あっ、如月くん」
千秋が小さな声を上げる。
「なんだ、あいつ悪役か」
ぼそりとキノは呟いた。
「だって、台詞無いって言ってたよ」
二人は顔を見合わせて、クスっと笑う。
「きっと、君を助ける! この剣に誓って!」
解放された相原は叫んだ。
「ケイル! 待っている! 待っているわ!」
「おまえらごときに、やられるわしではないわ!」
照明が落ち、舞台の雰囲気が変わる。
「さあ! 姫を返してもらう! 我と戦えよ!」
「何をしに来た。もうとっくに全ては終わったのだ」
「違う! 姫の気持ちは我と共にある!」
「笑わせる。腰抜けは引っ込んでいろ。わしと姫との宴を見物でもしておれ!」
物語はクライマックスへ進んでいく。
「何を!」
「姫よ、あの者に何か言ってやれ」
「はい。もう、私は王子は愛しておりません。おまえたち、王子をやってしまいなさい」
操られの身のマコは命令した。再び如月たち手下が出てきて、短い剣を振り回す。王子の仲間は、次々と倒れてしまった。相原と如月の一騎打ちになる。
「おまえの相手は、私で十分だ」
如月が言った。
「台詞あった!」
ちらりと如月は観客席に目をやる。千秋の存在を知らせるために、キノが手を振った。
次の瞬間、もの凄い空気を切り裂く音が鳴る。段幕が揺れた。驚いた表情の相原が後ず去りする。如月は、相原よりも姿勢良く直立だ。如月の眼孔が相原を捉えていた。じりじりと間合いを詰める。王子は逃げ腰なってしまった。
「そっ、その者も、この剣にて、倒す!」
相原は合図のように、剣を振り上げる。
「あいつ、本気になっているぞ」
「えっ?」
千秋は振り向くて、キノはにんまりとしていた。
「このこの!」
二人は剣を交差させながら、やり合う。
「こっ、こら! 早く倒れろ!」
台本通りいかないことに相原は焦った。次第に剣先がぼろぼろになっていく。如月の耳には入っていないようだ。
「やれー! 王子倒せー!」
なかなかやられない手下に、観客席からは何故か声援が飛び交う。
「如月くーん! 倒してー!」
「相原王子ガンバってー!」
「バカ! おまえが倒れないと話が進まないぞ! 何やってんだ!」
我に返った如月が、ほとんど形を残していない剣で倒された。相原は肩で激しく息をしながら立っている。かなりの汗が流れていた。
「さすがだ王子。しかし、今度はこいつが相手だ」
姫がさっそうと出てくる。
「マコさん、凛々しい!」
「舞台を見ていると、なんだか違うマコみたい」
王子と姫にスポットライトが当たる。
苦悩する王子。姫は剣を構え、王子に向ける。
「さあ、姫。王子と戦うのだ」
二人は向き合ったまま、動かない。
観客席が静かになる。キノと千秋も目が釘付けだ。
「姫、そなたと交えることは出来ない」
「そうだろうな。しかし、姫はそうではない」
彼女は走り出す。王子へ向かって、刃を突き刺した。王子は交わしたが、腕を切りつけられる。
「姫! 私です! 目を醒まして下さい! 姫!」
もう一度、姫は突進した。今度は足を突かれる。その場で片膝立ちになった。
「姫よ、とどめを差すのだ!」
姫は剣を両手で振り上げる。
「姫! 私との愛は忘れたのか!」
振り上げたその手が止まった。二人は見つめ合う。
「殺せ! 王子を倒すのだ! 姫!」
二人の言葉の間で、動きが止まった。だが、魔力の力には勝てない。剣を振り降ろす。
「姫!」
その振り降ろされた剣は、王子が掴んでいた。やがて、剣が手からすり抜けて、地面に落ちた。姫は気を失って、倒れる。
「そんなバカな! 私の魔力が勝てないのか!」
舞台裏では、相原から頼まれた二人がスタンバイしていた。
ついにはボスキャラは、愛の力に負けて消えていなくなる。だが、姫は目を閉じたままだった。王子は抱き起こす。
「魔物を倒しても、姫の目が覚めない。どうしてだ? 私の愛の力が、足りないというのか、弱いというのか! 天よ! 力を貸し賜え!」
抱きしめた体を引き寄せて、王子はキスの体制には入った。
「うー!」
キノが大きく唸る。照明が消えると、講堂は真っ暗になった。
「場面転換よ」
千秋はなだめる。
15
抱き起こしたまま、相原はじっとしていた。顔が近くにある。
「先輩? 照明落ちましたよ。早く次のシーンへ、行きましょう」
「花宗院くん」
「あっ、あの、ちょっと、相原先輩」
相原は、抱いている手を放さない。
「花宗院くん、僕は初めて君を見たときから……」
「ちょっと、先輩。なっ、何言ってるんですか、こんなところで。照明がすぐ付いちゃいますよ」
「大丈夫だ。長くしてある」
「はあ?」
「どうか、僕の気持ちを受け取って欲しい。そうこのまま、体を預けて」
「なっ、なんですか」
真っ暗で、まだ目が慣れない。
「君もこの演劇を通して、僕の良さを知ってくれたと思う。だから是非、付き合って欲しい」
「ええ!?」
マコは相原の息づかいが、近くにあることを察知した。
「ダメ! 先輩!」
マコは抱き締められているために、両手が動かせない。じたばたするが、身動き取れない。
「心配しなくていい、このままで……」
「ちょっ、いや!」
マコは顔を精一杯、横に背ける。
「あががっ!!」
鈍い音の後、体が軽くなった。何かが転がっていく音がする。
「はいよ」
体がフワリと浮いて、引き上げられる。
「キノ!?」
マコは、手の感触から察知した。その手を握り返す。
「……もお」
キノは、ため息混じりに言った。
「よかった、キノ。でもどうして……」
「あんな奴の考える事なんて」
マコの握る手を、キノも強く握る。
「マコ、あんなシーンがあるなんて、聞いてなかったぞ」
不満そうにキノは呟く。
「違うよ、本当はすぐ照明が点くはずなんだけれど……」
「点かなかったのは、照明係の後輩、王子とつるんでたからだ」
「えっ?」
「王子がマコへ言い寄る時間を、作っていたんだ」
「それで……」
「あいつら、取りあえずぶっ飛ばしといた」
キノは多分、腕を上げているだろう。
「ぶっ飛ばした? じゃあ、誰が照明つけるのよ?」
「おーい! 照明係、まだかよー!」
「あっ!」
観客席がざわめき始める。
「どうなってるー!!」
「誰か付けろよー!!」
「話おわりー?!」
途端に照明が付いた。眩しさに、キノとマコは目を細める。
「ええっー!?」
観客からは驚きの声が上がった。舞台には、マコとキノが手を繋いで向き合っている。
「王子が姫とのキスでメイドになったー!?」
「おおっ!」
「メイドいい! 可愛いー!」
「誰? メイドの子、誰なの?」
一部からは興奮の歓喜が起こる。
「何故、鈴美麗が?」
舞台袖から、如月は驚いた。
「あう!」
マコは、緊張を通り越して笑いが出る。
「キノちゃん、いつの間に舞台に?」
千秋が隣の席にいないことを今、気づいた。舞台の袖から、物陰が動く。起き上がり、よろけながら舞台の二人に近づいてきた。
「おい! おまえは何だ!」
「おおっ! 王子だ!」
「新たな展開か!?」
キノはマコをかばう。
「先輩こそ、マコに何をしようとしたんです!」
キノの眼孔が、相原を押さえつける。空気の壁が彼の動きを封じた。
「えっ? あっ? あれ?」
相原は微動だに出来ない。
「何か訳がわからんが、さっきよりもリアルだぞ!」
急展開に会場の観客も面白がっていた。
「なにをぉぉ、私は、演劇部の部長だ!!」
キノの壁を跳ね返す。だが、息が上がっていた。
「へぇ……」
キノはマコを背後に遠ざける。
「キノ! ダメよ、本気になっちゃ! 先輩は普通の人よ!」
「大丈夫。だけど真正面から向かってくる者には、正々堂々と受けて立つのが礼儀だ!」
キノは直立する。構えない。
「おお! いいぞ! やれー!」
「二人ともカッコいい!」
「こざかしいことは抜きです、先輩」
「おっ、おまえこそ、女の立場を利用するなよ」
「何ですか、女の立場って」
「今更、泣いて詫びても、その手には引っかからんぞ!」
「はあ? あなたこそ、後輩を利用して、何をしているんですか?」
キノは一歩前に出る。
「くっ!」
相原は逃げられない。
「先輩が来ないんだったら、僕が行きますよ」
相原の視界からキノがいなくなった。
「見えない?」
「ああー!!」
観客席から、驚きの声が上がる。
「うっ!!」
キノは相原の懐にいた。胸ぐらを掴んで、持ち上げる。
「ううっ!」
「どうします? このまま投げ飛ばされます?」
「わっ、私が悪かった……。すっ、済まない。謝る」
「ここは舞台の上ですから、投げません。物語を完結させて下さい」
キノは、小さい声で言う。
「わっ、わかった……」
相原が言うと、キノはこてっと、前に倒れた。そのまま動かない。
「勝った?」
「王子が勝ったのか?」
「メイドは敵キャラ?」
「全ての悪はこの世から去った! 平和が戻るぞ!」
相原はマコのもとへ歩く。足下が、ふらついていた。
「さあ、姫。ご迷惑をお掛けしました」
王子は躓くどころか、尻餅をつき頭を垂れる。
「はい、本当に、王子」
「私とどうか、末永く暮らして欲しい」
「はい」
マコは手を取って、相原を引き上げた。大円団な舞台が終わる。会場からは、割れんばかりの大きな拍手が振る舞われた。
「一体、この物語って何だ?」
16
「なんか、やばくないか?」
「ああ、事が大きくなってきてるぞ」
男二人は、事の成り行きを見ながら心配そうな顔となっている。
「あんたたち」
「香川」
腕組みして、彼女は立っている。
「まさか、びびってるんじゃないでしょうね」
「ははは、まさか……」
声に張りはない。香川は舞台の方に目をやる。
「大体、あの女、何をしてるのよ! 演劇部の舞台で! もうめちゃくちゃだわ! 部長も、全く!」
「おまえだって、コスプレ教室をめちゃくちゃにしたじゃないか」
一人の男子は苦笑する。
「それとこれとは違うの!」
「どこが違うんだよ」
半分呆れて、男子は言う。
「あんな、オタクのコスプレのどこがいいんだか」
香川は言い放った。
「おい、言い過ぎだぞ」
「何、あんた。ひょっとして、あの舞台の上のメイドさんなんて、好みだったりして?」
「ばっ、馬鹿言え! 俺は、道理が通ってないって言ってんの」
話がエスカレートしている。
「あんなオタクとどうして私は……」
「そう言うことか」
「如月くん!?」
如月は香川の背後にいた。
「香川、君がコスプレ喫茶を壊したのか」
香川と如月の間に、男が入る。
「違うんだ、如月。やったのは俺たちだ」
「いいえ、私よ……」
力無く、彼女は呟いた。
「香川!」
「私が、やって欲しいって、壊して欲しいって、頼んだの!」
「君がしたことは、いいことじゃない」
如月は努めて、冷静に言う。
「だって、負けたくなかった! 本田さんが困ればいいと思った! コスプレ喫茶なんて、なくなればいいと思ったの!」
気丈な香川は、崩れ落ちた。
「君は一体、そこまでして」
「如月! ひとつだけこいつの弁解させてくれ!」
男は如月の前に、土下座する。
「……あんた、いったい何してるの」
香川は驚いて、男の背中を見た。
「こいつが、如月のことを、ずっと好きだったのは、確かだ。いつも聞かされてたから、良く分かっているつもりだ。だからこいつが、悩んでいたのも知っていた」
「でも、これは、やりすぎだ」
如月は怒りを、露わにする。
「わかっている! この通り謝る! だから、こいつの気持ちも分かってくれないか!」
彼の一生懸命な行動の前に、如月黙り込んだ。
「もう、いいよ!」
香川は男を押し退ける。
「如月くん、私を殴っていいよ。こんなことしたんだから、それぐらい受けてもいいわ……」
「おい、香川!」
静止させようと叫んだ男の背後から、声がした。
「まあ、それは、出来ないよな、如月」
17
「鈴美麗、おまえいつから?」
如月は驚く。メイド姿のキノは、香川の目前に座り込んだ。
「あなたも私に、仕返しに来たの……」
「うん。だって、みんな大変だった。なんとか立て直しが出来たけど、千秋のショックは大きかったんだよ。あいつが、どれほど頑張ってきたのか知っているから、許せない」
彼女の頬を、キノの平手が飛んだ。
「僕は、女の子をぶたない主義だけれども、ごめん」
香川は打たれた頬を、静かに押さえる。
「それと……」
「ひぃい!」
二人の男はキノの回し蹴りにて、吹っ飛ばされた。キノは座り込んだまま、両手を握り締め、震えている香川を抱きしめる。
「これで、おしまい。忘れて」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
彼女は泣いていた。
「あなたにも、あなたを真剣に気に掛けれくれている人が、いるじゃない」
「え?」
「例えば、如月からあなたをかばって、言い訳してくれた男子とか」
転がっている男を指さす。
「少しくらい、気にしてあげなよ」
「さてと、もう一人許せない男がいる」
キノは立ち上がって、振り向いた。
「もとを辿れば、こいつがはっきりしないからだよね」
口を真一文字に締め、如月を指さす。
「おっ、おい。鈴美麗、おまえ何を言い出すんだ」
如月は睨む。殺気を感じているのだ。
「いや、おまえに本気で言ってる。前々から思っていたんだけれどね」
キノはその睨みにも、臆さない。武道を極めているもの同士の、張りつめた空気が存在していた。
「一体どうなっている?」
香川をかばっていた男は呟く。
「鈴美麗、おまえを俺は認めている。でもこれは、どうしようもないんだな」
「そうだね。どうしようもない。はっきりさせないといけない。いや、はっきりしないとダメなんだ」
言い終わると同時に、キノは衝撃波を如月に放つ。舞台上に如月は飛ばされた。
「如月くん!?」
マコが叫んだ。帰り始めた、観客はその騒動に立ち止まる。
「なっ、何? どうした?」
キノは舞台袖から、走り出る。そして、叫んだ。
「千秋ー!!」
「きっ、キノちゃん!?」
「千秋! 僕は今から、如月に告白する!」
「なっ?! キノちゃん! 何言ってんの!?」
千秋は驚いて目を丸くする。
「鈴美麗! どんな展開なんだ、これは!」
キノ以外の会場の全ての人が、予想外の驚きだ。
「如月、僕は……」
キノは如月の正面を向く。
「おっ、おい、やめろ! 何を言ってる!」
キノは背伸びして、如月の首に手を回した。耳元で囁く。
「……僕は、千秋が好きな如月がいい……」
「鈴美麗、おまえ」
「千秋の過去は知っている。あのメガネのことも」
「……」
「でも、今の千秋を守ってやれるのは、いなくなった奴じゃない」
「……鈴美麗」
「だから、おまえがしっかり守ってやれ」
如月の顔は、赤らんでいた。
「見てるだけじゃなくて、しっかり肌で触れて、抱きしめてやれ」
「おまえ、まさか……」
如月の顔が少し、動く。キノの頬はうっすらと赤い。
「ここで千秋に告白しなかったら、本気でぶっ飛ばす。これでも今、凄く恥ずかしいんだからね」
キノは如月から離れた。しっかりと向き直し、微笑む。キノは息を吸った。
「あーん! 如月くん、誰か好きな人がいるんだってー! 振られちゃたよー! このバカー!」
「ええっー!?」
残っていた者は、ひっくり返ってまたしても驚く。
「如月ー、てめー何してんだ!」
野次が飛びかう中、キノは顔を真っ赤にして、マコのところまで走ってきた。
「マコ、振られちゃったー。えーん」
「ばかね」
キノはマコに抱きつくと振り返って、舌を出した。
「本当に、おバカで優しいのね、キノ」
「ああ……言うさ」
如月は、呟いた。
「如月くん! 鈴美麗さんよりも、誰が好きなのよ!」
マコも相づちをするように、叫んだ。千秋が如月を見ている。彼も彼女を見つめた。
「千秋!」
千秋の息が止まる。
「おまえの楽しかったこと、悲しかったこと、そして、……メガネにある記憶の全て」
千秋の瞳が潤んだ。
「おまえとあいつの想い出、全部含めて俺にくれ。今度からは俺が、おまえを守ってやる」
千秋のメガネの奥から、涙の筋が見える。
「俺は、おまえが、本田千秋が好きだ!」
「おお!」
観客席から歓声が上がった。マコはキノの手を取る。キノの凛々しい横顔があった。
そして、千秋に注目が集まる。舞台上の如月は黙って立っていた。ゆっくりと千秋は舞台下まで歩いてくる。如月は舞台から降りた。千秋は彼の前で止まる。頭は上がらない、目を合わせられない千秋がいた。
「邦彦……、どっ、どうぞ……」
メガネの下は、涙が溢れている。
「……どうぞ、よろしく……お願いします……」
頬が泣き濡れている。
「千秋」
如月は呟いた。
マコはキノに抱きつく。
「よかったね、二人とも」
「僕も、みんなの前で、マコに言ってみたいな。こんな格好で、君に告白なんて出来ないよ」
「キノ……」
「あっ、冗談よ、冗談」
あははとキノは笑った。マコの顔が近くにある。
「キノ、私は格好なんて気にしないよ」
マコは真顔で言った。
「いつだって、私にとってキノは、最高の男の子よ」
キノの顔が赤らむ。
「さあ、後片付けよ!」
「うん」