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キノは〜ふ!  作者: 七月 夏喜
6/9

第6話 キノとマコと千秋と学園祭

 十一月は、星白学園の学園祭。

「えーそれでは、今年の当クラスの出し物は、コスプレ喫茶を行うことに決定します」

 委員長の如月は黒板に書いてある通りに、多数決にて決まった事柄を言った。隣には副委員長のマコがいる。

「なんで、そんな出し物…」

 クラスの一部から聞こえてきた。

「それでは、喫茶の売り娘さんの選出です。副委員長の独断と偏見で、はい! 鈴美麗さん!」

 マコは大きな声で、指さす。キノは机を、大きく鳴らした。

「おおっ!」

 クラスから歓喜が上がる。

「な、なに?!」

 キノは自分を指さした。

「それと責任者は、千秋さん!」

 これまたクラス全体が注目する。オタクで知られる、赤いメガネを掛けた千秋の鉛筆が、落ちた。

「おお!」

 彼女は責任者など思っても見なかったらしく、驚いて立ち上がる。が、顔はまんざらでもない。

「ちっ、千秋?」

 キノは千秋の同人誌での事件で、散々な目に合っている。

「確かにコスプレ関連には、もってこいの人材だけど」

 キノは少々、不安になった。

「二人とも、うまく協力してね」

「マコも協力してくれ」

「だめよ」

 懇願するキノをよそに、軽くあしらう。

「どうして」

「そう。花宗院には、別のオファーがきているんだ」

 如月は二人の間に入り、マコを遮ってキノに言った。

「うー」

 キノは如月を睨む。

「俺に怒るな。演劇部からの、ちゃんとした出演依頼だよ」

「ははん? 演劇部?」

「花宗院は、今年の演劇部のヒロインに、スカウトされたんだ」

「そうそう。キノばかりじゃなく、私も意外ともてるんだからね」

 マコは舌を出す。

「一体いつの間に?!」

 机をカタカタ鳴らすキノは、合点がいかない様子である。

 最後尾の千秋が、にこやかだったのが対象的だ。

「キノちゃん、前回以上に、最高に仕上げるわ」

 彼女は、不敵な笑みをキノの背中から贈った。

「なんか、悪い予感がする」

 悪寒を感じとったキノは、額に汗をかく。


「それでは他の人は……」

 教室内を如月が見回すと、同時に二人の手が上がった。

「はい、海原くんと石井さん」

「自分も喫茶要員になるっス!」

 海原は立ち上がり、叫んだ。クラス内が、静まりかえる。

「それと、石井さんもですか?」

「はっ、いっ、いやぁ、そのお」

 石井は、キノが見ていることに気づいた。

「はい! やります、やります!」

「どっ、どうしたのよ、睦? いきなり」

 山本はこれまでにない、いきなりの発言に呆気に取られて言う。

「いや、なんとなく」

「……どうすんだよ、海原が出てきて。おまえ、コスプレすんのか」

 キノは石井よりも、海原が理解できなかった。


 放課後、下足箱に二人はいた。

「それじゃキノ、また後でね」

 マコは手を振る。

「一緒に帰らないの?」

「ダメ」

「マコ、今日冷たい」

 キノのテンションが下がリ通しだ。

「違うの。演劇部の先輩から呼ばれてるの。これから、打ち合わせと練習だって」

「じゃあ僕も」

「ダメ」

 ついてこようとするキノの、行く手を阻む。

「何でぇー?」

 キノは眉間に皺を寄せ、当惑した顔になった。

「そんな甘えた声出してもダメ。私は自分の与えられた課題を、やり通すの。キノにもあるでしょ、売り娘さんが」

「でも千秋だよ。これ以上どんな格好させられるか」

 口が尖る。

「私がどうかした!?」

「ちっ、千秋!」

 振り返ると千秋が、仁王立ちで立っていた。キノを手招きしている。

「こっ、こわい……」

「とにかく、キノちゃん」

「な、なによ」

 怯えた表情をしたが、千秋は感知していなかった。

「何を着るか、決めないと。時間ないから」

 彼女は腕組みして、鼻から息を吹きだした。

「何を着るって……」

「キノちゃん、聞いてなかった? 喫茶での衣装はコスプレよ!」

 キノは、指を差される。

「つまり、衣装祭りよ! こんな公で出来るなんて、最高」

「最高って…」

 当惑するキノを後目に、千秋は腕を引っ張った。

「ちょ、ちょっと、千秋」

 焦るキノが抵抗する。

「キノちゃんは、この喫茶の看板娘なんだから。可愛くしないとね」

 千秋は、ひとりごちした。

「看板娘?」

「そうそう」

 千秋はキノに迫る。キノは、隣にいるマコの腕にしがみつくが、彼女はその手を外しつつ言った。

「キノ、とにかく喫茶コーナーに関しては、千秋さんとうまくやって頂戴。海原くんもいるんだし」

「海原なんて」

 キノは面白くなさそうな顔だ。

「千秋さんは、裁縫が得意じゃない。だから色々とオリジナル服が作れるから、可愛い服を作ってもらってね」

 くすっと、マコは笑った。キノは千秋の顔を、まじまじと見た。

「千秋、今度はじょ、女装するのか!?」

「女装って、キノちゃんは女の子じゃない」

 千秋はキノの胸の先をちょんと突いて、お尻を触る。

「ひゃふ!」

「ほらほら」

 指先で突かれて顔を真っ赤にしているキノを、隣で海原は食い入る様に小さい目を見開いている。

「キノー!、頑張ってねぇー!」

 千秋がちょっかい出している間に、マコは演劇部の部室に向かっていた。

「おーい!」

 キノの声は、空しく消えていった。

「じゃ、行こうキノちゃん」

「何処に?」

「つべこべ言わずについてきて、海原くん、キノちゃん連れてきてね」

 体は嫌がるように、構える。

「お、押ス!」

「海原、やっぱりおまえも売り娘志望か?」


 そこは一見、お伽の町の店に迷い込んだように、独特な雰囲気が広がっていた。

「ちっ、千秋さん、ここはマジですか?」

 大きな体を極力小さくして、海原は小声で言う。額に汗が吹き出し、流れ落ちていた。

「やはり、実際を味わうのがいいかなと」

 あっけらかんと、彼女は返事する。

「実際すぎるよ、メイドカフェなんて。大体何でおまえ、会員証持ってるんだ?」

 声が上づっているキノも、緊張していた。中央のテーブルで、三人が座っている。

 周囲は何だか嬉しそうな顔をしたヲタ人が『ご主人様』と呼ばれていた。時折『チューチューサービス』とヲタ人に頼まれたメイドさんが、オレンジジュースをストローで吸っている。キノの空いた口も、閉じれない。

「軟弱者めが!」と言いたげな海原も、即売会に続き、またしても困惑の極地だ。そんな中、ふと海原は目の前にいる二人を見据えていた。状況を客観的に見れば、このテーブルはどこよりも凄い。

 メイド喫茶に、コスプレではない現役の女子高校生が制服姿で、厳ついスポーツ系の大男の目に前にいるのだ。一人はメガネっ娘で三つ編み、オタクの系には大ウケするようなに可愛い。更にもう一人は、容姿端麗、可愛いさと美しさを兼ね備えた超美人。これは周りから注目され過ぎていて当然だ。

「いかん、いかん。何を考えている」

 海原はひとりごちした。

「海原、メガネっ娘が可愛いって、千秋のこと?」

 キノと千秋の顔が近くにあり、二人の瞳が見据えている。

「むんっ!?」

 テーブルが上下に大きく揺れる。

 海原は妄想にふけると、口出してしまう癖だ。どこまで頭で思っていて、何処から口に出していたのか、本人は全くわからない。

「なっ、何でもないっス!」

 むっつりした顔の奥では、感じさせないが、目が泳いでいた。焦っていることが伺い知れる。

「あのテーブルの女の子たち、可愛いね」

「彼女たちはメイドさん?」

「なんだ、あのでっかい高校生?」

 海原の耳に幾度となく、この目の前の二人に驚嘆をする声が、聞こえてくる。

「ああ。囁かれすぎる…。目立過ぎだ二人とも。眩しすぎる」

 彼は昇天しそうな、恍惚した表情になりかけていた。

「で、どうするの?」

 キノが千秋に尋ねる。

「実はね、ここの衣装のデザインとサンプルは、私が作ったの」

「ええ! 千秋が!?」

 キノはマコが言っていたことを、思い出した。

「本当に洋服を作れるんだね。どう作るのか、なんて僕には見当もつかない」

「初期デザインは、自分で作ってみないと気が済まないんだよね」

 千秋はメイド服の彼女たちを見ながら、少し微笑んだ。

「ひょっとして、あのレイズ王子の制服も作ったの?」

「まあね」

「ちゃんと僕のサイズに合ってたね、あの制服」

 千秋はメガネをずれを修正して、キノを見る。

「キノちゃん、ちゃんと調べたじゃない、きちんと寸法をね」

「もっ、もしかして、それって屋上で抱きついた時?」

「ピンポン!」

「抱きつかなくても、そう言えば良かったのに。あっ、でも計らせたかどうかは知らないけどな」

 キノは慌てて口を尖らせた。

「うーん。でもキノちゃんには、一度触ってみたかったんだよね」

「それでも、キスは関係ないでしょ」

「あれは、衝動的」

 千秋は自分の唇に指を当てる。キノは赤面した。ふと、気が付いたように尋ねる。

「もしかして、マコも計った? 美少女戦士」

「そりゃ……、ん?」

 キノはテーブルから身を乗り出して、彼女を見つめていた。

「んー、秘密」

「千秋!」

 机を叩く。

「本当におもしろいね、キノちゃん」

「ふん」

 膨れ面して、そっぽを向く。

「大丈夫、襲ったりしてないから」

 千秋は笑う。海原は話が見えず、取りあえず鼻から血を流していた。

「しかし、あの原稿みたいな、BL系イメージとは違うな」

 内容はともかく、クリエイティブな面の千秋に少し、キノは感心する。

「キノちゃん、今回のコスプレ喫茶は、もう少し大胆にしなくちゃね。ふふふ」

 何故か軽く細笑んだ。


「やっぱり、千秋ちゃんじゃない」

 キノの背後から、声がした。少々だみ声だ。

「店長、お邪魔してます」

 千秋は挨拶する。

「あら、この屈強な体の男性は、千秋ちゃんのもう一人の彼氏?」

 親指を立てる、ダミ声店長。

「うっ!?」

 海原は、もう一度机をガタンと鳴らした。千秋もびっくりして慌てる。

「そっ、そんな店長、違いますよ。私には彼氏はいません、全く!」

「まあ、そんなに向きにならなくても」

 店長は微笑む。そして千秋の耳元で小声で囁く。

「……邦彦くんには、黙っているから」

「店長!」

 千秋がやりこめられて、焦っている姿があった。さすがにキノも愉快になり、ケタケタと笑う。しかし次の瞬間、店長はキノの存在に気づき、顔を見るなり声を上げた。

「まあ!! なんてこと!」

 急に両肩をつかまれ、引き寄せられる。

「なんて、あなた綺麗なの。美しいわ」

 なめ回すように見た後、店長は言った。

「はうっ?」

「千秋ちゃんのお友達?」

「今度の文化祭で、喫茶コーナーを一緒にやることになったんです」

「……ちょっと、あの、離して」

「千秋ちゃん、一度あの服、この娘に着てもらいましょう!」

「ええ!?」

 そう言うと店長は、キノを店の奥に連れ去った。

「だっ、大丈夫か?」

 海原が呆然と事になり行きを見て言う。

「取って、喰いはしないわ、多分…」

 千秋は、店の奥を見つめていた。

「……多分か」


「あの、先輩私は何をすればいいんですか?」

 マコは演劇部部長の相原に尋ねる。

「もう決めてあるんだ。だから君を選抜した」

「はあ…」

 マコは今一つ、合点が行かない顔で返事した。

 相原は三年生で、今年の文化祭が最後だ。毎年この時期には、演劇部の一大イベントの創作劇が催される。

 彼は背が高く、目鼻立ちも良く、顔もどちらかと言えば美形な、もてるタイプだ。キューティクル輝くサラサラヘアーを、片手でかきあげて言った。

「僕のお姫様に」

 マコの前に躓き、右手を差し出した。

「はい?」

 手が空を回る。

「私、演劇とかやったことないんですけど……」

「よいよい。学園祭程度だったら、なんとかなる」

 相原は手の持って行き場を失って、そのまま立ち上がった。

「はぁ、でも一応台詞とか。あるんですよね?」

「そりゃあ、ヒロインだし。無口のままという設定ではないよ」

 腰に手を当てて、立ち回る。

「やっぱり無理です」

 マコがきっぱり断ると、相原は勢い良く振り返った。

「そんなこと言わないで!」

 それまでの彼の端正な顔立ちが、崩れている。マコは後ずさりした。

「いっ、いや、大きな声を出してすまない」

 相原は乱れた髪を、手で整えながら言う。

「とにかく、出来ることと、出来ないことがあるので」

「わかった。でも私の相手役は、花宗院くん、君に決めているんだ」

 相原はマコの両手を、無理矢理取った。

「ちょ、ちょっと先輩、痛いです」

「ウホン!」

 マコの隣にいた男は、咳払いをした。

「花宗院くん、ひとつ聞いていいかい。君の隣にいる、目が光って野蛮そうな男子は誰だい?」

「私のクラスの委員長の如月くんです」

「ども、如月です」

 如月は深々と頭を下げた。

「君を呼んだ覚えはないが」

 相原は如月を睨み付ける。しかし彼には、そんな眼力など通用しない。

「同じクラスの花宗院の、付き添いです」

「あっ、そう。じゃあもう帰っていいよ」

 相原は手を軽く振って、向こうへ行けと追い払う。

 如月は頭を下げ、「それじゃ花宗院くん」と後ろを向いた。

「あの先輩! 如月くんと通学が同じ方向なので、いつも送ってもらってるんです」

 如月は立ち止まった。振り向くとマコが困った顔で微笑んだ。如月は一息吐いて、合図に応えた。

「ああ、そうだった」

 わざとらしい返事だ。

「ひょっとして君たち、付き合っているのか?」

 突拍子もない質問に、二人とも驚き、同時に首を横に振った。相原は疑い深い顔で、覗き込んでいた。

「まっ、まあ、君もいてもいいが、邪魔だけはするなよ」

「部長! まだ配役が決まっていないところがあるんですが、男性の彼にも協力してもらったら」

 女子部員が言った。

「どこ?」

 相原は配役を聞くと、ニヤリとした。

「如月くん、誠に申し訳ないんだが、ひと肌脱いでくれないか」

 さすがに如月は困った。演技など小学校の学芸会以来やったことはない。まして「ジャックと豆の木」の草役が最後だ。

「斬られ役だ。それぐらいやれるだろう」

 相原は言葉を捨てるように言った。

「この俺が斬られる?」

 如月の目付きが変わる。

「あっ、安心したまえ。立ち回りは彼女が教えてくれる」

「よろしく、如月くん」

「はあ…」

 浮かない顔で如月は返事した。

「さっ、花宗院くんは向こうで詳しい打ち合わせをしよう。後のことは、香川くんよろしく」

「はい」

 小柄な香川は答えた。

「じゃあ、如月くん、また後で」

 マコは小さく手を振って、如月と離れた。


「まあ、大変。こんなことってあるのね……」

 店長はため息混じりに、うっとりとした。

「衣装も素晴らしいし、千秋ちゃんのデザインは秀逸よ。それを着こなすことが出来るあなたも素敵。モデルの素材がいいわ!」

 驚嘆の声が上がる。いや絶賛だ。

「何? 美しい? 綺麗? いや、ワンダフル? いえ、ファンタスティック!」

「店長!、私もですぅ! 萌え過ぎます!」

 一緒に手伝っていた女子店員も両手を合わせて、恍惚としている。

「あっ、あの!」

 キノはまたしても理解不能な世界に、たまらなくなって叫んだ。

「私のご主人様になって!」

「じゃあ、わたしにも!」

 次々と休憩中の店員たちの手が上がる。そして「はぁー」と、深々なため息が漏れる。

「さあ、千秋ちゃんに見せて来てご覧なさい。あなたの華麗なる姿を」

「ええ!? 千秋に!?」

「その衣装、千秋ちゃんの一番のお気に入りだったの。さあ、早く!」

 店長がまたしても、ため息をついた。

「男装は、はっきり言って抵抗は無い。しかし、こんなキャラの格好は…」

 キノは着せ変えさせられて、初めて姿見鏡を見た。全身が写し出される。そこには紛れもなくキノがいた。 

 ピンク地のフワリとしたフレアのスカートにワンピース、襞を打つレースの前掛け。胸元には大きな赤いリボン。そんな日常ありえない衣装を纏い、細くスラリとした長身な胴体と脚は、流れるように地についていた。長く細い髪は丸くまとめられ、頭の上に束ねられている。おまけに頭には白いカチューシャつきだ。

「ああ……」

 複雑な思いが交差する。半分は何故だか嬉しい気持ち、半分は自分は女の子なんだという証拠を突きつけられた現実感。

「いや、僕なんだ。紛れもなくキノは女の子。こんなに可愛くて、綺麗…なんだ」


 本当にキノは美しいと思う。

 でも自分じゃない。


 鏡に写ったメイド姿を指で触ろうとして、キノは止めた。頭を振る。

「なっ、何やってるんだろう?」

 がっくりと肩を落としているキノに店長は、いきなり抱きついた。

「きゃあ!」

 離れようとするが、力が入らない。店長は耳元でそっと言った。

「あなた、自分に素直になりなさい」

「えっ?」

「そう素直に」

「素直に?」

「そう、どう見てもあなたは綺麗。この衣装が似合うのはあなたしかいない。そしてこれを認めてあげるのは千秋ちゃんを認めること」

「千秋を認める」

「去年、あの子、大事な人を失ったの」

「えっ?」

 キノは聞き返した。

「千秋ちゃん、メガネ掛けているでしょ。あれ伊達眼鏡。あの子、目は悪くないから」

「あのメガネ。外したくないって言ってた」

「彼氏だった子の形見らしいの。彼は、あの子を理解してくれる唯一の人だったのね」

 しばし沈黙の時間が流れる。

「その彼、病気で亡くなったの。千秋ちゃんは、ずっと付き添っていたらしいのね」

「彼の形見がメガネか……。僕はそれを無理に取ろうとしたのか」

 キノは自分がしたことを後悔した。

「千秋の過去、でも何故そんなことを、あなたが知っているんですか?」

「だって……」

「だって?」

 店長は先程よりも、もっときつく抱きしめた。

「……千秋は、私の娘よ」

「ええ!?」

「離婚したの私。あの子が幼い頃」

 ため息が漏れる。

「まさか、店長が母親って千秋は知らない?」

 返事はないが、頭が縦に動いた。

「どうして……」

 振り向こうとするが頭が動かせない。

「私が家を出てしまったの。わがままでね、若かったのね。今更名乗り出ることは出来ないわ」

 キノを抱いている手が、震えていた。

「千秋ともう二度と逢うまいと決めたのに、出来なかった。ここに店を出したのも、あの子の傍に、少しでもいたいからだった」

 室内の時計の秒針の音が、どこからか聞こえてくる。

「ウエブでお店のコスチュームの公募をしたのね」

「千秋のデザインがあった」

「そう。まさかと思ったけど、逢ってみて、すぐにわかった、千秋だと。言っとくけど、あの子だったから採用したわけではないわ」

「わかってます。たまたま千秋だったんでしょ」

 少し店長の腕の力が緩んだ。

「そう、あの子の将来を手伝いたいと思った」

 キノは王子の衣装と、BLマンガが浮かぶ。

「私、あの子を見守っていたいの」

「千秋を見守る」

「彼女の夢を信じる。それくらいしか私には出来ないから」

「羨ましい。千秋には、遠くからでも信じてくれる人がいる……」

 キノの言葉が詰った。

「なに?」

「……いないんです」

「えっ?」

「僕の両親はふたりとも……、交通事故で死んじゃった」

「……そうなの。ごめんなさい。わたし、自分の事ばかり言って」

 力なさげにキノは、愛想笑いする。

「あの。もう離して下さい……」

 店長はゆっくりと離れた。彼女は何か声を掛けようとするが、出ない。キノは唇を真一文字に締めた。

「キノちゃん」

 店長はキノの顔を見る。目頭に光があった。

「泣いたの?」

 キノは何も言わず、店長に頭を付ける。彼女はキノの頭を優しく撫でた。

「キノちゃん、あなたも大事な人を無くしているのね。いつでもここに来ていいから。千秋と一緒じゃなくても」

 ゆっくり離れ、深呼吸をして、真っ直ぐに店長を見る。背筋を伸ばすと、キノは凛々しくなる。

「千秋を守っていくんだね」

「そう、私は決めてる。あの子が昔の思い出から抜け出すまで」

「じゃあ、僕も千秋を守るよ」

「千秋と仲良くしてね」

 店長は微笑む。

「千秋は、僕の仲間ですから」

 勢いよく、キノは控え室から店内へ出た。


「千秋!」

 中央のテーブルの千秋がキノに気づいた。店内の者も一斉に振り向く。皆が目を見張った。

「キノちゃん!」

 千秋が立ち上がると、一瞬、店内が凍り付いたように何もかもが停止する。「チューチュー」のストローや食べかけのサンドイッチ、海原のイチゴパフェのスプーンが落ち、全員の目がキノに集中した。

「おまえを僕も守ってやる! だからこれを着る!」

「キノちゃんがそれを!?」

 千秋はテーブルから身を乗り出す。海原のパフェが倒れた。

「千秋ちゃん、やっぱりあれは、キノちゃんが一番似合う」

 店長が奥から出てきた。

「千秋、僕に着させてくれ」

「いやよ!」

 千秋はきっぱりと断った。

「ええ!?」

 勢いをそがれるキノ。店内の視線が今度は千秋に集まる。

「千秋さん! なんてこと! キノさんの気持ちがわからないんですか!」

 そう言って、顔を赤くした海原も立ち上がる。頭上のテーブル照明に頭をぶつけた。男の想像以上の体格と大きさに、周囲が驚く。椅子から転げ落ちるものもいた。

「違うわ! キノちゃんには、もっと最高の服を着せてあげたいの!」

 千秋はキノを指さす。海原は息を飲んだ。振り子時計の音だけが鮮明に聞こえる。千秋は両腕を腰に当て、微笑んだ。

「おまえに、任せるよ」

 キノは、口元を締める。

『萌えぇぇー!!』

 客やメイドを含め、全員が萌えたようだった。

『キノちゃん、萌えすぎるぅー!』

「あうぅ!」

 キノはあまりの歓声に我に返り、顔を赤くして、その衣装に恥ずかしくなる。

「ウブねぇ。やっぱ、そうなるでしょ。綺麗で可愛いんだから」

 店長は笑った。店内はキノと千秋の『萌えモード』で包まれる。海原は鼻血を流し、床にひっくり返っていた。


「で、どう斬られるんだ?」

 如月は香川由美に言った。小柄な香川は同学年で、隣のクラスである。

「そんな大層な役でもないので、適当でいいよ」

「適当と言われても、演劇などやったことはないからな」

 如月は、小学校時代にやった「ジャックと豆の木」を思い出していた。段ボールで作られた緑色の草を、何度も何度も振らされた記憶しかない。

「如月くん、最近、花宗院さんや鈴美麗さんと、よく一緒にいるよね」

 香川は、倉庫から剣を出してきて、それを何回か振り回す。

「まあ、な」

 如月は、剣先の化粧紙が剥がれた、出来の悪い剣を受け取った。剣先を少し直し、じっと目を閉じる。

「何故そんなことを聞く?」

 ひと振りする。鋭い音が空を斬った。その空気は香川の髪を揺らす。

「あの二人、目立つから。特に鈴美麗さんは」

「そうだな。鈴美麗は目立つ」

「もしかして、気になってる人?」

 彼女はじっと如月を見つめる。

「武道を志す、ひとりとして尊敬している。自分の信念を持っている人だ」

 もうひと振りした。シュと音とともに、ガラス窓がビリビリ鳴る。

「武道?」

「そう。あいつは、いつも真剣だ。何事にも真正面から受ける」

 剣先に如月の視線が、微動だにしない。

「ふーん。花宗院さんは?」

 香川は椅子に座り、机に頬杖を付く。彼を見つめる目が何かを見つけている。

「花宗院か。彼女も心の強い、しっかりした人だ。鈴美麗をサポートして、信頼している。二人とも幼なじみだそうだ」

「ふーん」

「じゃあ、本田千秋さんは?」

 剣を振っていた手が止まった。

「千秋は……、千秋は、いい奴だ」

「でも女の子のオタクって言うか、腐女子でしょ、本田さん」

 如月は、香川を見る。

「おかしいか?」

「うーん。ちょっと、理解できない」

「かもな。あいつの世界は、俺にも理解できんところもある。けど……」

「本田さんは、気になる人なの?」

 香川は、如月の話を遮る。

「おい。一体の話なんだ? 聞きたいことがあるなら、さっさと聞けよ」

 如月は少し苛ついた調子で言った。

「そう。言っていい?」

「だから、なんだ?」

「私、如月くんのことが好きなの」

 振っていた剣が手から離れて、飛んでいく。窓に当たった。

「はあ?」

「だから、そう言うこと」

 香川は剣を拾った。如月に近づく。

「今日、合ったばかりだぞ」

「あなたはね。私は一年の時から、ずっと見てたわ」

「いきなりそう言われても、俺は全く君のことを知らない」

 困った顔になった。香川は如月を見据える。彼女は、飛んでいった剣を渡そうとした。

「これから、知ってよ、私のこと」

 いきなり、香川は如月の懐に入り込んだ。

「おっ、おい!」

「もっと、知りたいの。如月くんのこと」

 如月は、香川を押し退ける。

「香川、いい加減にしろ!」

「私、本田さんには負けなから」


 ドアが開く。

「今日はここまでにしよう、明日演技指導だ」

 相原は手を叩いた。

「どうかしたか、君たち?」

 その場の雰囲気を察して、相原は言う。

「先輩、その顔どうしたんですか?」

 香川は逆に尋ねる。頬が赤く、鼻にティッシュの詰め物があった。

「いやぁー、そこで転んじゃってね。ははは」

「そうですよ、先輩。気を付けて下さいね。じゃ、これで失礼します」

 マコはドアを開けて部室を出た。慌てて如月もついていく。

「如月くん……」

 香川は呟いた。


 マコは下足箱まで、無我夢中で早歩きしてきた。

「おい、どうしたんだ」

「だってあの先輩、稽古だって言って、あんまり体に触るもんだから平手したの。それに真剣に教えている感じでもないし」

「なるほど、道理でな。平手だけじゃないだろ。もうやめるのか?」

「最後までやるわ。キノに申し訳ないし」

 困った顔をしていたが、少し笑った。

「何かあった?」

「はっ?」

「香川さんと、あの部屋で」

「べっ、別に……」

 マコは如月の顔を見るが、素知らぬ顔をする。

「まあ、いいけど」

 もう一度如月の顔を見るマコ。

「千秋ちゃん、泣かしちゃダメだよ」

「なっ、何を言い出すんだよ、花宗院!」

 マコはじっと、如月を見つめる。

「ははは、大丈夫だって」


「でも、もう! 男ってどうしてああなのよ!」

 マコは再び思い出して、怒っていた。

 正面の登校門に差し掛かる。

「マコ!」

 正門の傍から、飛び出した者がマコに抱きついた。

「きゃあ!」

 キノだ。

「マコ、やっぱ、女ってのも大変だな!」

「もう! 男って生き物は!」

 キノも平手を喰らった。目が点になる。

「何? どうして?」

 涙目のキノが、頬を押さえながら呟いた。

「知らない!」

 キノの顔も見ずに、唇を尖らせて歩いていく。

「鈴美麗……。タイミングが悪かったな」

「はっ? 如月、おまえマコに変なことしたのか?」

 如月は堪えながら、苦笑をした。



 学園祭前日、放課後。

 毎夜遅くまで準備に追われている『コスプレ喫茶』チームは、眠い目をこすっていた。

「さあ! いよいよ明日ですよ!」

「なんで本田はいつも元気なんだ?」

 装飾係りの男子はぼやく。

 もともと朝が弱いキノは、連日の朝からの用意に、疲労の色を隠せなかった。そのため、ついつい椅子で熟睡していた。

「キノちゃん!!」

 千秋は椅子を蹴った。

「なっ、なんだ?!」

 ひっくり返って、キノは目が覚める。

「いくらキノちゃんだって、優遇なんかしないからね。みんな頑張ってるんだから!」

「はいはい、わかってます、わかってますよ」

 スカートの埃を払いながら、キノは聞きあきた台詞を流していた。

「海原くん、あなたもよ! 部活終わったらすぐに駆けつけて!」

「押ス!」

 海原は敬礼した。


 明日に向けて、装飾が教室に張り巡らされる。なかなかの華やかになっていた。

「おまえ、明日何のコスチュームにするんだ?」

 野田は、装飾用の端切れを切りながら、藤尾に言った。

「コスプレって、おまえもするのかよ」

「当たり前だろ! 俺はそれが楽しみだ」

 野田は自信有りげに言った。

「そんな趣味あったのか……」

 藤尾はぼやく。そんな中、キノは不器用に裁縫していた。何故か下地まで縫いつけて、千秋に叱られている。

「それにしても、鈴美麗はどんな格好になるんだ?」

 藤尾はじっとキノを見る。遠くからでも華やかさは人一倍ある。

「メイドさんじゃねえの? あいつ、やっぱ可愛いし、スタイルいい。個人的には、かなり期待する」

 野田は凝視する。

「『萌え』だよな、ははは。でもさ、鈴美麗って彼氏いたりとかするのかな?」

「普通はいると思うけど、前に石井がフラれた噂していたよな」

「あれ、ホントかな?」

「そうだな。うーん」

 藤尾は唸った。

「わからない。いるような雰囲気ないな。花宗院といつも一緒だし」

「ホント、いつもだ。トイレぐらいか、別なの」

 二人とも笑う。

「なに二人とも、キノちゃん見て、変な笑いしてるのよ」

「なんだ、石井か」

「なんだじゃないでしょ、失礼ね」

 二人と並んで、石井は座り込む。

「なあ、石井、おまえ、鈴美麗がフラれたっていう噂を聞いたって言ってたよな」

 野田は尋ねた。

「あっ、あれねぇ」

「ほんとのとこ、どうなんだよ? マジか?」

 今度は藤井だ。

「……詳しくは知らないわよ。あくまでも噂だから」

「噂ということは、そうじゃないこともあるんだな」

「まさか、あんた達。キノちゃんにちょっかい出す気? 出したらダメよ!」

「なぜ、石井がそんなこというんだよ」

 野田も応戦する。

「えっ、ほっ、ほら! この喫茶の看板娘だから、ね」

 頬を赤らめながら、石井は取り繕った。

「キノちゃーん!」

 遠くで千秋がキノを呼び止めていた。

「石井ー!、おーい、服チェックだってー!」

 キノは手を振りながら、石井を呼ぶ。

「はっ、はーい」

「石井、普段より何か、嬉しそうだな」

 藤井は指摘する。

「べっ、別に。お仕事よ。お仕事」

 そう言うと、急いで石井はキノのもとに駆けていった。

「いいなぁ」

 野田と藤井の二人は声を揃えて呟いた。


「まずまずだ、花宗院くん。結構上手くなったよ。まあ、明日はうまく出来そうだ。今日はここまでにしょう」

 相原はマコの肩を、ポンと叩いて言った。

「先輩のご指導の賜物です」

 マコは、皮肉を込めて答えた。

「やっぱり、気づいた」

 相原は気づいていなかった。満足気に歩いていく。

「はあー」

 マコはため息をつく。

「キノは、どうしているのかなぁ」

「花宗院」

「如月くん。どお、そっちは?」

 野武士のような格好の如月は、似合っているのかどうか、判断つかないような感じだった。

「うん。台詞何ぞないからな、気楽だ。剣振って倒れるだけ」

「けど、実際みんなが見ている前で演技するのよ」

「おい、脅かすなよ」

「実際講堂だし、そうだよ。私なんかそれ考えただけで緊張しちゃう」

 マコは不安そうな顔になる。

「そうかぁ、緊張するな。うん」

 彼は腕組みして頷いた。そして、二人してため息をつく。

「最近、千秋ちゃん遅くまで、頑張っているらしいね」

「そうみたいだな」

 素っ気なく如月は答える。

「何か話してる?」

「別に。こっちも何かと忙しいからな」

「ダメよ、しっかり話さないと」

 マコは彼の横顔を見た。

「だって、あいつの方からも連絡してこないし……」

「また自分勝手に考えてない?」

 如月は顔を背ける。

「忙しくても、声だけでもいいんだからね」

「花宗院さん」

 マコは振り向く。

「如月くんは生徒会との忙しい中、無理して演劇部に来てもらっているから、余計な事を考えさせないでくれる」

 香川はマコを睨んでいる。

「香川さん、余計な事って……」

「勘違いしないで、私は中途半端な形ではやってもらいたくないだけ」

「ごめん、そんなつもりじゃないんだけど」

 マコは香川に謝った。

「いや、すまん。花宗院は悪くない」

「香川さん、如月くんと千秋さんは」

「本田さんが、演劇とどう関係するのよ」

 香川とマコは向き直った。

「演劇とかじゃなくて」

「ちょっと、花宗院さん! 今は明日のこと考えてよ!」

「おい!」

 二人を止める。

「花宗院、俺の問題だから」

 如月はそう言うと、部屋から出ていった。


「みなさん、明日のメイドさん達です!」

「おおっ!」

 装飾していた、藤尾と野田は叫んだ。

「早く、キノちゃん! こっち!」

 千秋は教室にキノを手招きする。

「千秋! ちょっと、この格好は……、なあ石井」

 廊下で立ち止まっていたキノは、顔を赤らめながらはにかんだ。

「いやぁ、もう! いいよキノちゃん、似合いすぎ!」

「おっ、おまえ、本気で言ってるのか? おまえも一緒の格好なんだぞ」

 キノと同じ格好をしている石井は、自分の姿を見た。ちょっと考えて笑う。

 赤いワンピース。レース地の装飾が胸から肩までを華やかにし、喉元の大きなリボンが強調されている。赤い革靴に、膝上までの白いストッキング。キノは長い髪を左右に分けて束ねて、赤い色の帯で縛っている。頭の上は、宝飾されたティアラでまとめられていた。

「まっ、いいんじゃない? こんなこと一度だけだし、キノちゃんいるし」

「おまえは一度だからいいよ、僕は毎日制服コスプレだ」

 キノは肩を落として観念した。

「睦!」

 山本が声を掛けて、走ってくる。

「こんなになったのね、コスプレ。意外と可愛いね」

「何かさぁ、生まれ変わったみたい」

「確かに、現実離れしているよね。これって、オタクが言う『萌え』なの?」

「いや! 私、なんだか『鈴美麗キノ』になってるみたいなの!」

「睦、あなた大丈夫? 何か壊れてない?」

 山本は呆れた。

「僕になるのはやめろ、石井」

 腕組みしてキノは、迷惑そうに言った。山本は振り向く。

「やっぱり素敵だわ。そんな格好も似合うね、鈴美麗さん」

 さすがに彼女も感心してしまった。

「きっ、キノさん……、さすがです」

 海原の小さい目が、丸く見開いている。

「海原! キノちゃんに触っちゃダメだからね!」

 腰に手を当てて、石井は海原に注意した。

「おおい、何で石井がそんなこと言うんだよ」

「うっ!」

 海原の動きが止まった。

「どうしたのよ、海原」

「石井さん、可愛いです」

「えっ?」

 石井は海原の言葉に、勢いがなくなる。

「睦、海原くんが、可愛いってよ!」

 山本ははやし立てる。

「そっ、その。……耳ピョコは、……いいです」

「耳ピョコ?」

 キノは石井を見た。肩までの髪から耳の先が少しだけ出ている。

「これ?」

 石井の耳先を指さす。

「ちょ、ちょっと! 何言っての海原! 変態!」

 顔が赤くなる。

「ねえ、キノちゃん、何してるのよ」

 千秋がしびれを切らしてやってきた。

「へぇー。こんなの?」

 キノは千秋の髪を押さえて、耳ピョコする。

「おおう!」

「それがツボなんだ。ほれ!」

 キノも自分で耳ピョコした。

「う!」

 みんな笑う。海原は周りを、耳ピョコ隊に囲まれた。

「おい、千秋、話があるんだけど……」

 如月が声を掛ける。

「ばう!」

 海原は案の定、ひっくり返った。キノは如月の背後にいた。

「ほほう、男の耳ピョコも意外と効くのか」

「何してんだ、鈴美麗」

 耳ピョコのまま、振り向く。

「べっ、別に」

「キノちゃん! まじめにやってよ!」

 千秋は怒鳴った。

「はい、はい」

 キノは教室に入った。声援が飛び交っている。

「演劇と生徒会、忙しそうね」

 千秋は尋ねる。

「まあ、な」

 如月は彼女を見た。メガネから瞳だけが見ていた。

「何、話って?」

「いや、もういいよ」

 如月は歩き出す。

「変なの?」

 千秋は教室に戻るために、向きを返る。

「千秋!」

 彼女は振り向いた。メガネのズレを直す。

「お互い、頑張ろうな」

「う、うん」

「千秋ー! ここどうすんのー!」

 走って、千秋は教室に戻っていった。


10

 文化祭は、実にショッキングな出来事から始まった。『コスプレ喫茶』教室には準備に来た千秋と、数人のクラスメイトがいる。

「ひでぇ」

 藤尾は思わず声を漏らした。

「どうしたんだよ、これ……」

「何故、こんなことに」

 野田も呟く。千秋は、呆然と立ち尽くしていた。キノが廊下を走ってくる。

「千秋!」

 キノは教室に入るや否や、絶句した。

 教室内は辺り一面、紙屑や装飾した布や紙が引きちぎられて、散乱していた。昨日、皆が一生懸命に作ったものだ。整然と並べてあった机も傾いたり、倒されたりしている。

「一体、どうなってる!?」

 キノは顔を左右に振りながら、状況を確認した。

「……ちっ、千秋さん」

 石井が震えながら、声を掛ける。

「こっ、これ」

 千秋とキノは、彼女が大事そうに持っているものを見た。ぼろぼろに引き裂かれた、赤色の布。

「……それって」

 形さえもなくなっているが、キノは想像出来る。昨日、耳ピョコで試着していた衣装だ。

「そんな……」

「おい、マジかよ! 衣装ぼろぼろじゃんか!」

 野田は思わず叫んだ。

「ひどい……」

 千秋は全身の力が抜け落ちたように、膝折れした。つかさずキノは、体を支える。

「千秋! おい、千秋! しっかりしろ!」

「千秋さん!」

 石井も叫ぶ。皆が取り囲んだ。

 海原は、朝練を終えて、教室にたどり着いた。ただならぬ雰囲気に、圧倒される。

「なっ、何かあったんスか?」

「朝来たら、この有り様で……」

 石井は指さした。

「千秋さんが、倒れちゃったの!」

 彼女はどうしようもなく、涙目になっている。海原は目を見張った。

「むう!」

 キノが千秋を抱き止めている。

「石井! 千秋を保健室へ連れていって! 海原、加勢しろ! 片づけるよ! みんなも手伝って! 早く!」

 キノは叫んだ。

「もう、時間に間に合わないよぉ」

 石井は泣きじゃくっている。

「最後まで諦めてはダメです。千秋さんを頼みます。さあ、行って」

 海原は小さい目を見据えて、彼女を諭した。

「海原……」

 大きな体を真っ直ぐにし、口を真一文字に構えて直立する。太い腕が拳を作った。

「あなたたちを、守ります」


11

「おい! 『コスプレ喫茶』は中止だって!」

「えーなんでぇ?」

 その声は、演劇部まで届いてきた。

 丁度、リハーサル中だった。演劇部の講演は午前午後の二講演ある。

「コスプレは無くなったそうだ」

 相原は呟いた。マコはいても立ってもいられなくなった。

「先輩! 私ちょっと……」

「ダメだよ!」

 相原はマコを止める。

「でっ、でも」

「花宗院くん、君が行ったところで、何が出来る。君が心配するのはわかるが、彼ら自身ががやるしかないんだ」

「それでも……」

「やめとけ。君はこの演劇部もダメにしてしまうつもりか? 今君が抜けたら、誰もフォローできない。公演は中止するしかない。それでも行くのか?」

 相原は真剣な顔で言う。この男もこれに懸けているのだ。

「わっ、わかりました……、すみません」

 マコは頭を垂れた。如月が寄って来る。

「大丈夫だ。千秋と鈴美麗がなんとかするさ。海原もいる」

 ポンとマコの肩を叩いて行った。

「如月くん……」

「大変そうね、千秋さんとこ」

 香川がすぐそばで言う。マコは振り返った。一息つく。

「相原先輩の言う通りだわ。私が行っても邪魔になるだけ。今向こうでは、立て直しをしているはずだわ」

 マコは呟いた。

「随分、お気楽ね」

「何があったかは知らないけど、キノがいるから」

「本当に脳天気な人ねぇ。もう少し賢いかと思ってた」

 マコは、香川を凝視する。

「一体なんなの、香川さん。さっきから」

「別に」

 香川は、用意に舞台の奥に引っ込んで行った。


12

「大丈夫?」

 千秋は保健室のベッド上で気がついた。声を掛けたのは山本だった。

「ここは……」

 山本を千秋は見て、周囲を伺う。

「保健室よ」

「私、一体?」

「倒れたの、教室で」

 千秋は思い出して、はっとした。掛け布団を払いのけて起き上がる。

「どうなったの!?」

 山本は千秋の両肩を支えて、微笑む。

「安心して、本田さん」

 まだ不安気な千秋の顔を彼女は確認した。

「復活したわよ、コスプレ喫茶」

「本当に!」

「うん。鈴美麗さんや石井、海原くんたち、みんな頑張った」

「衣装は!? めちゃくちゃだった! あれがないとダメよ」

 また一気に嬉しさが冷める。

「鈴美麗さんが、店長さんという人に頼んで持ってきてもらってたよ、衣装」

「キノちゃん! 店長も!」

 千秋の顔が明るくなる。

「でも、誰、店長さんって?」

「行く! 私も行く!」

 ベッドから降りて、靴を履き出した。

「瀬野先生、いいですか?」

「あー、はいはい。もう元気だから、いいよ。私も後から行くから、コーヒーよろしくね」

 白衣姿の瀬野は振り向かずに、右手を上げる。

「はい!」

 千秋は大きく返事して、山本と出ていった。


「いいか、わかってるね君たち」

 相原は念を押すように、後輩に言った。

「わかっています、先輩」

 二人の演劇部の後輩たちは頷いた。

「歴代、我が演劇部の部長には、彼女がいない! 例に漏れず、私もだ。何故だ?」

「それは、忙しいから?」

「才能がないから?」

「美しくないから?」

「もしかして、頭が悪いから?」

「君たち、この私に喧嘩を売っているのか」

 相原の口元が引き吊っている。後輩は後ずさりした。

「午後からの公演では、午前中の物語に加え、愛する姫様を助けるために、悪漢と何度も戦い、傷つきそして救う王子をもっと演出したい」

「部長、それはプラン2を実行ですね」

「そういうことだ」

「でも、花宗院先輩は知ってるんですか?」

「彼女が知る必要はない」

 断言する相原。

「知ってもらったら、意味がない」

「でも、うまくいきますか」

「それは、君たち次第だ。私の高校生最後の演劇活動の集大成として、成功させたい」

 二人は顔を見合わせて、ゴクリと唾を飲む。

「いずれにしても、後半のストーリーの変更と名司会を期待する」

「はい」

「私に花を持たせてくれ。このラストチャンスに!」

 相原は人差し指を立てて、叫ぶ。白装束の王子姿の彼は笑った。

「来年の部長って誰だっけ?」

「さあ」

「俺ら、早いとこ彼女作らないと、やばいぜ」

「この部のジンクスだな」

 王子の後ろで、二人は先を思いやる発言をした。


13

 『コスプレ喫茶』は大繁盛していた。物珍しさやその手の好きな者、本物の人たちなどが、来店していた。

「やっぱ、可愛いね、あの衣装」

「俺、もっとタクっぽいって思っていたけど、意外といいじゃん」

「鈴美麗先輩、やっぱり綺麗!」

「あのやくざみたいな、大男、誰?」

「ピンク色の人は、美人だねぇ」

「男子は、全然目立たんな」

 教室から出てきた人が、色々と批評している。

 千秋が教室を覗くと、キノが右往左往していた。

「キノちゃん! こっち、こっち! 違うよ、向こうの人!」

 石井が叫んでいる。

「あわわわ」

 愛想を振りまくどころか、眉間にしわが寄っていた。石井はなんだか楽しそうにやっている。

「キノちゃん、いらいらしてるね」

 千秋は言った。

「でも、みんな凄いよ。私、睦がこれをやるって言ったとき、信じられなかった」

 山本は呟く。

「あの子とは、一年の時から一緒だったけど、こんなに生き生きとした顔は久しぶりに見た。なんかそれまで、惰性的にやっていたことが多かった。いつも人の噂や悪口を言うことで、発散していたんだと思う」

 山本はため息をついた。

「でも、鈴美麗さんと花宗院さんが転校してきてからは、違ってきた」

「そうね」

 千秋は頷いて、じっとキノを見つめる。

「特に鈴美麗さんは、人を引きつける魅力がある」

「キノちゃん、真っ直ぐなの」

 室内のキノは相変わらず、不慣れな手付きで飲物を一生懸命運んでいた。

「私も変わった。私ってオタクでしょ」

「あっ、あの、本田さん。その、私たちあなたに色々嫌なこと、言ってきた……」

 千秋は山本の方を振り向いて、微笑む。

「いいの。みんなを責めるなんて気持ちはない。私もそれはそれで、自分から打ちとけることなんて考えもしなかった。自分の世界だけあればいいと思ってた」

 もう一度、彼女はキノを見た。お盆をひっくり返している。自分に付いた水滴など気にも止めずに、せっせと相手の世話をしていた。石井がフォローに入る。

「でも、私、それが何でもないことだと知ったの」

「……」

「彼女は全然、臆していないの。私を認めてくれてる。あの服を着てくれている。キノちゃんね、言ったの」

 千秋は両手を握った。

「『千秋を守ってやる』って」

「本田さん……、私」

 山本は、千秋の横で、唇を噛む。

「私、そんなに強くなれないかも」

「いいえ、みんな同じ。キノちゃんだって一緒。色々迷っている。ただ、自分の信じている事や想っている人のために、自分を動かすことが出来るかどうかなのかもね」

 千秋は更に、握りしめた。

「それが、あの子の強さよ」

 背後からダミ声がした。驚いて二人は振り向く。

「そう、思う」

「店長」

 千秋は、その暖かい目を見つめた。

「あの子だけじゃない。二人とも、いい仲間がいるわ。信じてくれる仲間がね」

「うん」

 キノは店長と千秋達を見つけた。急いで駆けつける。

「千秋!」

「キノちゃん!」

 千秋はキノに飛びつく。

「こっ、こら、千秋! 何する?」

「……キノちゃん、ありがとう。キノちゃん」

「いいよ、そんなこと」

 キノは照れくさそうに言う。顔が赤い。

「もう! 二人とも可愛いんだから!」

 店長も二人に抱きつく。

「てっ、店長!?」

「でも、どうして店長が」

 千秋は尋ねた。

「だって……」

 店長は口ごもる。

「僕ら、店長の大事な娘だから」

 キノは頬を染めた。

「キノちゃん……」

「大事な娘?」

 今度はキノに聞き返す。

「そう、僕たちは店長の娘。だからママに、助けてって、泣いて頼んだ」

「まあ、ママだなんて、この子たち」

 店長ははにかみ、もっと抱きしめる。

「このデザインは、もともと千秋のだったし」

 キノは店長を見た。キノはウィンクする。

「山本、はい」

 キノは頭のティアラを取って、山本の頭につける。

「なっ、何?」

 山本は訳がわからず、聞き返した。

「いいだろ、それ。おまえも可愛いぞ」

「ええっ?」

「手伝ってくれるだろ」

 キノは山本を見つめる。彼女の顔が赤らんだ。

「うっ、うん」

「石井ー! 山本も手伝うってー!」

 キノは手を振って、石井を呼ぶ。

「何? 本当?」

 彼女はにこやかに返事して、海原を呼び止めた。キノは山本の背中を押す。

「後頼むよ、山本。僕はマコの演劇を、見に行きたいから」

「わかった。頑張る。行ってきて」

 山本は走って教室の中に、入っていった。

「千秋、演劇へ行くよ」

「ゆっくり見て来てね」

 千秋は手を振る。

「おまえも行くんだよ」

「えっ? 何故?」

「ばか、如月が出てるんだろ」

「でも、ここが……」

「大丈夫。ほらあいつ頑張ってるから」

 海原が中央で構えながら、指揮を取っている。

「案外あいつ、こうゆうの向きかも。それに」

 石井が何かと海原に、声を掛けている。

「二人ともなんだか、いい感じなんだ。石井も毛嫌いしているわけではなく、頼っているみたいなんだ」

「あれあれ」

 千秋はクスッと笑い、店長に向き直った。

「店長、ご迷惑掛けてすみません」

「何言ってるのよ、愛する娘のためにしたことよ」

「ありがとうございます」

「行くよ、千秋」

 キノは走り出す。

「千秋ちゃん」

 千秋もキノの後を追いかけようとした時、店長は呼び止めた。

「キノちゃんを大切にね、あの子本当にいい子よ。それと邦彦くんも」

 メガネのズレを直して一礼し、彼女は去っていく。

「本当に、可愛い娘」


14

 演劇部のその物語は、平和な国の披露宴の席で、愛する姫様を連れさらわれたその王子が、敵対する国へ探しに行くというアドベンチャーもの。その間に様々な出来事が起こり、やがて仲間が増えていき、最終的にはボスキャラと戦うというネタだった。姫を演じるのは、もちろん花宗院真琴、そして主役は、相原だ。

 キノたちが講堂には入った時、すでに後半の幕が上がっていた。舞台にはマコが立ち、台詞を言っている。

「わたしの大切な人たちを返して下さい!」

「ならん! しかし、おまえが、わしの要求を飲むなら許してやってもよい」

 悪役のボスキャラは言い放った。

「わたしで出来ることなら何でもします! ですからお願いです!」

 マコは両手を合わせて懇願する。会場が緊張に包まれていた。席に座るや否や、言葉を飲み込む。

「マコさん、凄い。迫真の演技だわ」

「うっ、うん」

 キノもマコの演技に圧倒された。

「姫! この魔物の言うことを聴いてはいけません! あなたの心を惑わせているだけです! どうか、早く、逃げてください!」

 捕われの主人公とその仲間達は、叫ぶ。

「どうか、お願い」

 マコが躓いた。

「よおし、それではわしの要求は、おまえだ。わしの后になれば、そのもの達を解放しよう。どうだ出来るか。は、は、は」

 少しの間の後、頭を垂れる。

「仕方ありません。でも必ず、私の大切な者達は返して下さい」

「よかろう」

 三人の手下達が、姫の剣を持ち上げ、捕まえた。マコは三人と共に歩いていく。

「あっ、如月くん」

 千秋が小さな声を上げる。

「なんだ、あいつ悪役か」

 ぼそりとキノは呟いた。

「だって、台詞無いって言ってたよ」

 二人は顔を見合わせて、クスっと笑う。

「きっと、君を助ける! この剣に誓って!」

 解放された相原は叫んだ。

「ケイル! 待っている! 待っているわ!」

「おまえらごときに、やられるわしではないわ!」

 照明が落ち、舞台の雰囲気が変わる。

「さあ! 姫を返してもらう! 我と戦えよ!」

「何をしに来た。もうとっくに全ては終わったのだ」

「違う! 姫の気持ちは我と共にある!」

「笑わせる。腰抜けは引っ込んでいろ。わしと姫との宴を見物でもしておれ!」

 物語はクライマックスへ進んでいく。

「何を!」

「姫よ、あの者に何か言ってやれ」

「はい。もう、私は王子は愛しておりません。おまえたち、王子をやってしまいなさい」

 操られの身のマコは命令した。再び如月たち手下が出てきて、短い剣を振り回す。王子の仲間は、次々と倒れてしまった。相原と如月の一騎打ちになる。

「おまえの相手は、私で十分だ」

 如月が言った。

「台詞あった!」

 ちらりと如月は観客席に目をやる。千秋の存在を知らせるために、キノが手を振った。

 次の瞬間、もの凄い空気を切り裂く音が鳴る。段幕が揺れた。驚いた表情の相原が後ず去りする。如月は、相原よりも姿勢良く直立だ。如月の眼孔が相原を捉えていた。じりじりと間合いを詰める。王子は逃げ腰なってしまった。

「そっ、その者も、この剣にて、倒す!」

 相原は合図のように、剣を振り上げる。

「あいつ、本気になっているぞ」

「えっ?」

 千秋は振り向くて、キノはにんまりとしていた。

「このこの!」

 二人は剣を交差させながら、やり合う。

「こっ、こら! 早く倒れろ!」

 台本通りいかないことに相原は焦った。次第に剣先がぼろぼろになっていく。如月の耳には入っていないようだ。

「やれー! 王子倒せー!」

 なかなかやられない手下に、観客席からは何故か声援が飛び交う。

「如月くーん! 倒してー!」

「相原王子ガンバってー!」

「バカ! おまえが倒れないと話が進まないぞ! 何やってんだ!」

 我に返った如月が、ほとんど形を残していない剣で倒された。相原は肩で激しく息をしながら立っている。かなりの汗が流れていた。

「さすがだ王子。しかし、今度はこいつが相手だ」

 姫がさっそうと出てくる。

「マコさん、凛々しい!」

「舞台を見ていると、なんだか違うマコみたい」

 王子と姫にスポットライトが当たる。

 苦悩する王子。姫は剣を構え、王子に向ける。

「さあ、姫。王子と戦うのだ」

 二人は向き合ったまま、動かない。

 観客席が静かになる。キノと千秋も目が釘付けだ。

「姫、そなたと交えることは出来ない」

「そうだろうな。しかし、姫はそうではない」

 彼女は走り出す。王子へ向かって、刃を突き刺した。王子は交わしたが、腕を切りつけられる。

「姫! 私です! 目を醒まして下さい! 姫!」

 もう一度、姫は突進した。今度は足を突かれる。その場で片膝立ちになった。

「姫よ、とどめを差すのだ!」

 姫は剣を両手で振り上げる。

「姫! 私との愛は忘れたのか!」

 振り上げたその手が止まった。二人は見つめ合う。

「殺せ! 王子を倒すのだ! 姫!」

 二人の言葉の間で、動きが止まった。だが、魔力の力には勝てない。剣を振り降ろす。

「姫!」

 その振り降ろされた剣は、王子が掴んでいた。やがて、剣が手からすり抜けて、地面に落ちた。姫は気を失って、倒れる。

「そんなバカな! 私の魔力が勝てないのか!」

 舞台裏では、相原から頼まれた二人がスタンバイしていた。

 ついにはボスキャラは、愛の力に負けて消えていなくなる。だが、姫は目を閉じたままだった。王子は抱き起こす。

「魔物を倒しても、姫の目が覚めない。どうしてだ? 私の愛の力が、足りないというのか、弱いというのか! 天よ! 力を貸し賜え!」

 抱きしめた体を引き寄せて、王子はキスの体制には入った。

「うー!」

 キノが大きく唸る。照明が消えると、講堂は真っ暗になった。

「場面転換よ」

 千秋はなだめる。


15

 抱き起こしたまま、相原はじっとしていた。顔が近くにある。

「先輩? 照明落ちましたよ。早く次のシーンへ、行きましょう」

「花宗院くん」

「あっ、あの、ちょっと、相原先輩」

 相原は、抱いている手を放さない。

「花宗院くん、僕は初めて君を見たときから……」

「ちょっと、先輩。なっ、何言ってるんですか、こんなところで。照明がすぐ付いちゃいますよ」

「大丈夫だ。長くしてある」

「はあ?」

「どうか、僕の気持ちを受け取って欲しい。そうこのまま、体を預けて」

「なっ、なんですか」

 真っ暗で、まだ目が慣れない。

「君もこの演劇を通して、僕の良さを知ってくれたと思う。だから是非、付き合って欲しい」

「ええ!?」

 マコは相原の息づかいが、近くにあることを察知した。

「ダメ! 先輩!」

 マコは抱き締められているために、両手が動かせない。じたばたするが、身動き取れない。

「心配しなくていい、このままで……」

「ちょっ、いや!」

 マコは顔を精一杯、横に背ける。

「あががっ!!」

 鈍い音の後、体が軽くなった。何かが転がっていく音がする。

「はいよ」

 体がフワリと浮いて、引き上げられる。

「キノ!?」

 マコは、手の感触から察知した。その手を握り返す。

「……もお」

 キノは、ため息混じりに言った。

「よかった、キノ。でもどうして……」

「あんな奴の考える事なんて」

 マコの握る手を、キノも強く握る。

「マコ、あんなシーンがあるなんて、聞いてなかったぞ」

 不満そうにキノは呟く。

「違うよ、本当はすぐ照明が点くはずなんだけれど……」

「点かなかったのは、照明係の後輩、王子とつるんでたからだ」

「えっ?」

「王子がマコへ言い寄る時間を、作っていたんだ」

「それで……」

「あいつら、取りあえずぶっ飛ばしといた」

 キノは多分、腕を上げているだろう。

「ぶっ飛ばした? じゃあ、誰が照明つけるのよ?」

「おーい! 照明係、まだかよー!」

「あっ!」

 観客席がざわめき始める。

「どうなってるー!!」

「誰か付けろよー!!」

「話おわりー?!」

 途端に照明が付いた。眩しさに、キノとマコは目を細める。

「ええっー!?」

 観客からは驚きの声が上がった。舞台には、マコとキノが手を繋いで向き合っている。

「王子が姫とのキスでメイドになったー!?」

「おおっ!」

「メイドいい! 可愛いー!」

「誰? メイドの子、誰なの?」

 一部からは興奮の歓喜が起こる。

「何故、鈴美麗が?」

 舞台袖から、如月は驚いた。

「あう!」

 マコは、緊張を通り越して笑いが出る。

「キノちゃん、いつの間に舞台に?」

 千秋が隣の席にいないことを今、気づいた。舞台の袖から、物陰が動く。起き上がり、よろけながら舞台の二人に近づいてきた。

「おい! おまえは何だ!」

「おおっ! 王子だ!」

「新たな展開か!?」

 キノはマコをかばう。

「先輩こそ、マコに何をしようとしたんです!」

 キノの眼孔が、相原を押さえつける。空気の壁が彼の動きを封じた。

「えっ? あっ? あれ?」

 相原は微動だに出来ない。

「何か訳がわからんが、さっきよりもリアルだぞ!」

 急展開に会場の観客も面白がっていた。

「なにをぉぉ、私は、演劇部の部長だ!!」

 キノの壁を跳ね返す。だが、息が上がっていた。

「へぇ……」

 キノはマコを背後に遠ざける。

「キノ! ダメよ、本気になっちゃ! 先輩は普通の人よ!」

「大丈夫。だけど真正面から向かってくる者には、正々堂々と受けて立つのが礼儀だ!」

 キノは直立する。構えない。

「おお! いいぞ! やれー!」

「二人ともカッコいい!」

「こざかしいことは抜きです、先輩」

「おっ、おまえこそ、女の立場を利用するなよ」

「何ですか、女の立場って」

「今更、泣いて詫びても、その手には引っかからんぞ!」

「はあ? あなたこそ、後輩を利用して、何をしているんですか?」

 キノは一歩前に出る。

「くっ!」

 相原は逃げられない。

「先輩が来ないんだったら、僕が行きますよ」

 相原の視界からキノがいなくなった。

「見えない?」

「ああー!!」

 観客席から、驚きの声が上がる。

「うっ!!」

 キノは相原の懐にいた。胸ぐらを掴んで、持ち上げる。

「ううっ!」

「どうします? このまま投げ飛ばされます?」

「わっ、私が悪かった……。すっ、済まない。謝る」

「ここは舞台の上ですから、投げません。物語を完結させて下さい」

 キノは、小さい声で言う。

「わっ、わかった……」

 相原が言うと、キノはこてっと、前に倒れた。そのまま動かない。

「勝った?」

「王子が勝ったのか?」

「メイドは敵キャラ?」

「全ての悪はこの世から去った! 平和が戻るぞ!」

 相原はマコのもとへ歩く。足下が、ふらついていた。

「さあ、姫。ご迷惑をお掛けしました」

 王子は躓くどころか、尻餅をつき頭を垂れる。

「はい、本当に、王子」

「私とどうか、末永く暮らして欲しい」

「はい」

 マコは手を取って、相原を引き上げた。大円団な舞台が終わる。会場からは、割れんばかりの大きな拍手が振る舞われた。

「一体、この物語って何だ?」


16

「なんか、やばくないか?」

「ああ、事が大きくなってきてるぞ」

 男二人は、事の成り行きを見ながら心配そうな顔となっている。

「あんたたち」

「香川」

 腕組みして、彼女は立っている。

「まさか、びびってるんじゃないでしょうね」

「ははは、まさか……」

 声に張りはない。香川は舞台の方に目をやる。

「大体、あの女、何をしてるのよ! 演劇部の舞台で! もうめちゃくちゃだわ! 部長も、全く!」

「おまえだって、コスプレ教室をめちゃくちゃにしたじゃないか」

 一人の男子は苦笑する。

「それとこれとは違うの!」

「どこが違うんだよ」

 半分呆れて、男子は言う。

「あんな、オタクのコスプレのどこがいいんだか」

 香川は言い放った。

「おい、言い過ぎだぞ」

「何、あんた。ひょっとして、あの舞台の上のメイドさんなんて、好みだったりして?」

「ばっ、馬鹿言え! 俺は、道理が通ってないって言ってんの」

 話がエスカレートしている。

「あんなオタクとどうして私は……」

「そう言うことか」

「如月くん!?」

 如月は香川の背後にいた。

「香川、君がコスプレ喫茶を壊したのか」

 香川と如月の間に、男が入る。

「違うんだ、如月。やったのは俺たちだ」

「いいえ、私よ……」

 力無く、彼女は呟いた。

「香川!」

「私が、やって欲しいって、壊して欲しいって、頼んだの!」

「君がしたことは、いいことじゃない」

 如月は努めて、冷静に言う。

「だって、負けたくなかった! 本田さんが困ればいいと思った! コスプレ喫茶なんて、なくなればいいと思ったの!」

 気丈な香川は、崩れ落ちた。

「君は一体、そこまでして」

「如月! ひとつだけこいつの弁解させてくれ!」

 男は如月の前に、土下座する。

「……あんた、いったい何してるの」

 香川は驚いて、男の背中を見た。

「こいつが、如月のことを、ずっと好きだったのは、確かだ。いつも聞かされてたから、良く分かっているつもりだ。だからこいつが、悩んでいたのも知っていた」

「でも、これは、やりすぎだ」

 如月は怒りを、露わにする。

「わかっている! この通り謝る! だから、こいつの気持ちも分かってくれないか!」

 彼の一生懸命な行動の前に、如月黙り込んだ。

「もう、いいよ!」

 香川は男を押し退ける。

「如月くん、私を殴っていいよ。こんなことしたんだから、それぐらい受けてもいいわ……」

「おい、香川!」

 静止させようと叫んだ男の背後から、声がした。


「まあ、それは、出来ないよな、如月」


17

「鈴美麗、おまえいつから?」

 如月は驚く。メイド姿のキノは、香川の目前に座り込んだ。

「あなたも私に、仕返しに来たの……」

「うん。だって、みんな大変だった。なんとか立て直しが出来たけど、千秋のショックは大きかったんだよ。あいつが、どれほど頑張ってきたのか知っているから、許せない」

 彼女の頬を、キノの平手が飛んだ。

「僕は、女の子をぶたない主義だけれども、ごめん」

 香川は打たれた頬を、静かに押さえる。

「それと……」

「ひぃい!」

 二人の男はキノの回し蹴りにて、吹っ飛ばされた。キノは座り込んだまま、両手を握り締め、震えている香川を抱きしめる。

「これで、おしまい。忘れて」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 彼女は泣いていた。

「あなたにも、あなたを真剣に気に掛けれくれている人が、いるじゃない」

「え?」

「例えば、如月からあなたをかばって、言い訳してくれた男子とか」

 転がっている男を指さす。

「少しくらい、気にしてあげなよ」


「さてと、もう一人許せない男がいる」

 キノは立ち上がって、振り向いた。

「もとを辿れば、こいつがはっきりしないからだよね」

 口を真一文字に締め、如月を指さす。

「おっ、おい。鈴美麗、おまえ何を言い出すんだ」

 如月は睨む。殺気を感じているのだ。

「いや、おまえに本気で言ってる。前々から思っていたんだけれどね」

 キノはその睨みにも、臆さない。武道を極めているもの同士の、張りつめた空気が存在していた。

「一体どうなっている?」

 香川をかばっていた男は呟く。

「鈴美麗、おまえを俺は認めている。でもこれは、どうしようもないんだな」

「そうだね。どうしようもない。はっきりさせないといけない。いや、はっきりしないとダメなんだ」

 言い終わると同時に、キノは衝撃波を如月に放つ。舞台上に如月は飛ばされた。

「如月くん!?」

 マコが叫んだ。帰り始めた、観客はその騒動に立ち止まる。

「なっ、何? どうした?」

 キノは舞台袖から、走り出る。そして、叫んだ。

「千秋ー!!」

「きっ、キノちゃん!?」


「千秋! 僕は今から、如月に告白する!」

「なっ?! キノちゃん! 何言ってんの!?」

 千秋は驚いて目を丸くする。

「鈴美麗! どんな展開なんだ、これは!」

 キノ以外の会場の全ての人が、予想外の驚きだ。

「如月、僕は……」

 キノは如月の正面を向く。

「おっ、おい、やめろ! 何を言ってる!」

 キノは背伸びして、如月の首に手を回した。耳元で囁く。

「……僕は、千秋が好きな如月がいい……」

「鈴美麗、おまえ」

「千秋の過去は知っている。あのメガネのことも」

「……」

「でも、今の千秋を守ってやれるのは、いなくなった奴じゃない」

「……鈴美麗」

「だから、おまえがしっかり守ってやれ」

 如月の顔は、赤らんでいた。

「見てるだけじゃなくて、しっかり肌で触れて、抱きしめてやれ」

「おまえ、まさか……」

 如月の顔が少し、動く。キノの頬はうっすらと赤い。

「ここで千秋に告白しなかったら、本気でぶっ飛ばす。これでも今、凄く恥ずかしいんだからね」

 キノは如月から離れた。しっかりと向き直し、微笑む。キノは息を吸った。

「あーん! 如月くん、誰か好きな人がいるんだってー! 振られちゃたよー! このバカー!」

「ええっー!?」

 残っていた者は、ひっくり返ってまたしても驚く。

「如月ー、てめー何してんだ!」

 野次が飛びかう中、キノは顔を真っ赤にして、マコのところまで走ってきた。

「マコ、振られちゃったー。えーん」

「ばかね」

 キノはマコに抱きつくと振り返って、舌を出した。

「本当に、おバカで優しいのね、キノ」


「ああ……言うさ」

 如月は、呟いた。

「如月くん! 鈴美麗さんよりも、誰が好きなのよ!」

 マコも相づちをするように、叫んだ。千秋が如月を見ている。彼も彼女を見つめた。

「千秋!」

 千秋の息が止まる。

「おまえの楽しかったこと、悲しかったこと、そして、……メガネにある記憶の全て」

 千秋の瞳が潤んだ。

「おまえとあいつの想い出、全部含めて俺にくれ。今度からは俺が、おまえを守ってやる」

 千秋のメガネの奥から、涙の筋が見える。

「俺は、おまえが、本田千秋が好きだ!」

「おお!」

 観客席から歓声が上がった。マコはキノの手を取る。キノの凛々しい横顔があった。

 そして、千秋に注目が集まる。舞台上の如月は黙って立っていた。ゆっくりと千秋は舞台下まで歩いてくる。如月は舞台から降りた。千秋は彼の前で止まる。頭は上がらない、目を合わせられない千秋がいた。

「邦彦……、どっ、どうぞ……」

 メガネの下は、涙が溢れている。

「……どうぞ、よろしく……お願いします……」

 頬が泣き濡れている。

「千秋」

 如月は呟いた。


 マコはキノに抱きつく。

「よかったね、二人とも」

「僕も、みんなの前で、マコに言ってみたいな。こんな格好で、君に告白なんて出来ないよ」

「キノ……」

「あっ、冗談よ、冗談」

 あははとキノは笑った。マコの顔が近くにある。

「キノ、私は格好なんて気にしないよ」

 マコは真顔で言った。

「いつだって、私にとってキノは、最高の男の子よ」

 キノの顔が赤らむ。

「さあ、後片付けよ!」

「うん」

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