第4話 キノと千秋と王子たち
1
キノは千秋の変な頼み事を、無理矢理聞くことになった。しかもそのお願いとは、彼女の王子様になること。言っている言葉に理解不能のキノは、いつもになく不安気な顔になっていた。
放課後、残っていたキノは千秋と教室にいた。
「千秋、一体僕にどうしろと?」
「ずばり、男になって欲しいの」
「えう?」
「キノさんが転校してきた日から、ずっと考えていました。初めて見たとき、ああ、来たって、ドキドキしながら思いました。キノさんの凛々しい顔とスタイルの良さ、華奢だけど強い。もう私の王子の条件にぴったりです」
千秋は即答しながら、うっとりとして、キノを見つめる。
「しかし、何故女が男装で王子? 別に僕じゃなくっているでしょう、ほかの正真正銘の男子たちにも」
意図がまだ分からず、キノは戸惑っていた。
「だめです。キノさんでなきゃ!」
千秋はきっぱりと断言する。
「しかし……」
まだ納得できないキノだ。
「何故……。教えて」
千秋は一息つく。
「男でしょ、キノさん」
「はう!」
千秋は赤いメガネの奥から、きらきらとした瞳でキノを凝視した。それに耐えられない。キノは目が泳いでしまう。
なぜ、僕の秘密を知っている?
「なっ、何故そんなこと?」
千秋の動きが止った。先ほどよりも鋭い眼差しで、見つめられる。
「だってどっちかが、『受』と『攻』にならないと、話が始まらないでしょ」
「『受』と『攻』?」
千秋は鞄から何か原稿を取り出した。
「つまり、こっちが『受』であっちが『攻』」
「ひゃああ!!」
キノはその原稿を見た途端、声を上げた。
男二人が抱き合っている。二人とも美形の男子で、一人は幼い感じ、学生服がはだけている。絡みあう…指と指。もう一人の男子はサラサラヘアーで、多分金髪。嫌がるようで嫌がっていない、幼い顔の男子のズボンを脱がせている。やがて、金髪のお兄さんの手が彼のズボンの中に…。
「きゃあー!」
キノは再び大声を出す。口から泡が出てきそうだ。
「だからね、同姓でも異性でも『受』と『攻』があるんです。同姓はそれぞれ男の役、女の役をうまく出せるのかどうかで立場が決まる。まあ、入れ替わることもありますけどね」
「あわわ……」
「やはり言えるのは、恋愛は男と女なんです。同姓であってもね」
千秋は拳を作って、キノに見せる。キノは目が点になった。
「それで、マコと僕がその……、『受』と『攻』でつき合っていると」
「違うんですか?」
キノは、なんとも言えない。
「これ、千秋が描いたの?」
話の流れを変えるために、わざと振る。
「そう、まだまだ下手だけど」
千秋は少し照れた。眼鏡の下から覗かせるそんな表情は、キノでもドキッとする程、可愛い。イラストの内容はともかく。
「私がBL系ってのは話したよね」
「えーと、あのぉ、その……。何なの?」
「このマンガのように『美男同士の愛』」
千秋は原稿を叩いた。
「『男同士の愛』!?」
「その中でも私は、『美少年』!」
「『美少年』!?」
行き荒くキノは、ガタリと椅子にもたれてしまう。
「なんとなく、話が見えてきました」
「キノちゃん、さすが!」
いつの間にか、ちゃんづけになっている。
「つまり、千秋のマンガ話のネタ作りに協力?」
「ピンポン! だから、男子になって欲しいの」
「それってつまり、僕がカッコいい男子になって!、更に美男子に言い寄って!、あんなことや、こんなことして!、愛の劇場のモデルになると!」
「いい! それやって! キノちゃん、最高!」
「あほう!!」
2
「……た、の、し、そ、う、ねぇ」
キノの動きが止まって、両肩が上がった。背筋に凍りつくような、視線を感じる。
「キノ、千秋さんとかなり、仲良くなったんだぁ」
もの凄い威圧感が背中に、突き刺さった。おそるおそる後ろを振り向く。マコの目が酷く冷ややかだった。
「あっ、あのねマコ。これは別に、仲がいいわけじゃ……」
キノは弁解に苦しむ。千秋はマコの手を握った。
「マコさん、大丈夫です。お二人の邪魔はしません」
「なっ?」
「まだ、頬だけにしかキスしていません」
「おっ、おい……、何を」
キノは嫌な予感がした。マコの目が険しくなる。千秋は真剣な目で語った。
「しかも、まだパンチラしか見られてませんし」
「……」
「今度、私の王子になってもらうよう……」
「千秋! もう、やめ! 話がややこしくなる!」
キノは二人の間に割り入って、話を中断させる。
「……へ、へえぇ。頬にキス、王子になるんだぁ」
マコの声が低音に変わっているのがわかる。
「あのね、それには言葉が随分足りないんだけど」
ダンと机が鳴った。
「ふん」
マコは、その場を立ち去ろうとする。
「おい、マコ、勘違いだって」
「でも、千秋さんの言ってることは、本当の事なんでしょ、頬にキス」
「間違いございません。魔が差しました。やっぱり綺麗だったので」
千秋はペコリと頭を下げた。
「マコ! こいつは僕を男と思って、自分の好きな王子に被せて、やってるんだって!」
「はあ?、あんた男でしょ」
頭の上からタライが、落ちてきたような衝撃が走る。
「やっぱり、そうなんですね! 『攻』かぁ」
千秋は納得した。キノは白目を向いて、その場に崩れ落ちる。言えば言う程、深みにはまっていた。
「キノのことよろしくね、千秋さん」
「了解! 男の中の男にしてみせます!」
「マコぉ、信じて……」
呼び止めようと手を伸ばすが、マコは振り向きもせずに立ち去ってしまった。相当、頭にきているようだ。
「ちょっと、お二人の間、邪魔したような気がしますが?」
「おまえ……、なんてジコチューなんだ」
「でもキノちゃん、マコさんからお許しが出たので、存分に頑張りましょう」
「そうくるか。僕の意見はどうなるんだ……」
呟きながら、キノは考えていた。
千秋は微笑んでいた。まるで子供ように無邪気に喜んでいる。
許せないが、許す。その笑顔に免じて。女の子って、これだから怒れない。誰でもいいわけじゃないけど……。
男はぶっとばす。
キノは、窓際の机にいた海原に眼光を飛ばす。拳を振り挙げると、机がガタンといつものように上下に揺れた。彼は目を丸くする。
「ふん」
キノはそっぽを向く。
「??」
「それで、美少年同士の絡み具合はね……、耳元からのキスよキスからよ、キノちゃん」
「千秋……。やっぱり、ぶっとばしとくか」
机の下で、拳を作るキノだ。
「でも、どうやって、千秋に協力するのさ? 第一、もう一人の美男子は誰なのよ?」
「もう、決めてあるよ、ほら」
千秋は指した。キノはその方向に目を移す。
「やあ、鈴美麗。君も大変なことに、巻き込まれたね」
「はああ?」
声を掛けたのは、キノのいわゆる恋敵の如月だった。
「なっ、なんで如月が? なぜこいつが? 説明してよ」
如月は、千秋の傍に来る。
「委員長の如月くんは、私の中学校からご近所で、ずっと一緒のクラスメイトなの」
「だからって、なぜこんなことを?」
千秋のやっている内容を聞けば、こんな頼みは無理だ。何か目的があるはず。
「如月は知っているのか、千秋のやりたいこと?」
「ああ、あれだろ」
「本当に?」
キノは如月を見上げる。
「やあね、キノちゃん。ちゃんと話しているよ」
「それで、いいの如月は?」
「俺は、千秋が必要なら協力したい」
こいつの神経はどうなっているんだ。
「男と男の……」
「おまえは女だ」
「まあ、そう、だけど」
「本当に相手が男だったら、断ってるさ。鈴美麗だから、納得した。俺としては、嬉しい限りだ」
如月は軽く、ほくそ笑む。
「いやらしい奴だ。一応、モデルだけだぞ」
「千秋、あのこと言ってあるのか」
「あっ、まだだった」
千秋は舌を出す。
「おい、それ言ってないと。明日だろ」
如月は、ちょっと焦った。
「なんだ、明日って?」
「キノちゃん、明日ね、王子になって、同人誌の即売会に行くの!」
「はっ? 王子になって行く? 人前に出るってこと? 同人誌?」
「そうよ。明日、コスプレして集まるの」
「なに?」
「なんというか。個人で作った本を売るらしい」
如月は眼鏡を掛け直す。
「あの本をか? あんなもの買う人いるの?」
「まあ、人の趣味は、それぞれだろうな」
如月は、千秋を見つめた。キノにはいつもにない優しい目を、彼女に向けている事がわかった。いつもの冷ややかな眼光ではない。
「キノちゃん、明日の朝ここにきて。それとマコさんも」
「マコも? マコも行くのか?」
キノに笑顔が戻る。
「今日言いそびれちゃった。キノちゃんから言っといて」
「ひょっとして、マコも男装?」
「違うわよ。マコさんはどう見ても、女の子」
「うーん」
キノは、腕を組んで唸った。
わかるような、わからないような、複雑な気持ちだ。
確かに僕は、男だ。女ではない。でも体は女だ。どう見ても女だ。けれども女ではない。
男装するということは、男で女で、また男。外身はな。
3
翌日、キノとマコは一緒に学校に来た。
「きたきた。キノちゃん、こっち」
千秋は、手招きする。
「千秋さん、キノを男らしくしてね」
「なんてこと言うんだ、マコ」
マコはニコニコしている。千秋が補足の電話をしたらしく、誤解が少しは解けているらしい。そのまま千秋の家に赴く。彼女の部屋に行くと、衣装が用意してあった。
「おお!」
スカイブルーの学生服。しかも、ブレザーではなく、詰め襟。デコレーションしてあるが、凄く懐かしい気分になる。実際に手に取ると、忘れてかけていた感触が戻ってきた。
「……ああっ」
耳を出し、髪を後ろで縛る。
「こんなことなら、髪を短くカットするんだった」
「それは、ダメ!」
マコが即答した。
「キノの綺麗な髪は、このままじゃないと嫌」
「……う、うん」
上着を脱いで、カッターシャツを着る。
「胸が邪魔だから、サラシを巻いて……」
千秋の手が止まった。
「キノちゃんの胸って、形いいね」
ちょんと胸を指先で突く。
「ひゃあ!」
「千秋さん、キノ、そんなの慣れてないから」
マコはくすっと笑った。
「へぇ、『攻』なのに。もっとくすぐっちゃおかな」
「千秋! マコちゃん、余計なこと言わないでくれる」
千秋とマコは二人してクスクス笑って、キノを突つき合う。その度にキノは、もんどり打っていた。
「なんだか仲がいいではないか。ふん」
シャツを来て、ズボンを履く。ベルトを締めると、ある種の男としての感触が戻ってくる。
「おお! この感触」
あのトイレで変身して以来の学生ズボンに、キノは酔いしれた。
「ああ、こんなにも穿き心地がいいなんて!」
上着を羽織る。袖を通し、ボタンを止めた。
「おう! 男だ!」
言葉使いも気にしなくてもいい。
「キノちゃん、詰め襟もしっかり止めて」
「はいはい」
キノは片手ですぐに止めた。千秋の目が止まる。
「どうした?」
「だって、こんな服初めてだよね」
「そりゃそうさ」
「詰め襟止めるなんて、初めてだったら、片手ですぐできないよ」
「襟止めるのなんて、どれも似たようなもんだよ」
「どれもって、他の学生服来たことあるの?」
「……あ」
マコとキノは目で合図した。
「なんか、そんもんかなって、想像範囲かな?」
「もう、キノったら、想像力ありすぎて困るね」
マコがつかさず相槌を入れる。
「ははは」
千秋が不審そうな顔をしたまま、二人を見比べた。
確かにキノの男装は似合っていた。凛々しさは残したまま、小顔の端正な顔、瞳の美しいの美少年。髪の毛がかつらでショートカットになる。
本質的には、やはり男なだけに、学制服の着こなし方や仕草がそのものだった。
「キノちゃん、本当の男子みたい……」
千秋はうっとりする。
「そうよキノは男よ。やっぱり、似合う」
マコもまんざらではなかった。
そりゃそうさ。ついこの間まで、男子やってましたから。男になりきる。
いっ、いや男だって、僕は。
男の心で、女の体に、男物の服、で変身? 間に入っているものが、話をややこしくしているんだ。全く
心で叫びながら、なにやらキノは、腕組みして複雑な顔になっている。
「はーふ。何もかもが」
目の前の二人は、何故だか騒いでいた。
「男のままなら、こんな可愛い子の相手しているのは、かなり嬉しいかもな。でも二人ともそう感じていないことが、悲しい」
「あっ、如月君も来た」
窓から見降ろすと、二人連れの男共が歩いて来る。
「なに? 海原も一緒に?」
キノは訊ねた。
「知らないよ」
「勝手に付いてきたんだ。キノがいるから」
マコは言う。
「海原君、キノちゃんのこと気に入ってるの?」
「なっ、何でもないよ、隣の席だからさ」
「?」
キノがマコを睨むと舌を出した。
「適当に女の子って、思わせて置かなくちゃね」
小さな声で、合図する。
「マコさんいるのに、かわいそう。実らぬ恋って」
マコとキノは、千秋を見つめた。二人で笑う。
「千秋さんは、誰か気になっている人いるの?」
マコは優しく訊ねた。千秋の手が止まる。
「まっ、まだ、いないかな。当分これが本命」
壁に貼ってあるポスターを指さす。制服姿の美少年が並んで、立っている。一人は背が高く、もう一人は小柄だ。『スカイスターの王子たち』ってロゴが入っている。まるで如月とキノのような感じだ。
「これって……、これ?」
キノは自分を指さす。
「もうそうなの。私の今一押しのアニメなの。大好き。一話も欠かせたことないよ」
目がキラキラしている。
「似ているか?」
「うん。カッコいい!」
「そっ、そう」
メガネ越しに真顔で言われると、照れる。何か気持ちいい。
「やーね、男って。すぐ鼻の下伸ばすんだから」
だらしない顔を見て、尽かさずマコの一矢が刺さる。
「しかしこのアニメ番組で、男同士が抱き合っているのか」
「違うよ。これは普通のアニメ。戦闘物」
「はあ。見たことないから、内容がわからないけど。やっぱり、普通じゃないのか。おまえのは」
「そうね一般的には」
千秋は一生懸命『スカイスターの王子』を説明していた。キノはその横顔を、じっとキノは見つめる。
「千秋。メガネはずっと掛けているのか。取ったら、結構いいと思うけど」
と、キノがメガネに手を掛けようとした。
「だっ、ダメ! 絶対ダメ!」
両手でフレームを押さえて、しゃがみ込む。顔が赤い。
「千秋……、ごめん」
キノは手を引っ込めた。
「あっ、キノちゃん、あっ、あの、私……」
「だめよキノ。ね、メガネは大切」
気まずくなって、キノは立ち上がる。
「取りあえず、外の人どうするの?」
4
「如月くん、カッコいいね」
躊躇なく着替えた如月を見て、マコは言った。
「うー」
キノは唸る。
「でも、確かにいつものクールさはそのままに、一段と切れがある。意外といいのかも」
「しかし、鈴美麗もなかなかのもんだ。千秋が言うのもわかる」
キノの姿を見て、如月は驚いたように言った。
「普段凄く綺麗だが、この格好は男っぽい」
「それって、褒められてんの?」
海原は立ち尽くしていた。目が丸い。
「きっ、キノさんが男……」
「カッコいいだろ! 男だ!」
キノは拳を挙げる。
「なっ、なんというか、僕としては、やはりスカートがいいです」
「ふん」
キノはマコをじっと見る。
「けど、あまりにも素直な感想だな。僕もマコがこんな格好になったら、考えちゃうかもな」
彼女は千秋と話していた。視線に気づいたマコは、ウィンクして合図する。キノは慌てて目を反らした。頬が赤くなる。
「キノさん、顔赤いっスよ。大丈夫ですか」
「別に」
「さて、じゃあ私たちも着替えます」
「えっ? 私も?」
マコが焦って言う。
「そうですよ。だって普通の格好では耐えられません」
「は?」
二人の衣装は、これもどこかのアニメのキャラらしく、派手な色使いのものだった。
「千秋さん、これって、ちょっと短すぎない?」
「マコさんは、控えめすぎるのでこれくらい、露出しないとだめです」
「ちょっと、これやっぱり、短すぎるよ!」
隣の部屋で、待機しているキノと海原は、鼻血が出ている。如月は本を読んでいた。
「なんで、キノさんはこっちにいるんですか?」
ふと海原が言った。
「だって、男だからな……」
「格好が?」
5
その開催会場は大きかった。実に様々な人がいる。もう、マニア度千パーセントの世界が広がっていた。千秋の即売会のコーナーは他のグループと合同で行うということらしい。着いたときには、すでに数人のグループが用意をしている。
「本当に見つけて来ちゃったね、王子たち」
グループの一人が千秋に声を掛けてきた。
「でしょ。もう二人とも似合いすぎなの」
千秋は嬉しそうに、はしゃいでいる。
「フレンス様も良いけど、やっぱりあのレイズ様は、カッコいいだけではなく、綺麗ね。この会場には他にもいるけど、全然ダメ。ダントツにいけてるよ」
「うん」
千秋は、改めてキノを見た。
「確かにどのレイズに扮している人たちよりも光ってる。確かに土台が違うからねぇ」
「土台?」
「なっ、なんでもない」
「ねえねえ、後で一緒に写真撮らせてもらってもいい?」
両手を合わせて、お願いされる千秋だ。
「いいんじゃない? っていうかもう撮られまくっているし、二人とも」
「ところで、あの場違いな大男は何?」
海原は制服姿で右往左往している。彼もきっと理解の範囲を越えている世界に苦悩しているのだろう。
「あっ、ひょっとして『豪傑天使』の徳川小春かしら?」
「ああ、そう! 多分! かも」
千秋は、愛想笑いでごまかす。彼もコスプレとは違う意味で、目立っている。
「私、それも大ファンなの!」
「そっ、そうなの。いいじゃん。後で写真お願いしたら! 喜ぶどころか直立のままポーズとれないかも」
二人で笑う。
「あっ、あの千秋さん。私たちはここにいればいいの?」
隣の席で座っているマコが、もじもじしながら声を掛けた。
「ごめんなさい。あっ、マコさん。そんな恰好じゃなく、上着脱いで下さいよ」
「えっ、はい。でも、これって」
マコは恥ずかしそうな顔で言う。
「マコさんのために、バッチリのを取って置いたんですから」
「でもぉ……」
「私よりもマコさんで客引き効果を上げます。だからお願いしします」
千秋は真面目な顔で言う。千秋の衣装も派手ではないが、チャイナ服のようなもので、深いスリットが入っているが、スカートが短い。なかなかそれでも、似合っている。
「はい?」
「早く、もうすぐ開催時間ですから。奴等来ますよ」
促されて、マコは上着を脱いだ。
髪の長い、オレンジ色のかつらに、体にぴったり張り付くピンク色のコスチューム。胸元が広く空いていて、流れるような文様のラインと装飾が施されている。肘まである白い手袋に、ミ二の紺いスカートに白いブーツ。オレンジ色の頭には何やらアンテナが付いている。
「マコさん、可愛い!」
マコはうつむいて、顔を上げられない。
「もうぉ! 千秋さん」
「てえいぃ!?」
テーブルにマコを見つけたキノは、目が飛び出そうになった。ピンク色の美少女戦士。遠くからでもよくわかるぐらい、マコの恰好が目立つ。海原は立ったまま失神状態だ。
「ほう。花宗院さんも意外と似合ってるね。彼女も可愛いからな」
如月は顎に手を当てる。
「きっ、如月、おまえは見るなぁ!」
キノは両手を振った。顔は真っ赤で、真剣だ。
「鈴美麗、一体どうしたんだ?」
6
開場と共に、客が流れ込んで来た。マコの姿は、その群衆で見えなくなる。キノは彼女を目で追うも見失った。マコと千秋の前には人が集まっている。キノは不思議な光景を見ていた。
その時、フラッシュが光った。キノは目を細める。
「凄い! レイズ様、似てるぅー!」
「イメージにぴったり!」
「フレンス様もいいじゃん!」
女の子たちが、二人に集まる。如月とキノは顔を見合わせる。
「でも、男に見られているのも嬉しい! なんか楽しいぞ!」
両手を振り挙げる。
「鈴美麗、何を言ってるんだ?」
如月は頭をかしげる。
「写真会、お願いしまーす」
数人の女の子が言い寄ってきた。
「ここ、どうするの?」
「あいつらに任せておけ」
袖を引っ張られて、会場外の写真会用の場所まで移動させられる。キノはマコの方を見たが、見えなかった。
「……あっ、キノ」
マコは目でその後ろ姿を追う。その前をリュックを背負った男が遮った。
「こっ、これ下さい。あっ、握手お願いします」
「はい」
マコは微笑んで、対応する。男の目は相変わらず、マコの胸の谷間に釘付け状態になっている。男たちの執拗な視線を感じつつも、それを表情に出さないマコであった。
「さすがです、マコさん。大人気です」
千秋はメガネの奥から、ウィンクした。千秋の方も意外と並んでいる。やはりメガネっ子ファンも多いようだ。
「あの、一緒に並んで下さーい」
写真会場といっても屋外だ。あちこちで撮ったり撮られたりしている。二人も何かしら、ポーズを取って撮影されている。
「一体、このアニメってどんな内容?」
キノは如月に尋ねる。
「詳しくは俺も知らん」
相変わらずクールな男だ。
「本当に今でもわからないけど」
「何だ?」
「千秋と同じ中学なだけで、何故如月がこんなことやるんだ?」
如月がじっと見た。キノは身構える。しかし、如月の手が早かった。突然腰に手を回して、引き寄せる。両足が中に浮く。学生服同士が密着した。撮影していた女の子たちが歓声を上げる。
「こっ、こら! 如月!」
キノは両手で如月の肩を突っ張る。如月は顔を近づけた。
「違う、フレンス王子だ」
如月の口元が吊り上がる。撮影していた周囲の女子たちの声が、更に上がった。二人の行動に、うっとりしている腐女子もいる。
「君こそ、どうして男装までしてる? あの真面目なマコさんも美少女戦士だ」
「しっ、質問しているのはこっちだぞ!」
キノは焦って、目を反らす。
僕とマコの秘密は千秋が知っている。多少、勘違いしているが……。
如月は更にきつく引き寄せる。キノの頬が赤くなった。さながらそのポーズは、千秋の描いていた原稿のワンカットと同じだ。
「鈴美麗、君は」
「レイズだ!」
如月は先程の台詞を返されて、笑う。更に締め付けた。
「いっ、痛い!」
「やはり、柔らかいぞ。君の体。腰も細い」
「はあぁ?」
「君の瞳も女だ」
キノは、体を反らす。如月の腕は緩まない。
「男だったら、こうやって抱かないさ」
こいつ、ぶっとばす!
「だからなんだ」
キノの目が戦闘モードに入った。如月を凝視する。少しウェーブのかかった如月の髪が、ふわりと持ち上った。
「わかった、わかった。おまえとやりあっても仕方がない。それにおまえの強さは知っている」
「フレンスとレイズに萌えるぅ」
「王子たちの絡みはいいわ〜」
周囲の声が高くなり、見渡すといつの間にか囲まれている。フラッシュの光の数が多くなってきた。
「取りあえず、降ろせ」
キノは如月のみぞおちを肘で突いて、下ろさせた。その仕草が、また周囲を萌えさせる。予想外のアトラクションに、二人には拍手が惜しみなく振る舞られた。
「鈴美麗、結構受けたみたいだぞ。さっきのアトラクション、萌えられた」
如月は笑う。
「ふん! おまえは嫌いだ」
キノは腕組みして、膨れた。
「本当にどうして、千秋の加勢をするんだ?」
言ったが如月は答えなかった。
7
即売会は予想外の売れ行きで、マコと千秋はてんてこ舞いになっていた。
「何か凄いね、この本。いつもこんなの?」
「違うよ。マコさんがいるから」
「私?」
「マコさん、目当てで来てた人多かったよ」
千秋は言った。
「そうね、みんな同じところ見ていったね」
二人は笑った。
「キノと如月くんは何処行ったの?」
「多分、撮影会場だと思います」
「様子見に行ってもいい?」
「いいですよ。ここはもう一段落ついたから」
マコは慣れない衣装で、歩いていった。
「なんだか、ゴワゴワして歩きにくいなぁ」
出入口まで行った時だった。女の子の歓声が聞こえている。マコはその声がする方向を近づいて行った。背伸びをして見ると、如月とキノが抱き合っている。
「なっ!」
マコは目を丸くした。
「何なのよ、キノ……」
ため息と一緒に涙が滲んだ。
「何してるかと心配してたら……」
背後から声が掛かる。
「あのぉ、写真撮ってもらっていい?」
「はっ?」
マコは振り向く。
「おおっ! 可愛い!」
声を掛けた男も、何やら衣装を身にまとっていた。
タキシードにマントを羽織ってる。少し小太りで、顔は汗ばんでいて、暑苦しい。
「それも何かの衣装ですか?」
「何言っているんですか。『アイドルミユ』には、ぼっ、僕が相手ですよ」
「はい?」
マコには何のことかわからない。
「あっ、ああ。はいはい。アニメのキャラクターの……」
「じゃあ、こっちに」
手を握られて、誘導される。
「あっ、あの、私、行くところがあるんです」
抵抗するように、立ち止まった。
「まあまあ、いいからいいから」
ニコニコしながら、男は引っ張る。
「いや、だから……」
「あっ、ミユじゃんか」
二人の男たちも集まってきた。今度はタキシードは着ていない。
「俺らも撮らせてよ」
肩まで青色の髪がある男が、マコの肩に手を回す。
「なにこの娘、マジ可愛い!」
こちらは金髪に染めて、鼻と耳、唇にピアスがある。もう片方から、肩に手を回される。
「あっ、あの、ちょっと……」
マコは二人の間で言う。
「きっ、君たち、ミユちゃんは僕と……」
二人のうち、髪を金髪に染めている一人がタキシードを睨む。
「ああん。何か用だったけ? タキシードマン」
「ひっ!」
男は折り畳みナイフを持っていた。それをちらつかせる。
「べっ、別に。他の用事思い出した!」
回れ右をして、立ち去っていくタキシードマン。
「あっ、あれ? ちょっと……」
「さあ、撮り合いっこしようよ、『ミユちゃん』」
8
「なんか騒がしいね」
千秋は二つ向こうのブースに人が集まっているのを見ていた。女の子が泣きじゃくっている。キノはコーラを飲んでいた。
「何かあったのかな?」
「おい、何かあいつらの女の子、変な写真撮られたんだってよ」
如月は言った。キノはストローをくわえたまま、睨む。
「変なって?」
千秋が尋ねる。
「わからないが。無理やり、いろいろ撮られたらしいぞ」
「マニア的な? いっぱいいるじゃんか。そんな奴」
キノはタキシードを着た小太りの男を見て呟く。
「詳しくは知らん」
如月は素っ気なく答えた。
「見て見て、さっきの王子二人よ」
通り過ぎながら、女の子たちが顔を赤くしている。
「随分、有名になったね。二人もさすがだわ。マコさんも良かったです」
千秋は満足気だ。
「ところで、マコは何処?」
「そう言えば、キノちゃんたちを探しに行ったんだっけ」
「見かけなかったよ」
如月は言った。
「僕、ちょっと見てくる」
キノは妙な胸騒ぎがした。
「おい、鈴美麗、俺も探そうか?」
「おまえなんかには、絶対頼まない」
キノは走って、マコを探し回っていた。見覚えのある後ろ姿に声を掛ける。
「マコ!」
振り向くと全然違った。
「この衣装、多すぎる。わからない。しかもオレンジ色のかつらなんて、あちこちにいる」
キノは会場は見渡した。とにかくコスプレしている輩が多い会場だから、似たような衣装が多い。キノは隣のブースの話が、気にかかった。
「まさかな……」
キノの心臓が高鳴る。
「マコ、どこに?」
9
「キノちゃんと喧嘩したの?」
千秋はブースに残っている如月に言った。
「別に」
椅子に座ったまま、足を組んで答える。
「素直じゃないね、相変わらず」
千秋はメガネを外した。そのまま服の裾でガラス面を拭く。如月はその横顔を見ていた。
「千秋、メガネさ……」
「いや!」
即答する千秋。
「おまえさ、いつになったら忘れられるんだよ。あいつのこと」
「……ほっといて」
「だから」
「邦彦には関係ない!」
千秋はメガネを掛け、そっぽを向いた。
「あっ、あのぉ、すみません」
「あー何、何か用?」
千秋は如月を押し飛ばした。
「すみません、もう完売しちゃって、無くなっちゃいました」
「いえ。さっきここにいた、ミユさんなんですけど……」
タキシードを着た小太りの男は言った。
「マコさんのこと?」
如月は起きあがる。
「あの、僕一緒に写真撮ってもらおうと、声を掛けたんですけど、変な人達が来て……、その……」
額から汗が吹き出して、垂れている。タキシードの襟には汗で湿っていた。彼はハンカチで何度も汗を拭く。
「……置いてきたのか」
如月は凄んだ。
「ひっ! いっ、いや! その!」
「マコさん、何処にいるの」
「わ、わからないよ、奴ら二人で連れていっちゃったんだ」
男の両手が震えている。
「おまえ、それでも男か」
「そんなぁ! ナイフ持ってたんだよ!」
「えっ!?」
千秋と如月は驚く。
「じゃあ、ぼっ僕は、これで」
「おい!」
タキシードはそそくさと人混みに消えていった。
「……まずいな」
如月は立ち上がる。
「花宗院か鈴美麗には、連絡取れないか?」
「さっきから携帯鳴らしているけど、気づいていないみたい。どうしよう」
千秋は不安気な顔になる。
「千秋はここにいて連絡してくれ。俺も探しみる」
如月は走りだした。
10
会場から離れた物陰に、マコは手を引っ張られていく。
「ちょっと、私もう帰りますから」
マコが抵抗するが、青い髪の男は手を離さない。
「だめだめ、俺らといい写真撮ってもらわないと、お金になんないから」
「お金?」
「そうさ。君の恥ずかしい写真撮りたいねって」
「ついでにネットで公開しちゃおうかなぁ、なんて」
青い髪の男は、笑う。
「触らないで!」
「だって、君たち撮られたいから、そんな恰好してるんでしょ。大丈夫だって、いつでもデータは返してあげるから。みんなに見せてからね」
「さっきの子も、喜んでいたよ、ほら」
金髪の男はデジカメを再生した。嫌がるマコの顔に、無理矢理近づける。
「この子も凄く可愛かったなぁ」
薄く開けた目に、とんでもない画像が飛び込んできた。
「なっ、なんてことを!」
「無理に、じゃないよ。タダじゃないから、ほらお金を払うんだよ。ビジネスだよ、ビジネス」
金髪は一万円をちらつかせる。
マコは、青い髪の男の手を振り払って、走り出す。衣装が動きにくく、転けてしまう。
「君、凄く可愛い。きっといい値段が付くと思う」
「やめて!」
「いいねぇ、その言葉。ぞくぞくきちゃう」
「おまえ、マニアだからな」
青い髪の男は言う。ゆっくりと男たちは近づいてくる。マコは後去りした。次第に距離が縮まってくる。
「ああ、その困った顔もいい!」
フラッシュが光って、目の前が白くなった。
「さあ、脱いでよ。もっと見せてくれよ」
青い髪の男が迫ってくる。
「へぇ、こんなところで撮影するの?」
男たちの背後から声がした。
「へ?」
「こんなに可愛い子、滅多にいないからなぁ。随分、探しちゃった」
「キノ」
マコは叫んだ。男たちの後ろに、キノは立っていた。マコに向かって微笑む。
「なんだ、てめえは?」
キノは制服の詰め襟と第一ボタンを、片手で外した。
「何? 正義の王子さま登場? 邪魔しない方が、身のためだよ」
青い髪の男は、口元を吊り上がらせる。
「そうそう、お兄さんたち、ちょっと気が短いから」
金髪の男は、デジカメからナイフに持ち変えた。ナイフをぺろりと嘗める。
「……手を出すな」
「はあん? なに?」
青い髪の男はゆっくり、キノに近づいてきた。目の前に立ってニヤリと笑う。左の肩を突き飛ばした。が、キノはよろめかない。男の笑いが止まる。もう一度突く。同じだ。男は胸ぐらを掴む。
「なんだよ、おまえ!」
キノは男の顔を見る。男の顔が歪んだ。
「う!」
鈍い音がした。一瞬だ。
男はキノの蹴りを受けて、五メーター先に転がっていた。その風圧でかつらが飛んでいく。結ってあったクリーム色の細く長い髪が解けて、空中に広がった。
「てっ!? てめえぇ!」
金髪の男は狼狽える。
「僕の女に、手を出すな」
キノは真っ直ぐに歩いてくる。
「おっ、女か!? こっ、こいつが見えねのか!」
金髪はナイフをマコに向ける。が、そのナイフも持っている手首が何者かに、締め上げられる。
「い、痛ぅ!」
「こんな物騒なもの」
やがてナイフは、ねじ上げられた手から滑り落ちる。
「如月くん!」
マコは叫んだ。
「鈴美麗!」
如月は、キノに合図する。キノは素早く、金髪の懐にはいると、袖を掴む。そして思いっきり、大きく投げ飛ばした。体力のない細い体は、地面に叩き突けられる。
「がはっ!」
金髪の男は失神した。
キノは座り込んだマコに手を差しだし、立ち上がらせた。マコはキノに抱きつく。
如月は失神している金髪の男のポケットからデジカメを取り出した。地面に落として、踵で踏んで壊す。デジカメはバラバラに崩れた。
「きっ、如月…」
キノは声を掛けた。
「なんだ」
「……あっ、ありがと……」
キノは上目遣いに、罰が悪そうに言った。
「いいさ」
相変わらず、クールだ。
「しかし、よく見つけたな鈴美麗」
「マコの声が聞こえた」
キノはマコの方を向く。マコと目が合った。
「そうか」
如月は、もう一度カメラを踏みつけた。
「しかし、僕の女って、言ったよな。どういうことだ?」
「えっ! あっ、あれは…」
戸惑うキノの顔が赤くなる。
「今、キノは男子だもん」
憂いに満ちた瞳で、キノを抱いているマコの手に、力が加わった。
「王子さま……でしょ、キノ」
キノはクスっと笑う。
11
会場では、千秋が心配顔で待っていた。
「マコさん、大丈夫だった?」
千秋がマコに抱きつく。
「キノと如月くんが助けてくれた」
「本当に何もなくてよかった」
「千秋、ごめん。かつら壊れちゃった」
千秋はキノを見上げた。長い髪、大きな瞳、端正な顔立ち。
「ほふぅ」
千秋の目が潤む。
「?」
「そんな容姿で学生服もいい…。綺麗よキノちゃん。萌えるぅ」
「はう!」
千秋はキノにも抱きつき、頬にキスした。
「ちょっと、千秋さん!」
マコはキノの体を引き寄せて、千秋から離す。
「すみません。また魔が差しました。でも、減るもんじゃないし」
「そっ、そうだな、減るもんじゃないかな」
マコはキノにパンチした。
「海原?」
会場に大男が逃げ惑っている姿を、如月は見つめていた。男から言い寄られている。
「ぼっ、僕は、そんな趣味はないっス! 勘弁してください!」
「海原って、そんなキャラクターに見られるんだな……」
如月は苦笑した。
随分時間が経った後、青い髪の男は目覚める。頭を左右に振り、蹴られた腹部を手で押さえながら、立ち上がった。何度も咳をする。ちょっと先には、もう一人の男が同じように失神していた。足元をふらつかせながら、その側まで寄る。足元にバラバラになったデジカメが転がっていた。金髪男の頬を何度も叩くが、気絶したまま動かない。
「畜生! あいつら覚えていろ! 必ず見つけ出して、わからせてやる!」