第3話 キノとマコの想いとメガネっ娘千秋登場!
1
「花宗院くん、これから放課後の時間、いいかな?」
「うー」
キノは机を揺らしながら、言い寄ってきた如月を睨む。
「はいはい、睨まない、睨まない。ちゃんと帰ってくるから待っててね」
キノを宥めて、マコは如月と教室を出ていった。
「如月くんと花宗院さんって、とってもお似合いだよね」
「そうそう、彼ってイケメンだし、クールで格好いい」
「真琴さんも可愛いし、絶対付き合ったら良いと思うけど。ねえ、鈴美麗さん」
「あう」
山本が声を掛けて、寄ってきた。突然、会話の中に放り込まれる。
「応援してあげるでしょ、キノちゃん」
石井だ。
「あはは」
キノは引き吊った笑いとなった。
「委員長と副委員長って、よくあるパターンだけど、実際うまくいってないよ……」
「二人をくっつけない?」
キノの意見は見事に、石井にかき消される。
「いいかも」
山本は同調した。
「あっ、あの……」
「もうすぐ学園祭だし、二人はもっと忙しくなるでしょ」
山本がひとさし指を立てる。
「一緒にいる時間が、長くなる!」
「恋が絶対、芽生えるはず!」
石井は腕を組んで、大きく頷いた。
「いっ、いや、絶対って」
キノの頭の上で、二人の無限のラブストーリーが繰り広げられている。
「二人がうまくいけば、私にも何かいいことありそう」
「ないない」
キノは頭を大きく振った。
「キノちゃん、いつも花宗院さんと一緒に帰っているでしょ、そんな話にならない?」
「そんなって?」
「ほら、誰がいいとか、どこまでいったとか、キスしたとか、なんだとか」
ベッドの上のマコの唇を、思い出す。
「まっ、まだキスはしてない!」
思わず、キノは叫んでしまった。
「あっ、そう」
石井は素っ気ない返事をして、軽く受け流す。
「まあ、そんな話よ。誰も言い寄らなかったってのはないと思うから、そんな話もあるかなって」
「うー」
唸るキノは、机を揺らした。
「ところで、鈴美麗さんはどうなの?」
山本が訊ねる。
「こっそり教えてよ。本当のところ、いるんでしょ、彼氏?」
「彼氏? 男?」
「そうそう。キノちゃんがいないはずないし。どうなのよ?」
二人の目が光り輝いた。
「あ……、う」
「キノさん、今日はどうします?」
山本と石井は振り向いた。顔が青くなる。
「海原ぁ……」
「ああ、マコと約束しているから」
「ボクは部活行きます」
「いってらっしゃい」
キノは片手を振った。
「なんでよ! キノちゃん!」
石井はキノの目の前に振り被って、机を叩く。
「なんでって? なに?」
キノは驚いて、目を丸くした。
「おかしいじゃない! 海原みたいな変態と付き合ってるなんて!」
「あほぅ! いや、そんなこと絶対ない!」
「そうだよ、変態の海原なんか、絶対ムリムリ」
山本は頷く。
「それも、何かムカツク」
二人は顔を見合わせた。
「は?」
「じょ、冗談よ。冗談。ほほほほ」
思わず、高笑いするキノだった。
2
しばらく後、教室の扉が大きな音を鳴らして、開いた。三人を初め、クラスメイトは一斉に戸の方を向く。
「まっ、真下先輩!」
クラスの一人が叫ぶ。
「柔道部のワル?」
石井が振り向いて、怪訝な顔をした。
「鈴美麗いるか! 一大事だ! おい、鈴美麗、海原が!」
キノは立ち上がる。
「ちょっと、キノちゃん! 何してるの!」
「呼ばれたから」
「ほっときなさいよ! 関わることないよ!」
「ごめん。僕の性分なんだ」
微笑むキノ。スラリと直立し、長いまつげに大きな瞳は、真下の方を見る。さっきまでと違って、凛々しい横顔に引き締まった顎と口、細長いクリーム色のしなやかな髪が宙を舞う。
「あ……」
石井の顔が赤らんだ。
流れる髪筋が彼女の頬をかすめながら、そのままキノは教室を出ていく。
「どうしたのよ、睦! 止めなくちゃ、怪我しちゃうわよ!」
「だって……」
「だって?」
「カッコ良かったんだもん。男子よりも、すごく」
「は?」
山本は、石井のキノの去った軌跡を追う熱い視線を、感じた。
「それより、真琴さんに知らせなきゃ!」
柔道部に着いた時、異様な只事ではない殺気をキノは感じる。またしても人集りになっている柔道部道場内では、海原が微動だにせず直立していた。
「何があった?」
キノは真下に訊ねる。
「海原の目の前にいる輩だ。道場破りらしい。おまえを呼んでいる」
「僕を?」
「なんかわからんが、海原が負けたら廃部にすると言っている。海原がおまえを呼んでくることを断ったせいでな」
キノは道場の窓から海原の動きを覗く。
動いていない。動けていない。
「あれは……」
何かに気づいたキノは、道場の扉に手を掛けた。開かない。何度も試すが無駄だった。
「だめだ、鈴美麗。海原が鍵掛けちまいやがった」
そうしている間に海原が前に出る。だが、相手の動きが早かった。容易くかわされる。
キノは扉の前から三メーター離れて、直立した。腰に手を当てて息を吸い込み、精神集中する。厚い壁がそこにあるかのように、空間が変化した。真下はその壁に突き飛ばされ、尻餅をつく。
「おっ、おい! 鈴美麗、何してる!?」
「話しかけないで!」
道場では、海原が苦戦していた。相手は笑いを浮かべて、ヒラリヒラリと海原の組手をかわす。
「あなた、何故闘わない!」
「だって、おまえ弱いもん」
「何です?」
「俺はね、強い奴を倒すのが趣味なの」
海原は追うのをやめ両足でしっかりと、畳を踏みしめた。そして腰を少し落とし息を整え、真一直線に相手を凝視した。
「集中だ」
踊っていた男は、不埒な動きを止める。海原と向き合い、そして同じように構えると、海原に大きな空気の壁がブチ当たった。
「ぬう!」
畳の上で、足がずるずると後退する。
「こっ、これは」
「なにやっての? 体、デカイだけなの?」
「くそ!」
海原の意識ではコントロールがつかないほどに、体中がビリビリと痺れ、筋肉が小刻みに震えていた。
「この男、キノさんと同じような技を使う。だが何か違う」
「もう、やめたら」
「ぬ!」
3
「キノさんは言ったはず。物事に動じなく、真っ直ぐに一本道を歩むこと、と」
海原は相手の目を凝視した。途端に壁が緩む。息を吐きながら、足を一歩前に出す。
「へぇ……」
男も一歩足を出した。壁が再び襲い、海原の胸が凹むが、押されるが踏み留まる。上体を前かがみして、目は離さなかった。
「って言うか、まだまだだね」
男は不吉な笑いをする。
「ぼちぼち、行くよ」
「うっ!」
目の前から消えた男は、海原の懐に出現した。上目遣いに見つめる。
「もう、終わりにしようよ」
男が海原の上体に触ろうとした瞬間だった。道場の扉が吹っ飛び、同時に黒い影が飛び込む。その影の両手がくるりと回ると、男の手は海原を掴み損ねただけでなく、ふわりと宙を舞っていた。
「い?」
男の顔は、畳とキスをする。
「なっ、何だよ! おま……!」
「きっ、キノさん!」
海原が振り返るのが早いか、キノは男の懐に入っていた。長い髪がまだ宙を舞っている間に、袖を取る。
「おわ!」
男は空を一回転した。道場が揺れ、海原の時よりももの凄い振動が走る。男は泡を拭いていた。キノはその前に立っている。
「キノさん……」
息の荒いキノは、海原に微笑んだ。
「僕のせいで、柔道部を無くせないよ」
「はっ、はっ、は」
道場の入り口に、背の高い人影が見える。
「お見事、お見事」
手を叩きながらその者は道場に入り、倒された男を見て顎に手を当てる。納得したようにキノを見上げた。乱れた髪をかき上げながら、キノは前にいる人物に目を合わせる。
「お久しぶりです。キノ様」
その者は、深く頭を下げた。
「あ……」
息が荒いキノの目が見開く。
「フェイル……」
海原は訳がわからず、二人を見渡す。
「随分、強くなりましたね」
キノはその顔に安堵したのか、少しよろけた。フェイルはその体を、優しく受け止める。
「私の一番弟子をあっけなく倒すとは、さすがです」
泡を噴いて転がっている男は、今だに目を覚まさない。
「君!」
フェイルは海原を指さした。
「押ス!」
「君もいい気合いが入っていた。あの者が本気になったことは珍しい。是非とも強くなって欲しい」
「押ス!」
「それにしても……」
フェイルは、キノを抱きながら見つめる。
「フェイル、大丈夫だから。自分で立てるよ」
「私が教えていた頃のキノ様は、まだ幼かった」
その言葉は、キノに遠くの想いを甦らせた。
「フェイル……」
フェイルは武闘「鈴美麗家」門下の師範生であり、祖父の優秀な弟子であった。国外の出身でありながら日本武芸にも優れた才能を発揮し、特に一切相手に触れることなく防御する『空気の壁』と言われる威嚇攻撃を得意としていた。
フェイルは師範生としては一番若く、幼い頃のキノの稽古相手でもあった。キノの武闘家としての強さの秘密は、彼から鍛錬されたことと「空気の壁」を体得した事による。相手の攻撃を半減させ、少ない動きで交わすという高度な技を身につけたのだった。
物心を着いた時から、両親も兄弟もいないキノにとって、常に頼れる存在であった。キノは学校が終わると、いつもフェイルの傍に付き、武道を習い、離れようとはしなかった。祖父の厳しい稽古で泣いていた時は慰めてくれたり、休みの日は一緒に遊んだりもしてくれたのだ。しかし、小学校二年の時に突然、フェイルが屋敷を去った。それ以来、逢うこともなかったのだ。
4
「もっ、もう立てるから」
キノは唇を噛みしめて、何かを堪えていた。フェイルの肩にキノの細い手が掛かる。
「キノ様……」
抱き抱えている手が、締まった。
「あ……」
フェイルの金髪の髪。顔は細長で、鼻筋が真っ直ぐ通って、高い。何事にも真剣な姿勢で教えてくれた青い瞳の奥には、優しいいたわりが、まだ残っていた。
フェイルに身を預けるように、キノの力が抜け落ちていく。
「あの時から、私はあなた様のこと忘れたことはない」
キノの目がフェイルの瞳に吸い込まれるように、一点を見つめたまま離れられない。
「このように強く、美しくなられていようとは」
キノは褒められて嬉しくなった。いつもは女自身に否定だが、先生に褒められることは心地よかったのだ。
フェイルがいなくなった後、どれほど悲しんだか。
もっと、もっと成長した自分を褒めて欲しい。
いなくなった時、ずっと道場で待っていた。
部屋の隅で、いつも泣いていた。
稽古もしなくなった。
大好きだった先生であり、兄であり、父であった。大好きなだった。
朝になるまで待っていた。ずっと……。
みんなが消えていくと思った。
もう逢えないと思っていた。
「私もあなたに逢えるのを待っていました」
キノの唇が震える。堪えていたものが、一気に涙となって溢れ出した。大粒の涙が出てくる。
キノは声を上げて泣いた。顔を拭かず、感情の吹き出すまま、泣く。
その間、フェイルはずっと抱いていた。
辺りが静まる。海原はそっと離れた。キノが泣くのは側では見れなかった。真下は海原の落ちた肩を叩いた。
「キノちゃん、泣いてる……」
道場の壊れた扉から、固まって動けない石井は呟いた。
「キノ……」
マコはその光景をじっと見ていた。
「鈴美麗さんのあんな姿は見たことない」
山本は言った。マコの顔が曇っていく。
「キノの本当の心の叫びを、聞いたことがなかった……」
マコはいつも強がっていたのは自分ではなく、キノだったのだと思った。キノはそんなこと、表情にも出さなかっただけなのだ。
「キノ……、私じゃ、私じゃダメだったの……」
マコは寂しそうに呟く。
「違いますわ」
マコは振り返る。背の高い女性が立っていた。
「亜紀那さん」
「マコ様じゃないと、ダメなんですよ、キノ様には」
亜紀那は微笑んだ。一緒に来た、山本と石井に悟られないようにマコを連れ出す。
「キノ様の過去には、辛いことが多過ぎました」
「ええ……、知っています」
「誰もが突然いなくなってしまわれたのですから」
マコは亜紀那の方を向かない。
「そのためか目の前にいる人達が、いなくなってしまうのではないかという不安が、キノ様には常にあります」
亜紀那はマコの肩を持つ。自分としっかり向かい合わせた。
「昔、あの池でキノ様がマコ様をお助けになったことを覚えてらっしゃいますね」
「忘れません」
「あの時、キノ様は意識が戻らないマコ様の体を抱いて、泣きながら何度も何度も、大きなお声でおしゃった」
『絶対離さない、生涯必ずマコを守っていく』と。
マコは目を見開いた。亜紀那の顔を見上げる。
「マコ様。キノ様が絶対的に守るべき人は、あなたなのです」
「亜紀那さん、でも私にそんな資格があるのかしら……。キノの心の支えになれるの?」
「必ずおわかりになります。早くキノ様のもとに」
亜紀那はマコを一回転させ、道場の方を向かせる。そして彼女の背中を押し放った。マコはその反動で二、三歩よろけながら前に出る。マコが振り返ると亜紀那は笑いながら、手を振っていた。
「今のはおまけですよ、マコ様。キノ様の幸せが、私の幸せです。お節介すぎましたわ」
亜紀那は苦笑いした。
「しかし、フェイル……。今頃何をしにきたの?」
5
ひとしきり泣いたキノは、ようやく平静な感情が戻ってきた。濡れた頬をキノは手で拭う。フェイルはその手を止めた。キノはフェイルを見る。目が赤くなっていた。
「キノ様は、大事なお方だ」
顔筋に添って、フェイルの右指が動く。やがてキノの顎に達した。同時に、フェイルの抱いていた左腕がキノの顔を更に引き寄せる。彼の顔がキノのすぐ目の前にあった。
「あ…」
吸い込まれる青い瞳に、真っ直ぐに見つめられる。
顎が少し持ち上げられて、キノの唇が上を向いた。
大好きな先生…。
キノの瞳が閉じる。
「だめぇぇぇ!!」
マコは叫びながら、フェイルとキノの間に突進した。体当たりして、キノの体を無理矢理引き離す。キノの上半身が左右に揺れた。
「だめぇ」
マコは力いっぱい、キノを抱きしめる。覆い被さり、キノを隠そうとするマコだ。
「キノを奪っちゃ、いや!」
キノはマコの胸に埋もれながら、安堵した。
この匂いが懐かしくも、今自分が成すべきものの、すべてを感じさせる。
「マコ……」
フェイルはマコを見た。空気の壁が彼女を襲う。体が吹き飛ばされそうな衝撃を受け止める。黒髪がなびき、乱れた。しかし、マコはキノを体で守っている。マコは持てる力の威嚇の目で鋭く、フェイルを見つめ返した。
「かなう相手でじゃない」
マコは知ってる。
「けれども負けない」
唇をぐっと締めて、必死に耐えている。
フェイルは、笑った。そして立ち上がる。
「いいお人だ」
フェイルは膝間付いた。
「このフェイル、キノ様の元へは戻れません。どうかこの下僕の願いをお聞き下さい」
「はっ、はい……」
マコは戸惑う。
「キノ様をどうか、お支え下さい。これは、あなた様にしか出来ません。どうか」
フェイルは深々と頭を下げた。
「本当に、私でいいのですか? 私はあなたのように出来ない」
「いえ、あなた様にしか、キノ様は守れません」
フェイルは頭を上げ、微笑む。
「キノが私のことを守るなら、私もキノを守る」
マコはキノの髪を撫でた。
「わかりました」
「お任せしましたぞ」
フェイルは立ち上がって、後ろを向いた。
「琉! 立て! 行くぞ!」
「はっ? はい? あれ? どうなった?」
キノに倒された男は、ようやく気が付き、辺りを見回す。
「早くしろ! ここにはもう用はない」
「師匠! 待って下さいよ!」
男は急いで出ていった。
「キノ……」
キノはマコに、しがみついたままだ。耳元で何かを言っている。
「しょうがないね、いいよ」
マコはキノをゆっくり体から放す。離れようとした瞬間、マコは腕を掴んだ。
「でも、キスはダメだよ」
キノは走って出ていく。
「キノ……。守ってみせる。私もあなたを」
6
「あっ、あの女!」
琉はキノを見つけて叫んだ。フェイルは男の頭をゴチンと殴る。キノは走ってきた。微笑んでいた。
「フェイル!」
「キノ様」
キノはフェイルに飛んで抱きついた。彼は抱き止める。キノは顔を見上げた。青い瞳が微笑んでいる。
「もっと、もっと強くなるから」
「はい」
「もっと、もっと大きくなるから」
「はい」
「もっと、もっと……」
「はい……、はい。キノ様」
キノのフェイルを抱きしめる力が増す。やがて離れ、少し間を置いた。
「キノ様、あのお方のお名前は?」
「真琴……、マコ」
「そう、では私からの最後の道義です」
「はい」
「守ることこそ最高の強さです。マコ様をしっかりとお守りなさい!」
「はい」
キノの顔は赤らんでいたが、凛々しい表情で頷く。
「自分の目的は、男であれ、女であれ変わらない。肝心なのは心が正直なのかどうかなんだ。隣にはマコがいる。僕はこの女性を守るのだ。何があっても……」
キノは遠く見えなくなって行くフェイルに、大きく手を振った。
「で、何かよくわかんなかったけど。キノちゃんの彼氏だったの、あの人?」
「わああ!」
石井が二人の間に割り込んできた。
「真琴さん、なんで二人の邪魔したのよ」
山本だ。
「そうよ、いいところだったのにねぇ。チューってね甘い、甘いわぁ」
石井は、目をパチパチして潤ませる。
「あっ、いやいや」
横目でマコを見ると、そっぽ向いていた。
「でも、あんな素敵な人がキノちゃんの彼氏だったら、やっぱりうちの男子全滅だよね」
「だから、彼氏じゃな……」
「もう別れちゃったの?」
「はっきり言うけど、あの人は彼氏でも何でもないの」
「うそ! チューしようとしてたくせに」
石井が鋭く突っ込む。
「えっ、あれは……」
キノの顔が赤くなった。マコの顔が引き吊っている。
「でも、もう逢えないよ」
「そうか、別れたのね」
「もう、そう言うことにして」
キノは説明が、面倒になった。隣のマコは訳がわかっているはずだが、何も喋らず、膨れている。
海原はすぐ後ろに立っていた。
「鈴美麗、あんな外人が来るんだったら、海原に言っておかなくちゃ」
真下もショックを受けていたようだが、海原のせいにした。
「だあーから」
「みなさんの話をまとめると、つまり、キノさんはあの外人にキスされず失恋し、別れたという事ですね!」
海原は、真剣な顔と小さな目で見据えて言う。
「はあぁ!? おまえどうしたら、そんな解釈になるんだよ!」
キノは海原、山本、石井、そして真下を見渡した。ムキになればなるほど、信じてもらえそうにない。
「はい!」
キノは手を上げる。
「はい、鈴美麗さん」
「もう、そうです! 金髪のカッコいい外人に失恋して、ちゅーも出来なかったキノでーす!」
キノは眉をピクピク震わせながらそう言い放った。そしてマコの袖を引っ張って、集団から抜ける。キノはそのまま四人を置いて、走り出した。袖を掴まれているマコは慌ててついていく。
7
二人は教室まで走ってきた。夕暮れ時の教室に西日が入っている。
「ははは」
キノは笑って、マコを見た。
「ふふふ」
彼女も吹き出すように、笑う。二人は手を取り合った。
「誰もいない」
「いないよ。海原くんたちはグランドだし」
キノは周囲を見渡す。
「ねえ、マコ」
「ん?」
「マコと、キスしたい」
「フェイルさんとのキス、邪魔したから?」
「いや、あれは……」
「うそうそ」
手を取り合ったまま、二人は顔を近づけた。マコは顔を上げて、目を閉じる。あの時のように、小さく艶のある桃色の唇が待っていた。キノはゆっくり自分の唇を近づけていく。握りしめている手から、互いの緊張の高ぶりを感じていた。
もう少しで二人の唇が触れる刹那。
「あっ、あの……、こんな時に何のですが……」
二人は瞬時に固まり、顔が強ばった。声がした方向に顔を向ける。教室の隅に一本の手が挙がっていた。
「黙って見ているわけにもいかないので……」
キノは慌ててマコから離れるが、机を倒して、ひっくり返った。
マコは目を凝らして見る。教室の一番後ろの右端に三つ編みの女子がいた。赤いフレームのメガネを掛けている。
「メガネっ娘!」
キノは叫ぶ。
「千秋さん?」
「ピンポン!」
薄暗い教室にいたのは、本田千秋だった。
「お邪魔かなぁ、と考えつつ思わず見入っちゃいました」
彼女は目を伏せて、うっとりする。
「本当にキスするかと。きゃ!」
千秋の想像がどうなっているかは、知る由もないはずだ。
「お二人は、その……、そうゆう関係なんですか?」
キノとマコは顔が強ばる。
「大丈夫です?」
「はい?」
二人は顔を見合わせた。
「女の子の禁断の恋もありです。しかも学園の一と二美少女! 萌え萌えです」
「やっぱり、そうなるよね」
マコが言う。隣のキノは口が開いたまま固まっていた。
「美少女、禁断の恋、あんなことや、こんなこと、萌え萌え…」
キノは鼻血を出して、床に転がる。もともと一本道の武道家だ。アンダーグランド系は、慣れていなかった。マコは顔が赤くなる。
「ともかく、私は応援しますから」
マコは千秋を見て、まずいことにならぬかと心配顔になった。
「ちなみに私はどちらかというと、BL系ですけど…」
千秋は舌を出した。
8
キノとマコの教室での出来事は、千秋の秘密になっているらしく、特に問題は起きていない。一方誰が広めたか知らないが、「鈴美麗キノが失恋してフリー状態になっている」という噂は、校内を駆け巡っていた。キノのもとにはラブレターの数や、言い寄ってくる男子がいつもより増えているのは、確かだったからだ。
「石井、広めてねぇか。この間のこと」
「別に、何も言ってないわよ」
石井はちらりとキノを見る。視線が合った。彼女の頬が少し赤くなる。
「最近、多過ぎなんだけど」
「もてる女は大変よねぇ。ほほほ!」
石井は、笑いながら、そそくさと退散する。
「はぁぁ……。男子からの告白は聞くに耐えないし、考えるに値しない。ラブレターなんぞを読む気もない。やはり書いてある内容が、なんとなく想像できるのが怖い。鳥肌が立つ。捨ててやる。僕だって書いたことないぞ」
キノは、うなされたように、呟いていた。
夕刻までには、一枚の手紙を手を向け、こんな携帯メール時代にも古典的な物は残っているんだと感心さえする始末だった。
「しかも手書きで綴るには、何かしらの覚悟を感じる。そうなのだ、男が命を懸けて渡すもの。そう、決闘状、果たし状! そんなばかな…」
キノは机に額をつける。いつもの癖だ。
「大変スね」
海原は手紙に埋もれているキノを見て言った。
「おまえは、僕に渡すなよ」
キノは睨む。机がガタリと鳴った。
「武道家なら、力で来い。力ずくで、奪ってみろ!」
ドンと机が上下に揺れる。海原の目が見開く。
「力ずくで奪う…」
キノはその危険な態度を察した。彼は真に受けやすい。
「いっ、いや、奪わなくてもいいから…」
「うむ」
「うむじゃない!」
キノはそっぽを向く。
「キノさん」
「あ?」
キノが顔を上げると、千秋が立っている。体が仰け反って、椅子から落ちた。
「おお!」
男子が一斉に叫ぶ。
「ちっ、千秋!」
「あの、ちょっと頼みたいことがあるんですけど、いいですか?」
千秋はにっこりする。キノはマコを探すが、辺りにいなかった。
「今、用事が……」
「あの、キノさん。どうでもいいんですが、パンツ丸見えだよ」
「はう!」
スカートがめくれ上がっている。慌てて、スカートを降ろすが遅い。男子の目を釘付けにしてしまった。キノはスカートを押さえたまま、真っ赤になる。
「なんで、僕のパンツが男の目を引くぅ! スカートなんて嫌いだ!」と、心で叫ぶ、キノだった。
千秋はキノの手を持って、立ち上がらせた。恥かしさと千秋への恐れとで、微妙に震えている。
「こいつ、出来る。こっ、怖い……。『秘密?』を知られている以上断れない」
「ちょっと屋上に来て」
「はっ、はい」
すごすごと付いていく。
「あれ? キノ。千秋さん?」
教室を出ていく二人に、気づくマコだった。
9
「なっ、なにかな? 用って」
屋上についたキノは、そわそわしながら空を見ている。
「あのね……」
といい続けて、千秋はキノに抱きついた。
「あう! こっ、こら千秋!」
執拗に抱きつきながら、何かを確認しているようだ。千秋の意外な攻撃に、戸惑うキノだった。腰やお尻まで触られている。
「ひゃあ!」
キノは、マコや亜紀那、フェイル以外に抱きつかれたことはない。ましてやマコ以外のクラスの女子に、なんてなかったも当然だった。キノの顔が引き吊りながらも、赤くなる。
「やっぱりね」
千秋は抱きついたまま言った。
「マコさんが、何故、キノさんのこと好きなのかなって、考えていたの。この間から」
「ええ! そんなこと考えなくていいよ!」
キノはどぎまきする。
「いいから、もう離れて」
キノは無理矢理、千秋の肩を持って自分から放そうとする。
「やっぱり、気持ちいいのかな」
「なっ、何が!」
「キスとか」
頭の中がパンクしそうなくらい、千秋の言葉に動揺していた。
「あっ、あのな。あれは…」
不意に千秋の顔が、間近に来る。そして彼女はキノの頬にキスをした。キノは予想外の展開に力が抜け、よろけた。その場に二人とも倒れこむ。
「ちっ、千秋!」
千秋は、キノの頬を押さえ、メガネが少しずれたのを戻しながら言った。
「やっぱり、ちがうかも。唇とは感覚が。では」
今度はさっきよりも、顔の位置が正面に来る。
「ちっ、千秋!」
手が出せないので、キノは両手で顔を隠した。
「うそうそ。そこまではしないですよ。マコさん怒るし」
両手の隙間から、キノは千秋を覗く。その間からはメガネ越しに、瞳が見える。
「綺麗です、キノさんの瞳」
千秋の体が密着して、その突起の全てをキノは感じていた。恐らく心臓の鼓動の早さも、千秋には伝わっていることを感じ、顔を赤くする。
「もう、体から離れてくれる」
今だに顔を隠しているキノ、は言った。真っ赤になっているので、手が離せないのだ。
「お肌がスベスベで、柔らかいですね」
千秋はキノの大腿を触りながら呟いた。
「こ、こら!」
「きゃっ!」
キノが思わず飛び起きたために、今度は千秋がよろけて尻餅をつく。
「ごっ、ごめん!」
キノの目に千秋のパンツが飛び込んできた。キノの動きが一瞬止まる。
「見てない! 見てない!」
見つめる千秋に、キノは大きく手を振って弁解する。
「女同士なんだから、別に平気ですよ」
「そっ、そうなの?」と言いながら、「やっぱり、僕も男子と一緒かぁ…」と、良心の呵責を感じるキノだ。
ようやく体を起こした千秋は、またとんでもない事を言った。
「キノさん、今度わたしの王子様になって下さい」
両手を持って、握手される。
「なんですと??」