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キノは〜ふ!  作者: 七月 夏喜
2/9

第2話 マコとキノと亜紀那さん

 河原の小道を、キノはマコに手を引かれながら歩いていた。マコは秋の空の美しい夕焼けを楽しんでいる。ただキノは進まぬ足取りの中、不安が募るばかりでそれどころじゃなかった。

「家に帰ったら、絶対びっくりされるよ、これじゃ」

「後藤さんと亜紀那さんなら多分、大丈夫よ」

 マコは自信ありげに言う。

「どうしてさ? 男が女に変化したあり得ない出来事に、気づかないはずはないよ二人とも。幾ら何でも」

「普通はこんな変化なんて、あり得ない。突然に変わるって」

「そりゃそうさ。僕は今まで絶対、『男』だった。いや今でも僕は『男』だ」

 言い直すキノだ。マコは振り向いて、じっと見つめる。

「でも今は、とびきり美人で、可愛い女の子が私の前にいる。絶対『男』じゃない」

「マコまでそんなこと言うの」

 彼女は思わず吹き出した。

「昨日も今日の朝の記憶も、確かに僕は『男』だ。学制服もズボンだった」

 スカートの端を、摘み上げながらキノは言う。マコは立ち止まった。

「夢を見たの。キノがこうなってしまう、女の子になってしまう夢を」 

 後を歩くキノの袖を引っ張る。

「でも、現実になっているよ、こんな風に」

「何かのサインじゃ、ないかと思うの。将来の私たちに関係する」

「サイン? 男が女に変わることが? 訳がわからない」

 キノは頭を捻った。

「キノ、あの池で私と子供の時、約束したこと覚えている?」

「池……、僕がマコを助けた時の池で」

「そう。あの時に何か約束しなかった?」

 キノは腕組みして考えるが、一向に出てきそうにもなかった。マコは肩を落ちして、小さくため息をつく。

「まあ、いいわ。今日は取りあえず、家に帰って様子を見ないとね」



 キノは三歳の頃に、両親を交通事故で亡くした。唯一の肉親だった武道家の祖父『鈴美麗 雄山』へ引き取られる。武道家でありながら、政界にも顔の効く存在であった。また道場から排出された逸材は、その世界のエキスパートとして、現在も活躍している。しかし祖父との家庭生活は決して楽しいものではなく、朝から夕刻までの稽古に明け暮れることが日課だった。遊びざかりのキノにとっては、精神的な苦痛を伴う毎日であったのだ。マコとは、彼女の所有する池のほとりで小学二年生の時に知り合い、幼なじみとして遊んでいた。

 花宗院家と鈴美麗家は、日本の行く末を動かすことの出来る資産家である。二つは陰と陽であり、世界の表舞台に立ちリーダーシップ発揮する花宗院家と、隠密に事象を行う鈴美麗家との間違わぬ関係だった。しかし両家の息子たちは、同じ大学で過ごした学友であり、親友であった。キノの父『鈴美麗雄一郎』は、代々につながる鈴美麗家のやり方に反発し、家を飛び出し、身を潜めて暮らしていた。雄一郎は、キノの母となる『仲間 雛美』と出逢い、結婚する。翌年キノが生まれた。ひとつのケジメをつけるため、キノが三歳になると、雄一郎と雛美は父の元に車を走らせるが、その途中に交通事故に遭うのだった。キノが中学生になるのと同時に祖父が病に倒れ、亡くなる。推定資産約数十億を残して、キノに相続された。

 現在この屋敷には主人のキノの他に、永年勤続を自負している執事の『後藤 喜一』、世話係の『三月 亜紀那』が従事している。どちらも亡き祖父が認めた、キノを守るための強者である。

 キノはおそるおそる正門に立った。厳格な祖父がこだわりを見せた、瓦葺きの屋根と門構えは、威厳を放っている。この時点で監視カメラからは、気が付かれているはずだった。なんなく電子扉が開く。キノはマコと顔を見合わせた。ゆっくりと中に入る。ここでも監視され、防犯用の赤外線が張り巡らされているはずだった。玄関までの飛び石を歩く。何も起こらないので、キノは両手を上げて振った。監視カメラの方向はわかっているからだ。

 しかし何も起こらない。ためしに小石を拾ってカメラの方向に投げた。ビッと赤外線が反応する。

「なんだ、しっかり見てるじゃん」

 キノがもう一回石を投げようとしたとき、腕を掴まれた。

「これこれ」

 振り返ると、竹箒を持ち、青地の服に白いエプロン姿の亜紀那がいた。

「亜紀那さん! これ、これ見て!」

 キノはスカートを端っこを持って、一回転する。彼女は動きを止め、じっと見つめる。

「まあ……」

 虚ろな目、口元が緩む。

「だろ!」

「とっても、可愛くてらっしゃる」

「え?」

 亜紀那はがっつりとキノの両肩を掴んだ。じたばたするが、さすが見込まれている女性だ。

「ちょっと亜紀那さん!」

 身動きがとれない。海原の時と違って、まるで赤子のように動きを封じ込められていた。

「こんなに美しくて、可愛いくていらっしゃるのに、どうして気がつかなかったのでしょう?」

 亜紀那はため息をつく。

「は?」

 そう言うと彼女は、キノをしっかり抱きしめた。

「あぶぅ!」

 亜紀那の方が背が高いために、キノの顔が彼女の大きな胸に埋もれる。マコは間に割り込んで、二人を引き離した。

「あっ、亜紀那さん!」

「あら、マコ様。いらしてたのですか」

「ずっと隣にいました!」

 マコは膨れて、少々怒り気味に言う。

「冗談ですよ」

 亜紀那の鋭い切れ目が、笑った。

「もう!」

 キノはマコの場合とはまた違って、色香のある大人の女性の包容に目を回していた。顔が火照っている。

「キノも、しっかりしてよ!」

「キノ様の愛くるしいお姿を見たら、つい抱きしめてしまいました。だって、クルリンと一回転されるんですもの」

 亜紀那はうっすらと頬を赤らめ、恍惚の表情を浮かべて微笑んだ。

「マコ様も今日も、お可愛いですわ」

「もう、いいの」

 マコは相変わらず、膨れっ面だ。

「亜紀那さん、僕の様子は朝と変わってる?」

 彼女は頷いた。

「やっぱり!」

「朝よりも、憂いに満ちてお美しい」

「そっ、そんなんじゃなくて!」

「はて?」

 亜紀那は困った顔になる。

「キノ、亜紀那さんが抱きしめた時点で、あなたは本当のキノなのよ」

「何か、おっしゃてる意味がわかりませんが」

「亜紀那さんご免なさい。この子初登校だったでしょ、疲れているみたい」

 マコが取り繕った。

「では、すぐにお食事を用意いたします。それともご入浴されますか」

「はい?」

「お背中を流しましょうか、キノ様」

 キノは焦った顔になる。

「あっ、亜紀那さん。今日、私泊まりますから。キノと宿題があって」

「とっ、泊まるぅ!?」

 キノは驚いて、マコを振り返った。

「……」

 亜紀那はじっとマコを凝視する。マコも負け地と見返した。二人の間に何かあるように、緊張が走る。

「わかりました。花宗院様へのお泊まりのご連絡は、わたくしがやっておきます。しかし……」

 何か府に落ちない様子だ。

「なっ、なに?」

 マコは構える。

「キノ様を独り占めは、いけませんよ」

 亜紀那はにっこり笑った。

「なっ、なにをそんな!」

 マコの顔が赤らむ。


 長く広い廊下を進むとキノの部屋がある。ベッドやクローゼットの位置など、レイアウトは全て朝と同じだ。違うのは全てのものが、女子ものに変わっていることだ。

「何なんだ、これは?」

 呆気に取られ、鞄が落ちた。クローゼットを開けると、多彩な衣装や靴が整然と並んでいる。今朝まで男の部屋だったとは信じられない状況だ。

「まっ、まさか!」

 キノは慌てて、クローゼットの奥へ入った。

「何、何?」

 マコもついていく。キノは立ち止まった。

「いっ、いや。マコはいいから、何でもない」

「変なもの、隠しているでしょ」

 マコは訝しげな顔をする。

「違う違う。さあ、戻ろう」

 マコの視線を体で遮りながら、素知らぬ顔で戻るキノだが、ちょっと後ろを気にしていた。マコの背中を押してクローゼットから出る。

 クローゼットから出た振りをして、マコは体を反転し中に入ろうとした。キノは慌てて、扉を押さえる。

「キノ。あなた、相当、変なもの、隠しているわね」

「だっ、だから、何でもないって!」

 鼻息荒くキノは、扉の前から動かない。

「わかった、わかった」

 マコは諦めた。

「でもマコ、どうするんだ。泊まるなんて嘘言って」

「嘘じゃない、本気だけれど」

 目を丸くしてキノは驚く。

「今日は泊まっていくわ」

 マコは言う。

「ど、どうして?」

「これからのことを知っておかなくちゃ」

「何の?」

「ばかね。キノ、女の子のこと学校の保健体育程度しか知らないでしょ」

「そっ、そんなことないよ!」

「本当?」

 マコは疑いの眼差しだ。

「例えば…」

「例えば?」

「そう、子供の作り方とか」

 マコからパンチが飛ぶ。

「なっ、なんだよ!」

「だから、男ってだめなのよ! すぐそんなことしか、思いつかないなんて!」

「なんでだよ! しようがないさ! 僕は男なんだから!」

 胸に手を当ててキノは叫んだ。

「男って何よ! キノは女の子よ!」

 二人とも睨んだままだ。そのまましばらく時間が過ぎていく。

「男をなめるなよ」

 キノは一端目を伏せて、真顔になった。海原の時と同じように、真一直線にマコを見つめる。

「男だったら、どうするのよ」

 マコも強気だ。キノの視線を受けても反らさない。キノはマコに近づいた。あまりの接近に、彼女は後ずさりする。キノは一歩前進する。またマコは後ろに下がる。ゆっくりとキノは、間合いを詰めた。背後にはキングサイズのベッドがあり、マコに行き場がない。

 と、ベッドのフレームに足を引っかけて、マコはふんわりとした羽毛の肌掛け布団へ倒れた。キノはマコの両手を押さえ、四這いになって覆い被さる。マコは抵抗するが、身動きがとれなくなった。キノの長く細いしなやかな髪が、マコの顔や髪に落ちていく。マコの乱れた黒髪とキノのクリーム色の髪が、ベッドの上で混ざりあう。

「僕の姿がどうであれ、中身は今までと同じ男だ。男だったら、目の前にこんな可愛い女の子がいて」

「……」

「しかも、ずっと想っていた子がいたらどうする」

「……」

「僕は、マコを守りたい。ずっと、ずっと守っていきたい」

 マコの抵抗していた力が抜ける。

「ずっと……、守ってくれるの?」

 キノは目を閉じて、ゆっくり頷いた。口元を引き締めた色白の顔は、赤く火照っている。

「男として」

 キノの押さえている力も抜けた。

「何か……、したい……?」

 ゆっくりとマコは、押さえられていた手を抜く。そしてキノの細長い髪を、両手でかき上げた。

「キスする?」

 そのまま両手は顔を包み込む。その紅潮している頬は、次第にマコに近づいていった。堪らずキノが薄目を開くと、マコの淡いピンク色の、艶のある小さな唇が、その仕草を待っている。キノの心臓が次第に高鳴った。キノは触れたと思った。


 触れた感触が違う。指?


「はい、そこまでぇ」


 マコとキノの唇の間に、手が挟み込まれていた。

「乙女の唇は、素敵な殿方のために取っておくものですよ」

「わああああぁぁぁ!!」

 キノは叫んで、仰け反って、ベッドから落ち、化粧台で頭を打った。

「亜紀那さん!?」

 マコはベッドから飛び起きる。ベッドの側に亜紀那は正座していた。

「亜紀那さん! なっ、何してるの!」

「それは、こちらの台詞です、キノ様。随分ノックしましたが、お返事がないので、お具合でも悪いかと失礼ながら入室いたしました」

「そっ、そう」

 キノの髪はくしゃくしゃだ。マコは手櫛で乱れた髪を元に戻している。

「もう、マコ様もご一緒なのに」

「すみません……」

「とにかく、お二人とも高貴な方でらっしゃるのだから、節度をわきまえて行動していただきませんと」

 亜紀那は二人を見つめながら言った。

「では、お食事がご用意できていますので、お着替えになったらおいで下さい」

 亜紀那は立ち上がり際に、マコに囁いた。

「だから、キノ様の独り占めはいけませんよ」

 マコは亜紀那が通り過ぎて行くのを見つめていた。

 パタリと扉が閉まり、部屋の中が静かになった。

 キノとマコはベッドの端に少し離れて座っていた。二人とも言葉が出ない。そのまま少し時間が過ぎた。

「嘘じゃ、ないよ……」

 キノが口火を切った。

「わかってる。でも……」

 マコは口元を引き締める。

「でも?」

「こういうことは、やっぱりよくないかも」

 彼女は窓の外を揺れる木々の枝を、眺めていた。

「あり得ないから?」

「そう。キノを男だと見る人は、いないわ…」

 困った顔に、キノはなった。

「信じたくないけど、今はそうだね」

「今だけならいいけど……。やっぱり、今日帰るね」

「うん……」

 扉を開けた時、マコは振り返る。キノはずっとベッドの脇に座っていた。マコに手を振る手は、幾分か力無く見えた。


 翌日からキノとマコは一緒に登校はするが、話をしている様子ではない。互いが遠慮しているようだ。しかも、マコは副委員長なので如月と行動することも多かった。そういうときは、決まってキノは机に頭を付けて座っている。海原は何か不自然さを悟っていた。

「キノさん、マコさんと何かあったんですか?」

「何もない」

 キノは額を付けたまま動かない。

「最近、二人で話しているところ見ないから」

「海原には関係ない」

 顔が少し動いて、キノの目が海原を睨む。

 昔の海原だったら、ここで引き下がったかもしれない。けれど今は違う。

「この海原、キノさんのためだったら、ひと肌脱ぎます!」

 海原は上着を脱いで、袖をまくり上腕二頭筋を見せる。精一杯の彼なりのパフォーマンスだったに違いない。マッチョな体と過緊張が災いしてか、服が裂けた。机が倒れる。クラスの目が海原に集中した。

「男の裸なんて見たくない」

 キノはあっさり斬り捨てる。本心だ。立ち上がった。

「きっ、キノさん何処に?」

「もう! トイレだよ!」

 廊下を歩きながら、ぶつぶつキノは呟いている。

「マコとは、女友達として付き合ったらいいのか……?」

 腕組みしながらトイレに入った。すれ違う男子が目を丸くして、股間を押さえる。

「どわぁ! おっ、おい! ここは男子トイレだぞ!」

 トイレの中は、騒然となった。慌ててズボンのチャックを挙げる始末だ。女子でもキノだから更に仕方がない。

「ああ、ゴメン、ゴメン。つい、うっかり」

 キノは微笑んだ。そして素知らぬ顔で出ていく。

「つい、うっかりするか? 普通」

 側にいた男子は、呟いた。


 キノは女子トイレが苦手である。何か見てはいけない、知ってはいけないものがあるからだ。匂いのきつい化粧もそうだが、特に洗面所の前で井戸端会議が始まってしまうのは、時間の無駄だ。何よりもその内容が、聞くに絶えない時がある。

 まずはトイレの周囲に誰もいないことを確認して、素早く駆け込む。スカートは簡単だが、男のように気軽ではない。さて、用を済ませるとまた大変だ。ドアをゆっくりと開け、ハンカチを口にくわえて、ダッシュで洗面所まで行く。

 手早く洗い、振り返った時、運悪く女子に遭遇してしまった。

「あっ、鈴美麗さん」

 同じクラスの山本だった。

「やっ、やあ」

 やや顔が引き吊っている。

「さっき海原くん、変だったね」

「変?」

「そうそう、何脱ぎ出してんだか」

 山本の友人の石井も来た。

「ばっかだよねぇ。あれ変態だよ」

「変態? 海原が?」

 キノは呆気に取られる。確かに海原の行動は変だが、その訳は知っている。

「あまり、関わらない方がいいよ鈴美麗さん。あいつ、柔道部でしょ。あそこの人たち、たち悪し」

 山本は、怪訝な顔をした。

「この間、キノさん、海原くん投げ飛ばしたって? 凄いよね。足かなんか引っかけたの?」

 石井はケタケタと笑う。

「キノさんとなんか、絶対合うはずないのにね。頑張っちゃって、おかしい。全然つり合わないよ」

 彼女は更に言葉を付け足した。手を洗いながら、山本は確認する。

「でも、しつこく付きまとうんだったら、私たち言ってあげるよ」

「そうそう。ウザイってね」

 石井の嘲笑めいた声が、洗面所に響いた。

 鈍く鋭い音がして、洗面器が砕け落ちる。途端に壊れた蛇口から水道水が勢いよく飛び出した。山本や石井の顔を直撃する。

「きゃあ!」

 女子トイレ全体に噴水のように、水が吹き出す。辺り一面水浸しだ。キノは濡れながら、握った拳を元に戻すことは出来なかった。

「故障したみたいね」

 キノは努めて女らしく、ニッコリする。

「なんで、急に、洗面器が落ちるの?!」

 山本と石井は頭から水浸しになり、騒いでいた。

「何、これぇー!」

 トイレに入ってきた他の女子も、ずぶ濡れになっている二人を見て驚く。


 トイレからキノが一人で出てくると、マコが入り口で待っていた。

「随分、怒ってるわね」

「別に」

 マコはハンカチでキノの髪を拭く。キノはそのままじっとしている。マコはキノの右手に痣が出来ているのに気づいた。ため息を付く。

「海原くんのことでしょ」

「海原なんて、関係ない」

 歩き出すキノを後ろから付いていくマコ。

「うそ。聞こえてたんだ。話」

 キノは立ち止まって、振り返る。

「マコは海原が変な奴だと思う?」

「そうね、変かもね」

「はう?」

「でもいい変かな。キノのことを心配してくれてる」

 マコは微笑む。

「そんな! 男に心配してもらわなくていい!」

「でも、そんな男のために壊したんだよね、洗面器」

 キノがマコの方を向いた。

「何がいいたいの?」

「キノ、一歩前進よ。それは海原くんに好意がある証拠よ」

「はあ?!」

 あまりの突拍子もない言葉に驚く。

「何で、海原なんかに好意を持つんだよ! 男の友情だ!」

「恋の始まりなんて、そんなものよ」

 マコは腕組みして、頷いた。

「ええぇ!?」

「私、キノがあの時、本当に男に戻ちゃったかと思った」

「いっ、いや、あれは本気で…」

「海原くん!」

 マコは海原を見つけて、声を掛ける。海原はすぐに振り向いた。

「おっ、おい! マコ!」

 キノは手を振るマコの腕を、掴んで降ろす。

「何か用スか?」

 海原が近づいて来た。

「海原くん、キノがね」

「マコ!」

 キノはマコが、今話していたことを言うのではないか、と焦っている。

「キノさんが……」

 ぽっと海原の頬が赤らむ。

「キノが、海原くんが慰めてくれて、ありがとうって」

「うむ」

 海原は頷いた。キノの顔は真っ青だ。

「もうひと肌脱ぎますか?」

 ぬうと胸を突き出す海原。

「あほぅ!」

 キノの慌てた姿を見て、マコは大笑いする。

「キノさんとマコさんは、二人でいる方がずっといい」

 海原は二人がはしゃいでいる姿を見て、安堵した。

「キノ。私、キノを独り占めしないわ」

「何のこと?」

「私は自分がしなくちゃいけないことをするだけ」

「自分のことって?」

「それは、教えない」

 マコは微笑むと走って、キノから離れていった。キノはマコの残したハンカチを握りしめていた。

「マコ……、おまえ何か変だよ」


 キノはマコの言ったことをずっと考えていた。リビングのソファーにもたれて、紅茶を飲む。

「キノ様」

 亜紀那が声を掛けた。

「紅茶のおかわりはいりませんか?」

 彼女は支度をする。

「亜紀那さん、マコのことどう思う?」

 お湯を注ぐ手が一瞬止まったが、また動き出した。

「マコ様は、いい方ですよ」

「その……、この間、こと……」

 キノはカップを見つめる。恥ずかしくて、赤くなった。

「仕方がありませんわ。マコ様は可愛くてらっしゃる」

 亜紀那は微笑む。

「ほっ、ほら、あんなこと女の子同士で……」

「女の子同士……、そういえばそうでした。でも、そんな風には見えませんでしたね」

「え?」

「そう、キノ様は殿方のように、荒々しく見えました」

 キノは手を握りしめる。

「私、一瞬、キノ様が男だと感じました」

 キノは亜紀那の方を向いた。

「それに……」

「それに?」

「キノ様は、マコ様がお好きなんでしょう?」

 キノは肩を震わす。亜紀那には目を合わさない。

「マコ様もおそらく、キノ様を」

「……」

「お二人の間に何の秘密があるのかは、私の知るところではありません。ただ……」

 紅茶のほのかな匂いが、室内に漂う。

「あの時のお約束を、お忘れになってはいけません」

「約束?」

「そうです。マコ様が池に落ちて、それをお助けになった時に、キノ様ご自身が叫ばれていた言葉」

 カチャリとカップと机が接触する音が響いた。


 キノは目の前に並んだクッキーに手を伸ばし、一口囓る。

「丁度私が、この屋敷にご厄介にさせていただくようになった時、キノ様はまだ三歳でした」

 カップに新しく紅茶を入れて、亜紀那はキノに近づいてきた。

「あの時はまだ、キノ様は幼く、私の後ばかりをついてこられていました。思えばあの時が一番私にとっても、楽しいお時間でした」

「その頃はね。大きくなると僕には、稽古地獄が待ってたよ」

 キノは苦笑いする。

「小学二年生のキノ様は、池からマコ様救い上げて、というか正確にはキノ様も溺れかかっていましたが。幸いに近くにいた方が池から引き上げてくれました」

「はは」

 何だか恥ずかしく思い、愛想笑いで誤魔化した。

「その時キノ様は、マコ様を抱き、泣きながらおしゃってました」

「……」

「強くなって、マコ様を生涯守っていくと」

「マコを生涯守ると言った…」

「真剣でした。真一直線な視線、あの時からキノ様は稽古も休まずなさるようになった」

 愛想笑いをしていた表情は、やがて何かを思い詰めるように真顔に戻る。

「マコ様を思う気持ちは正直でいいのです。それはマコ様をどんな形であれ、守ることに、キノ様は選ばれたのですから」

「うん」

 キノの顔は赤らんでいた。細い指を絡ませて、照れている。さっきの不安気な顔から明るくなっていた。亜紀那はじっとその仕草を見つめる。

「でも……」

 亜紀那はカップをテーブルに置いた。

「ん?」

 キノは殺気を感じ、受け身を取ろうとする。亜紀那は間合いがなく素早かった。キノを立ち上がらせて、絡ませいた指を外し、両手を取る。

「あああ!」

 そして、思いっきり抱きしめた。亜紀那の胸にキノの顔が、またしても埋まる。

「でも、こんな可愛く愛くるしいお人。やっぱりマコ様だけのものも嫌かも……」


「海原、部活行くのか?」

 キノは海原が、胴着を持って立ち上がるのを見て言った。

「はい。一緒にきますか? また手合わせが出来ると嬉しいのですが」

 海原ははにかむ。あまり海原をおどけさせると、クラスの女子が気味悪がるから、キノは無視した。

「やめとく。それとおまえとは手合わせはしないよ」

「なぜですか?」

「自分でやれ。僕は先生じゃない」

「惜しいな。絶対に強いですよ、キノさんは」

「おまえ、女に負けてんだぞ。しっかりしろよ」

 言った後に、後悔してキノは机に額を付けた。

「女かぁ……」

 海原はキノの目線まで腰を落とす。

「ぼくは、キノさんに投げられた時、女だということは、気にもしませんでしたよ」

 海原の目は真剣だった。少しだけ頭が海原の方を向き、キノの大きな瞳が見つめる。同時に口元のしっかりした、ピンク色の唇が何か言おうとしていた。

「投げようとした時は、女を感じた」

「うっ!」

 海原は言葉に詰まる。机が上下に動いた。キノは否応なしに上体を起こされる。

「思い出した? ここの感触」

 キノは両手で胸を押さえて、なおも目と唇で海原を襲う。

「きっ、キノさん?」

 海原の顔からは汗が吹き出していた。

「海原、僕は……、キノは可愛いの?」

「え?」

 海原の小さい目が見開く。充血する。

「キノが彼女だったら、嬉しいのか?」

 海原の思考は止まっているらしく、返事がなかった。ただまたしても鼻からは赤いものが流れ落ちてくる。キノは無視して、机に頬杖した。

「そりゃ、僕だって、同じだよ。僕だって、あの時のマコの胸の……」

 キノの鼻下にも赤いものが筋を作る。その空間に二人が鼻血を出している光景は、不思議だ。

「何ぶつぶつ、言ってんの? 私の胸がどうしたの」

 机がひっくり返った。ほぼ失神状態の海原も転がる。

「相変わらずね、海原くん」

 クラスの女子が悲鳴を上げて、遠退いた。またしても海原は変態扱いされる。

「こっ、この変態!」

 石井が蹴りを入れていた。

「マコ、あのさ……」

「海原くんに何か言ったでしょ、キノ」

「マコ、あの」

「だから、キノ。海原くんと話するときは、彼の性格を見なくちゃ。彼、どんどん変態扱いになっていっちゃう」

「マコ」

「わかってるの、キノ」

「マコ!!」

 キノはマコの両肩を持とうとしたが、やめた。

「なに?」

 マコはキノを上目使いに見る。キノの両手が下がっていくのを横目で見ていた。

「その…」

 マコの目がキノをじっと捕らえる。流れていた目が、真っ直ぐにマコの目を見つめ返した。

「あっ、その……」

「花宗院くん!」

 如月が声を掛ける。

「これから生徒会の役員会があるんだけど、一緒に出てもらえないか? 君には色々覚えてほしいことがあるんだ」

 キノは困った顔になった。如月とマコの顔を交互に見る。

「生徒会だって、キノ。私行かなくちゃ」

 マコがキノの前から離れようとした。体が動いた時、キノはマコの制服の端を掴み、そして引き寄せる。

「きょ、今日、一緒に帰ろう!」

 キノの顔はいつになく、紅潮していた。不審な顔をして、如月が近づいてくる。マコは目を一端伏せて、キノを見つめた。

「キノ。帰りには、ケーキとコーヒーも一緒だよね」

「うっ、うん! いい店知ってる!」

 マコは、憂いに満ちた顔で微笑む。

「如月くん、今日はパス。また今度ね」

「は?」

 マコは、如月に手を振った。キノは彼に向かって、大きく舌を出す。

「ねえ、キノ」

「なに?」

「いい加減、鼻血拭き取ったら?」

 マコは浮き足だったキノに、呟いた。


 マコとキノは、あの時と同じ、夕暮れ時を歩いていた。

「キノ、やっぱりだめみたい。私、キノのことばかり考えちゃう」

 ふいにマコがキノの腕を取って、組む。キノは慌てた顔をして緊張した。

「キノ。ゆっくりでいいよね。これからを考えていくの」

 マコはキノの腕に寄り掛かる。

「マコ、僕は君を守るために、自分に出来ることをする。それは男でも女でも、どちらになっていても変わらない」

「キノ……、そうよね。私も出来ることをするわ」

 キノはマコを見た。彼女の顔は、夕暮れの光に照らされて、赤いのかどうかわからない。

「早く男に戻りたいけど、焦らなくていいよ。自分で言うのもなんだが、ゆっくりでいい」

「うん……」

「じゃあ! おいしいケーキ屋さん行こう!」

 二人は遠くから見ると、恋人同士に見えるかも知れない。キノのスカートさえなければ……。

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