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【短編030】 失敗した目玉焼き:うまくなるほど、遠くなるものがある。

作者: macchao
掲載日:2026/07/21

AIの使い方について、正直なところまだよくわかっていません。

便利なのは確かです。でも、どこまで頼っていいのか。どこから先は自分でやるべきなのか。たぶん、答えはまだ出ていない。

そんなことを考えながら書いた話です。

笑えるところもあります。たぶん。

 田島 弓子、三十四歳。


 フリーライターである。締め切りが来るたびに死を覚悟するタイプのフリーライターである。


     *


 最初にAIを使ったのは、料理レシピを検索するためだった。

 正確に言うと、冷蔵庫の残り物で今夜何か作れないかを聞くためだった。


「冷蔵庫に、なんか卵とハムと、あと謎のチーズがあります。何が作れますか」


 AIはすぐ答えた。


『オムレツ、スクランブルエッグ、クロックムッシュ、キッシュなど様々な料理が作れます。』


「キッシュって作るの難しくないですか」


『手順に沿えば問題ありません。』


「私は手順に沿えないタイプです」


『では、オムレツをお勧めします。』


 弓子はオムレツを作った。

 三回目に、ようやく形になった。

 一回目と二回目は、ハルが食べた。


 ハルは玄関先に住み着いた野良猫で、耳が立派に大きく、体は小さく、性格は生意気だった。弓子がドアを開けるたびに「やっと来た」という顔をした。弓子は餌をやっているつもりだったが、どちらが世話をされているのかは、だんだん曖昧になっていた。


     *


 次にAIを使ったのは、仕事の取材メールを書くためだった。

 インタビュー依頼のメールは、弓子がもっとも苦手とする文書形式だった。


「取材のお願いをするメールを書いてください。相手は著名な料理家です。失礼なく、でも媚びすぎず、でも軽すぎず、でもかっこよく」


 AIはすぐ答えた。


『もちろんです。以下のような文面はいかがでしょうか。』


 完璧なメールが出てきた。

 礼儀正しく、簡潔で、誠意があって、媚びていなかった。


 弓子はそれをコピーして、貼り付けて、送信した。


 三分後、返信が来た。


「ご丁寧なメールをありがとうございます。喜んでお受けします。」


 弓子は椅子の上で両手を挙げた。


「やった! AIすごい!!」


 ハルが窓の外から、興味なさそうに見ていた。


     *


 翌月、弓子はAIにもう少し深いことを頼むようになった。


「この記事の書き出し、どう思いますか」


 下書きを貼り付けた。三時間かけて書いた書き出しだった。


 AIはすぐ答えた。


『読みやすい文章ですが、冒頭の一文が少し情報過多かもしれません。』


「どこですか」


『「東京生まれの料理家・久保田氏が幼少期の経験から着想を得て考案した、発酵と燻製を組み合わせた独自の調理法は——」という部分です。』


 弓子は読み返した。


「……全部大事な情報なんですよね」


『冒頭に詰め込まれると、読者が疲れることがあります。』


「じゃあどうすればいいですか」


『例えば、こういう書き出しはいかがでしょうか。』


 改案が出てきた。


 弓子はそれを読んで、少し黙った。


 うまかった。自分が三時間かけて書いたものより、明らかにうまかった。


「……参考にします」


 そう打ってから、ひとりで部屋に座っていた。


     *


 年が明けたころ、弓子の使い方は変わっていた。


 書き出しだけでなく、構成も聞くようになった。

 構成だけでなく、見出しも聞くようになった。

 見出しだけでなく、締めの一文も聞くようになった。


 原稿の完成速度が、倍になった。

 編集者から「最近、記事の完成度が上がりましたね」と言われた。

 弓子は「ありがとうございます、精進してます」と答えた。


 それは正しかった。

 ただ、誰が精進しているのかは、よくわからなかった。


     *


 ある夜、弓子は提出済みの原稿を読み返した。


 うまかった。

 でも、どこかで読んだことがあるような気もした。

 どこで読んだかは、思い出せなかった。


 気のせいかもしれなかった。

 そう思って、画面を閉じた。


     *


 翌週、また別の原稿を読み返した。

 今度は、自分が書いたどの部分がどの部分かが、少しわからなかった。

 AIの提案をそのまま使った箇所と、自分で書いた箇所の、境目が。


 別に、悪いことではなかった。

 いい原稿ができている。

 編集者も喜んでいる。

 読者も読んでいる。


 弓子はそう考えて、また画面を閉じた。


 ハルが、珍しく静かに膝の上にいた。

 撫でても動かなかった。

 重かった。

 温かかった。

 弓子はしばらく、パソコンを開かなかった。


     *


 問題が起きたのは、三月の終わりだった。


 ある雑誌から、エッセイの依頼が来た。

 テーマは「わたしが料理を好きな理由」。

 弓子自身の話を書いてほしいということだった。


 弓子は張り切ってAIに頼んだ。


「エッセイを書いてください。テーマは『わたしが料理を好きな理由』です。書き手は三十四歳のフリーライター、女性、一人暮らし、猫が家の外にいます」


 AIはすぐ答えた。


『以下のようなエッセイはいかがでしょうか。』


 エッセイが出てきた。


 一人暮らしの夜は、静かだ。

 包丁の音だけが部屋に落ちる。

 リズムが整うと、頭の中も、少しずつ整う。

 料理は、自分との対話だと思う。

 うまくいかない日も、鍋を火にかければ、なんとかなる気がした。

 食卓は、見えない誰かへの手紙だ。

 わたしが料理を好きな理由は、たぶんそこにある。


 読みやすかった。

 まとまっていた。

 一瞬、悪くないと思った。


 完全に、嘘だった。


 弓子は料理が得意ではない。苦手というより、面倒だと思っている。冷蔵庫の残り物でどうにかするのは好きだが、レシピ通りに作ることには興味がない。包丁の音を聞いて心が落ち着いたことは、一度もない。


 弓子は画面を閉じた。


 そして原稿用紙を引っ張り出した。

 ペンを持った。

 最初の一文を書いた。


「料理が好きかどうか、正直わからない。でも、失敗した目玉焼きを玄関の猫が食べてくれた日、なんとなく夜が短く感じた。」


 止まった。

 続きが出てこなかった。


 また画面を開いた。


「この書き出し、どう思いますか」


 AIはすぐ答えた。


『個性的で良いと思います。続きが気になる書き出しです。』


「本当ですか」


『はい。「失敗した目玉焼き」と「猫」の組み合わせが意外で、読者の好奇心を引きます。』


 弓子はその言葉を読んで、少し笑った。

 そして続きを書いた。

 今度は自分で書いた。


 時間がかかった。三時間では終わらなかった。

 でも書けた。


     *


 提出したエッセイに、編集者から返信が来た。


「これ、いいですね。弓子さんらしくて」


 弓子は「ありがとうございます」と返した。


 次に画面を開いて、AIに打った。


「ありがとうございました」


 AIはすぐ答えた。


『お役に立てて良かったです。』


 弓子はそのメッセージをしばらく見ていた。


 ハルが窓を引っかいた。

 弓子は立ち上がって、ドアを開けた。

 ハルは当然のように入ってきて、当然のようにキーボードの上に座った。


 画面に文字が並んだ。


『ggggggggggg』


 弓子は笑って、ハルをどかした。

 ハルは不満そうに、でもそこに居続けた。


     *


 それからも弓子はAIを使い続けた。


 メール文を作ってもらうことも、構成を相談することも、やめなかった。

 やめる理由がなかった。


 ただ、書き出しだけは、自分で書くようになった。


 なぜかと問われたら、答えられなかった。

 強いて言えば、書き出しだけは、失敗した目玉焼きの味がしないと嫌だった。


 そういうことだった。

 たぶん。


 ハルは今日も、キーボードの上にいる。


---


*弓子がAIに聞かなかったことが、一つだけある。*

*「わたしが書く理由は何ですか」*

*それだけは、答えてもらっても困ると思っていた。*


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

弓子がAIに聞かなかった最後の一問、「わたしが書く理由は何ですか」——これだけは、書いている自分自身にも答えが出ていません。

出なくていいのかもしれない、とも思っています。

ハルは今日も、キーボードの上にいます。

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