仮面
人には幾つもの顔があるものと思っていた
場面で使い分けたり
人によって変えたり
ビリー・ジョエルも『ストレンジャー』で歌っていた
“そうさ 僕らは誰だって
ずっと隠したままの顔を持っている
そして誰もいなくなったときに
その顔を取り出して自分で眺めるんだ”
子どもから大人になる過程で、いろんな顔の仮面をつけるようになった
親の前の顔、友だちといる顔、好きな人にだけ見せる顔…
学校の教室用の顔、放課後の顔、家に帰って独りの顔…
いったいどれが本物の自分の顔なのか
全部自分のようで、全部違った
独りになった時の自分の顔すら偽者の自分だった
どんな時も仮面をつけて生きていた
もっともらしい顔をした人間の仮面をかぶって、心は死んでいた
場面や相手に求められる顔を作って
本当の自分の心は奥底に閉じ込めて
そんな仮面は脱ぎ捨てて、素顔で生きる今
仮面はひとつも要らない
いつでもどこでも、私でいる
仮面よりよっぽど表情豊かな心のままに
母親でいる時も、一人の女性でいる時も
親と過ごす子どもの立場の時も、公で社会人として大人として振る舞う時も
私は、私のまま
その時々に応じた顔を差し出したりしない
昔の私はTPOに合わせて自分を変えていた
今は服とメイクを変えるくらい
礼儀は必要とされるからね
自分自身はいつも同じ
変に気を遣わない
取り繕ったりしない
第一印象からずっと変わらない
人は鏡
素顔で接すると、素顔を見せてくれる
誰もがありのままの自分で応えてくれる
無理して対面を良くして、上辺だけの会話をする窮屈な人間関係はもうやめた
誰に対しても、心でコミュニケーション
どんな顔をしていてもいい
調子が悪い時は、調子が悪い顔
得意気な時は得意気な顔
別にどう思われたっていい
それが私だから
八方美人で皆に好かれようと頑張っていた時もあったけど
どうでもいい
私が好きな私でいることの方が大事だ
人のためや好感度のために、本当の自分を隠すくらいなら別に好かれなくていい
本当の自分であるがままの心で生きなければ、私の人生を生きられない
誰のために生きてる?てこと
私のために、私が幸せでいられるために
私であるように
全身全霊、私でありたいのだ
本来の自分と一致すると
世界はとても生きやすいところになる
ありのままの姿が一番愛される
あるがままの流れで全てが動き出す
自然と一体となって
宇宙の一部になる
分離は消えて統合される
シンクロニシティの連続
世界と自分はひとつ
全ては大いなる意思のままに
迷いも不安も無い、穏やかな心
私は私
I AM THAT I AM




