三角関係
その日から、俺の学園生活は、新たな地獄の様相を呈し始めた。
俺が教室に入ると、ロゼリアとその取り巻きたちが、頬を染めて俺に挨拶してくる。
昼食時には、俺の好物(であるはずの、ロゼリアの好物)が、当然のように用意されている。
俺は、彼女の思考を読み、彼女が最も喜ぶであろう言葉を、無意識に、そして的確に紡ぎ出してしまう呪縛にかかっていた。
恐怖の対象から、尊敬の対象へ。そして今、俺は、ロゼリア派閥公認の「ロゼリア様のお相手」として、祭り上げられていたのだ。
その、あまりにも居心地の悪い状況を、冷たい目で見つめる者がいた。
ミアだ。
その日、事件は起きた。
昼休みの談笑中、ロゼリアが「まあ、圭様ったら」と、俺の服についた糸くずを、親しげに取ってくれた、その瞬間だった。
「——圭に、さわらないで( ͡° ͜ʖ ͡°)」
地獄の底から響くような、低い声。
ミアが、笑顔のまま、しかし一切笑っていない目で、ロゼリアを睨みつけていた。
ロゼリアも、売り言葉に買い言葉で応じる。
「なんですの、あなたに指図される覚えはありませんわ!わたくしが誰と話そうと、わたくしの自由です!」
「圭は、アタシの夫だもん」
「なっ……!お、夫ですって!?あなたのような平民が、何を根拠に…!」
バチバチと、二人の間に、目に見えない火花が散る。
教室の空気が、凍りついた。
やがて、言葉での争いが無意味だと悟ったのか、ミアが、ゆっくりと背中の棍棒に手をかけた。
ロゼリアも、それに応じるように、杖を握りしめる。
(まずい、まずい、まずい!世界大戦だ!)
俺は、二人の間に割って入った。この狂った痴話喧嘩を止められるのは、その原因である俺しかいない。
ミアが、俺を無視して、ロゼリアに殴りかかろうと、棍棒を大きく振りかぶる。
(——試すなら、今しかない!)
俺は、この数日間、寝る間も惜しんで完成させた、俺だけの魔法を発動させる決意を固めた。
心臓が、早鐘のように鳴り響く。大丈夫だ、発動条件は、満たしている。
俺は、ミアとロゼリアの間に立ち、叫んだ。
「———『定理一』ッ!!」
次の瞬間。
ドンッ、という轟音と共に、俺たちの間に、黒光りする金属の壁が、地面から突き出すようにして出現した。
それは、魔法的な輝きなど一切ない、厚さ50cmはあろうかという、あまりにも無骨で、あまりにも工業的な「鉄壁」。俺が羊皮紙の上で完璧に定義した、炭素鋼に近似した魔力構造体だった。
「なっ……!?」
ロゼリアが、そのありえない光景に目を見開く。
「邪魔ァ!だよぉ!!」
ミアは、そんな壁などお構いなしに、渾身の力で棍棒を叩きつけた。
バギッンッッッ!!!
凄まじい衝撃音が、教室に響き渡る。
壁には、蜘蛛の巣状の亀裂が走った。だが——壊れない。俺の計算通り、ミアの棍棒から繰り出される50万ニュートンの衝撃に、ギリギリで耐えている。
(いける!)
俺は、さらに叫んだ。
「応用、『定理一・改』!——檻!」
俺の言葉に呼応し、壁が、まるで粘土のように、ぐにゃりとその形を変え始めた。壁はミアを包み込むように伸び、瞬く間に、彼女を閉じ込める、頑丈な鉄格子へと姿を変えた。
「なっ!?圭!出して!出してよー!出してー!!(T ^ T)」
ミアが、檻の中からガンガンと格子を揺するが、俺の定理によって構築された檻は、びくともしない。
しん、と。
教室が、静まり返った。
ロゼリアは、目の前で起きた、あまりにも異質な魔法に、ただ呆然と立ち尽くしている。
他の生徒たちも、言葉を失っている。
俺は、ぜえぜえと肩で息をしながら、その場に膝をついた。魔力の消耗が、尋常じゃない。俺の体内魔力のほぼ全てが使用された。
しかし、俺は、ついにやったのだ。
この狂った世界で、初めて、自らの意志と、自らの力で、危機をコントロールすることに成功したのだ。
俺が、自らの力で初めて状況をコントロールしたという、淡い達成感。
それを完全に噛み締める前に、俺はミアの叫び声で現実に引き戻された。
「圭のうそつきーーーッっ!!!」
ミアは、鉄格子を力任に破壊しようとする。だが、俺が完璧に定義した『定理』によって構築された檻は、彼女の怪力に耐え続け、耳障りな金属音を響かせるだけだった。
「お、おい! ミア!そんなことやっても出してやらないぞ! 大人しくしてくれたら、一緒にいてやるから!」
俺は必死にミアを大人しくさせようと、説得を開始する。
しかし、ミアは聞く耳を持たない。
格子が破れないことを悟った彼女は、格子が壊れないのなら、と。彼女は、格子を掴んだまま、その場にふんばり、渾身の力で、檻そのものを、教室の床から引っこ抜き始めたのだ。
メリメリメリッ、と。
石でできていたはずの床が、悲鳴を上げる。地震のように教室が揺れ始め、天井からパラパラと埃が舞い落ちる。
「なっ……!?」
「床が…!教室の床が、剥がされていく……!」
「ヒエッ...!」
生徒たちの、悲鳴にも似た声が上がる。
しかし、その地獄絵図の中で、ただ一人、恍惚とした表情を浮かべている者がいた。
ロゼリアだ。
彼女は、マグロのように暴れるミアには目もくれず、両手を握り、落ち着いた表情でいた。
そして、ただ一心に、その元凶である俺を、熱っぽい瞳で見つめていた。
(すごい…すごいですわ、圭様…!)
彼女の脳内は、あまりにも美しい誤解で満ち溢れていた。
(あのミアとかいう化け物を、完全に支配下に置いている…。ただ力でねじ伏せるのではなく、その行動を完璧に予測し、最適な『檻』を用意する、その知略…!ああ、これこそが、真の王者の器…!わたくしが、生涯をかけて仕えるべき、唯一の君主…!)
「あ〜と......ロゼリ...ア?」
俺が、彼女のあまりにも重すぎる感情(という名の勘違い)が生み出す視線に耐えかねて、顔を引き攣らせていた、その時だった。
バゴォォン!!!
ついに、ミアが、檻を床と天井から完全に引き剥がした。檻はとてつもない轟音と共に教室に投げ捨てられ、構造を維持できずに魔素に分解される。
「嘘だろ......俺の定理が...いや、定理というより教室が...」
木片の煙から姿を現したミアは、髪が怒りで逆立ち、棍棒には空間が歪む...いや、光が歪むほどの魔力が込められていた。
彼女は赤いビー玉のような目で、ギョロリと辺りを見渡す。
そして、その視点の矛先は、ロゼリアでも、俺でもなく、この忌々しい空間そのものに向けられた。
「もういい!帰る!学校なんて、つまんない!!!」
ミアはそう叫ぶと、教室の壁を、棍棒で、あるいは素手で、破壊しながら、廊下へと飛び出していく。
調度品が砕け散り、壁に巨大な穴が空き、生徒たちの絶叫が響き渡る。火災探知の魔道具や、地震探知の警報が誤作動で起動し、校内は地獄絵図と化す。消化用の水魔法が教室にばら撒かれ、地震対策用の岩盤の柱があちこちに生成される。学園は、再び、たった一人の少女によって、戦場へと姿を変えた。
やがて、狂乱の嵐は、呆然と立ち尽くす俺の元へと戻ってきた。
ミアは、怒りと、ほんの少しの涙を浮かべた目で俺を睨みつけると、その手を、有無を言わさず、がしりと掴んだ。俺は避けることもできなかった。速度的な意味と、精神的な意味で。
「圭は、アタシといるの!」
「は、はいぃ!」
その、子供のような所有宣言と共に、俺はミアに引きずられるようにして、教室を後にした。
俺たちの後ろでは、破壊された教室と、呆然とする生徒たち、そして、その中心で「ああ…!なんという覇道…!」と恍惚の表情で俺たちの去る姿を見送る、一人の狂った令嬢だけが残されていた。
俺の、地獄のモテ期は、学園を半壊させるという、最悪の形で、さらなる悪化の一途を辿るのだった。




