尾ひれのついた英雄譚
ミアの暴走が、チャルの大盤振る舞いによって鎮火された翌日。
俺とミアは、重い足取りで、再び王立魔術大学の門をくぐった。
「圭?今日は何するの?また戦うの?( ͡° ͜ʖ ͡°)」
ミアがそう言って少し笑った。少し皮肉も入っていると感じるのだが、いつの間に皮肉を習ったんだ?
「……はぁ。今日は、何事もなければいいけど...な」
俺が、心の底からそう呟く。
昨日までの二日間で、俺たちはすでに学園を半壊させ、クラスの序列を破壊し、国家レベルの戦争を引き起こした。これ以上、一体何が起こるというのか。まさか、隕石が降ってくるとか...?
しかし、校舎に足を踏み入れた瞬間、俺は、昨日までとは明らかに違う空気が流れていることに気づいた。
生徒たちの視線が、違うのだ。
昨日まで俺たちに向けられていた、あからさまな恐怖と警戒の色が、薄れている。代わりにその目に宿っているのは、畏怖と、当惑と、そして、ほんのわずかな尊敬のような色だった。
ガラッ...
俺たちが教室の扉を開けると、その変化はさらに顕著になった。
「ヒッ...」
「ペコ...」
「こ...こんばんわ...」
生徒たちは、俺たちを見るなり、びくりと肩を震わせるが、すぐに何人かは、ぎこちなく頭を下げて挨拶さえしてくる。
(……なんだ?どういうことだ?)
俺が、この不可解な状況に困惑していると、教室の中央から、凛とした声が響いた。
「———ごきげんよう、みなさん」
ロゼリアだった。
彼女は、俺たちの前に立つと、ツンとした表情は崩さないまま、しかし、以前のような敵意のない目で、まっすぐにミアを見つめた。
「ミアさん。先日は…その、見事な戦いぶりでしたわ。わたくしの護衛として、実に頼もしく思います」
そして、彼女は俺の方をちらりと見る。その顔は少し呆れているようでもあった。
「あなたも…まあ、役立たずではなかったようですわね...」
その、あまりにも素直な(彼女にしては)賞賛の言葉に、俺はさらに混乱した。
(どうなってるんだ?あれだけ俺たちを嫌っていたはずじゃ…)
俺の思考を読んだかのように、ロゼリアは、ふん、と鼻を鳴らした。
「勘違いなさらないで。わたくしが認めたのは、あなた方の『力』だけですわ。昨夜、父から聞きました。あなた方が、あのエルフの精鋭部隊を、たった四人(一人は非戦闘員だが)で退けたと。…我がエーデルシュタイン家に連なる者として、力ある者を正当に評価するのは、当然の責務ですわ!」
その言葉で、俺は全てを悟った。
なるほど。森での戦いの話が、すでに貴族たちの間に伝わっているのだ。
しかし、伝わったのは、俺たちが狂ったようにエルフをペットにした話じゃない。
——王都の精鋭である貴族の子弟たちが、エルフの精鋭部隊の奇襲を受け、絶体絶命の危機に陥ってしまう。そこに、ギルドから雇われた謎の凄腕護衛部隊(俺たち)が現れた。 彼らは圧倒的な力で敵を殲滅し、貴族たちを救ったのだ!!!拍手!!!
おそらくは、そんな尾ひれのついた『英雄譚』として。
ロゼリアは、俺たちの席を扇子で示して言った。
「さあ、いらっしゃい。わたくしの『ヴァッフェン』の隣が、空いておりますわよ」
昨日まで、教室の隅で孤立していた俺たちの席が、今や、このクラスの最大派閥の中心部に用意されている。
周りの生徒たちも、もはや俺たちを化け物としてではなく、「ロゼリア様が認めた、規格外の実力者」として見ている。
俺は、ミアに手を引かれるまま、その席へと向かった。
恐怖から、尊敬へ。
最底辺から、クラスの中心へ。
(……どちらも、等しく居心地が悪いことには、変わりないな)
天地がひっくり返ったような扱いの差に目眩がしながらも、俺が机に座った。教室の緊張も少し解けたようで、いつものように貴族たちはコソコソと世間話をし始めていた。
しかし、今日はいつもとは違った。数人の生徒たちがミアの周りに群がり始めたのだ。
一部の顔ぶりは護衛任務でうっすらと知っていた。クラウスとイザベアだ。いや、イザベラだっけ?
「ミアさん、先日の森でのあの一撃…あれはいかなる魔力運用なのですか?我が家の爆炎魔法とは全く異なるベクトルで…」
クラウスが、目を輝かせながらミアに質問している。
「んー?『えいっ!』ってやったら、『ドカーン!』ってなった!( ・∇・)」
「なるほど…!『ei』という概念に込められた純粋な指向性…!奥が深い…!」
「ミアさん...?一体どうやってそんな魔力を...どんな増幅ペンダントを使ってらっしゃるのですか...?」
イザベラが恐る恐る、しかし深い興味と探究心を持ってミアに質問している。
「えーとね、ミアは『んー』って踏ん張ったら魔力が出るの!トイレするみたいに!( ͡° ͜ʖ ͡°)」
「それはどうゆう...?排泄時の魔力増加度が関係している...と?」
肝心のロゼリアはその後ろでハンカチで口を押さえて小さく震えている。どうやらツボにハマったらしい。
ミアが、いつの間にか、ロゼリアの派閥の輪の中心で、普通に打ち解けている。
彼女の、常識を一切介さない純粋な言動が、逆に貴族たちには「常人には理解できない、深遠な強者の理論」として受け取られているらしい。
(……辛い)
俺は、その光景を直視できなかった。
仲間外れにされた寂しさ、ではない。それはいつものことだ。
俺が、あれほど苦労して世界の真理にたどり着いたというのに、ミアは、ただ「えいっ!」の一言で、俺よりも遥かにこの世界の住人たちに理解されている。
その、あまりにも理不尽な事実に、俺は静かに心を痛めていた。
その時だった。
教室の扉が、芝居がかったように、バーン!と大きな音を立てて開かれた。
「──若き魂たちよ!ペンを捨て、心で詠いたまえ!」
入ってきたのは、あの情熱的な男、クニ・ブンケ教授だった。
「今日から始める我が『英雄叙事詩魔法』の講義、その第一歩は、世界の根源を知ることから始まる!!」
教授が、高らかに宣言する。
彼の背後に、分厚い、古めかしい装丁の巨大な本が、魔法でふわりと浮かび上がった。
「まずは、この『創世聖典』を、一言一句違わず、来週までに「全文暗記」してくること!これが、英雄への最初の試練なのである!!!!」
その、あまりにも非論理的で、あまりにも暴力的な課題。
生徒たちからは、「おお…!」という、覚悟を決めたような声が上がる。
しかし、俺は。
(聖書…?暗記…?無理だ…無理だ...終わった...俺の脳は、論理と数式のために最適化されているんだ…こんな非科学的で、膨大な文字列の羅列を、記憶することなど……)
ガタッ、と。
俺は、椅子から静かに滑り落ち、その場に、膝をついた。ミアが不思議そうに俺の顔を見つめている。
俺の、地獄の学園生活に、また一つ、新たな絶望が加わった瞬間だった。




