お別れ
ヴァレンの、あまりにも的確な評価。
それは、この場にいる全員が薄々感じていた、しかし決して口には出せなかった真実。
俺たちは互いに目を合わせ、苦笑した。
屋上には、奇妙な、しかし決して敵対的ではない沈黙が流れた。──およそ二十五分ほど。
「...」
靴の擦る音すら聞こえない。
「...」
風の音は沈黙の状況を嘲笑うように聞こえる
「...」
王都を見ると、衛兵達が指示を失った魔物達を確固撃破している。
「あの〜...えっと?」
俺は声を出すが、全員が顔を逸らす。なんで?なんでこんな空気なの!?
「...」
チャルは目線を置く場所がないと判断し、空を向く。
「...圭...?」
ミアが俺の方を単純な疑問で振り向く。もちろん、返す言葉は見つからない。
「...」
リオは手元で氷のリンゴを披露する。一瞬、ミアが言葉を発そうとするが、止まる。
「...」
王都で消火活動が行われている。市民達を衛兵が避難させている様子がちらほらと見える。
「...」
誰も喋らない。おかしくない!?もう十分はたってるよね!?俺、なんかミスってる???
「おい....圭」
リオが心底困惑した表情で俺を見る。俺だってわからない。なんで黙ってるの?みんな!?
「...」
俺は助けを乞うように、リィナを見つめる。リィナの指先がそわそわと泳ぐ。そして、目線はヴァレンに向かう。
「...」
ヴァレンは滝のような汗をかいている。まるで、強大な敵に対峙しているようだ。
「え〜と...リィナ...さん?...これはどういう?」
チャオは気まずそうにリィナを見つめる。リィナは顔に汗を並べ、肩をすくめる。
「....みんな!...もう解決だよね!?こ..れ...?」
俺は勇気を出して声を出す。だが、徐々に声がしぼみ、最後まで言い終わる前に再び黙り込んでしまう。
「...ヴァレン...?」
リィナは困惑した表情でヴァレンを見つめる。
すると、ヴァレンは25分続く沈黙に耐えられず、妻であるリィナ(ポチ)に向き直った。
「……リィナ。帰るぞ。この戦争、一度持ち帰って、全軍に報告せねばならん。こんな『イレギュラー』の存在を無視して、これ以上事を進めるのは危険すぎる」
その言葉に、はっと我に返ったのは、ミアだった。
「え……?」
彼女の顔から、笑顔が消える。
「ポチ、帰っちゃうの?」
リィナは、困ったようにミアを見つめた。ヴァレンは、そんな妻の手を優しく取る。
「当たり前だ。彼女は私の妻であり、我々の同胞だ。君たちのような蛮族と、いつまでも一緒にいられるわけが──」
「やだ!」
ミアの、子供のような叫び声が、ヴァレンの言葉を遮った。
彼女は、リィナの服の裾を、ぎゅっと掴んで離さない。その大きな瞳からは、ぽろぽろと、大粒の涙がこぼれ落ち始めていた。
「やだ!ポチ、行っちゃうの!?ずっと一緒だって、アタシのペットだって言ったのに!!!うわああああん!!!!!!」
ミアは、人目もはばからず、その場に座り込んで号泣し始めた。
その、あまりにも純粋な悲しみの姿に、ヴァレンでさえも、かける言葉を失っている。
俺は、そんなミアの姿を見ていた。
そして、気づいた。なぜか、自分の視界も、ほんの少しだけ滲んでいることに。
(……なんで、俺が泣いてるんだ?)
意味が分からない。
ただ、この数日間、当たり前のように隣にいた、あの無口で、困惑した顔のエルフが、いなくなる。
その事実が、なぜか、胸にぽっかりと穴が空いたような、寂しさを感じさせた。
自分の感情の、あまりの理不尽さに、俺は泣いているのか笑っているのか、自分でも分からなくなっていた。
リィナは、そんな俺たちを、一人ひとり、ゆっくりと見渡した。
泣きじゃくるミア。困ったようにそれを見守るチャル。相変わらずの仏頂面だが、どこか寂しげなリオ。そして、涙を流しながらも、どこか呆けている俺。
彼女は、夫の手をそっと離すと、ミアの前にしゃがみ込み、その頭を、一度だけ、優しく撫でた。
「……私は、リィナだ。ポチではない」
そして、立ち上がり、俺たちに背を向けて、ヴァレンの元へと歩き出す。
彼女は、もう振り返らない。ただ、風に乗せて、俺たちにだけ聞こえるような、小さな声で、最後にこう呟いた。
「だが……『仲間』でいる」
その言葉を残し、二人のエルフの姿は、光と共に屋上から消え去った。
それと同時に、王都を包囲していた魔物の大群が、まるで潮が引くかのように、一斉に帰還を始めた。地を揺るがした雄叫びは止み、後には、破壊された街並みと、静寂だけが残された。
俺たちは、ただ、呆然と、その光景を見つめていた。
一人の少女の号泣と、一人の男の訳の分からない涙が、一つの戦争を、終わらせたのだ。
その、あまりにも馬鹿げた結末に、俺は、泣きながら、少しだけ笑った。
◇◇
戦争が終わった次の日の朝は、嘘のように静かだった。
王都は、破壊された城壁の修復と、魔物の死骸の処理で、未だに混乱の渦中にあったが、俺たちがいる宿の一室だけは、まるで嵐の目のように、穏やかな時間が流れていた。
いや、穏やかすぎた。
「……なんか、静かだね」
ミアが、ぽつりと呟いた。
いつもなら、この時間には、俺の奇行か、ミアの暴走か、あるいはその両方で、何かしらの騒動が起きているはずだった。
その静寂の理由に、俺たちは皆、気づいていた。
チャルが、おずおずと、一つの部屋の扉を指差す。昨日、俺たちがポチにプレゼントした部屋だ。
扉は、静かに開いていた。
俺たちは、まるで葬列にでも参加するかのように、ゆっくりとその部屋に入った。
中は、綺麗に整頓されていた。ベッドのシーツには、皺一つない。チャルが貸した上着は、丁寧に畳まれて、枕の上に置かれていた。
机の上には、水たまり(リオが作った氷のマグカップ)と、俺が渡した『基礎王国言語学』が、ぽつんと残されている。
俺は、『基礎王国言語学』を触り、暖かさが残っていないのか確かめる。
やはり、冷たい。
氷のように冷たい感覚が指を通っていった。
ページをめくり、中を確認する。パラパラとページに目を通す。
一章のページで何かに引っかかった。それは小さなメモ。見慣れない言語のメモだ。
俺はそのメモを手に持ち、しばらく内容を読んだ。だが、目頭が熱くなり、メモをそっと戻した。
リオは机の上にできた水たまりを眺め、何かを呟くと、手を構える。水たまりが徐々に動き出し、何かを形成する。周囲に熱を放射しながら氷が生まれ、結晶となり、リオの手に集まる。
美しく、精密な魔力制御。
しばらくすると、リオの手のひらに氷のマグカップが蘇っていた。
マグカップを再び机に置き、リオは黙り込む。
俺とミアは、悲しげにその様子を見ていた。
部屋の主が、もうここにはいないという事実だけが、そこにあった。
「…………ポチ……いない……」
ミアの、か細い声が、静寂を破った。
彼女の大きな瞳から、ぽろり、と涙がこぼれ落ちる。
そして、次の瞬間。彼女の悲しみは、純粋な破壊衝動へと姿を変えた。
「うわああああん!ポチの嘘つきーッ!!!」
絶叫と共に、ミアは部屋の壁を殴りつけた。
バゴンッッッ!
石壁に、巨大なクレーターが出現する。
バキッ...!
ドゴンッ!
彼女は、涙を流しながら、ベッドを蹴り飛ばし、机をひっくり返し、手当たり次第に部屋を破壊し始めた。
それは、怒りというより、ただ、どうしようもない寂しさを、どう表現していいか分からない、子供の癇癪そのものだった。
俺も、リオも、そんな彼女を止めることができなかった。たとえ、宿主が後で怒り狂うのが想像できても。
俺たちの胸にもまた、ずしりと重い喪失感が、のしかかっていたからだ。
たった数日の付き合いだった、あの無口なエルフ。
俺たちの、最初の「仕事」で出会った、最初の「仲間」。
破壊の嵐が過ぎ去った後。
壁の穴からは風が静かに囁き、羽毛は空を舞う。
だが、俺の中には、少女の泣き声だけが存在していた。
ミアは、瓦礫の山と化した部屋の真ん中で、しくしくと泣いていた。
重い、重い空気が、俺たちを支配する。
その時だった。
ふわりと、食欲をそそる、香ばしい匂いが漂ってきた。
見ると、チャルが、いつの間にか厨房から、山のような料理を運んでくるところだった。
金貨をはたいて買ってきたのであろう、巨大な猪の丸焼き、山盛りのソーセージ、湯気の立つシチュー。
それは、弔いか、あるいは祝いか。
あまりにも豪華な、大盤振る舞いだった。
「……おにく……」
今まで泣きじゃくっていたミアの鼻が、くんくん、と動く。
彼女は、涙で濡れた顔を上げると、目の前の肉の山を、あんぐりと口を開けて見つめた。
そして、次の瞬間。
「お肉ーーーーーっ!!!( ^∀^)」
彼女の顔から、悲しみの色は、一瞬にして消え去っていた。
ミアは、歓声を上げて肉の山に飛びつき、獣のようにかぶりつき始める。口に目一杯の肉を突っ込み、頬張り始める。幸せを口一杯に広げ、天使のような顔で笑う。
その、あまりにも見事な機嫌の回復っぷりに、俺とリオは、顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく、ふっと、笑いがこぼれた。
チャルも、そんな俺たちを見て、困ったように、しかし嬉しそうに微笑んでいる。
俺たちは、破壊された部屋の瓦礫をテーブル代わりに、朝から盛大な宴会を始めた。
悲しみは、まだ胸の奥に残っている。
だが、温かい食事と、どうしようもない仲間たちの笑顔が、今はただ、腹の底から温かかった。




