1時間半の激闘
リィナ(ポチ)の、あまりにも突拍子もない弁明。
それは、これから始まる、壮絶な舌戦のゴングに過ぎなかった。
「狂っている、だと?リィナ、何を言っている!彼らは君を捕らえ、あまつさえ『ポチ』などという家畜の名で呼び、首輪までつけて…!」
ヴァレンの怒りは、当然収まらない。彼の視線は、今にもミアに襲いかからんとする棍棒と、その隣でオロオロしている俺たちに向けられている。
「待ってください、ヴァレン!それは、その…彼らなりの、一種の『歓迎の儀式』のようなもので…!」
リィナは金色の髪を散らしながらも必死に説明をする。言葉一つ一つに必死さと思い出が重なった。
「歓迎の儀式で首輪をつける種族がどこにいる!!!」
そんなリィナの説得も、常識的な怒りの前では火にナパーム弾を注ぐだけだった。
「...」
ミアはその様子を無言で見つめていた。が、徐々に棍棒を握る力が強まる。彼女はきっと「ペットがいじめられている」と思っているのだろう。
あたりの空気が揺れ、ミアの髪が逆立ち始める。ミアから漏れ出した魔力によって、空気中の魔素濃度がものすごい勢いで急上昇しているのだ。
(...まずい!このままではミアがキレる。俺が、俺がなんとかしなければ...!)
俺は、この絶望的な夫婦喧嘩に、第三者として、ミアが物理的解決を実行する前に、論理的かつ冷静に割って入る決意を固めた。
「失礼!エルフの指揮官殿。どうやら、相互理解に若干の齟齬が生じているようだ!!」
俺は、学者然とした態度で一歩前に出た。ミアはハッとし、棍棒を握る手が緩まる。
「まず、前提となる定義を共有したい。我々が彼女──リィナ殿を『ポチ』と呼称したのは、ペット、すなわち『愛玩動物』としての記号的意味合いにおいてであり、決して家畜としての経済的価値を意図したものではない!これは、文明レベルにおける認識論的相違に起因する、極めて遺憾な事故であると、ここに断定する!!!」
俺の、完璧なはずの論理的説明。
「...???」
しかし、ヴァレンの顔は、怒りから、純粋な「無」へと変わっていた。ヴァレンは全く内容を理解できなかったのだ。怒りで赤く染まっていた顔は萎み、真顔で圭を見つめる。
リィナは「ああ、もう!」と頭を抱えている。
「……お肉屋さんで、お肉を買うのと同じだよ?( ͡° ͜ʖ ͡°)」
その時、今まで黙っていたミアが、ぽつりと呟いた。
「は?」
ヴァレンはいきない意味のわからない主張に対し、ただ声を上げるしかなかった。目を大きく上げ、初めてスライムを触った子供のように、ミアを見つめている。
「だって、ポチは可愛かったから、ペットにしたの。お肉が美味しそうだから、買うの。一緒でしょ?」
その、あまりにも純粋で、あまりにもサイコパスな論理に、ヴァレンの思考は完全にショートしたようだった。ヴァレンは頭を抱え、話を整理し始める。俺とミア、リィナは互いに頷き、息を飲む。
そこからが、本当の地獄だった。
屋上では、眼下で燃え盛る王都をBGMに、前代未聞の大討論会が繰り広げられた。
「だから、我々の行動原理は、あなた方の常識という座標軸上には存在しない!我々は、いわば観測者によって振る舞いが変わる、シュレーディンガーの猫のような存在なのだ!」(圭)
「ヴァレン!聞いてください!この者たちは、私を解放するために、自らの全財産を投げ打ったのです!その理由は、ただ『その方が面白いから』というだけで…!」(リィナ)
「ポチは、アタシのお友達だよ!だから、戦争やめて、みんなで鬼ごっこしようよ!」(ミア)
「……(もう、どうにでもなれ)」(リオ&チャル)
怒り。
困惑。
論理。
狂気。
純粋。
諦観。
あらゆる感情と概念が、ぐちゃぐちゃに混ざり合い、一つの結論へと向かっていく。
それは、もはや対話ではなかった。互いの常識と理性を削り合う、消耗戦。
一時間半にも及ぶ、激闘だった。
魔物達はヴァレンの指令待ちで立ち往生し、衛兵たちは束の間の静寂に息を飲む。
王都の命運は気狂い一座とそのペット、たった5人の手にかかっていたのだ。
そして、ついに。
ヴァレンは、何かを諦めたように、深く、深いため息をついた。
彼は、天を仰ぎ、そして、ゆっくりと俺たちを見下ろした。
その顔から、燃え盛っていた怒りの炎は、完全に消え失せていた。
代わりにそこにあったのは、宇宙の真理に触れてしまった哲学者のような、あるいは、どうしようもない駄々っ子を前にした父親のような、底なしの疲労と、ほんの少しの呆れたような温かさだった。
「…………分かった」
彼は、絞り出すように、そう言った。
「君たちが、邪悪な存在ではないことだけは、理解した。……ただ、どうしようもなく、話が通じないだけなのだな...気狂いのように...」
その言葉は、俺たちがこの世界に来てから、最も的確で、最も本質を突いた評価だった。




