無謀な交渉
俺が、自らが引き起こした国難のスケールの大きさに絶望している間にも、戦況は刻一刻と悪化していた。
王都の城壁の上では、衛兵たちが必死に応戦している。だが、二万の軍勢を前に、その抵抗はあまりにも無力だった。
そして、ついにその時が来た。
魔物軍の後方、エルフの魔術旅団が一斉に杖を天に掲げる。その先端に収束していく魔力は、俺が学園で引き起こした爆発とは比較にならないほど、緻密で、冷徹な破壊の意志に満ちていた。
「──放て」
誰かの、静かな号令が響いた気がした。
次の瞬間、数百条の緑色の光線が、空を切り裂いて城壁へと着弾した。
轟音は、なかった。
ただ、しゅうううう、という、まるで巨大な氷が熱湯に触れたかのような、不気味な融解音が響き渡る。
千年間、王都を守り続けてきたはずの、賢者が作った「不壊」の城壁が、エルフたちの放つ高威力の分解魔法によって、バターのように、いともたやすく溶かされていく。その景色は、不謹慎ながら絶景だった。
やがて、城壁の数カ所に、巨大な蟻の巣のような穴が空いた。
その穴から、堰を切った濁流のように、魔物の大群が王都の中へと雪崩れ込んできた。
人々の悲鳴が、絶叫が、街の至る所から響き渡る。美しいはずだった石畳の大通りは、瞬く間に、血と泥にまみれた地獄絵図へと姿を変えた。
「……圭さん!」
チャルが、俺の服の袖を掴んで震えている。
「圭、あいつら、やっつけようよ!( ͡° ͜ʖ ͡°)」
ミアが、棍棒を握りしめ、臨戦態勢に入る。
リオは、俺とポチの顔を交互に見比べ、どう動くべきか、その判断を待っていた。
(どうする?この大混乱の中、俺たちに何ができる?...ミアが戦えば市街地に危険が...だが...)
俺が、答えを出せずにいると、今まで黙っていたポチが、静かに一歩、前に踏み出した。
彼女は、俺たちがいる丘の上から、どこかへと、ゆっくりと歩き出す。その横顔には、もう捕虜としての絶望も、ペットとしての困惑もない。ただ、自らの同胞が引き起こした惨状を、静かに見つめる戦士の顔があった。
「……ポチ?」
俺が声をかけると、彼女は一度だけこちらを振り返った。
「ついてきて。…話をつける」
その短い言葉に、俺たちは全てを察した。
彼女は、逃げるでも、戦うでもない。この戦争を仕掛けた張本人──彼女の仲間であり、この部隊の指揮官の元へ、直接向かうつもりなのだ。
俺たちは、無言で頷き合った。
そして、ポチの後を追うように、丘を駆け下り、魔物が闊歩する地獄の市街地へと足を踏み入れた。
衛兵たちと魔物たちが乱戦を繰り広げ、市民たちは逃げ惑う。俺は助けてやりたい気持ちを必死に堪えて、ポチの後を追う。
ポチは、一切の迷いなく、建物の影から影へと、音もなく進んでいく。
やがて、彼女が足を止めたのは、王都で最も高い時計塔の、一つ手前の建物だった。そこは、戦場と化した王都全体を見渡せる、絶好の観測所だった。あたりに煙が登っているが、衛兵の努力城壁周辺に防衛戦が形成されつつある。
ポチは、建物の壁に手をかけ、俺たちにだけ聞こえるように、静かに告げた。
「……いる。この上に、隊長が...ヴァレンが...」
俺たちは、息を殺して、その建物を見上げた。
屋上の縁に、一人のエルフが立っているのが見えた。彼は、眼下で繰り広げられる殺戮を、まるでチェスの盤面でも眺めるかのように、冷徹な目で見下ろしていた。
俺たちの、あまりにも無謀な交渉が、今、始まろうとしていた。




