王都包囲
その日の朝は、驚くほど穏やかに始まった。
「皆さん!スープですよ!今日は豪華に肉入りです!」
チャルが作った温かいスープの匂いが部屋に満ち、ミアは新しいペット(ポチ)に、ドラゴンの図鑑を熱心に読み聞かせている。ポチは相変わらずミアにされるがままになっていた。
「ポチ!これがね〜ファイアードラゴンでね!...え〜と、炎を放つんだって!ミアも前に乗ったことあるよ!!嘘じゃないよ!ふふ!いいでしょ〜( ^∀^)」
心なしか、ポチの表情からは警戒心は無くなり、ただ図鑑を読み聞かせるミアを優しく見つめているように見える。もしかしたら、ただ困惑しているだけなのかもしれないが。
リオは、そんな心温まる?光景を横目に、俺が持ち帰った専門書の一冊を、難しい顔で読み解こうとしている。かなり高度な内容で平民、ましてや奴隷だったリオには全く理解できないはずなのだが、リオは少しづつ内容を解読している。全く見事だ。ちゃんとした学校にでも入れてあげれば、すぐに俺に追いつくのではと思ってしまう。
肝心の俺は、数日ぶりに十分な睡眠を取り、自らの研究の成果──完成に近づいた『防護の定理』の羊皮紙を眺め、満足げに頷いていた。完成度は60%ほどだが、エルフの襲撃で少しだが実戦データが取れた。それにある程度の資金も手に入ったし、生活に影響が出ない範囲で魔法実験ができるようになるかもしれない。
平和だ。いびつだが、確かにこれは、俺が望んでいた「家族」の日常の形なのかもしれない。
まだ金貨は70枚以上ある。あと1年は不自由なく暮らせそうだ。そうすれば、もっと...
しかし、あまりにも甘い幻想は、けたたましい警鐘の音によって、粉々に砕け散った。
カーン!カーン!カーン!
王都全体に響き渡る、緊急事態を告げる鐘の音。
窓の外から、人々の悲鳴と、鎧のぶつかり合う音が聞こえてくる。
「な、なんだ!?火事!?」
俺たちは、顔を見合わせた。
リオが、真っ先に窓際に駆け寄り、外の様子を伺う。
「……まずい。王都の城壁の方角だ。衛兵たちが、全員、壁に向かって走っていく」
俺たちも、慌てて宿を飛び出し、近くの見晴らしの良い丘へと駆け上がった。
そして、その光景を目の当たりにして、言葉を失う。
王都が、包囲されていた。
地平線の彼方まで、黒い津波のようにうごめく、おびただしい数の魔物の群れ。ゴブリン、オーク、巨大なトロル、四つ足で地を駆ける獣人。その数は、西の戦場を思い出させた。
そして、その大軍を統率するように、緑のマントを翻し、陣頭に立つ者たちの姿。
──エルフだ。
「……嘘だろ」
俺の口から、乾いた声が漏れる。
(どうしていきなり!?戦線は西じゃなかったのか!?いや、もしかして...ポチか?ポチを俺たちがペットにしたからか!?)
その時、伝令として王都を駆け回る騎士の声が、布告として響き渡った。
「市民に通達!中央平野に潜伏していたと思われる、およそ二万の魔物軍が、王都を完全に包囲した!主戦力が西部に集中している今、王都の守りは我ら衛兵隊のみである!市民は速やかに屋内に退避せよ!」
中央平野……?二万……?
その単語を聞いた瞬間、俺の脳内で、最悪のピースが、最悪の形で組み合わさった。
(中央平野…?待て、それって、俺が買った、あの土地か…!?俺が、三万人の奴隷と一緒に買った、あの…!?じゃあ、あの土地には、奴隷だけじゃなくて、魔物が二万匹も隠れてたってことか!?もしや、地主の俺がいなくなって無法地帯になってたのか!?)
俺が、自らがしでかした、あまりにも壮大すぎる不法占拠(魔物軍による)の事実に血の気が引いていると、隣で、ポチが静かに呟いた。
「……間違いない。あれは、我が同胞、『森の槍』部隊。…私の、仲間たちだ」
彼女の顔には、もはや困惑の色はない。自らの同胞が、この王都を滅ぼしにきたという事実を前に、ただ、静かな覚悟を決めた戦士の顔に戻っていた。
「そうなんだ〜ポチの仲間が遊びにきてくれたの?Σ੧(❛□❛✿)」
ミアは驚いたようにポチを見つめる。ポチは何も言わず、顔を地面に落とした。
最悪だ。
その引き金を引いたのが、まさか自分自身だったとは。
俺は、天を仰ぎ、今度こそ、本当の絶望を感じていた。




