理解不能な贖罪
王都に帰還した俺たちの懐は、ロゼリアのツンデレによって、予期せず潤っていた。大量の金貨。数えてみるとちょうど100枚。パンくずすら買えない今の俺たちにとって、それは天文学的な数字だった。
宿に戻り、俺がその大金を前に「まずは、この金で俺の『定理』を完成させるための実験道具を…」と呟きかけた、その時だった。
チャルが、おずおずと、しかし強い意志を宿した目で、俺の前に立った。そして、部屋の隅で、未だに蔦の蔓を首に巻かれたまま、虚空を見つめているポチを指差した。
「あの……圭さん。そのお金で、ポチさんに、新しいお洋服を買ってあげては、いけませんか…?」
その言葉に、俺はハッとした。そうだ。
俺たちは、このエルフの尊厳を、散々踏みにじってきた。ペットとして捕獲し、「ポチ」と名付け、挙句の果てには首輪までつけて。金を手に入れた今、俺たちが真っ先にすべきは、研究でも、食事でもない。彼女に、最低限の「人間としての尊厳」を取り戻させることだ。
「……そうだな。チャルの言う通りだ。よし、行くぞ...!」
「ミアもポチのお洋服買う!!٩( ᐛ )و」
ミアは深い意味には気づいていないが、ただ単純に服を買い与えてあげたい思いで飛び跳ねている。
「...そうだな」
リオは少し驚いたような顔をしていた。多分、俺の道徳性の成長を実感したのだろう。口元がわずかに緩んでいた。
「はい!行きましょう!!」
チャルは一気に顔が明るくなり、嬉しそうに返事をしてくれた。
こうして、俺の一声で、気狂い一座は、王都の服飾店街へと繰り出すことになった。
チューリップ騒動の時ほど豪華な店ではなかったが、それでもなるべくいい店を選んだ。俺たちが貴族の服に絶望した時に、お世話になった仕立て屋だ。
店に入ると、俺は金貨数十枚をカウンターに投げつけ、店員に向かって言い放った。
「この店で、一番いい服を、この子のために、上から下まで全部だ!!!」
その宣言を皮切りに、地獄のファッションショーが始まった。
ポチは、されるがまま、俺たちに着せ替え人形のように扱われている。その瞳には、もはや抵抗の色はなく、ただ深い、深い困惑だけが浮かんでいた。
(なぜなのだ…?私は捕虜…私はこの者たちに捕らえられた身…なぜ、こんなにも楽しそうに、私の服を…?)
ミアが持ってきたのは、フリルとリボンが満載の、真っ赤なドレスだった。成人向けで、サイズが合わず、ポチの顔が完全に沈没してしまう。
「こ、こちらのほうが、動きやすいかと…」
チャルが、恐縮しながら差し出したのは、森のエルフのイメージに合わせた、緑を基調とした、シンプルで機能的な旅人の服だった。ポチにはピッタリで、チャルは満足そうに目を輝かせていた。
「いや、待て!まずは素材だ。この世界の気候要素に対応するには、通気性と保温性を両立したこのミスリル混合布一択だろう。実に合理的で...」
俺は物理学者としての観点から、完璧な一着を提案する。もちろん、誰からも聞く耳は持たれない。
「……これを着ていれば、目立たないで済む」
リオが、無言で差し出したのは、顔まで深く覆う、怪しさ満点の黒いローブだった。どう考えても暗殺者が着る服だ。
俺たち四人は、ポチを囲んで、ああでもない、こうでもないと、心から楽しそうに、彼女の服を選んでいた。その光景は、側から見れば、新しい妹ができた家族が、彼女のために服を選んでいる、微笑ましい光景そのものだっただろう。そのおかげで、最初は引いていた店員も途中からは笑いながら服を紹介してくれた。
ポチは、その狂った善意の中心で、ただ、立ち尽くしていた。
拷問でも、尋問でもなく、ただひたすらに注がれる、理解不能な優しさ。それは、彼女が今まで経験してきたどんな屈辱よりも、彼女の心をかき乱していた。
(......)
やがて、店の外に出た時。ポチの身体を包んでいたのは、チャルが選んだ、落ち着いた緑色の旅人の服だった。首の蔦は、いつの間にかリオが切り捨てていた。
彼女は、まだ困惑したままだったが、その姿には、もう「ペット」の面影はなかった。一人の、気高いエルフの少女が、そこにいた。
◇◇
王都の服飾店街で、金に物を言わせた贖罪(という名のファッションショー)を終えた俺たちは、宿へと帰還していた。
ポチは、ミアの隣を静かに歩いている。首に巻かれていた蔦は無くなり、その姿は、まるで昔から旅を共にしてきた仲間のようだ。俺たち全員が、そしてポチ自身も、もはやミアが勝手に彼女をペットにしたことなど、気にも留めていない。
ポチの身体を包むのは、チャルが選んだ落ち着いた緑色の旅人の服。しなやかな布が、彼女のまだ細い身体を優しく包み込んでいる。もはや「ペット」の面影はどこにもなく、一人の人間としての尊厳が、その姿にはっきりと取り戻されていた。
宿に戻ると、ミアがポチの手を引いて部屋へと向かう。俺たちが予備として借りていた個室の扉を、彼女は元気よくバンッと開けて、満面の笑みで言い放った。
「よし、ポチ!今日からここが、ポチの犬小屋!!!」
「い、いえ、ミア、個室です……っていうかポチは犬じゃないですよね?」
チャルの慌てた声が、廊下に響く。
ポチは、恐る恐る、その部屋へと足を踏み入れた。部屋は簡素だったが、清潔だった。真新しい木板の床がわずかに光を反射し、ハーフサイズのふかふかなベッドと、小さな机がひとつ。だが、それが彼女にとって、捕虜として連行されるはずだった冷たい牢獄とは、天と地ほども違う場所であることは、彼女自身が一番よく分かっていた。
ベッドに腰掛け、呆然と部屋を見回していると、俺たち一座の面々がぞろぞろと入ってきた。全員の手には、なぜか、彼女への「贈り物」が握られている。
最初に、ミアがずいっと前に出た。
「ポチ!これあげる!さっき食堂のおじさんから貰ったパンを、アタシが火の魔法で『美味しく』しておいたよ!」
自信満々に差し出されたのは、パンの原型を留めていない、黒光りする炭の塊。ポチは一瞬、顔を引き攣らせながらも、その塊を受け取った。彼女の手に、真っ黒な煤が付着する。
次に、俺が学者然とした態度で、一冊の本を差し出した。
「ポチ。君が我々と円滑なコミュニケーションをとり、自らの意思を明確に伝えるために、これ以上の贈り物はないと判断した。俺が言語を習得した、この『基礎王国言語学 第一巻:識字貴族になろう!』だ。まずは第一章の『格変化』から始めるといい! 君ならすぐに読み終えると思う!」
ポチは本のタイトルに一瞬興味を示したが、手についた炭の黒い跡を気にしたのか、あるいは内容が難解すぎたのか、小さく首を傾げて、そっと机の上に本を置いた。
続いて、リオが、少しだけ気まずそうに、小さなカップを差し出した。
「……これ。使え」
それは、彼の氷魔法で作り出されたのであろう、表面に美しい氷の結晶模様が浮かぶ、ガラスのマグカップだった。ポチが恐る恐る触れると、ひんやりとした冷たさが指先に伝わり、表面から水滴が滴る。カップは彼女の体温で溶け始めており、ポチは慌てて机にそれを置いた。
そして最後に、チャルが、湯気の立つお皿を、お盆に乗せて運んできた。
「あの…お腹、空いているかと思いまして…。お口に合うか分かりませんけど、温かい野菜スープです」
ポチはチャルの差し出すスープに、少し緊張しながらも口をつけた。熱すぎず、ちょうどいい温度。一口飲むと、野菜の優しい甘みが舌に広がり、彼女ははっと目を見開いた。チャルの料理は、一口食べればその腕前がわかるほど、かなり上手いのだ。
ポチは完全に困惑していた。
スープを飲み終わると、目の前に並べられた、あまりにも脈絡のないプレゼントたちを、ただ呆然と見つめる。
黒焦げになったパン(善意)。難解すぎる学術書(善意)。溶け始めたマグカップ(善意)。そして、心まで温まる美味しい手料理(善意)。
拷問でも、尋問でもない。ただひたすらに注がれる、理解不能な「善意の暴力」だった。
それは、彼女が今まで経験してきたどんな屈辱よりも、彼女の心をかき乱していた。
(どうして……?)
やがて、彼女の大きな瞳から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、悲しみの涙でも、喜びの涙でもない。
ただ、あまりの理不尽と、ほんの少しの温かさに、魂が混乱しきって流した、困惑の涙だった。
俺たちは、その光景を、全員、満面の笑みで見守っていた。




