焼畑農業と怪力少女
「mia h ichb ittkrn ngnidn( ^ω^ )!」
俺が呆然とボロ小屋の天井を見つめていると、少女が笑顔で袋を掲げた。
たぶん「市場行ってくるね」的なことを言っているのだろう。
言葉は通じないが、身振り手振りと、彼女が発する言葉のリズムで、ようやく何となく察しがつくようになってきた。少女は朝から機嫌がよく、布で止血した小指をなでながら鼻歌を歌っていた。
「……気をつけてな。いやまあ、通じないんだけど!」
少女は俺に手を振って、小道を軽やかに去っていった。買い出しにかかる時間は、昨日ここに来るまでに通った道のりから計算すると、おそらく一、二時間だろう。
──なら、その間に、やるべきことがある。
俺は軽食代わりの干し肉を手に取り、家の裏手の丘を超えた、草原の端へと向かった。ここに来るまでにこっそり測っておいた「無人地帯」だ。草木が広がる小さな谷間のような土地で、地面が盛り上がっており、後ろには川がある。空が開けていて風もある。ここなら、多少の実験をしても怒られはしないだろう。
「さて……昨日のあれ、再現してみるか」
あの“パン焼き事故”。
あのとき、自分の意識と手の動き、体内の“何か”が連動していた感触が確かにあった。あれが偶然でないとすれば──
俺は深呼吸し、手を前に出す。何の呪文も知らない。ただ、見よう見まねで再現するしかない。
「エネルギーを……放出する、って感じか……?」
掌に意識を集中する。何も感じない。ただ、微かに指先が熱いような、そんな気がした。
「……っ!」
次の瞬間、指先から微かな閃光とともに、草地の一部に火がついた。
「うわ、やばっ!またかよ!」
慌てて足で火を踏みつけるが、乾いた草は火の回りが早い。ぱちぱちと音を立てて燃え広がり、風が吹くたびに火花が移る。俺は必死で地面を叩いたが、火は止まらなかった。いや、それどころかどんどん加速していく。
(まずい……この村ごと、全焼するぞ……!)
地面を見つめながら、俺は思考を総動員した。
炎の連鎖、加熱点火、酸素供給。
いや、違う、そうじゃない。俺は”火”を止めるためのエネルギー反応を考えた。
(この世界では、魔素が電子の役割をしてる。じゃあ、魔素の流れを操作すれば──“逆反応”も引き起こせるんじゃないか?)
俺は、炎ではなく**湿度**に目を向けた。手を構え、力まず、ただ“魔素に流れを与える”よう意識する。
「……動け……拡がれ……“冷えろ”……」
魔力は使わない。ただ“動き”だけを意識する。粒子に命令するのではなく、粒子が持つ潜在的な性質を誘導する。
すると──
しゅううううう……ッ!
火の中心で、水蒸気が爆発的に立ち上がった。次の瞬間、空気中から冷たいしぶきのようなものが巻き起こり、火の一部がパチンッと音を立てて消えた。
「……いける、いけるぞ!」
再び意識を集中し、今度は火の周囲に向かって、魔素の流れを「自分に押し込む」ようなイメージを描いた。結果、草地の上にびしゃびしゃに水滴を含んだ霧が落ち、火は勢いを失いながら次々と鎮火していった。
3分後──火は止んだ。
見渡す限り、草は焦げ、土は黒くなっていた。まるで焼畑農業の現場のようだ。だが、広がりきる前に止められた。少女の家にも、村にも被害はない。
「……っはぁ……やった……水、作れた……!」
俺は膝をつき、ふうっと長い息を吐いた。
今の反応は、明らかに“外の魔素”が反応した結果だった。自分の魔力は点火剤に過ぎない。重要なのは、魔素の流れの方向と速さ。
つまり──
「……魔素って、状態変化だけじゃなくて、流れの速度と方向で”発現するエネルギー”が変わる……?」
それは、初歩の“魔法物理”の発見だった。草を焦がした風の中で、俺は静かに立ち上がった。焦げた地面に、ひとつの足跡を刻みながら。
◇◇
「そろそろ戻ってくる頃かな……」
焦げた草原を見渡しながら、俺は手についた煤をぬぐった。焼畑状態になった実験場は、まるで戦後の写真のようだ。最強の魔法使いが炎魔法を使った跡に見えるかもしれないが、ただ炎が周囲に延焼しただけだ。燃え残った草が黒い風に揺れている。なんとか消火には成功したとはいえ、「ただの無職が魔法で野焼きしていた件」である。
(怒られるだろうな……)
そう思いながら木陰に腰を下ろしていると、遠くの坂道の上から、何かがもこもこした山のような影になってこちらに向かってくるのが見えた。最初、それが「誰か」だとは思わなかった。馬車か、複数人の集団か、何か別のものだと思った。なぜなら、その形があまりに不自然だったからだ。
が、近づいてきてようやくわかった。
それは少女だった。
背丈の三倍はある木の机を背負い、片手には鉄鍋と火鉢を引きずり、もう片方の腕には袋と工具、壺の束、包んだ毛布、謎の金属の棒。さらに──首には吊り提げた籠がぶら下がり、中には食器や果物らしきものがびっしり詰め込まれている。すれ違う村人が顔を青ざめているのが遠目からでもわかる。
「あの……え、ええ……あの子?」
俺は目を疑った。しかも少女は、別に苦しそうでもない。息を切らす様子もなく、普通の散歩みたいな速度で、カランカランと金属音を鳴らしながら丘を下りてきている。巨大な影が道から伸びる。
その姿は、まさしく転生ものの主人公だ。
「……おかしい。いやおかしいだろ、重さどうなってんだ……」
荷物は合わせてゆうに百キロを超えるはずだ。しかもバランスが悪い。首に壺を下げるとか、普通なら骨が砕けてもおかしくない。が、彼女は足取り軽く、最後にはスキップに近い動きで「ただいま」と言わんばかりに笑顔で俺の前に立った。地面が少し揺れ、積み重なった家具がキシキシと音を立てる。
「tdim!( ・∇・)」
少女は勝ち誇ったように、持ち帰った家具を一つずつ地面に置き始めた。机、椅子、棚、布団のような藁束、鍋、ナイフ、巻物、布の山、そして巨大な壺。まるでゲームの初期装備パック一式をリアルで手に入れたようだった。母親からもらった銀貨だけでここまで買える...のか?
俺は一歩後ずさりながら、呟く。
「……これ、絶対俺より強いな……」
いや、正確には、「成人男性の平均的な筋力」どころか、「人間の構造そのものが違うのでは?」と思えるほどの異常なフィジカルだ。彼女の二の腕や脚にはほとんど筋肉の凹凸はない。細く、少女らしい線なのに、常識外れのパワーを平然と発揮している。
(まさか……筋肉の「密度」が違う?いや、もしかして骨格の材質が異質?それとも、筋収縮そのものが魔素で補助されてる?)
あり得ない前提が、少しずつ「この世界では当たり前かもしれない」という形で塗り替えられていく。
少女はすっかり満足したように荷物を片付け、最後に藁の束の上にぽすんと座ると、にこりと微笑んで言った。
「dikn h antg g hrttn( ͡° ͜ʖ ͡°)」
たぶんそれは、「さあ、家を整えましょう!」という意味だ。
俺は、頭をかきながらも、やれやれと立ち上がった。
「……お前、まじで何者なんだよ……」
今はまだわからない。
ただ一つ確かなのは――この小さな“妻”は、外見に反して化け物じみた身体能力を持っているということだ。