破産
その日の夜。
宿の一室は、今や二つの異なる世界に完全に分断されていた。
部屋の片側では、ミアとチャルが床に座り込み、実に平和な時間を過ごしている。
「あはは!チャル、またジョーカー引いたー!( ^∀^)」
「えぇ!?うそ、これで5枚目ですよ、ミア!」
「だって、ジョーカー100枚もあるんだもん!( ͡° ͜ʖ ͡°)」
二人は、トランプの束にありったけのジョーカーを混ぜ込んで作った、ルール無用の「大富豪ババ抜き」に興じていた。(正直ちょっと遊んでみたいのは内緒)
その楽しそうな笑い声が、俺の耳にはまるで遠い世界のノイズのように聞こえる。
そして、部屋のもう片側。
俺は、床に広げた三冊の専門書と、書き殴った数式まみれの羊皮紙に囲まれ、狂気的な集中力で思考の海に深く沈んでいた。
(なるほど、この世界の魔素はプランク定数に似た最小単位を持つのか…!なら、俺の『定理』におけるエネルギーの量子化も可能だ…!)
(だが、くそっ!この先の理論を構築するには、情報が圧倒的に足りない!高次元における魔素の振る舞いについてのデータが…!あのロゼリアが借りていった『高次元魔術論』にしか、おそらく答えは載っていない…!なぜあの女、的確に俺の喉から手が出るほど欲しい本だけを…!)
俺は、歯ぎしりしながら、限られた情報から欠けたピースを推測し、自らの理論で方程式の空白を埋めていく。
神が設計したこの世界の設計図を、人間の頭脳だけでハッキングしようという、あまりにも無謀で、冒涜的な試み。だが、俺にしかできない。そうに違いない。
その時だった。
「……おい、圭」
呆れ返ったような声が、俺の思考を中断させた。
顔を上げると、リオが腕を組んで、俺の研究の城塞を見下ろしていた。
「少しは休んだらどうだ。帰ってきてから様子が変だぞ。ついに頭が狂ったのか?」
リオの、常識的で、真っ当な心配の言葉。
しかし、世界の真理に手を伸ばしている今の俺には、その言葉は届かなかった。
俺は、血走った目で、しかし恍惚とした表情でリオを見上げた。そして、まるで神の啓示でも語るかのように、高らかに宣言した。
「休む!?馬か鹿を言えリオ!これは、ただの研究じゃない!神が設計したこの世界の矛盾を突き、俺たちの手で新たな理を創造する…!」
俺は立ち上がり、書き殴った羊皮紙を天に掲げる。
「この世の真理を実現させるための、伝説になる研究だッ!!!!!!」
その、あまりにも壮大で、あまりにも意味のわからない言葉に。
リオは、完全に固まった。
彼の顔から、心配の色がすうっと消えていく。まるで、何かを悟ったかのように、遠い目をする。
やがて、彼は俺に背を向けると、自分の布団の方へと、とぼとぼと歩いていった。
そして、ぽつりと、魂の底から絞り出すように、吐き捨てた。
「…………いつも通りか」
俺は、そんなリオの絶望にも気づかず、再び、最高に楽しい研究の世界へと没頭していくのだった。
◇◇
昨夜の興奮が冷めやらぬまま、俺は朝日が昇るよりも早く目を覚ました。
頭は冴え渡っている。
世界の真理に触れたことで、俺の脳はスーパーコンピュータのように高速で回転していた。
今日こそ、俺の『定理』を完成させる。そして、この世界の法則を完全に掌握するのだ!!!
そんな輝かしい未来への期待に胸を膨らませ、俺は意気揚々と寝室から出た。
しかし、そこで俺を待っていたのは、希望とは程遠い、葬式のような重苦しい空気だった。
部屋の空気は、昨夜から2025πラジアン(つまり180度)変わっていた。
テーブルを囲み、ミア、リオ、そしてチャルが、神妙な、いや、絶望的な顔つきで何かを話し込んでいる。
その視線の先、テーブルの中央には、数枚の、あまりにも惨めな銅貨が、まるで墓標のように鎮座していた。
俺の気配に気づき、三人が一斉にこちらを振り返る。
「圭……( ; ; )」
ミアが、今にも泣き出しそうな声で俺の名を呼んだ。
「圭さん……大変なことに……」
チャルは、テーブルの上の銅貨を震える指で示す。
その数、わずか五枚。この物価の高い王都では、黒焦げのパン一切れが買えるかどうか、という金額だ。
そして、最後にリオが、静かに、しかし有無を言わせぬ絶望感と共に告げた。
「底がついた。俺たちは、完全に破産だ。もうこれしか残金がない。」
三人の、悲痛な声が、俺の脳天に突き刺さる。
俺の輝かしい研究の未来が、一瞬にして、銅貨五枚の重みに押しつぶされた。
(まずい!金がない!!完全に忘れていた!!どうする!?研究の続きが!ミアたちの食事が!!)
俺は焦った。
脳が、この絶望的な状況を打開するための解決策を、猛烈な速度で検索し始める。
そして、一つの成功体験が、悪魔の囁きのように蘇った。
(そうだ、チューリップだ!もう一度、供給ショックを起こせば、資産は指数関数的に…!)
しかし、俺は即座にその考えを却下する。
(いや、待て。流石に二度も同じ手は通用しない。警備も厳重になっているはずだ。それに、もう燃やす倉庫もないし...)
ならば、どうする?金が集まる場所…。金そのものを保管している場所…。そうだ!!!
俺は、絶望に沈む三人に向き直り、閃いた妙案を、自信満々に告げた。
「……分かった。チューリップがダメなら、もっと直接的な方法をとるまでだ」
俺の目に、狂気の光が宿る。
「銀行を燃やそう!そうすればこの銅貨でも相対的に大金になる!!!」
しん、と。
部屋が、静まり返った。
ミアも、リオも、チャルも、全員が、宇宙人でも見るかのような目で、俺を凝視している。
やがて、その沈黙を破ったのは、リオの、心の底から絞り出すような一言だった。
「…………却下だ」
「だ、だめです、圭さん!それはただの強盗です!」
チャルが、涙目で必死に訴えかける。
「銀行より、お肉屋さんの方がよくない?( ͡° ͜ʖ ͡°)」
ミアが、根本的に何かを勘違いした提案をした。
俺の、完璧なはずの資金調達計画は、家族たちの、あまりにも真っ当な(一部を除く)反対によって、秒殺されたのだった。
俺たちは、ただ、テーブルの上の惨めすぎる銅貨五枚を、絶望的な気持ちで見つめることしかできなかった。




