教室の乱戦
モンスーン教授が優雅に教室を去った後、生徒たちの間には新たな派閥闘争の火種が燻っていた。
誰もが俺を値踏みし、敵意と打算の視線を向けてくる。
俺はそっと息を吸おうとしたその瞬間。
バコッガラガラ...
重い沈黙を荒々しく破り、教室に入ってきたのは、白衣の女——サイエ・スティー教授だった。
彼女はスタスタと教壇に立つなり、感情のない瞳で俺たちを見渡し、静かに告げた。
「......今日の講義は『実践魔力運用における個体差の観測』です」
その言葉と共に、教授が指を鳴らす。
すると、教室の机と椅子が、ガガガ、と音を立てて自動で壁際まで移動し、中央に巨大な空間が出現した。
机と椅子の上には細い糸がいくつも付いているのが微かに見えた。
「これより、皆さんには互いに全力で魔法を撃ち合ってもらいます。目的は、戦闘データ、損傷データ、そして可能であれば…限界突破データの収集です」
教室が、どよめいた。
「なっ、決闘ですって!?」
「授業で、ですか!?」
「成績はどうなるんですか!?」
教授は、生徒たちの動揺など意に介さない。
「心配は要りません。致命傷に至った場合は、私が適切に『サンプルとして保管』しますので」
その、あまりにも狂った言葉に、俺は背筋が凍るのを感じた。
しかし、ロゼリアをはじめとする好戦的な貴族の子弟たちは、この状況を好機と捉えたらしい。
彼女は憎悪に満ちた目で俺たちを睨みつけ、ドヤ顔が復活し、杖を構えた。
「あなたたち!昨日の屈辱、ここで晴らさせていただきますわ!!!」
それを皮切りに、教室は一瞬にして本物の戦場へと姿を変えた。
炎の玉が飛び交い、氷の槍が壁に突き刺さる。派閥同士が、積年の恨みを晴らすかのように、容赦のない魔法を撃ち込み始めた。生徒たちから漏れ出た魔力によって空気中の魔素濃度が急上昇し始め、それがさらに強力な魔法を誘発し続ける。
(よぉーーし、俺の真の力を!!!試す時が来た!)
俺は、この混沌の中で、昨夜たどり着いた世界の真理――「概念が物質を規定する」という法則を実践しようとしていた。
(敵の魔法が俺に届く、という『結果』を否定する!俺の前には『絶対的な壁が存在する』という概念を、この場に定義すればいい!!!ただそれだけだ!!!)
俺は、飛来する一つの顔ほどの大きさの炎の玉に向かって、杖をかざした。
脳内で、完璧な壁の概念を構築する。
すると、俺の周囲の魔力が集まり、半透明の光の壁が、うっすらと現れた。
(よし、いける!!!)
ーーしかし、次の瞬間。
(待て、壁の分子構造は?材質の密度は?熱伝導率はどう定義する!?)
俺の物理学者としては完璧な思考が、純粋な「概念」に、余計な「物理法則」を上書きしようとする。
結果、光の壁は、ノイズの走った映像のように激しく明滅し、
炎の玉が着弾する寸前に、ぷつりと消えてしまった。
「うわっ!?」
俺は慌てて地面を倒れるように転がり、直撃を避ける。
「くそっ!もう一度だ!今度は『槍よ、生まれよ』という概念を…!」
俺は敵に向かって杖を突き出す。周囲の魔力が吸い寄せられるように目の前に集まり、光の槍が生まれかけた。
(待て、槍の質量は?重心はどこだ?初速を与えるためのエネルギーは、俺の魔力から供給するのか、周囲の魔素から変換するのか、その定義が曖昧だ!!もっと詳細に!)
生まれたての槍は、形を保てずにぐにゃりと歪み、ただの魔力の霧となって消え去った。
(ダメだ……!俺の脳内で、地球の物理法則と、この世界の概念法則が、滅茶苦茶にこんがらがってる……!)
俺は、戦いの邪魔にならないように、教室の隅で必死に攻撃を避け続けることしかできなかった。
(情けない。あまりにも情けない。情けなすぎる。これが世界の真理を理解した男の戦闘シーンか?)
その、地獄絵図の中心で。
ミアだけが、一人、つまらなそうに立っていた。
「あなたからよ!!!くらいなさい!」
ロゼリアが、数人の取り巻きと共に、最大級の魔力を込めた炎と氷の合体魔法をミアに放つ。
その威力はこの教室が消し飛んでしまいそうなほどだった。
「……うるさい( ͡° ͜ʖ ͡°)」
ミアは、小さくそう呟くと、面倒くさそうに、持っていた棍棒を、野球のバットのように軽く振るった。
特別な魔法じゃない。ただ、振っただけ。
しかし、その一振りが巻き起こした風圧は、迫り来る合体魔法を、まるで蝋燭の火を吹き消すかのように、いともたやすくかき消してしまった。教室中に暴風が吹き荒れる。
「「「なっ!?」」」
ロゼリアたちが呆然とする。
顔には驚愕と困惑が浮かんでいる。
無理もない、自分たちの渾身の魔法が杖の一振りで消失したのだから。
ミアは、そんな彼女たちに興味も示さず、大きくあくびを一つした。
「もう、終わり?(T . T)」
教室は、破壊の跡と、倒れ伏す生徒たち、そしてその中心で退屈そうにするミアという、あまりにもシュールな光景だけが残されていた。
教壇では、サイエ・スティー教授が、目を爛々と輝かせながら、手元の羊皮紙に凄まじい速さでメモを取っている。
「興味深い…。被験体Mの概念出力は、極めて安定的かつ高効率…。対して、被験体K(圭)は…不安定極まりない。実に、実に興味深いサンプルです」
その後ろではペンが音速に近い速度で飛び交い、それぞれの生徒の服に評価を書き殴る。
服の判断基準は着用者の体温と魔力放出量を基準に設定されているらしい。
「うわっこの服金貨30枚なのに....ちょっと!」
「ちょっとこの評価何よ!!Zって何!?」
「そこは服じゃない!!僕の足だッ...」
俺は、自分の無力さに打ちひしがれながら、この狂った授業が早く終わることだけを、心の底から願っていた。
「ヒューーーカキカキ....」
そんなことを願っているうちに、俺袖めがけて一本のペンが突っ込んでくる。
(ちょ、めちゃ早いな..!...イタ!!これ刺さってるじゃん!)
袖に突き刺さったペンが乱暴に評価を書き殴る。
「評価:X 理論構築能力はS+。実践能力は観測不能レベルで最低。総合評価として判定不能。ただし、論理性の高さは貴重なデータであるため、単位は与える」
「...は?..」
サイエ・スティー教授の狂った授業が終わり、教室は破壊の跡と、心身ともに打ちのめされた生徒たちだけが残された。俺は、自らの理論が全く実践で通用しなかった事実に、壁の隅で一人、膝を抱えていた。
「帰ろー、圭(T ^ T)」
ミアが、そんな俺の腕をぐいと引っ張る。
彼女の顔には、退屈だった授業が終わったことへの安堵と、空腹の色だけが浮かんでいた。
俺たちは、夕暮れの光が差し込む廊下を、とぼとぼと歩いていた。
自分の影が異常に長いように感じる。
すれ違う生徒たちは皆、俺たち、特にミアから距離を取り、恐怖と畏怖が混じった視線を向けてくる。
その時だった。
廊下の先、大きな窓の前で、ロゼリアが一人で立ち尽くしているのが見えた。取り巻きの姿はない。彼女は夕日に照らされながら、今日の授業での自らの惨敗を噛み締めているようだった。
俺は、厄介事を避けるように、反対側の壁際を歩こうとした。
しかし、ミアは違う。彼女は、まるで旧知の友人を見つけたかのように、ずんずんとロゼリアの元へ歩み寄っていった。
「ねえ、あなた!!Σ੧(❛□❛✿)」
びくり、とロゼリアの肩が跳ねる。彼女は、憎悪と恐怖が入り混じった顔でミアを睨みつけた。
「……なんですの」
「さっきの、すごかったね!火と氷がぐるぐるーってなってた!」
ミアは、心の底から感心したように、目を輝かせている。
ロゼリアは、そのあまりに純粋な賞賛に、完全に意表を突かれたようだった。
「なっ……!あ、当たり前ですわ!わたくしの魔法は、この学年でもトップクラスなのですから!!」
「うん!すごい!だから、またやろうよ!今度はもっと大きいの!」
それは、決闘の申し込みではなかった。
ただ、強い子とまた遊びたい、という、子供の無邪気な誘い。
ロゼリアは、その言葉に毒気を抜かれたように、呆然とミアを見つめていた。
そして、やがて、ぷいと顔を逸らす。
「ふん!……わたくしに勝てるとお思い? 次は、必ずわたくしが勝ちますから、覚えてらっしゃい!」
その声には、もう憎悪の色はなかった。
ただ、好敵手を見つけた子供のような、ほんの少しだけ楽しそうな響きがあった。
俺は、そんな二人を横目に見ながら、一人、思考の海に沈んでいた。
今日の失敗。俺の脳内で衝突する、二つの世界の法則。
戦闘中に、リアルタイムで概念と物理をすり合わせるのは不可能だ。ならば――。
俺は懐から羊皮紙の束と羽ペンを取り出すと、歩きながら、凄まじい勢いで何かを書きつけ始めた。
(――ならば、事前に、戦闘で使いそうな全ての概念を、俺の知る物理法則に沿う形で、『定義』し尽くしておけばいい)
俺が羊皮紙に書きつけたタイトルは、こうだ。
【防護の定理】
第1項:定義
本定理における『壁』とは、術者の前方3メートルに生成される、厚さ50cm、高さ2m、幅3mの炭素鋼に近似した魔力構造体を指す。
第2項:物理特性
当該構造体の耐衝撃上限は50万N、融点は1811Kと定義する。熱エネルギーの吸収および拡散には、シュテファン=ボルツマンの法則を適用する。
第3項:発動トリガー
術者が、生命の危機を認識し、心臓の鼓動が120bpmを超えた状態で、「定理一」と詠唱した場合にのみ、本概念は物質化される。
これは、魔法の呪文ではなかった。
複雑すぎる俺の思考をバイパスし、一つの単純なトリガーで、
事前に完璧に定義された物理現象(結果)だけを呼び出すための、俺だけの「魔法の論文」だった。
感覚で魔法を使うのではない。
俺の物理学の知識を、この世界の法則に適合させるための、苦肉の策。
「圭ー! ロゼリアとまた遊ぶ約束したよー!!あの子結構面白いね( ・∇・)!!」
「...ふん!」
ミアが、いつの間にか隣に来ていたロゼリアを伴って、俺の顔を覗き込む。
しかし、俺は完全に自分の世界に没頭していた。
「いや、待て。この場合、運動エネルギーの減衰率に粘性抵抗の項を加えなければ、計算が合わない……!くそっ、この世界の空気の密度は、一体いくつなんだ……!」
俺はぶつぶつと呟きながら、羊皮紙に数式を書き込み続ける。
「「......」」
ミアとロゼリアは、そんな俺の姿を、二人並んで、全く同じ、「ドン引き」した顔で見つめていた。
一人は、目の前の男が自分の「夫」であることを忘れ、もう一人は、目の前の男が自分を打ち負かした相手の「監督者」であることを忘れて。
俺が、この世界の真理の、さらに一歩奥へと足を踏み入れたことに、まだ誰も気づいてはいなかった。




