心地悪いボロ小屋
朝、まだ日も高くならないうちに、俺は家の外に放り出された。
正確には、少女に手を引かれ、一緒に門の前に立たされた。すると、母親がぬっと現れ、藁の袋を二つ投げてよこした。意外に触り心地は悪い。母親の顔は陰で見えなかった。
その中身は、数枚の銀貨、干し肉、丸パン、水入りの小瓶、針金、裂けた布数枚、粗雑な木のスプーン。
そして──小さな鉄の鍵が一つ。先が錆びていて、年季が入っている。一見貧相に見えるが、俺が燃やし尽くした家の中から、よくこれだけのものを見つけてきたものだ。
少女はそれを器用に布に包んで腕に巻きつけると、俺の引き攣った顔を見ながら、にこりと笑った。
「……お、おい、これ……もしかして……追放?」
嫌な予感は当たる。村の家々の軒先に立っている数人の大人が、遠巻きにこちらを見て、何かを囁いている。「あの少女ついにやったか…」という表情だ。どうやら、この少女は前世の俺には及ばないが、それに近い「実力」を持つらしい。
そして、少女が土に指で何かを書いてくれた。読み取るのは簡単なはずだ。なぜなら、絵だったからだ。
「(≧∀≦)Σ✖️੧(❛□❛✿) → J( 'ー`)し」
「(≧∀≦)♡(≧∀≦) → ⚪︎」
俺は思わず空を仰いだ。どういう意味なのか、全くわからない。
(なんかハートがあって…嬉しそう?で…マルって何???)
数分間悩み抜いた末、最悪の考察が頭に浮かぶ。
(もしかして…結婚!?!?)
だとすると、辻褄が合う。家を追い出されたのは、結婚して家庭を築くためで、そのためにこの小屋にやってきたのか…?
(だからこんな絵を描いたのか…ちょっと下手だし…!)
俺は特に望まないうちに、自分の意思に関係なく、強制的に結婚させられたのだ。現実を受け止められず、頭の中で「結婚」「ヒロイン」「無双」といった言葉たちが踊り狂う。
思わず口をついて出た言葉は、単純な一言だった。
「よ…よろしく?」
少女はそれを「はいはい早く行こう」とでも言いたげに、俺の袖を無理やり引っ張った。そして何事もなかったように村の道を歩き出す。小さな布袋をぶら下げ、軽い足取りで。
俺は涙を浮かべ、頭を抱えつつ、仕方なく後に続いた。
村は思っていたよりも広かった。石畳ではなく、踏み固められた土道が中心を通り、左右に木造の家々が並んでいる。屋根は藁葺きと木板が混在し、いくつかの家からは煙が立ち上っていた。家畜の鳴き声、子供の笑い声、馬車の足音、鍬を打つ音、すべてが──のどかで牧歌的だった。
この新しい夫婦を除けば。
少女は得意げに案内を続けた。たぶん、という言葉ばかりだが、
「これが市場っぽい」
「ここは水場らしい」
「多分あれは祈祷所?」
「ここは宿?」
など、俺なりに理解しながら歩いた。
やがて、少女は村の一番外側にある古びた小屋の前で立ち止まった。土の道ですらもう続いていない。
片開きの扉、壊れかけの囲い、床板の隙間から草が生えている。明らかにボロ小屋だ。
少女は扉を指さし、胸を張って宣言した。
「kkg atrsi i ٩( ᐛ )و!」
(ここが新しい家!)
俺は、過酷な現実を捉えきれず、三分後、ようやくすべてを理解した。
ここが、新居なのだ。
数歩近づけば、ドアがギイと軋んだ音を立てた。
中は埃っぽく、机ひとつ、ベッド代わりの藁束がひとつ。窓はあるがガラスではなく、獣皮がはめ込まれている。土の床では当然のように虫が徘徊する。壁には風化した木の板。どこを見ても、古い。
というかボロい。
ちょっと臭いし。
もちろん、当たり前のように心地が悪かった。前世でぬくぬくと育ってきた俺にとっては、このボロ小屋での生活は酷だった。
少女はそんなことにも気づかずに、俺の分の食料を盗み食いし始めた。
俺は息を吐いて振り返った。
少女がこちらを見て、盗み食いの現場を必死に隠し、赤くなった耳で無邪気に笑っていた。
この世界で、言葉も文化も知らぬまま“妻”となった少女が。
「……まあ、案外、異世界って心地が悪いな…」
口にしてみれば、そこに少しだけ実感がこもっていた。