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炎上、校舎

マス・ルート教授の「私も借りができたな」という言葉は、熱風にかき消された。


俺が彼の理論を実証したことで生まれた、あの純白のエネルギーは、研究室を消し炭にしただけでは収まらなかったのだ。


「まずい!火が…!」


俺が叫ぶ。爆心地から生まれた熱波は、周囲の建物の石壁に触れた瞬間、まるで油を注がれたかのように、青白い異様な炎となって燃え移った。


石が、燃えている。俺の知る物理法則を完全に無視した、まさしく悪夢のような光景だった。


「これは…!魔素の連鎖励起による、継続的なプラズマ化現象か!?」


サイエ・スティー教授が、恍惚とした表情で叫ぶ。

彼女は防御も忘れ、燃え盛る校舎のサンプルを採取しようと、特殊なガラス瓶を手に駆け出そうとしていた。今にも火傷しそうで見てられない。


「おお!悲劇!悲劇だ!校舎が!我らの学び舎が、自らの魂を燃やして天に昇ろうとしている!なんと美しい叙事詩だ!!!」


クニ・ブンケ教授は、燃え盛る炎を前に、感動のあまり詩を詠み始めている。


マス・ルート教授は、自らが引き起こした災害を前にしても冷静だった。

彼は杖を構え、燃え広がる炎の前に、完璧な計算に基づく防護障壁を展開する。

しかし、その炎は彼の論理を嘲笑うかのように、障壁をすり抜け、あるいは飛び越え、さらに奥の校舎へと燃え広がっていく。


「ありえん……計算が合わん……!」

初めて聞く、彼の焦燥に満ちた声だった。


俺は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


入学初日に、俺は昼食代を踏み倒し、そして、学校を燃やした。


それも、ただの火事ではない。魔法の法則そのものをねじ曲げる、未知の災害を引き起こしてしまったのだ。


炎は瞬く間に勢いを増し、西棟全体、そして講堂へと、まるで巨大な獣のように校舎を飲み込んでいく。教授たちの放つ消火魔法など、焼け石に水だった。


やがて、校舎の四分の一ほどが、青白い異様な炎に包まれた頃だった。


ファン、と。


遠くから、しかし鋭く、澄んだ角笛の音が鳴り響いた。


地響きと共に、大学の正門が破壊されるかのような勢いで開かれ、そこから、月光を反射して輝く銀色の鎧に身を包んだ、百を超える騎馬隊が雪崩れ込んできたのだ。


「王都騎士団、第一魔導師団!ただいま到着した!」

「消火部隊、前へ!結界術師は周囲を包囲し、延焼を防げ!」


馬から飛び降りた騎士たちは、教授たちとは比べ物にならないほど統率の取れた動きで、即座に消火活動を開始する。


彼らが構える大盾からは、炎を鎮めるための冷気を帯びた魔力が放たれ、巨大な水の槍が、天を衝く炎へと叩きつけられていく。


それは、学問の徒ではない、戦いのプロフェッショナルだけが持つ、圧倒的な実戦の光景だった。



騎士団を率いる隊長らしき男が、馬上で冷たく言い放つ。


「……また教師の悪ふざけか。被害状況を報告しろ。火元はどこだ」


その鋭い視線が、一直線に、クレーターの中心に立つ俺と、マス・ルート教授に突き刺さった。


俺は、国家権力の、あまりにも重い視線に耐えきれず、その場でがくりと膝をついた。


マス・ルート教授は、そんな俺の隣で、騎士団の放つ消火魔法の術式構造を、興味深そうに分析している。

その顔には先ほどまでの焦りは消え失せ、単純な知的好奇心だけが浮かんでいた。


(終わった……何もかも……)


俺の脳裏に、穏やかな顔で俺を見送ってくれたリオとチャルの顔が浮かんだ。


すまない、二人とも。


俺は、君たちの待つ宿に、もう帰れないかもしれない。


俺たちの地獄のような学園生活は、入学初日にして、国家を揺る大犯罪者になるという、最悪のクライマックスを迎えていた。




◇◇




王都騎士団の隊長が鋭い顔でこちらを振り向く。


ルート先生と俺に氷のように冷たい視線が突き刺さる。


絶体絶命。


(まずい...まずい...不味すぎる!!このままだと牢獄行きだぞ!!学園物語どころじゃない!!)


俺は、自らが引き起こした災害の大きさを前に、全ての思考を放棄しかけていた。



「——この生徒は、私の監督下にある」



その時、俺の前にマス・ルート教授が静かに立ちはだかった。


「彼は私の実験の助手を務めていただけだ。全責任は、この私にある。彼への尋問は時間の無駄だ」


隊長は、その言葉に眉をひそめたが、大陸最高峰の学び舎の教授という肩書には逆らえないようだった。


彼は忌々しげに舌打ちをすると、「ならば、教授。あなたに、詳しい事情を伺おうか」とだけ言い、

ルート教授を連れて騎士団の本部へと向かっていった。


去り際に、教授は俺に一度だけ振り返り、無表情のまま、しかしはっきりと告げた。


「君は宿に戻れ。…これは命令だ」


俺は、まるで罪を免れた囚人のように、騎士団と教授たちの厳しい視線の中を駆け足で通り抜けた。


煙が立ち上る校舎を背に、ただひたすら、宿へと続く道を走る。


道中、すれ違う王都の住民たちが、皆、信じられないものを見る目で、大学の方角を指差していた。


「まさか、あの賢者の学び舎が……」


「千年間、一度たりとも壊れたことなどなかったというのに……」


そんな囁きが、俺の耳を通り過ぎていく。


宿の扉を開けると、ふわりと、温かいシチューの匂いがした。


中では、ミアとチャルが、二人で楽しそうに夕食の準備をしている。


テーブルの上には、俺の知らない野菜や、見たこともないスパイスが並んでいた。

その光景は、俺が先ほどまでいた地獄とは、あまりにもかけ離れていた。


俺が、力なく椅子に崩れ落ちる。


その音に、テーブルで本を読んでいたリオが、はっと顔を上げた。


彼は、煤と埃にまみれた俺の姿を見ると、今まで見たこともないほど、驚いた顔で目を見開いた。


「……お前、よく戻ってこれたな」


「ルート教授が……庇ってくれた」


「そういうことじゃない」


リオは、ドラゴンの絵が描かれた本を閉じると、静かに続けた。


「お前が、自分が何をしたのか、分かっているのか、と聞いているんだ」


「学校を……燃やした」


「ただの火事じゃない」


リオは、窓の外、未だに黒い煙が立ち上る空を指差した。


「この王都の者なら、子供でも知っている。あの学び舎は、千年前の大賢者サイキョ・ウが、神々の時代の石と不壊の魔法を以て建造した、『絶対不壊』の建造物だ。今まで、竜の襲撃でも、大地震でも、壁に傷一つ付いたことはなかったらしい」



リオは、再び俺に視線を戻した。その目には、畏怖と、そして心底からの呆れが入り混じっている。


「……お前は、千年の歴史上初めて、あの学び舎を、根本から破壊したんだ」


その言葉を聞いた瞬間、俺はようやく、自分が犯したことの、本当の重さを理解した。


俺は、ただの放火犯ではない。


神話級の伝説を、入学初日にして、物理的に粉砕してしまったのだ。


(てか、大賢者サイキョ・ウって単純すぎるだろ!!もっといい名前なかったのか!?)


俺が、歴史の重みに押しつぶされて呆然としていると、隣から、能天気な声が聞こえた。


「圭、すごい!賢者より強いの!?じゃあ、アタシにもっとお肉ちょうだい!」


ミアが、シチュー鍋をかき混ぜながら、嬉しそうに言っている。


「えっと……圭さん。夕飯、できてますよ……?」


チャルが、おずおずと、しかし少しだけ誇らしげに、木の皿を俺の前に差し出した。


俺は、自分が王都の歴史に残る大事件を引き起こした張本人であるという事実と、目の前で繰り広げられる、あまりにも平和で、あまりにも温かい日常の光景のギャップに、ただ、打ちのめされるしかなかった。

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