お互いに借り
マス・ルート教授との知的な死闘(と俺が一方的に思っているだけ)を終えた俺の脳は、完全にエネルギー切れを起こしていた。
空っぽになった頭に、ミアの「お肉!」という言葉が天啓のように響き渡る。
「……そうだな。肉だ。肉を食おう」
俺たちは、巨大な学生食堂に吸い込まれるように入っていった。
そこは、貴族の子弟が利用するだけあって、宿の安食堂とは比べ物にならないほど清潔で、メニューも豊富だった。(チャオの手料理には及ばないが)
「うおお!圭!見て!お肉がぐるぐる回ってる!Σ('◉⌓◉’)」
ミアが指差す先には、巨大な肉塊がいくつも串に刺され、魔法の火でこんがりと炙られている。
俺の理性のタガも、その香ばしい匂いの前では無力だった。
「すみません!そこの肉、こっからここまで全部ください!!!」
「圭、かっこいい!!!( ^∀^)」
それから先の記憶は、あまり定かではない。
俺は、知的好奇心が満たされた後の奇妙な高揚感と、極度の空腹に突き動かされるまま、ミアと二人、獣のように食べ続けた。
次々と運ばれてくる肉の皿。
山のように積まれていく骨。俺たちが通った後には、蝗の群れが通り過ぎたかのような惨状だけが残されていた。
「……ふう、食った食った」
「おいしかったね、圭!( ^ω^ )」
満腹感に満たされ、俺とミアが幸せなため息をついた、その時だった。
俺たちのテーブルに、ずい、と一枚の羊皮紙が差し出された。
食堂の会計係らしき、恰幅のいいおばちゃんだ。
その紙に書かれた数字を見て、俺の血の気は一瞬で引いた。
料金:金貨3枚
(……金貨、三枚……だと!?)
肉の値段を見ずに注文しまくった結果だった。貴族価格、恐るべし。
そして、俺の脳裏に、最悪の事実が蘇る。
(……あ)
有り金は、さっき、リオとチャルに全部渡してしまった。
俺のポケットに入っているのは、糸くずと、なけなしの銅貨が数枚だけ。
「……あ、あの、これはその……ツケ、とかは……?」
「ツケぇ? 寝言は寝て言やがれ!」
おばちゃんの優しい笑顔が、鬼の形相に変わる。
周囲の席から、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
見ると、ロゼリアが「まあ、下賤な方たち」とでも言いたげに、扇子で口元を隠してこちらを見ている。
終わった。
入学初日から、俺は「無銭飲食犯」として捕まるのか。
おばちゃんに腕を掴まれ、悲鳴と共に厨房の奥へと引きずられていこうとした、まさにその時だった。
「騒々しい。何事だ」
氷のように冷たい声が、その場に響いた。
マス・ルート教授だった。
彼は、俺たちのテーブルに積まれた骨の山と、絶望に顔を歪める俺を、心底不思議そうな顔で見ている。
「……私が払おう」
教授は、状況を瞬時に理解すると、盛大なため息と共に、こともなげに金貨を数枚取り出した。
「あ、ありがとうございます!」とおばちゃんが態度を豹変させる。
俺は、命の恩人(二度目)である教授に、深々と頭を下げた。
「る、ルート教授……!このご恩は必ず……!」
「恩は返してもらう」
教授は、俺の言葉を遮ると、その感情の読めない目で、じっと俺を見つめた。
「篠原 圭。君は、私に『借り』ができた。いいね?」
その言葉を聞いた瞬間、俺は全てを悟った。
彼の目は、困った学生を助ける教師の目ではなかった。
それは、予期せぬ形で、極めて希少なサンプルを手に入れることに成功した科学者の目だった。
教授は、心底呆れ返っているはずなのに、その口元は、ほんのわずかに、満足げな笑みを浮かべているように見えた。
「君の言う『永久機関』の理論、実に興味深かった。放課後、私の研究室に来い。君の『借り』の返済方法について、ゆっくり話し合おうじゃないか」
俺は、無銭飲食という目先の破産から逃れる代わりに、この学校で最もヤバい教授に、魂まで研究材料として差し出すことになったのだと理解した。
その隣で、ミアが「おじさん、ありがと!お肉美味しかった!^_^」と無邪気に礼を言っているのが、やけに遠くに聞こえた。
◇◇
放課後。
俺は、昼食の借りを返すという、あまりにも重い足取りで、マス・ルート教授の研究室の扉をノックした。
返事はない。俺が恐る恐る扉を開けると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
研究室は、埃っぽい魔術師の部屋などではなかった。
それは、俺が前世で過ごした物理学の研究室に酷似した、無機質で、どこまでも清潔な空間だった。
違いはただ一つ。実験器具が、全て未知の魔法道具であることだ。
黒板には、チョークがひとりでに動き、複雑な数式を書き出しては消していく。
机の上では、カットされた木材ゆっくりと回転し、魔法陣を作り出している。
「すごい……なんだこれは……」
俺は、昼食の借金のことなどすっかり忘れ、子供のように目を輝かせていた。
一つ一つの魔道具が、俺の科学者としての魂を激しく揺さぶる。
その時、部屋の奥から、マス・ルート教授がぬっと姿を現した。
「来たか。では、さっそく話しの続きを聞こうか」
彼は、俺の興奮など意に介さず、単刀直入に本題を切り出した。
俺はハッと我に返ると、今度は恐れではなく、純粋な知的好奇心に突き動かされるまま、昼間の議論の続きを語り始めた。
「ええ!つまり、教授が提示された世界の基礎方程式におけるψ(プサイ)定数ですが、特定の条件下で虚数解を持つはずです!その場合、魔素エネルギーは一方通行の流れを生み出し、理論上、外部からのエネルギー供給なしに、無限の魔力を取り出すことが可能になるはずなんです!」
「……ほう。無限エネルギー、か。ありえない。エネルギー保存則に反する」
「ええ、私の世界の法則では!ですが、この世界の法則では、ψ定数の存在がそれを可能にしている!これは欠陥ではなく、むしろこの世界の理を現す、最大の『特徴』なのでは!?」
俺と教授の間に、火花が散るような学術的応酬が繰り広げられる。(レベルとしては大学の三ランク上)
やがて、マス・ルート教授は、ふむ、と一つ頷いた。
そして、今まで見たこともないような、好奇に満ちた目で俺を見ると、研究室の中央に置かれた、自身の杖を手に取った。
「……面白い。ならば、実証してみよう」
「え?ちょ...は?」
「君の仮説が正しいかどうか、今ここで、試してみればいい」
教授は杖を構え、俺が提示した、ψ定数を虚数空間で展開するための、あまりにも危険な補助式を、こともなげに詠唱し始めた。
室内の魔力が、一点に収束していく。空気がビリビリと震え、投影されていた魔法陣が明滅を始める。
その光景を見て、俺の血の気が一気に引いた。
(待て、待て待て待て!これはただの思考実験だ!理論上の話だ!そんなものをいきなり実践したら、どれほどのエネルギーが……!)
「きょ、教授!待ってください!不安定なエネルギーが連鎖的に暴走する可能性が――!」
俺の制止の声は、遅すぎた。
「――証明完了(Q.E.D.)」
教授がそう呟いた瞬間、世界から音が消えた。
杖の先端から、太陽が生まれたかのような、純白の光が溢れ出す。
(終わった……死んだやん...)
俺が死を覚悟した、コンマ一秒後。
俺の身体は、ひやりと冷たい、完璧な立方体の結界に包まれていた。
マス・ルート教授の、咄嗟の防護魔法だ。
そして、次の瞬間。
光が、爆発した。
轟音は、なかった。
ただ、凄まじい熱量と衝撃波が、俺たちを包む結界以外の、研究室の全てを飲み込み、一瞬にして原子の塵へと変えていった。
数秒後。光が収まった時、そこに研究室はなかった。
壁も、天井も、床も、全てが消し飛び、俺たちは巨大なクレーターの中心に、ぽつんと立っていた。
残っているのは、黒く焼け焦げ、溶けてガラス化した、痛々しい建物の残骸だけだ。
カンカンカンカン!と、学園中にけたたましい警鐘が鳴り響く。
吹き飛んだ壁の向こうから、他の教授たちが慌てて駆けつけてくるのが見えた。
サイエ・スティー教授が目を輝かせ、ソーシャ・モンスーン教授が扇子で口元を隠して笑い、クニ・ブンケ教授が「おお!これが魂の爆発か!」と感動している。
マス・ルート教授は、ゆっくりと俺を包んでいた結界を解いた。
彼は自らが作り出した惨状を静かに見渡すと、煤で汚れた白衣の肩を、軽く手で払った。
そして、呆然と立ち尽くす俺に向き直り、一つ咳払いをしながら、静かに言った。
「……ふむ。どうやら私も、君に借りができたな」
俺は、自分の理論が、学園を半壊させるほどの威力を持っていた事実と、昼食の借金がとんでもない形で帳消しになった事実に、ただ、震えることしかできなかった。




