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物理オタク

キーンコーンカーン、と澄んだ音色の鐘が鳴り、授業の終わりを告げる。


その瞬間、教室に満ちていた緊張の糸がぷつりと切れ、生徒たちは一斉に安堵のため息をついた。

皆、マス・ルート教授の超理論的な講義に、魂を半分以上持っていかれたような顔をしている。


しかし、俺だけは違った。


(面白い……!なるほど、面白い、面白い、面白い!!!面白いじゃないか!!!!!!)


俺の脳は、転生してから今この瞬間までで、最高の活性状態にあった。


気体の状態方程式によく似た、あの世界の基礎方程式。

魔素の属性ごとに設定された、無数の補正係数。

それは、俺が前世で学んだ物理法則とは異なる、全く新しい、しかし完璧に論理的な体系を持った「異世界物理学」そのものだった。


「ミア、先に行っててくれ! 俺は教授に質問がある!!!!!!」


俺は興奮を抑えきれず、授業が終わるや机と椅子を蹴飛ばしながら席を立ち、教室を出ようとするマス・ルート教授の前に立ちはだかった。


「ルート教授!!!!!! いくつか質問が!!!!」


教授は氷のような目で俺を一瞥した。


「講義は終了した。質問は受け付けん」


「いえ、これは質問というか、確認と反証です! 先ほどのP(Φ)V = M(ρ) ・ R(ψ) ・ T(λ)の式ですが、このψ(プサイ)の定数、おかしくありませんか!? これでは特定の条件下で魔素エネルギーの保存則が崩壊し、無限にエネルギーを取り出せる永久機関が成立してしまいます!」


俺は、前世の癖で、早口に、そして熱弁を振るい始めた。


「それとλ(ラムダ)項! なぜあれは熱力学第二法則を無視したかのような振る舞いを許容するのですか!? エントロピーは必ず増大するはずだ! この世界の法則では、違うとでも!?」


俺の、この世界の常識から逸脱した質問の数々に、マス・ルート教授の足が、初めてぴたりと止まった。

彼の表情は変わらない。だが、その瞳の奥で、何かがわずかに揺らぐのを俺は見逃さなかった。


「……面白い仮説だ。だが、君の言う『熱力学第二法則』とやらの定義が不明瞭だ。前提が共有できなければ、議論は成立しない」


「では、今ここで定義します! まず……」


俺は完全に自分の世界に入っていた。

廊下の壁を黒板代わりに、指で数式を書きなぐり、この世界の魔法体系の矛盾点を、片っ端から指摘していく。


最初は冷ややかに聞いていたマス・ルート教授も、次第に俺の理論に引き込まれ、

「ほう…」「それは興味深い視点だ…」「だが、その場合、この係数はどう説明する?」と、議論に応じ始めた。


俺と教授、二人の変人による、高度すぎて誰にも理解できない謎の学術討論会。


それが、教室を出たすぐの廊下で、三十分にもわたって繰り広げられた。


その、あまりにも異様な光景を、遠巻きに見つめる二つの影があった。



「……圭、まだ終わらないのかなー。お腹すいたー……」


ミアは、教室の出口の壁に寄りかかり、棍棒の先で床をつつきながら、心底退屈そうに呟いていた。


そして、その少し離れた場所で。

ロゼリアと、その取り巻きたちが、信じられないものを見る目で、俺たちを凝視していた。


「な……なんなのですの、あいつは……?」

「ルート教授が、学生とあれほど長く……しかも、どこか楽しそうに議論しているなんて……」

「あの男、一体何者なの……?」


ロゼリアにとって、先ほどの屈辱とは質の違う、理解不能な衝撃が走っていた。


自分こそがこの学年で最も優秀だと自負していた。


しかし、あの平民のような男は、自分が必死で解いた問題を「前提が間違っている」と一蹴し、あろうことか、あのマス・ルート教授を相手に、対等な議論を吹っかけているのだ。


彼女のプライドが、未知の恐怖によって、静かにひび割れていく音がした。


やがて、マス・ルート教授は何かを振り切るように

「……今日のところは、ここまでだ」と議論を打ち切ると、俺に背を向けて足早に去っていった。

その背中は、どこか逃げるようにも見えた。


一人残された俺は、最高の知的興奮に満たされた顔で、ミアの元へと駆け寄った。


「ミア! すごいぞ! この世界の魔法科学は最高だ! 無限の可能性がある!」


俺がそう言って満面の笑みを浮かべると、ミアは、じとーっとした目つきで俺を見上げた。


「それより、お肉食べに行こうよ」


その、あまりにも現実的な一言で、俺の興奮は一気に冷めた。


「あ.....そうだな...!」


俺は、ドン引きしたまま遠くからこちらを見ているロゼリアの視線に気づかないふりをしながら、ミアに手を引かれ、食堂へと向かうのだった。

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