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異世界の方程式

マス・ルート教授の氷のような声が、静まり返った教室に響き渡る。


「――席に着け。授業を始める。最初の問題だ。変数Mミアが持つ未知の魔力密度が、既存の魔法体系(F)に与える影響について、5分で証明せよ」


羊皮紙とインク、羽ペンが、魔法によって俺たちの机に無音で配られた。

周囲の貴族の子弟たちは、一瞬戸惑いながらも、すぐにペンを走らせ始める。その表情は真剣そのものだ。


(……は? 何を言っているんだ、この男は?どゆこと?)


俺は、問題の意味を理解できず、完全に思考が停止していた。


変数M?ミアのことか?未知の魔力密度?魔法体系F?


前提となる定義が、何一つ与えられていない。(というか知らない。)


これは問題として成立していない。まるで「リンゴと友情を足した値を求めよ」と言われているようなものだ。


俺が一人、学問の根幹を揺るがす悪問に混乱していると、隣のミアはもっと単純な問題に直面していた。


「圭、これ、どうやって使うの?」


彼女は羽ペンを逆さに持ち、インク壺の底を必死につついている。

インクが滴り、机が黒く染まる。


ダメだ、こっちはもっと根本的なところからだった。


俺は焦った。


元大学教授としてのプライドが、このまま白紙で提出することを許さない。


(落ち着け、俺。この世界の法則は俺の知る物理法則とは違う。だが、もし『魔法』が何らかの法則に基づいているのなら、そこに論理的なモデルが存在するはずだ。『魔力密度』を気体の『分子密度』と仮定し、『魔法体系』を一つの閉鎖空間と定義すれば…あるいは!)


俺の脳が、前世の知識を総動員して猛烈な速度で回転を始める。

そうだ、これしかない。


俺は羽ペンを握りしめ、羊皮紙の上に、この世界で誰も見たことがないであろう数式を書き連ねていった。


『PV = nRT』


気体の状態方程式。

俺はそこから、Pを魔力の圧力、Vを効果範囲、nをミアの魔力密度(変数M)、Rを魔素定数、Tを魔力温度と無理やり仮定し、流麗な筆致で(自分ではそう思っている)完璧な証明を書き上げた。


我ながら、苦しすぎるこじつけだ。


だが、この世界の魔法が物理法則の延長線上にあるのなら、あながち見当外れでもないはずだ。


(いける……! これなら、あるいは……!)


淡い期待を胸に顔を上げると、隣のミアは、すでに問題解決を諦めていた。


羊皮紙に肉の絵を描き、それに飽きると、ビリビリと細かく破いて、紙吹雪のようにして遊んでいる。


そして、斜め前の席では。

ロゼリアが、額に汗を浮かべながらも、驚異的な集中力で羊皮紙に数式を書き連ねていた。そのペン先からは、迷いのない知性が感じられる。どうやら彼女は、ただのお嬢様ではないらしい。


やがて、マス・ルート教授が冷たく告げた。

「――そこまでだ。ペンを置け」


教授は、魔法で全ての答案を宙に浮かせると、一枚一枚に素早く目を通していく。

そして、俺の答案の前で、初めてぴたりと動きを止めた。


「……ほう」


彼の目が、わずかに見開かれる。


(来たか!? やはり俺の理論は正しかったのか!?)


俺が勝利を確信した、その時だった。


「数式の構造は美しい。論理の運びにも破綻はない。だが、前提となる基礎方程式が、根本的に間違っている。よって、0点だ」


無慈悲な宣告と共に、俺の答案用紙はシュレッダーにかけられたかのように、粉々に切り刻まれた。


「正解は、これだ」


教授が指を鳴らすと、教室の黒板に、チョークが自動で数式を書き出した。

チョークには魔力で作られた導線?が続いており、机の上の魔道具につながっていた。


『 P(Φ)V = M(ρ) ・ R(ψ) ・ T(λ) 』


(……なっ!?)


俺は、自分の目を疑った。


それは、俺が書いた気体の状態方程式と、驚くほど酷似していた。


だが、PやMといった各項目の横に、俺の知らない魔素属性を示すギリシャ文字のような記号(Φ、ρ、ψ、λ)が、無数に追加されている。


(状態方程式であることは、合っていたのか……! だが、なんだこの追加パラメータは!? 魔素の属性ごとの補正係数だとでもいうのか!? くそっ、情報が、情報が足りなすぎた……!)


「この問題を5分で完答したのは、ただ一人。――ロゼリア・フォン・エーデルシュタイン」


教授の言葉に、ロゼリアは汗を拭い、勝ち誇ったように俺を一瞥した。その目は「当然ですわ」と語っている。


俺は、学問の世界で、生まれて初めての完全な敗北を味わった。

その隣で、ミアが自分の答案の紙吹雪を、美味しそうに口に入れようとしているのを、ただ呆然と見つめることしかできなかった。




◇◇




キーンコーンカーン、と澄んだ音色の鐘が鳴り、授業の終わりを告げる。


その瞬間、教室に満ちていた緊張の糸がぷつりと切れ、生徒たちは一斉に安堵のため息をついた。

皆、マス・ルート教授の超理論的な講義に、魂を半分以上持っていかれたような顔をしている。


しかし、俺だけは違った。


(面白い……!なるほど、面白い、面白い、面白い!!!面白いじゃないか!!!!!!)


俺の脳は、転生してから今この瞬間までで、最高の活性状態にあった。


気体の状態方程式によく似た、あの世界の基礎方程式。

魔素の属性ごとに設定された、無数の補正係数。

それは、俺が前世で学んだ物理法則とは異なる、全く新しい、しかし完璧に論理的な体系を持った「異世界物理学」そのものだった。


「ミア、先に行っててくれ! 俺は教授に質問がある!!!!!!」


俺は興奮を抑えきれず、授業が終わるや机と椅子を蹴飛ばしながら席を立ち、教室を出ようとするマス・ルート教授の前に立ちはだかった。


「ルート教授!!!!!! いくつか質問が!!!!」


教授は氷のような目で俺を一瞥した。


「講義は終了した。質問は受け付けん」


「いえ、これは質問というか、確認と反証です! 先ほどのP(Φ)V = M(ρ) ・ R(ψ) ・ T(λ)の式ですが、このψ(プサイ)の定数、おかしくありませんか!? これでは特定の条件下で魔素エネルギーの保存則が崩壊し、無限にエネルギーを取り出せる永久機関が成立してしまいます!」


俺は、前世の癖で、早口に、そして熱弁を振るい始めた。


「それとλ(ラムダ)項! なぜあれは熱力学第二法則を無視したかのような振る舞いを許容するのですか!? エントロピーは必ず増大するはずだ! この世界の法則では、違うとでも!?」


俺の、この世界の常識から逸脱した質問の数々に、マス・ルート教授の足が、初めてぴたりと止まった。

彼の表情は変わらない。だが、その瞳の奥で、何かがわずかに揺らぐのを俺は見逃さなかった。


「……面白い仮説だ。だが、君の言う『熱力学第二法則』とやらの定義が不明瞭だ。前提が共有できなければ、議論は成立しない」


「では、今ここで定義します! まず……」


俺は完全に自分の世界に入っていた。

廊下の壁を黒板代わりに、指で数式を書きなぐり、この世界の魔法体系の矛盾点を、片っ端から指摘していく。


最初は冷ややかに聞いていたマス・ルート教授も、次第に俺の理論に引き込まれ、

「ほう…」「それは興味深い視点だ…」「だが、その場合、この係数はどう説明する?」と、議論に応じ始めた。


俺と教授、二人の変人による、高度すぎて誰にも理解できない謎の学術討論会。


それが、教室を出たすぐの廊下で、三十分にもわたって繰り広げられた。


その、あまりにも異様な光景を、遠巻きに見つめる二つの影があった。



「……圭、まだ終わらないのかなー。お腹すいたー……」


ミアは、教室の出口の壁に寄りかかり、棍棒の先で床をつつきながら、心底退屈そうに呟いていた。


そして、その少し離れた場所で。

ロゼリアと、その取り巻きたちが、信じられないものを見る目で、俺たちを凝視していた。


「な……なんなのですの、あいつは……?」

「ルート教授が、学生とあれほど長く……しかも、どこか楽しそうに議論しているなんて……」

「あの男、一体何者なの……?」


ロゼリアにとって、先ほどの屈辱とは質の違う、理解不能な衝撃が走っていた。


自分こそがこの学年で最も優秀だと自負していた。


しかし、あの平民のような男は、自分が必死で解いた問題を「前提が間違っている」と一蹴し、あろうことか、あのマス・ルート教授を相手に、対等な議論を吹っかけているのだ。


彼女のプライドが、未知の恐怖によって、静かにひび割れていく音がした。


やがて、マス・ルート教授は何かを振り切るように

「……今日のところは、ここまでだ」と議論を打ち切ると、俺に背を向けて足早に去っていった。

その背中は、どこか逃げるようにも見えた。


一人残された俺は、最高の知的興奮に満たされた顔で、ミアの元へと駆け寄った。


「ミア! すごいぞ! この世界の魔法科学は最高だ! 無限の可能性がある!」


俺がそう言って満面の笑みを浮かべると、ミアは、じとーっとした目つきで俺を見上げた。


「それより、お肉食べに行こうよ」


その、あまりにも現実的な一言で、俺の興奮は一気に冷めた。


「あ.....そうだな...!」


俺は、ドン引きしたまま遠くからこちらを見ているロゼリアの視線に気づかないふりをしながら、ミアに手を引かれ、食堂へと向かうのだった。

【圭の回答】


問:変数 Mが持つ未知の魔力密度が、既存の魔法体系 F に与える影響について証明せよ。


解:


1. 前提定義


本問における「魔法」が何らかの物理的法則に基づくと仮定し、以下の通りモデル化する。


既存の魔法体系 (F): 外部との魔力・魔素の出入りがない、体積が一定の理想的な閉鎖空間 (V) と定義する。


魔力密度 (M): 閉鎖空間 V 内に存在する魔力量を示す。これは気体分子の密度に相当すると考え、本証明では変数 n として扱う。


魔力の圧力 (P): 閉鎖空間 V の壁(体系の境界)に対して、内部の魔力が及ぼす圧力。


魔力温度 (T): 魔力の活性度、あるいはエネルギーポテンシャルを示す温度。


魔素定数 (R): 魔法体系 F に固有の、物理法則における気体定数に相当する普遍定数。


2. 基礎方程式の導入


上記の定義に基づき、これらの変数の関係性は、理想気体の状態方程式と等価であると仮定できる。よって、以下の基礎方程式が成り立つ。


PV=nRT



3. 論理展開


本問で問われている「影響」とは、変数 M(すなわち n)が、魔法体系 F の状態(本モデルでは圧力 P や温度 T など)にどのような変化をもたらすか、その因果関係を明らかにすることである。


上記の状態方程式を、圧力 P について解くと、


Pv= nRT/v



これを整理すると、


P= (RT/v)n


となる。


ここで、魔法体系 F は体積 V が一定の閉鎖空間であり、魔力温度 T および魔素定数 R が、変数 n の変化に対して一定に保たれる環境であると仮定する。


その場合、上式の括弧内 (RT/v ) は定数となる。


4. 結論


したがって、魔法体系 F 内における魔力の圧力 P は、変数 M(ミアの魔力密度 n)に正比例する。


P∝n


これは、ミアの持つ魔力密度 (M) が増加すれば、それに比例して既存の魔法体系 (F) にかかる内部圧力は増大し、逆に彼女の魔力密度が減少すれば圧力も減少することを意味する。

この圧力の変動こそが、変数 M が魔法体系 F に与える直接的な影響である。


(証明終 Q.E.D)

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