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気狂い一座の名演技

地獄。


もしこの世に天界の他に、地獄があるとするならば、それは今、この村長の家の中だ。


俺の最低な勘違い、村長の底知れぬ恐怖、リオの殺意にも似た怒り、そしてミアの天真爛漫な笑顔。四つのベクトルが交わることなく、ただただ気まずい沈黙だけが空間を支配している。


(無理無理無理無理!何だこの状況は!味方のはずのリオからは殺意を向けられ、民からは恐怖の対象に!俺はただ平和な領主ライフを…いや、そもそも領主になりたかったわけでもない!もう帰る!!!この土地捨てる!!!)


俺の脳内で、理性のタガが派手な音を立てて弾け飛んだ。



「うわああああああああっ!!!!!!!!!」



俺は突如、意味不明な絶叫を上げながら椅子から跳ね上がった。


そして、呆然とするリオの手と、まだ崖から飛び降りた話の続きをしようとしているミアの腕を、有無を言わさず掴む。



「逃げるぞ!!!!!今すぐだ!!!!!!!」



その時、ミアは先ほどリオが連れてきた村長の娘の手を、まだしっかりと握っていた。


「この子も次の鬼ごっこに参加するんだ!」と、純粋に信じきっていたからだ。


結果、俺がリオとミアを、ミアが村長の娘を、という数珠つなぎの状態で、俺たちは村長の家から飛び出した。


俺は、文字通り涙と鼻水を顔中に広げながら、村の中を全力で疾走した。そこに地主として誇り、人間としての尊厳はなかった。



「もうやだ!!!異世界こわい!!!!家に帰る!!!!!」



外で農作業をしていた村人たちは、新たな領主が突如として号泣しながら走り去っていく姿と、その後ろで、村長の娘がなすすべなく引きずられていく光景を、同時に目撃した。


「ああ…!村長の娘御が…!」

「やはり、連れて行かれるのだ…!生贄として…!」


村長が家の戸口で娘の名を叫びながら崩れ落ちるのが、視界の端に見えた気がした。


彼らの誤解と恐怖が、今、頂点に達した。


だが、パニック状態の俺に、そんなことを気にする余裕はない。


村の入り口に停まっていた馬車に、俺たちは四人まとめて雪崩れ込むように乗り込んだ。


御者が「へい、旦那様。もうお帰りでー」と言いかけるのを、俺の号泣が遮る。



「王都だ!王都に帰る!今すぐ!出せるだけのスピードで走ってくれえええええ!!!」



御者は、領主として村に入っていったはずの男が、わずか一時間足らずで半狂乱になり、しかも村の娘らしき子供まで拉致して戻ってきたことに度肝を抜かれたが、俺の鬼気迫る様子に逆らうことはできなかった。彼は恐怖に引きつった顔で、力一杯、馬に鞭を入れる。


馬車は土煙を激しく巻き上げながら、中央平野を後にした。


揺れる馬車の中、俺は膝を抱えて「うっ…うっ…」としくしく泣いていた。


ようやく地獄から逃げ出せたのだ。


ふと、自分の嗚咽以外の、小さな衣擦れの音に気づいた。


泣き腫らした目で見ると、馬車の隅で、見知らぬ少女――村長の娘が、怯えきった顔で縮こまっている。


俺の涙が、ぴたりと止まった。


隣に座るリオを見ると、彼は氷のように冷たい目で俺を一瞥し、視線だけで、はっきりとこう語りかけてきた。


「…………お前の、せいだ」


向かいの席では、ミアだけが目をキラキラと輝かせていた。


「わーい!お友達が増えたー!今度は四人で崖から飛び降りようね!!!( ・∇・)」


俺は、自分の行動が、単なる「領地放棄」から「村長の娘の誘拐」という、さらに重大で、言い逃れのしようのない犯罪にランクアップしてしまったことを悟り、今度は声もなく、絶望した。




◇◇




王都へと向かう馬車の中は、絶望という名の空気が鉛のように重く漂っていた。


俺は、自らが犯した「誘拐」という新たな罪状の前に、ただ膝を抱えて震えることしかできない。


向かいの席では、怯える村長の娘が、馬車の隅で体を可能な限り小さくしている。


彼女の息遣い一つ一つが、俺の罪悪感を鋭く抉った。


その重すぎる沈黙は、数メートル離れた馬車の御者にすら伝わっていたのだろう。


彼は一度もこちらを振り返らないが、手綱を握るその背中には、びっしょりと脂汗が浮かんでいる。


明らかに、本当に、ガチで、ヤバい連中を乗せてしまったと後悔している顔だ。


隣に座るリオが、意を決したように、わずかに身じろぎした。


彼は、怯える少女に何か言葉をかけようと、そっと口を開きかける。


だが、元奴隷である彼が、新たに「攫われてきた」少女に、一体何を言えるというのか。言葉は見つからず、彼はただ唇を噛み締め、再び沈黙の中に沈んだ。


その横顔に浮かぶのは、無力な自分への憤りと、俺への静かな怒りだった。


その、張り詰めた糸のような緊張を、何の悪気もなく断ち切ったのは、やはりミアだった。


彼女は、縮こまっている少女の顔を、じーっと、動物が珍しい虫でも観察するかのように、面白そうに見つめていた。



「ねえ、なんで泣いてるの? 鬼ごっこ、すぐ終わって残念だった?( ・∇・)」



その、あまりにも無邪気で、あまりにも残酷な問いかけが、最後の一押しだった。


少女の大きな瞳から、こらえきれなかった涙が、ぽろり、と一粒こぼれ落ちる。



(ああ、もう、ダメだ…!!!)



少女の涙を見た瞬間、俺の中で何かが完全に振り切れた。


この状況を作ったのは俺だ。


俺のパニックが、俺の弱さが、この子を泣かせ、リオを怒らせている。


ならば、俺が、この空気をなんとかしなければならない。


たとえ、残されたけし粒ほどの尊厳を、全て投げ打つことになったとしても。


もう、どうなってもいい。この少女が泣かないなら



俺は、ガバッと顔を上げた。



「―――諸君! !!!!!静粛に!!!!!!」



突然の大声に、馬車に乗る全員の視線が俺に突き刺さる。


俺は揺れる馬車の中でふらつきながらも立ち上がると、胸を張り、シェイクスピア俳優もかくやという、大げさな身振り手振りで演説をぶち始めた。



「まず、本日のお客様、名も知らぬお嬢さん! !!!この度の我々の、あまりに唐突で情熱的な歓迎の形に、君を驚かせてしまったことを、心から!!!!! 心の底から謝罪する!!!」



俺は、少女に向かって、床に頭がつくほど深々と頭を下げた。



「これは誘拐などではない!!!断じて違う!多分!!!!これは、我々『旅する気狂い一座』による、サプライズ公演!!!!! 君は、栄えある本日最初の観客に選ばれたのだ! そう、これは全て、私の脚本・演出による、壮大な芝居なのだよ!!!!!」



何を言っているんだ俺は。


芝居で全身傷だらけになることがあるか。


だが、もう止まれない。


俺は次に、氷のような視線を向けるリオに向き直った。



「そして、我が一座の誇る名優、リオ君!!!!! 君の、あの怒りと軽蔑に満ちた、「素晴らしい演技」!!!! 感服した!!!!! 私の無茶な脚本に、完璧に応えてくれた!!!! あの眼差しは、私の心を千々に引き裂き、観客(この娘さん)の涙を誘った! ブラボー! ブラボー!ブラザーだ!!!」



俺は、パチパチと一人で拍手を始めた。


馬車の中は、静まり返っている。


少女は、あまりの訳の分からなさと俺の気狂いさに涙が引っ込み、ただポカンと俺を見ている。

御者は「...ひぃ」と小さな悲鳴を上げた。


ミアだけが、目を輝かせて言った。


「圭、面白い!! もっとやって!!( ^∀^)」


「ああ!!もちろんだとも!!!!!」


俺は、最後にひざまずき、涙目で少女の手を(取ろうとして、彼女がビクッと引いたので空中で)握るような形を作った。



「どうか、どうか許してほしい!!!!! 私のパニックと、愚かさと、情けなさが、君をここまで連れてきてしまった! 罪滅ぼしに、王都に着いたら、君が望むもの全てを――いや、王都の倉庫を燃やして手にした金貨の範囲内で、何か美味しいものを奢ることを、ここに固く誓う!!!!」



そう言って、俺は再び、土下座をした。馬車が揺れた。



しん、と静まり返った馬車の中。



やがて、その沈黙を破ったのは、リオの、今までで一番深い、深すぎるため息だった。


彼の目から、先ほどまでの刺すような怒りは消えていた。


代わりにそこにあったのは、どうしようもなく愚かなものを見る、諦めと、ほんの少しの呆れたような温かさだった。



◇◇



——俺の、尊厳をドブに捨てた土下座の後。


馬車の中は、絶望的な緊張の代わりに、なんとも言えない、居心地の悪い、奇妙な静寂に包まれていた。


俺がゆっくりと体を起こすと、三対の視線が突き刺さる。


諦観のリオ、無垢なミア、そして困惑の少女。


空気を読んだのか、読んでいないのか、ミアが、その静寂を破った。


彼女は、まだ怯えている少女の顔を覗き込み、こてん、と首を傾げる。



「...ねえ、あなた。お名前はなんていうの?」



その問いに、少女はびくりと体を震わせたが、先ほどの狂気の演説が効いたのか、恐怖より戸惑いが勝っているように見えた。彼女は、蚊の鳴くような、か細い声で答えた。


「……チャル…です...私...」


その名前を聞いた瞬間、俺の脳内でスイッチが入った。


そうだ、この流れだ!このまま場の空気をポジティブな方向へ持っていくんだ!俺は、この小さなきっかけを盛大に盛り上げるべく、再び立ち上がった。


「チャル! なんと素晴らしい響きだ! 聞いたか諸君!チャル! 太陽の光を浴びて輝く朝露のようであり、また、夜空を切り裂く流星のようでもある! まさに希望の名だ!」


俺は、大げさに拍手し、リオとミアに同意を求めるように視線を送る。


しかし、二人の反応は薄い。俺は焦り、さらに言葉を続けた。



「そ、その名は!!! 例えるなら.......そう! !!極低温環境下で観測されるボース=アインシュタイン凝縮のように、数多の可能性が完璧に調和した、奇跡の状態を表している! !!!つまりだ!その、なんだ!……粒子が、みんな仲良く一つの状態になる、みたいな…(?)…協力的で、その、とても良い名前だと、思う!……うん?」



徐々に、俺の声は失速していく。


リオとチャルからの、純粋な「コイツは何を言っているんだ」という視線が痛い。


完璧に、滑った。


馬車の中を、先ほどとは質の違う、もっと重苦しく気まずい沈黙が満たしていく。


その、あまりに痛々しい空気を破ったのは、リオの、押し殺したような小さな笑い声だった。


「フッ…」


彼は、俺のあまりの無様さに、ついに耐えきれなくなったらしい。

肩を小さく震わせ、口元を隠しているが、明らかに笑っている。


そのリオの反応を見た瞬間、ミアの顔が、すっと固まった。


彼女は、俺が必死に場を盛り上げようとして失敗し、それをリオが笑った、と解釈したのだろう。


ミアは、リオをキッと睨みつけた。



「なんで笑うの。圭がかわいそう(T ^ T)」



その、真剣な抗議の声。


必死に場を盛り上げようとして盛大に滑った男。


それを指して笑う、意地の悪い(と見られている)男。


その男を、真顔で咎める少女。


この、あまりにもシュールで、混沌として、そしてどうしようもなく間抜けな光景に。



「……くすっ」



今まで怯えていた少女――チャルが、小さく、噴き出した。


彼女は慌てて口元を手で押さえたが、その目元は、先ほどの涙ではなく、確かな笑みの色を帯びていた。


俺は、その小さな笑い声を聞いて、力なくその場に座り込んだ。


どうやら、俺の失われた尊厳は、無駄にはならなかったらしい。



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