地主って辛いね
馬車に揺られること数日。
王都を出てからの道のりは、ひたすらに平坦で、見渡す限りの緑が広がっていた。
時折、小さな川を渡り、森の端をかすめることもあったが、大きな危険に遭遇することはなかった。
相変わらず、ミアは「まだ着かないのー?」と不満げだったが、リオは車窓から見える風景に目を輝かせ、時折、珍しい野鳥の姿を見つけては、静かに指差したりしていた。
そして、ようやく俺たちの目的地である中央平野に到着した。
広大な麦畑の先に、いくつかの集落が点々と見え始めた。
土壁と藁葺き屋根の家々が寄り添うように立ち並び、畑では数人の人影が鍬を振るっている。
「あれが、俺たちの領地か……」
俺が呟くと、馬車を停めた御者が「そうでございますなー」と答えた。
御者はお金さえ払えば何も気にしないらしい。
集落に近づくと、畑で作業していたらしい人々が、俺たちの馬車に気づいた。
最初は警戒した様子だったが、やがて旅人だと判断したのか、数人の子供たちが手を振って近づいてきた。
その後に、大人たちが続き、やがて集落の入り口には、老若男女問わず、数十人の人々が集まっていた。
「旅の方ですかな? ようこそ、我らの村へ!」
村の代表らしき、腰のひん曲がった老人が、にこやかな笑顔で出迎えてくれた。
彼らの顔には、長旅の客を歓迎する、純粋な好意が浮かんでいるように見えた。
俺は安堵した。
とりあえず、奴隷の身分から解放され、準自由民になることを、彼らに知らせてあげよう。
俺が、どう説明すべきか言葉を選んでいると、横にいたミアが、ぱあっと顔を輝かせ、老人に駆け寄った。
「こんにちはー! アタシ、ミア! !こっちは圭!!!! リオ!!!」
ミアは元気いっぱいに自己紹介し、俺とリオを指差す。
老人も、ミアの無邪気さに目を細め、優しげに頷いた。
「おお、可愛らしいお嬢さんだ。さぞかし長い旅路であったろう。ささ、中へどうぞ。簡単な食事と、休める場所を用意いたしましょう」
老人は、手招きをして、村の中へ案内しようとする。俺は、ミアが余計なことを言わないように、そっと彼女の袖を掴んだ。しかし、俺の心配も虚しく、ミアは老人の言葉に嬉しそうに頷きながら、とんでもないことを口にした。
「うん! ありがとう! アタシたち、この村の地主だから!!!٩( ᐛ )و」
その瞬間、老人の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
にこやかだった表情は凍りつき、その目に、驚愕と、そして深い絶望の色が浮かんだ。
彼だけでなく、周りにいた村人全員が、まるで時が止まったかのように、一斉に硬直した。
「……地主、だと……?」
老人の呟きが、乾いた空気に虚しく響く。
村人たちの間に、ざわめきが広がる。そして、そのざわめきが、恐怖の波へと変わっていく。
そして、次の瞬間だった。
村人たちの老若男女問わず、子供も、大人も、老人も、全員が、まるで何かに打たれたかのように、一斉に地面にひれ伏した。
額を地面に擦り付け、震える声で何かを呟いている。その光景は、まるで地獄絵図のようだった。
「ひぃ……ご、ごめんなさい……ごめんなさい、地主様……!」
「どうか……どうか、お慈悲を……!」
彼らが発する言葉は、王都で耳にしていた奴隷達の悲痛な叫びと、寸分違わぬものだった。
彼らは、俺たちを「新しい地主」、つまり自分たちを支配する存在として認識し、恐怖に打ち震えているのだ。
俺は、あまりの光景に言葉を失った。
俺が三万人を「準自由民」として解放するつもりでいたことが、彼らには全く伝わっていないらしい。
それどころか、俺たちは、彼らにとって新たな「支配者」として、恐怖の対象になってしまったのだ。
隣に立つミアは、その光景を理解できないとばかりに、首を傾げている。
リオは、呆然とひれ伏す村人たちを見つめ、その表情には、どこか複雑な感情が入り混じっていた。
広大な中央平野に到着した俺たちを待ち受けていたのは、新しい生活への希望などではなく、かつての奴隷たちの、根源的な恐怖だった。
俺は、自らが恐怖の源泉となってしまった事実を、ひれ伏す三万の民を前に突きつけられていた。
どうする?どうすれば、この司法試験より困難な地獄のような誤解が解ける?
俺の脳が、物理法則の計算よりも遥かに複雑な、対人コミュニケーションという難問の解を求めてフル回転する。
(まずい、まずいぞ!このままだは俺たちは圧政を敷く恐怖の暴君だ!違う、俺はただ、三万人の奴隷(と東京23区の1.6倍の土地)をうっかり買ってしまっただけの、善良?な元・物理学者なのに!)
俺が内心で必死の言い訳を組み立てていると、代表の老人が、わなわなと震えながらおもむろに立ち上がった。
そして、村人たちの中から、まだ十歳にも満たないであろう、痩せた一人の少女を無理やり引きずり出し、俺たちの前に突き出した。
「ど、どうか……地主様……!我らにはこれといった産物もございません……!せめて、せめてこの娘を、お慰みとしてお納めください……!何卒、ご慈悲を……!」
老人は再び地面に額を擦り付け、少女をまるで生贄のように差し出す。
少女は恐怖に顔を歪め、ただ小刻みに震えている。
その目には、これから自分の身に何が起こるのか、その全てを諦めたような、深い絶望の色が浮かんでいた。
(慰み!?生贄!?違う、そうじゃない!俺はそんな趣味はない!!!断じてない!多分!俺の好みはもう少しこう、年上というか、ミアみたいな…って、そうじゃなくて!!!!!!!)
俺がどう否定すべきか言葉を探している、まさにその時だった。
横にいたミアが、差し出された少女を見て、ぱあっと顔を輝かせた。
「わーい! 新しいお友達だ!( ^∀^).....エヘへ( ͡° ͜ʖ ͡°)」
彼女にとって、恐怖に震える奴隷の少女は、歓迎の意を込めて紹介された、新しい遊び相手にしか見えていなかった。
ミアは、怯える少女にずんずんと歩み寄ると、その細い腕を有無を言わさず、がしりと掴んだ。
「ひっ……!」
少女が悲鳴を上げるが、ミアはお構いなしだ。
「ねえねえ!アタシ、ミア!鬼ごっこしよ!森で「遊ぼう」よ!楽しいよ!」
ミアは一方的にそうまくし立てると、少女を強引に引きずり、近くの深い森の方へと駆け出してしまった。
少女の「いやぁぁぁぁぁ!!!」という悲痛な叫びが、森の奥へと吸い込まれていく。
その光景を見ていた村人たちの顔が、さらに絶望で染まっていくのが分かった。
「ああ……早速、森の奥で……」
「“躾”が、始まるのだ……」
「なんておぞましい……」
彼らは、ミアの無邪気な行動を、「新しいおもちゃを調教するための、残忍な儀式」の始まりだと、盛大に勘違いしているらしかった。
違う!断じて違う!あれはただの純粋な鬼ごっこだ!色々な意味で命の危険はあるが、そういう意味での危険はない!
俺が心の内で絶叫していると、隣で一部始終を見ていたリオが、静かに俺の方を向いた。
その表情は、困惑と、軽蔑と、そしてほんのわずかな好奇が入り混じった、何とも言えないものだった。
「……圭。…ミアの…あれは、一体なんなんだ」
元・奴隷である彼にとって、今の光景はあまりにも理解し難い、異常な出来事だったのだろう。
「……ミアなりの、コミュニケーションで、愛情表現...?」
俺は、流石に苦しすぎる言い訳を絞り出すと、この最悪の状況を立て直すべく、ひれ伏したままの老人に向き直った。
「顔を上げろ!!!!!」
俺は、できる限りの威厳と慈悲を声に込めて言った。
「まずは話がしたい。私は、お前たちの新しい領主、篠原圭だ!!!この土地の代表者と、今後のことについて話し合いたい。……村長の家はどこだ。案内しろ!!!」
俺の言葉に、老人は「は、はいぃぃっ!」と裏返った声を上げると、震える足で立ち上がり、村の中心にある一番大きな家を指差した。
俺は、深く、果てしなく深いため息をつくと、リオにだけ聞こえるように呟いた。
「行くぞ、リオ。……頭が痛い」
リオは何も答えなかった。
ただ、ミアが消えていった森の方角を一度だけ見て、再び深いため息をつくだけだった。
こうして、俺の意図とは全く違う形で恐怖の象徴となった俺たちの、波乱に満ちた領主生活は、最悪の第一印象と共に幕を開けたのだった。
◇◇
村長の家は、集落の中でも一際大きいとはいえ、石と木で組まれた質素な造りだった。
だが、掃き清められた土間や、壁に掛けられた手入れの行き届いた農具からは、貧しいながらも実直な生活の匂いがした。
俺は、その生活を根こそぎ奪った張本人として、きしむ木の椅子に腰を下ろす。
目の前では、先ほどの老人が村長として改めて深々と頭を下げ、その後ろでは彼の家族であろう数人が、部屋の隅で息を殺している。
リオは俺の背後に、影のように静かに控えていた。
「…単刀直入に聞く!!この土地の現状を話せ。前の地主はどうした!!」
俺がそう切り出すと、村長はびくりと肩を震わせ、おそるおそる顔を上げた。
「は、はい…。前の地主様は、一年ほど前に…その..姿が見えなくなりまして…。それ以来、我らは王都からの干渉もなく、皆で力を合わせ、細々とではありますが…ええ、平和に、暮らしておりました。新たな地主様である、圭様がお見えになる、今日、この時までは…」
その言葉は、静かだが、重い杭のように俺の胸に突き刺さった。
(そうか…。こいつらは、一年間、誰にも搾取されず、自分たちの力だけで、この土地で生きてきたのか。ささやかでも、独立した平和な日々を…。俺は、それを…たった一晩の狂騒と、酔狂で手に入れた大金で、終わらせちまったのか...)
罪悪感が、黒い泥のように腹の底から湧き上がってくる。
そのせいで、俺の表情は自然と険しくなり、無意識のうちに拳を机にぶつけていた。
その変化を、村長は致命的な形で誤解した。
俺が、彼らのあまりに貧しい暮らしぶりに不満を抱き、怒り始めたのだと。
「も、申し訳ございません!我らの暮らしはあまりに貧しく、地主様をお迎えする準備も何一つできておりませぬ…!お気に召さなかったのなら、すぐにでも…!ど、どうか、お怒りをお鎮めください!」
村長は顔面蒼白になり、ガタガタと椅子から転げ落ちるようにひれ伏した。
そして、何を思ったか奥の部屋へと駆け込むと、先ほどより少し年嵩の、おそらくは十代半ばであろう少女の手を強引に引いて戻ってきた。
「こ、この娘にございます!私の、娘でございます!先ほどの小娘よりは年嵩で、「仕事」も覚えています!きっと、圭様のお気に召すはず…!どうか、この娘で…!この娘でご勘弁を!!」
(増えた!?なんで!?!?二人目を差し出すのがここの作法なのか!?そういうシステムなのか!?)
俺の思考は、二度目の悲劇(?)を前に完全にショートした。
差し出された村長の娘は、これから自分の身に降りかかる運命を悟り、涙を瞳に溜めて、ただ俯いている。
助けを求めるように俺を見つめるその瞳に、俺は耐えられなかった。
どうする、どうすればいい。この地獄の連鎖を断ち切るには…。
混乱の極みに達した俺は、半ば無意識に、背後に立つリオの背中を、ポンと軽く叩いた。
「……リオ」
振り返ったリオの怪訝そうな顔に向かって、俺は告げた。
「この奴隷を、お前に預ける。」
「はぁっ!?!?」
リオが、人生で聞いたこともないような素っ頓狂な声を上げた。
俺は構わず、有無を言わさぬ口調で続ける。
「その娘を連れて、外に出てろ!!ついでに、森に遊びに行ったミアを探して、何か取り返しのつかない問題を起こす前に連れ戻してこい。…いいな?」
これは命令だ。
そして、これ以上この場で悲劇のヒロインが増えるのを防ぎ、かつ、元奴隷であるリオにこの状況をどうにかさせるという、俺なりの苦肉の策(という名の責任転嫁)だった。
リオは、絶句したまま、突然自分の運命共同体(?)にされた娘と、無茶苦茶な命令を下す俺の顔を、信じられないものを見る目で交互に見比べた。
その顔には「お前は一体何を言っているんだ」と、はっきりと書いてある。
しかし、俺の目が本気であると悟ったのだろう。
彼は、宇宙の全ての理不尽を一人で背負ったかのような、深すぎるため息をついた。
「…………承知、した。……好きにしろ」
吐き捨てるようにそう言うと、リオは俯く娘の腕を、壊れ物を扱うかのように、そっと掴んだ。
そして、俺に一瞥もくれず、きしむ音を立てて家から出て行った。
一人取り残された俺は、目の前でひれ伏したままの村長を見下ろし、内心の罪悪感と焦りを押し殺して、静かに呟いた。
「さて、と…。話を、続けようか!!!!」
ここからが、本当の地獄の始まりだ。
俺は、この村人たちの深すぎる誤解を解き、領主としての第一歩を踏み出さねばならない。




