場違いな四人
エルフの結界によって、こちらの長距離魔法が無力化されたと悟った兵士たちは、即座に戦術を切り替えた。
「第一次防衛ライン、近接迎撃用意! 詠唱破棄、自由射撃!!!!」
隊長の号令が、塹壕内に響き渡る。土と、鉄と、すぐそこまで迫る死の匂いが混じり合った空気を震わせた。口の中で血の味がする。
号令と共に、兵士たちは塹壕の縁から一斉に金属の杖を突き出す。
射程圏内に入った魔物の群れに向け、衝撃波…いや、空気弾が嵐のように放たれた。
シュッッッンンンッ! シュンッッッッ! という空気を裂く乾いた発射音が連続し、土埃を上げて突進してくるゴブリンたちの胸当てが、紙細工のように内側から弾け飛ぶ。
最前列の部隊が、悲鳴を上げる間もなく蹂躙されていった。
だが、後続の巨体――オークが、その弾幕をものともせずに突き進んでくる。
「俺たちもやるぞ!」
もはや戦力として数えられているのかもわからない。
だが、ここで何もしなければ、恐怖で漏らす。
俺は半ば自分を鼓舞するように、隣で静かに構えているリオに叫んだ。
リオは無言で、しかし俺の目を見ながら力強く頷くと、両手をスッと前方へ突き出した。
彼の周囲の空気が、まるで真冬の窓辺のように、急速に白く曇っていく。
彼の掌から、鋭利な氷の礫が数本、一斉に、しかし一本一本が明確な意志を持ったかのように高速で射出された。
それは、オークたちの分厚い鎧そのものではなく、兜の覗き窓、脇の下、膝の関節といった、装甲のわずかな隙間を、まるで吸い込まれるように正確に貫いていった。
巨体のオークたちが、内側から凍らされたかのような苦悶の声を上げ、その巨体を大地に轟かせながら、ばたばたと絶命していく。
(すげぇ…! なんだよ、あの精密射撃は…!!!)
その時、俺の頬を、不自然な熱波が撫でた。
戦場の熱気とは明らかに質の違う、乾燥した、指向性のある熱。発生源は、隣のリオだ。
(氷魔法…? 違う、これは…熱力学だ!)
そうだ、当たり前じゃないか。何かを急激に“冷やす”なら、その分の熱エネルギーは必ずどこか別の場所へ排出される。「熱交換の原則」だ。
(つまり、この世界でも、エネルギー保存の法則は有効ってことか!)
リオの奴、ただ氷塊を魔法で作って飛ばしてるんじゃない。
掌の周囲で局所的な”熱交換システム”を構築し、空気中から奪った熱を周囲に放射しながら、超低温の氷の矢を生成しているのか…!
(なんて効率的で、なんて理に適った魔法なんだ…!)
リオの意外な戦闘能力の高さと、その魔法が持つ冷徹なまでの「科学的」な現実に驚愕しつつ、俺も彼に続いた。
だが、俺はリオのような氷魔法なんてできないし、逆に周囲を灼熱地獄にしてしまうかもしれない。
(となると....空気弾か!!)
周りの兵士の見様見真似で、空気の塊を圧縮し、敵に向かって放つ。理論はわかる。魔素を後方に噴射させ、前方の空気塊を加速させる。俺の脳内シミュレーションは完璧だった。
しかし。
俺の杖から放たれた空気の塊は、ふにゃふにゃと頼りない軌道を描き、30メートルほど進んだ先で「ぷすん」という情けない音を立てて霧散した。まるで、気の抜けた炭酸水のように。
何度やっても結果は同じだった。俺の魔法は、一定距離を進むと、なぜか魔力の構造を維持できずに自壊してしまうらしかった。
(なんでだ!??理論としては完璧なのに!!??何か仕組みが違うのか???)
塹壕の中で、ちらりと隣の若い兵士と目があった。
兵士は、俺の役立たずな魔法と俺の顔を交互に見比べると、盛大にため息をつき、まるでゴミでも見るかのような冷たい視線を俺に投げかけた。
(なんでだ!? パンを爆発させた時や、野焼きをした時の、あの無茶苦茶なパワーはどこに行ったんだ!?)
俺は、自らの戦闘能力のあまりの低さに、戦場のど真ん中であることも忘れ、杖を握る手を緩め、愕然とするしかなかった。
どうやら俺は、無意識の暴発では世界を破壊しかねないが、意識的な戦闘では赤ん坊を泣き止ませることすらできない、史上最悪の役立たずらしい。
俺が、自らの役立たずさに絶望し、泥のついた顔を伏せた、その次の瞬間だった。
ふと、気づいた。
あれほど耳元で鳴り響いていた爆音と、魔物の雄叫びと、兵士たちの怒号が、全て消えていた。
まるで、誰かがテレビのボリュームをゼロにしたかのように、戦場は不自然な静寂に包まれていた。
(一体...何が起きたんだ??)
俺が訝しげに塹壕の端から顔を上げると、後方の、基地の中心部から、四人の人影がゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。
その姿は、あまりにも、場違いだった。
先頭を歩くのは、小柄な少年だった。
燃えるような赤い髪を風になびかせ、その手には、身の丈ほどもある鋭い剣を携えている。
体は小さいが、その歩みには、絶対的な自信が満ち溢れていた。
その体からはミアさえ小さく見えるほどの圧倒的な魔力が柱のように感じられた。
(リーダーなのだろうか....俺とは大違いだ。)
彼の隣には、理知的な眼鏡をかけた女性が続く。
彼女は、分厚い魔導書のようなものを片手に持ち、目の前の地獄絵図を、まるで観察対象でも見るかのように冷静な目つきで分析している。
周囲では無数のペン達が木盤に何かを書き続けている。
(なんでペンが浮いてるっていうか、なんで動いてるの!?)
その後ろには、とてつもない巨体の少年がいた。
岩のような筋肉に覆われたその体躯は、あたりの屈強な兵士よりも一回り、いや二回りも大きい。
その肩には、巨大な戦斧が軽々と担がれている。
(うぉ....俺らなんかよりも、明らかに数十倍は強そうだな...)
そして、最後尾を歩くのは、純白のローブに身を包んだ、聖女のような女性だった。
彼女が歩いた後には、泥濘んだ塹壕の地面から、かすかに光の粒子が立ち上り、周囲の穢れた空気が浄化されていくのがわかった。
彼女の周囲だけ、明らかに空気が光を帯びている。
(……なんだ、こいつら?)
赤髪の剣士、眼鏡の魔術師、大男の戦士、白衣の聖女。
その構成は、俺が大学教授の時に、生徒と授業をサボって飽きるほど遊んだ、「RPGの勇者パーティ」そのものだった。
この、汚物と謀略にまみれたリアルな戦場に、まるで物語の中から抜け出してきたかのような、あまりにも綺麗すぎる四人組。
(こいつら毎日風呂にでも入っているのか???)
彼らは、塹壕の中で呆然とする俺たちや、他の兵士たちに目もくれることなく、泥を汚すことさえ厭うかのように、静かに前線を横切り、たった四人で、地平線を埋め尽くす魔物の軍勢の前へと歩み出ていった。
たった四人で、数万の魔物軍と対峙する「勇者パーティ」。
戦場にいた誰もが、そのあまりに無謀な光景に息を呑んでいた。
やがて、先頭に立つ赤髪の少年が、くるりとこちらを振り返った。
そして、その顔に、子供のような無邪気さと、狂気を煮詰めたような、満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、俺は直感した。
(こいつ……俺やミアに匹敵するレベルの本物の『ヤバいヤツ』だ……!)
少年は、天に剣を突きつけると、朗々と、しかしどこまでも明瞭に通る声で、自らのパーティに向かって宣言した。
「さあ、諸君! 舞台は整った!!!! 我々の伝説を、この世界の全ての愚民どもに刻みつけてやる時が来た!!!!!さあ、我らの勇姿を見るがいい!!!!」
その、あまりにも芝居がかったセリフに、少しだけ親近感を感じつつ、俺は開いた口が塞がらなかった。
だが、彼の仲間たちの反応は、俺の想像の斜め上を行っていた。
白いローブの聖女は、うっとりとした表情で胸の前で手を組み、彼の言葉を一言一句聞き漏らすまいと、恍惚の表情を浮かべている。
完全に、リーダーの言葉を神託か何かだと妄信している顔だ。
巨大な戦士は、「ははッ!」と楽しそうに笑い声を上げ、肩の戦斧を軽く回している。
彼にとって、この絶望的な戦況は、最高の娯楽らしい。
そして、眼鏡の女性は、くい、と眼鏡のブリッジを押し上げ、その口元に、全てを見通したような、薄い笑みを浮かべていた。ペン達の動きが早くなったような気がする。
彼女は、リーダーのこの「やばさ」を、心から楽しんでいるように見えた。
なるほど。
リーダーがリーダーなら、その仲間もまた、同類の変人というわけか。
そして、赤髪の少年は、魔物の軍勢へと向き直り、この世界の真理を告げるかのように、高らかに叫んだ。
「刮目せよ! !!!この世界の『主人公』は、この俺たちだッ!!!!!!」
その言葉が、戦場に響き渡った。
俺は、塹壕の泥の中で、その宣言を聞いていた。
本来なら屈辱と怒りを抱くはず。
だが、なぜか、ほんの少しだけ、心が軽くなったような気がした。
口から出た言葉はあまりにも正直だった。
「...え..」
そうか。「主人公」は、彼らだったのか。
俺は、この世界の物語の主役などではなかった。
ただの、通りすがりの「奴隷兼おもちゃ。」
主役たちの巻き起こす壮大な物語の片隅で、なんとか生き延びようともがいている、ただのエキストラに過ぎなかったのだ。
その事実は、なぜか俺を、ひどく安心させた。




