王都への歩み
村を追い出され、王都へと続く街道を歩き始めて数時間。俺は早くも後悔の念に駆られていた。
「この道、本当に王都に続いてるのか……?景色がずっと同じなんだが…正解のルート選ばないと進めないやつ?」
見渡す限りの草原と、地平線までまっすぐ伸びる一本道。時折、風が草を揺らす音だけが聞こえてくる。隣では、ミアが上機嫌に鼻歌を歌いながら、天にのぼる荷物を担ぎ、ぴょんぴょんと跳ねるように歩いていた。その影は地平線まで伸びる街道にどこまでも重なっている。
この少女の体力は底なしか。
その時、俺は道の少し先で、何かが蠢いているのに気づいた。
「なあ、ミア。あれ……」
半透明の青いゼリー状の物体。大きさはバスケットボールほどで、ゆっくりと、ネバネバとした道筋を作りながら、しかし確実に道を横断している。
(スライム……!ファンタジーの定番じゃないか!初めて見る魔物だ!)
俺はゴクリと唾を飲み込み、腰に差した新品の杖に手をかけた。異世界に来て初めての、まともな戦闘になるかもしれない。どう戦う?物理攻撃は効くのか?魔法で燃やすか、凍らせるか──。
俺が思考を巡らせている横で、ミアが「あ」と短い声を上げた。かと思うと、彼女は「シュッッ」と例の物体に近づき、手に持っていた自らの杖──もとい、鋲付きの棍棒──を、無造作に振り下ろした。
「ベチャッ.....ヴェ」
鈍い音が草原に響き渡った。青いゼリー状の物体は、まるで叩き潰されたトマトのように無残に地面に広がっていた。
「ma、tsyi!( ^∀^)」
返り血?がついた顔で得意げに胸を張るミア。俺は杖にかけようとしていた手を、力なく下ろした。
「……うん、強いね。ありがとう。多分、魔物じゃなくてただの巨大なナメクジ?だったと思うけど」
ミアは潰された残骸を無慈悲に叩き続ける。
「...ff...nbnba( ^ω^ )」
餅つきでもしたいのだろうか。
しかし、この一件で俺は思い至った。もし本当に危険な魔物が出たらどうする?ミア任せというのも情けない。自分の力も試しておくべきだ。
「よし、ちょっとだけ魔法の練習を……」
俺は村で買ったばかりの「無料の杖」を構えた。木製で、魔素の流れを整える流路が刻まれているだけのシンプルな杖だ。俺は意識を集中させ、試験の時を思い出し、体内魔素を杖の先に送るイメージで軽く、しゅっと振ってみた。ミアはゲル状の内臓を荷物に押し込みつつ、その様子に眼を開く。
バチィッ!!!
「うおっ!?」
俺の手元から、バレーボールほどの大きさはあろうかという巨大な火花が迸った。それは放電現象に近く、燃えるような音を立ててまっすぐ飛び、道の脇の枯れ草に着弾した。
一瞬だった。
火花が触れた枯れ草は、ゴウッという轟音と共に燃え上がり、乾燥した空気と風にあおられて、瞬く間に草原全体へと燃え広がっていく。俺は焼畑農業が得意らしい。
「…………あー」
俺は、目の前で繰り広げられる光景に絶句した。ほんの数秒で、視界の半分が燃える地獄絵図に変わっていた。
「……なるほど。どうりで試験で杖が使われなかったわけだ。」
これは整流器などという生易しいものではない。魔素の**増幅器**だ。初心者が使えば、こうなるに決まっている。もっと...なんか、専用の資格とかないの?いや、それを今から学びにいくのか...
「wa! kri!Σ੧(❛□❛✿)」
隣でミアが手を叩いて喜んでいる。
「綺麗じゃない!放火だこれは!ミア、逃げるぞ!」
俺は感動している少女の腕を掴むと、王都に向かって全力で走り出した。背後では、天まで届きそうな黒煙がもくもくと立ち上っていた。あたりを通りかかった旅人が必死に消火を始めるが、もう遅い。
◇◇
野原一つと一人の旅人を丸ごと消し炭にした後、俺とミアは無我夢中で走り続けた。
幸い道は一本道で、追いかけてくる者もいなかったが、俺の精神はとっくに限界を迎えていた。陽が落ち、空が深い藍色に染まる頃、地平線の先にようやく小さな明かりが見えた。
「宿だ……!助かった……!」
旅人のための小さな宿屋、「タビビト・イコイ」と古びた看板に書かれている。俺は隣でけろりとしているミアの手を引き、息を整えながら扉を開けた。
「すみません、一晩泊めていただけますか?...できれば半額で!!...やっぱり無料で!」
出来る限り穏やかに、自分たちが決して不審者や凶悪な放火魔ではないという雰囲気を醸し出す。カウンターの奥から、人の良さそうな髭面の主人が顔を出した。
「hi、irtsshi。tbnktdsn。hyhaitmsy。ohtr……otst、oftrsndski」
主人の視線が俺の後ろにいるミアに移った瞬間、その愛想笑いが、ピクピクと引き攣った。無理もなかった。ミアの背中には、村から持ってきた巨大な木製の机、本棚、その他家財道具一式が、山のように積載されていたからだ。常人なら馬車で運ぶような荷物を、小柄な少女が涼しい顔で背負っている。その光景は、控えめに言っても異様だった。
「……」
主人は言葉を失い、ミアとその背中の荷物を、まるで信じられない物でも見るかのように凝視している。
(やめろ!そんな化け物を見るような目で俺の嫁を見るな!……いや、客観的に見たら化け物以外の何者でもないか……)
俺が内心で葛藤していると、主人は我に返って咳払いを一つした。
「……okh、skbrii dongidkmskn?」
その声には、先ほどまでの人の良さそうな響きはなく、明確な警戒心が滲んでいた。ここは、金で解決するのが最適だろう。
「あ、はい。ええと…オカネ…お金?」
そこで俺は気づく。金がない。村でのなけなしの金は、ミアが全て家具のローン返済に充ててしまったのだ。俺の顔からサッと血の気が引く。
その時、ミアがすっと前に出た。彼女は腰につけた小さな革袋をごそごそと漁ると、中から何かを取り出した。青みがかった半透明のゲル状の物体。先ほど叩き潰した、巨大ナメクジ(仮)の内臓の一部だった。ミアはそれを、「ドンッ!」と大きな音を立ててカウンターの机に叩きつけた。右手には、血痕がうっすらと付着した鋲付きの棍棒が握られている。俺は初めてミアを気持ち悪いと感じた。
「krd、ii( ͡° ͜ʖ ͡°)」
ミアは主人をじっと見つめて、そう言った。
それは交渉ではなかった。
決定事項の通達だった。
主人は、机の上の謎の内臓と、ミアの棍棒と、その背後にある山のような家具を交互に見比べ、ゲルがついた顔をひきつらせながらも、急に満面の笑みを作った。
「k、krhkrh!mshy dnstsn brusrimnmskkk(?)……!?knnn mzrshimnh hjmtmmshtz!tihn kchunmn w argtugzims!ee、ee、mchrnkkkudstm!otsrgdmstm!」
主人は震える手でその内臓を掴むと、そそくさと奥に引っ込んでいった。
俺はもう、何も言う気が起きなかった。どうやらこの世界では、物理的な交渉も立派な商取引として成立するらしい。
(まあ、野宿よりは……いいか……)
新たな世界の常識を一つ学びながら、俺は疲れ果てた体を引きずって、案内された部屋の扉を開いた。