器物損害罪
夕方。
市場を離れた帰り道、俺は手に入れた焦げた本と新しい木の杖を腕に抱え、どこか満足そうに歩いていた。目の前では、ミアが鼻歌まじりにスキップしている。
「なあ、そういえば……お前の杖ってどれなんだ?」
そう尋ねると、ミアは目を輝かせ、嬉しそうに腰元の袋から“それ”を引き抜いた。
「du!sgidsh!!( ^∀^)」
「うわ、出た……って、え、何それ!?」
俺の目の前に差し出されたのは、明らかに殺傷力の高い棍棒だった。全長は90センチほど。黒く染められた木製の主軸には、鋲のような金属が打ち込まれており、先端にはなぜか小さな棘付きの鉄球までついている。どこからどう見ても、儀式用とか、魔法の媒体とか、そんな雰囲気は皆無。完全に物理攻撃用の鈍器である。
「え、それ“杖”っていうか、“こん棒”じゃない?ていうかそれ、攻撃魔法用じゃなくて、魔法の詠唱中に敵を殴るやつだよね……?」
ミアは満面の笑顔でその鈍器──いや“杖”を持ち、軽やかに両手で回し始めた。
「mah、mjsikyu!!!^_^」
その動きは、もはや舞のようだった。
が──。
「やばっ、ミアそれ、振り回しすぎ──っ!」
ドガアアアン!!!
豪快な爆音とともに、通りの端にあった民家の外壁が粉塵混じりに崩れた。板壁はバラバラに砕け、屋根の一角が傾き、洗濯物が空中で舞っている。
「……a」
ミアが棒を掲げたまま固まる。俺も言葉が出ない。いや、出たのは一言だけだった。
「ちょ..壁柔らかいの...か?」
俺が聞くにも満たない戯言を口にした、次の瞬間。
「キャァァァアアアア!!!」
その悲鳴とともに、家の中から血だらけの女性と倒れた男が顔を出す。鋭く尖った怒声が空気を裂いたが、それを聞き終える前に──
「ngy!kei!Σ('◉⌓◉’)」
ミアは笑顔のまま俺の腕をつかみ、まるで“成功した幼児”のような顔で駆け出した。俺は片手に本と杖、もう片方で引きずられながら、走るしかなかった。
「お前さあああああああ!!!今のは絶対アウトだったぞ!?血が流れてたぞ!!!村八分だぞ!!補償金とかあるのか!!?」
「atd hrukr、kn!( ͡° ͜ʖ ͡°)」
「金払う気で逃げんな!!!」
二人は通りを抜け、家々の間を駆け、村人たちが群がる民家を後ろに、ようやく小屋にたどり着いた。扉をバタンと閉めて、ミアは「ふうっ」と一息つくと、崩れた壁にもたれかかった。俺はゼーハー言いながら、崩れた藁の寝床に腰を下ろした。
「お前……ほんと……強いな……」
親指を立てるミアに、もう何も言えなかった。
──だが、その夜。
俺はふと思った。
(この力と、この魔導率、そして……“棘”の意味。まさか、この世界の“魔法具”って、物理攻撃に耐える前提で作られてるのか?)
物理攻撃と魔法の併用を前提にした設計思想。それは、俺の想像とはまったく異なる発想だった。俺はまたひとつ、この世界の常識を知った。
◇◇
その夜、俺はなかなか眠れなかった。
正確に言えば、目を閉じてはいたが、意識は常にミアの寝顔に引っ張られていた。もちろん、ミアが犯罪を起こしたことは気にはしていた。しかし、小屋の隅、というより干草の塊に丸くなって寝ているミアの姿は、まるで動物のようで、どこか神聖で、どうにも落ち着かなかった。
(……なんでこんなに可愛いんだよ……ていうか昨日あんな建物壊して逃げたくせに、よく寝れるな...もしかして、今なら襲える!?.....何考えてんだ俺。前世の教訓を思い出せ!!何回痴漢に勘違いされたと思ってるんだ!!)
時折、寝返りを打ちながら「Zzz……Zzz…(_ _).。o○…」と寝言を言っているのがまた妙に愛らしく、俺は枕代わりの布を頭にかぶりながら唸った。
その時、眠れない本当の原因に気づく。
「いや、寝言うるさくね?」
結局、一睡もできないまま、空が白み始めた。
そして、その平和な時間は、
ドドドドドドドドドドッッッッッ!!!!!!!
という全力ノックで粉砕される。
「な、なんだよ!? 地震か!?震源地どこ!?!?」
震源地はボロ小屋の正面ドア、震度は3、マグニチュードは2.3。壁が揺れる。小屋の柱がきしむ。扉が今にも粉砕されそうな勢いで叩かれている。小屋が内側から崩壊しそうである。
寝ぼけたミアが跳ね起き、次の瞬間には完全に目を見開いて真っ青になっていた。
「ミ、ミア!? どうした!?なんかやばいのか!?」
「m、a、abni!nn!?kits nkka!」
「ノッカーって誰!?」
ドアを開けると、そこには鬼のような形相の年寄りがいた。おそらくこの村の村長だろう。額に浮き出た血管、両手に巻かれた包帯、腰にはガリガリと削られた図面と見積書。俺は言葉がわからないまま、ただその怒気だけを肌で理解した。
「kr~~!!!nnshtkrtnn!!!!knhre!!!atdtskmer!!」
「えっ、えっ、あの、全部コイツが悪くて、私はただの部外者..」
俺が混乱している横で、ミアが急いでぺたんと土下座のような姿勢を取り、両手を合わせて村長を拝み倒していた。ミアの顔には初めて不安と恐怖が浮かんでいた。
それを見て俺も何となく同じポーズを取り、ふたり揃って謝罪してみせたが──
次の瞬間、村長は修理見積書をバサリと投げて、重々しく一言だけ言い放った。
「yr、tsihu、dtk」
「……え?今、追放って言った?」
──そう、追い出されたのである。
数刻後、小屋の前には大量の荷物が積まれていた。机、椅子、布団、鍋、焦げた教科書、ミアのこん棒……じゃなかった杖まで、全部がひとまとめに包まれ、ミアが背中にそれを軽々と背負っていた。
もちろん、修理見積書は村長の見てないところで燃やした。そんな金はない。
「……本気で持ってくんの、それ?」
「ma、kg、frstt!」
その声には、どこか誇らしげな響きすらあった。頭の中でどこに行けばいいのか、何をすればいいのか、冷や汗が湧き出る。その時、合格証に「学校は王都にある」と書かれていたのを思い出した。昨日の騒動で完全に忘れていた。
「……え、じゃあ、今日追い出されたの関係なかった……?」
俺は深く息を吐き、ミアの方を見た。
「……なあ、マジで行くんだな?」
「ma、yar!( ͡° ͜ʖ ͡°)」
満面の笑みで親指を立てるミア。その背中には家具が詰まっている。
「……俺の“異世界ライフ”、やっぱり普通じゃねぇな……」
ぼやきながら、俺は馬車に乗り込んだ。
え?馬車なんか雇う金ない?
…..旅の始まりの鈍い足音が、村をゆっくりと離れていく。こうして、家具一式と共に王都へ向かう魔法学生コンビの旅が、正式に始まった――。