或る老作家の独白
君は人を惨たらしく殺したことはあるかな?
いや、あっても言わなくて結構だよ。
いやね? どうにもワタシの作風がそういったものを扱う関係でね、たびたび同じ質問を受けるのだよ。そう、君と同じ質問を。
そうだね。『貴方は本当に描写が上手い。まるで経験者のようだ』と。そしてお決まりが続くね。『実はご経験があるのでは』だ。そう、まさに君と同じだ。
そしてワタシはそれに対して決まった返答と、今回だけは特別な対応をすることにしている。
まずは返答だね。少し長くなるぞお、まあ辛いだろうが年寄りの言葉を項垂れて聴くのが君たちの義務だ。そうだね?
ふむ、同意してもらえて嬉しく思うよ。
いいかね? 前提として殺人は壮絶な経験だね。君も経験すれば分かることだろう。
言うまでもなく、言語化とは例示だね。ある感情、ある経験を例えている。
その際、実際のリアルな感覚など共有することはできないね。できないから、できる程度まで削ぎ落とし、度重なる劣化の果てにようやく言語化という“譬え話”に出来るわけだね。
それでだよ。ワタシはそれが許せないのだよ。
あまりにも美しく、あまりにも苛烈、そしてあまりにも痛苦な、そんな経験をだよ。言語化できる程度まで削ぎ落とすなんてね。削ぎ落とされるものが大きすぎて許容できる程度を逸脱している。分かるね?
む、分からない様子だね。いや、伊達に歳を重ねてはいない。欺くことはできないよ。いいんだ、君は若いじゃないか。
ふむ、では譬え話だね。
君の手に、拳大のダイヤがある。この世で最も美しいダイヤだ。それも拳大だぞお? ワクワクするじゃないかね。
さて、しかし君がそれを他者に見せたいと思うと、まあ色々の事情からそのダイヤを指輪に飾れる程度の小粒大まで削ぎ、研磨し、貶めなければならない。
君は許容できるだろうか。……無理だね?
美しい小粒大のダイヤをつまみながら、かつて拳大を構成していた捨てられた部分を見つめて、ほら、こうして比べてごらんよ。
……無理だね? 許せないだろう。
つまりはそういうことだよ。もしもワタシが本当に創作物に書き連ねたような行いをしたのなら、ワタシはそれを文字に貶め、紙に磔にするなど許せない。
体験とは凄まじいものなんだね。
さて、これがワタシの返答だ。疲れてないかい? ああ、やはり若さはいいね。生命力が漲っているじゃないか。元気が一番! ね!
次に、今回だけの特別な対応についてだよ。
ふむ、つまりは君がそうなっていることと関係している方だね。気になるだろお、うんうん、そうだね。
ワタシは今回を遺作とするに決めたのだよ。そう、遺作。発表はワタシの死後となるね。
この遺作はね、先ほど言った言語化の限界への挑戦、なんて言うと、少し仰々しいね。
ワタシは経験する。そして、それをなんらも削ぎ落とさず取りこぼさず、強度を保ったままに言語化する! という試みなんだね。
だから、君にはワタシの遺作になって欲しいんだが、どうだい?
ああ、そう暴れてはいけないよ。お行儀はよく、お利口にしなくては。そうだね?
さあ、ここからは共作だよ! 君がワタシに経験を与え、ワタシはそれを完璧に書き上げる! そして君は多くの読者に読み継がれるんだ。
そうだね?