第一章 第四話 「堕ちた記憶―獣の心は盗めない―」
ようやく終わった、アルシアが勝ったんだ。よかった、そう安堵した。
だが、こみ上げてくるのは、うれしさだけではない。何とも言えない不快感。強烈なストレス。
うっぷ、
「おえ、……っはぁ……はぁ、はぁ。」
昨日の夕方に食べたオウルアイの肉はどろどろになったオウルアイの肉であったものとして逆流し、ぼろぼろとのどを通して胃がからになるまで吐いてしまった。その後も吐いたにもかかわらず、出し切れなかったものが口と鼻に充満したなんともいえない酸っぱい香りを生み出し、再度吐き気を感じさせた。
オルトにとって初めて見る死体。うっすらと魔法使いの体が光っていたのが本当に魔法使いは死んだのだとオルトに告げていた。敵とはいえ人が死んだ。それも頭をつぶされて。逆に頭がないだけで他は何ともなっていないことは幸いだったであろう、そうでなければ内臓が飛び出た死体、死んだ人間の顔を見ることとなり。より悲惨な状況にオルトは気を失っていたかもしれないのだから。それでもつらいものはつらい、確かにオルト自身が殺したわけではない。だが、今まで戦場とは程遠い世界で生きてきた、オルトにとってそれは身近なものでも何でもないのだから。
だが、それでもこのせいで生きていくためには前に進まなければならない。
「アルシア、大丈夫?」
「うん。今は少し、つらいけどすぐ治るから。」
膝をつき、顔が青くなったアルシアを見て心配していたが、その言葉聞いてひとまず安心する。土竜の魔女を倒したはいいが相打ちだなんて笑えない話にはならないようであった。
土竜の魔女の魔法はあのとき、確実にアルシアを捕らえていた。あそこに泥がなければ死んでいたことだろう。だけど、二回も泥に足を引っかけてるなんてあるのだろうか。そりゃ、僕だったら全然あるだろう、それも一回や二階どころじゃない七回、八回くらい。突っ込んでいるだろう。現に一回は足を泥の中に突っ込んでいる。だけどそれは、僕がただの人間だからだ。獣人は人間の何十倍も鼻がいいと聞いたことがある。そんな彼女が何回も足を突っ込むだろうか、それも命を勝けた戦いで。どちらも意図的にやったとは思えない。だから、もしかしたら獣人の鼻は何らかの理由で、泥の匂いを察知できないのかもしれない。まぁ、知ったところで何にもならない知識だけど。
それよりも、自分があの日から何も変わっていないことが、何もできなかった自分が、本を読んで自分もそうなれると根拠もなしにそう思っていた自分が嫌だ。アルシアを見るたびにそう思わされる。
何でもできるアルシアが、僕の中の『何もできない俺』を浮き彫りにする。いやというほどに。
どうして……なんだろう。あのときあの大男に見られて、僕は動けなかった。体がまるで呪術師のおじちゃんの金縛りを受けてるみたいに固くなっていた。アルシアが助けてくれなければあっという間に囲まれて殺されていた……。 アルシア逃げるときだってそうだ、僕がいなければアルシアは土竜の魔女を置き去って村に帰ることだってできたはずだ。そうなればもっと簡単に倒せた……。 逃げきれなくたってそうだ……。攻撃を受けたとき、俺がいなければ受け身をとったり、回転したりしてもっと安全に傷つかずに着地できたはずだ……。 さっきの戦いだって、俺がいなけば、もっと早く終わってた。
俺が、俺がいなければ……、俺が……。
「オルト!大丈夫!?顔が……。」
「えっ、ああ、うん。俺は…、僕は大丈夫。」
「ほんとに?でもその顔は……。」
「さ、さっきからこんな顔だったて。」
「そうだっけー?」
「そうだって。」
「うーん、オルトがそう言うなら……。」
僕が考え込んでいるうちにいつものまにかアルシアは回復していたようだ。だけどまた、アルシアに心配を……ってこんなじゃまたアルシアを困らせてちゃうなぁ。それに、アルシアを安心させるためとはいえ嘘までついてしまった。なんで僕はほんとにもう……。
「オルト、あっちの壁のほうで休まない?ここはあれだから。」
「でも早く行ったほうがいいんじゃ?」
「私も少し休みたいしさ?」
「うっ、わかった。」
「二へへ!、ありがと。」
アルシアが立ち、手を伸ばし、その手をつかんで立ち上がる。そのままアルシアが『ほら肩貸して』と言わんばかりにオルトの目を見て、肩を持とうとするが、それを交わされ、「そっちの方が疲れてるでしょ」と逆に自分の肩を持たれたことに少し驚きながらも、嬉しそうに「やっぱ持つべきわ弟ね!」と言って歩き始め、
2人は死体から離れ、円形状の壁を伝いながら、ちょうど真ん中、円形の壁に囲まれたこの場所の入り口から一番奥のところに入ったとき、アルシアの右肩を木の矢が穿った。矢の衝撃でアルシアは左側に飛ばされ、アルシアの隣にいたオルトは壁へと叩きつけられ、必然的にアルシアと壁とのクッションとなった。そのため、アルシアは壁に直接は叩きつけられず、即座に体勢を立て直し、オルトを持って横に走り出し、入り口からの射線を切り、腰に差されてていた木剣を掲げて叫ぶ。
「そこにいるのは誰!?」
「ハッハッハ、もう俺のことを忘れちまったのか。薄汚ねぇガキども。」
「お前は!」
天然の檻に新たに入ってきたのはアルシアたちの2,3倍もの巨体を持つ、盗賊団の頭アグラダを先頭に、三十人ほどの男たちだ。おそらく、村人たちは置いてきたのだろう。つまりこの場にいる敵は何度も戦いを経験した者たち、探索者崩れであろうとも一度はダンジョンに立ち入った者たちだ。
「チッ、バカがよう。何死んでんだ……契約ってのはどうしたんだ。」
「そこの魔法使いなら私が……殺したわ。」
「そうか、てめぇが。……まぁこんな仕事だ、誰かが死ぬのなんざよくあることだ。 だがよ、お前がこんなガキにやられるなんて思わなかったぜ。あんな糞みたいな国から仲だからよ、てめぇのこと、少しはわかってんだ。どうせいつもの悪癖が出たんだろ?……ハッ、なんとか言えよ。バカやろうが………。 」
大男の圧に一瞬、オルトとアルシアの体が強張る。アグラダにあったのは悲しみではなく驚き。長年ともにいたからこそ、『土竜の魔法使い』と呼ばれたナターシャの強さを知っていたからこそ、それほどの人間をただのガキに負けるまで弱体化させた『聖火』に。
「どうしてここがわかったの?あなたたちの速さじゃ、ついてくるなんて無理なはず。でも足跡は私も魔法使いの人もついてなかった。」
アルシアは足跡がつきやすい今の森では足に常にリエルを纏うことで、高速移動と足跡を付けない走りを可能にしていた。ただ、それには泥沼の上を走るアルシアの体を支えるほどの力はなかった。魔法使いもそうだ。この不安定な足場を前にアルシアと同じことをして追いかけていた。だからこそ、アグラダだけでなく魔法使いもなぜアルシアを追いかけられたのか疑問に思っていた。
「ぁあ、わかんねぇのか。そこま調べてりゃわかりそうだが。」
何がわからないのかという顔でアグラダは顔を搔いていた。その態度にアルシアは少し声を大きくした。
「だから何なのよ!」
「そこの、土竜の魔法使いが投げたナイフがあるだろ。」
「うん。でも、あれがその後すぐ、消えたの見てたよ。」
「ハッ、そこがあめぇなぁ。俺たちが人間がてめえらみたいな『なりそこない』を探すのに使ってんのは目だけじゃあねぇ。音、匂い、足跡、そして魔力の流れだ。こいつはいくらお前が証拠を消しても、残り続ける。だからお前は俺から逃げられねぇ。」
アグラダは自慢げに語った。それは、いつものアグラダならしないであろう、相手をただ絶望させる行為。唯一の、友とも言わない何か。それが死んだゆえの怒りだったのか。それはアグラダ自身にもわからなかった。
「てめぇら、ガキを捕まえろ。大霊墓に行った奴への手向けだ。捕まえたやつには白金貨をくれてやる。」
「うおおおおー」
「まじかよ!」
「いいすかお頭!」
「でも、あのガキ魔法使いを殺してんだぜ?」
「ビビんってのかー?」
「またちびんなよーマルク。」
「ち、ちびってねえよ!サントこそビビってんじゃねえよ。」
「ぁあ!」
「まぁ、たしかに普通にやれば負けるがよ。俺たちゃ盗賊だぜ。」
「そもそも、あんなボロボロのガキに負けるわけ、ねぇだろ!」
その一言で男たちは騒ぎ出し、最後の言葉を皮切りに二十人の男たちが襲い掛かってきた。
万全の男たち二十名に、アルシアはいまだ意識のないオルトを連れた上に魔法使いとの連戦で負傷したまま、そのうえで体格さ、体調、武器の有無、……。圧倒的な振り盤面。
男たちが油断するのは無理もなかった。
始めは最後にしゃべった男、ターク。かつて竜骨都市にはあまり使い手のいない、おもに騎士国の民族がよく使っていて騎乗での戦闘を得意とするシャムシールという種類の剣を使っているのが少しかっこいいと思っていた青年であった。しかし、剣士として属していたあるパーティーが自らの失態によってダンジョンで壊滅し、そのままずるずると落ちていった結果、ギルドを追われ、冒険者崩れとなったところをアグラダに拾われた。そんな男であった。
タークは先陣を切ってアルシアに切りかかる。アグラダの、頭の知り合いとはいえ自分の好みの女を殺されたタークは殺す気でシャムシールを振り上げる。アルシアが氷剣を頭上に構え、防ごうとしても、自分の力なら押し切れると、いやむしろたたき割ってやる。と、そんな思いで鉄の剣を右手で全力で振るう。
「うらああああ!」
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アルシアの魔力は魔法使い戦ですでに使い果たしていた。残っているのはぎりぎり意識を保てる程度。魔力を使用するのは魔法を使うときだけではない。まだ幼いアルシアが大人の人間を吹き飛ばせたのはひとえに魔力を体に巡らせることによる身体強化のおかげである。
つまり、魔力がほぼないに等しい今のアルシアでは剣を受け止めるのは不可能だった。
それはアルシア自身も理解していた。
だから――
振り降ろされた剣は実に愚かな剣戟だった。剣を振るものであればだれでも避けれる。
勝利を確信した者の思考も、技術もない単調な一撃。
まっすぐに降ろされたシャムシールを軽く右に避け、右足でしっかり踏み込み、怒りを持って右肩の負傷をものともせず砕けた木剣とは違う、もう一本の木剣を振り上げた。
無防備な横腹へと直撃した美しい一撃は木剣であっても十分な威力であり、男を吹き飛ばし、意識を飛ばした。
「次はだれが相手?」
木剣を構えたその一人の剣士を前に、男たちに先ほどまでの表情は消えていた。
その中で臆病ものだったマルクは「話が違うじゃないか」と言わんばかりに困惑し、アルシアへ何かをつぶやきながら突撃しに行った。
「おかしい、おかしい、おかしい!だって、こいつはガキだぞ!なんでこんな奴に僕の命が脅かされなきゃいけないんだ!僕はたぁだ、普通の生活をしたいだけなのに!」
次に飛び出したのは臆病な戦士のは、マルク。彼は竜骨都市ではその巨体を生かしたタンク兼アタッカーの役割をこなす重戦士だった。だが、ある日、『盾剥がし』とそう呼ばれるトカゲ型の魔物でその長く、強靭な鉤爪で前衛の武器を、盾を引っぺがし、無防備なところを爪による連撃で仕留める『デスヌーラ』との戦いで右腕を失い、守るべきものは守れず、命からがら生き延びたものの。恐怖でタンクになることができず、自らの役割を果たせないものにダンジョンを、試練を受ける資格があるはずもなく。路頭に迷っていたところをアグラダに誘われ、冒険者崩れとなった。男は今、タンクではないが、恐怖を押し殺し突撃する。まさに狂戦士となって義手の右腕を振るった。獲物はノドナ―エスピオンとそう呼ばれる主に山に住んで岩を食らう魔獣の棘を使って作られた棍棒の一種であるモーニングスターと呼ばれるもの。それをアルシアを押しつぶすかのように横に薙ぎ払う。
横への一閃回避する道は後ろへ下がるか、上へ飛ぶか。後ろに下がれば射程外となり攻撃は当たらない、そのためこれが一番安全だろう。だが、上に飛べば確実に安全とは言えないがその先にあるのは無防備になった敵の首。ならばもちろんアルシアは……。
「上に飛ぶ!」
「てめぇの考えなんざまるわかりなんだよ!」
一閃を軽々と回避し、無防備な敵の頭に返しの一閃をくらわせる。と、そうしようとしたところを完全に読まれ、薙ぎ払う間にモーニングスターの先端を少し下げていたマルクはそのまま円を描くように振り上げること、先端の鉄球は加速する。
(本当に!?いったいどうすれば?空中じゃ足場がないから、にげられな…いことはない!)
「これなら!」
意表を突かれた攻撃に驚きながらも木剣に魔力纏わせ、向かってくるモーニングスターに向かって突き出した。針のように細いモーニングスターの棘の先端に正確に当てることは熟練の冒険者や探索者であっても至難の業だろう。それを直感とセンスだけで経験を補い、実現させた。そんなことも知らず、衝突によって生まれた力を使ってアルシアは自らの体を弾き、直撃を回避すれば、真上というよりも少し後ろ側に飛ばされた。
目を閉じれば体が心が悲鳴を上げている。
(痛い、痛い、痛い、寒い、辛い、苦しい、右腕が折れててる、体のあちこちが痛い。痛い、痛い、痛い、…………痛い、でも、私は!)
目を開ければ空を飛んでいた、反動で後ろに言っている両腕を気合で前のほうへ持っていき、マルクのほうを向き、後ろの壁に着地する。
今の一連で木剣は粉々になり、もともと負傷していた右腕は衝撃をもろに受けたため壊れてしまった。
そのためこのまま長引けば負けるかもしれないと身の危険を感じたアルシアは今ある魔力を左手と足に集中させ、マルクへ向かって飛び跳ねる。
「まだ、終わらない!」
一度は戦線を離れ、武器の手入れも怠っていたマルクが、今の自分には扱いきれない重すぎるモーニングスターを振りすぎてしまい、重心が後ろへ傾き、バランスを崩したところをすかさず、魔力で強化した爪で首をえぐり取る。
「おわあぇ、ぼまぇえええ!」
声帯を失い声にもならない声を上げながらマルクは大量に出血し、モーニングスターの重さで倒れてなお、体を引きずりながらこちらへ手を伸ばそうとしたところでマルクの意識は途切れた。
そして、マルクがどうであれ、世界はこの世界に生きた男を祝福するかのように、死者に平等に表れる無数の光に囲まれてマルクは死んでいった。
「かはっ、」
アルシアはそれを見届けると同時に血を吐き、膝をついた。
当然の結果だろう。この日、魔法使い戦も含めて二回も魔力の枯渇を起こしていた。
魔力は生物にとって第二の血液だ。枯渇すれば命を失う危険性だってある。
それなのに、無茶をするアルシアは異常そのものだ。
魔法使いを倒したときだって、そのあとすぐに体に猛烈な脱力感に襲われ、ぐわんぐわんとうねる視界、震える手足、止まることのない過呼吸などの症状が表れていた。
このときもアルシアは魔力不足を起こしていて、身体の血がうまくいきわたっていなかった。
だが今はそれよりもひどい状況だった。
先ほどと同様に無理やり心臓を残りの魔力で早く動かして魔力を回復しながら体中に行き渡らせる方法は難しい。だから先ほどは時間をかけ、休憩することで魔力を回復していた。ただそれも戦いの中では許されない。そんなことをすれば今度こそ彼らに殺されてしまうだろう。
何よりも一日に二回も引き起こしたせいか先ほどよりも症状がひどいうえに長かった。
しかし、だからといって魔力なしで戦えば負けるのは目に見えてる。それに、そんな無謀なことができるほど身体に余裕はなかった。
(必要なのは魔力。これさえあれば戦える。回復するには時間を稼ぐか、心臓を無理やり早く動かすしかない。なら!ーーー)
「何してんだあのガキ?」
アルシアは胸に左手を添え、全力で叩く。
パン……パン…パン、パン…パン!、パン!、パン!
胸が痛かった。当然だ、魔力を急速に回復するには心臓を動かすしかない。でも、そのための魔力も技術もない。なら、ーー
「な、なんだ?とち狂ったか」
「頭おかしいんじゃないか?あいつ」
……、パン!、パン!、パン!、パン!パン!パン!パン!、パン!!!
ーー叩いて動かせばいい!
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。」
自らの体を思いっきり叩かなければできないこの行動が痛くないわけがなく、体への負担も恐ろしいものだ。その一つとしてこの方法はアルシアの寿命を削るようなものだった。ただでさえ心臓に多大な負荷がかかる上にへたをすれば心臓が破裂さえしかねない、狂気の沙汰。そう言えるほど行動をこんな小さな子供がやってみせたのだ。
そして、
「よかっ…たぁー、成功した…。」
一か八かの状況で一転させることができ、アルシアは思わず口元を緩め、安堵を口にした。
「何を言って?っておい?サント。」
「離せよ。俺は今苛ついてんだ。」
「だからって、てめぇじゃ。」
「お頭!、生きてりゃいいすよね。」
「ああ、五体満足とはいかなくても、生きてりゃ奴らは買うさ。それに死体は、死体で魔国のやつらに売ってやりゃ、よろこんで買うだろうな。まぁ、金払いがいいのはあの糞どもだがな。」
「それで十分ですよ、こんな奴。……、来いよバケモン、躾けてやる!」
「やってみなよ、私 負けないから!」
アルシアとサント、二人の戦士の戦いがここにあった。
「甘ぇんだよ、これは勝ち負けの話じゃねぇ、生きるか死ぬか、そういう話だ!」
サントが先に走り出し、戦いを仕掛けた。
三人目に出てきたのは世界の中心にある学園都市で生まれた男だった。生まれたときから手はすでに汚れており、物心ついた頃には二大闇組織のひとつである『深淵』に与する人間の一人だった。
だがある日、末端の構成員の一人だったサントは見てしまった。その深淵の一部を。
その後組織による抹消を恐れて、学園都市を飛び出した果てにたどり着いたのが龍骨都市だった。
それからは他のものと同じだった。路頭に迷っていたとこをアグラダに拾われたそんな男の一人だ。
だが男は今までのものとは違い、アルシアと同じ戦士だった。『盗賊は戦いから逃げた戦士の恥だ。故に奴らを見かければ、地の果てまで追って殺せ。』それがこの世界の共通認識――戦士の掟の一つである。
それに対し盗賊は、かつて盗賊たちを率いて戦士に戦いを挑んだ大盗賊――『緑牛』は言った。
『俺たちは賢く、勇気ある者だ。戦士の掟を破ってまで生きることを、戦うことを諦めなかった。奴らは言う、俺たちを恥だと。戦士ならば戦えと。ならば俺は言おう。賢いが故にかつて俺は負けを悟った。仲間が死をもって残した傷に目もくれず逃げた。勝てたかもしれないのに俺は逃げた。それをかっこいいなんて言えたもんじゃない。だが、俺は生き残った。逃げたから今、俺は生きてる。無謀だと分かっているのに挑むことは勇気じゃねぇ。勇気を知らないやつが勝手に思い描いてる醜い蛮勇だ。それを勇気とは言わせねぇ。』
どちらも間違ってはいない。だからこそ、戦士でありながら盗賊であるサントは異質だった。それが深淵を覗いた故かは誰も知らない。
そして、男の武器も今までとは違った。冒険者崩れではない彼が持つのはモンスターを殺すのではなく、人を殺すために作られた剣、フランベルジュという炎をモチーフとした刀身が波打った形をしたもの。まるで揺れ動き、異端である彼自身を模したような武器であった。
「そいつを置いて逃げるのか?」
「そんなわけないでしょ、私はこれが欲しかったの。」
男が走り出すのと同時にアルシアは左後ろへと走りだしたそこにあったのはタークが落とした剣であった。
だが、それが男の逆鱗に触れた。男の顔は鬼の形相になっていた。
「道具の扱いも知らない獣風情がそんな剣で勝てると思うな!」
「そんなのわかんないでしょ!」
二人の戦いがついに始まった聖火という力に制約がかけられた状態では二人の力は拮抗していた。だが、それは魔力を用いなかったときの話。魔力がある今は本来押し切れるはずだった。しかし、その力の差を怒りだけでサントは埋めてしまったのだ。
「私の名前はアル…」
「獣の名も獣に名乗る名もありはしない!」
二人がもう一度ぶつかる直前、久しぶりの戦いと呼べるものに会えたことと、本でしか見なかったフランベルジュに興奮していたアルシアが語りかけるも、対話は叶わない。代わりに語られたのは剣を用いた戦いという名の対話。だが、それも両者の力は拮抗しており、状況は変わらなかった。
三回目の衝突は一撃ではなく連撃での戦いであった。その連戦で気づいたのはサントが左からの攻撃を嫌がっていること。
(はあ、はあ、強い。聖火も魔力も使ってるのに押し切れない。やっぱり素の力で負けてる……。でも、わかったこともある。フランベルジュ持った人は右下からの攻撃の時、露骨に嫌がっていた。なら……。)
「これで決める!」
始まった四回目の衝突。アルシアはこの一撃目にかけていた。連撃が長引くほど体格的に不利なアルシアは不利になり、万全の構えをとって右下からの強烈な一撃を放てなくなってしまう。そのため、この初めの一撃で仕留めるつもりだった。
だが、ーー
「いくら体力や魔力があったところで頭がなけりゃ意味はねぇ。」
(誘われた!)
「かっ、」
(いつもの私ならあんなの気づいてたのに………。)
力を込めた一撃はサントには読まれてしまい、躱されてしまう。そしてその代わりにとばかり無防備な左半身をフランベルジュの一撃が襲った。その一撃でアルシアは壁に叩きつけられたが、真っ二つには至らなかった。
おそらく普段の戦いならこれでアルシアが負けていただろう。だが、サントの運がなかったのか、はたまたアルシアの運が良かったのか。
奇しくもこの状況は魔法使い戦と似ていた。アルシアが魔法使いから不意の一撃を食らうはずだったあの状況と。それが無意識だったのか、意識的だったかはわからない。が、事実としてアルシアはあの時の戦いの再現かと思うほど完璧に氷壁を展開し、斬撃を防いでいた。
さすがにこれにはサントも驚きを隠せていなかったようだったが、アルシアにはそれを見せることなく。先ほどまでの、いやそれよりも厳しい表情に戻っていた。
「今のはあぶなかったね。魔獣術もとっておきたかったのに」
「ああ?、まだ隠してたのかよ!舐めやがって!てめえのそれ全部吐かせたうえで、今ので死ねなかったことを後悔させてやるよ!」
だが実際は満身創痍で立っているのも辛いアルシアはそれを悟られないよう。強気に語る。
それでも、アルシアのその青い双眸に負ける未来は映っていなかった。
そうして両者は再び剣を構える。今度こそは勝負を決めるという思いを乗せて。
五回目の――最後の衝突はあっけなく終わった。
アルシアが本来はお頭と呼ばれているアグラダと戦うためにとっておいた魔獣術。
それを惜しみなく使ったのだ。
「いくよ。」
「ようやくかよ、ぶちのめしてやらぁ!」
「さっきの言葉そのまま返してあげる!」
二人は全身全霊で剣を振るう。
衝突した瞬間、魔獣術によってサントの剣が凍り始めた。
「剣を凍らしたとこでなにも!…………。」
「さっき帰らなかったことがあなたの敗因よ!」
瞬間、フランベルジュは急速に凍結されると同時に粉々となった。これはアルシアが知るはずもなかったが、フランベルジュに使われた金属は急速に温度が下がったことにより脆性破壊というものを引き起こしたのだ。その結果、フランベルジュを砕くことができた。本来は剣から肉体を冷やす、または凍らして、動きを鈍らせる予定だったのが、誰もが予想しない結末に両者の動きが一瞬止まる。
「ハァアアアアア!」
そしてその一瞬の静寂を破り、先に動いたのはアルシアだった。振り上げた左手を切り返した一撃を剣を失い、無防備なサントは当然受けれるはずもなく、冷たい一撃が でサントとアルシアの戦いは終わった。
「くそが………。」
「私の名前はアルシア。あなたを倒した獣人の名よ!。」
「ああ、忘れねぇ。大霊墓で待ってやるよ………。」
そう言ってそのままサントは崩れ落ち、万人に訪れる白き光が、死を告げる光がサントの体を包み込む。
やがて光は泡のように消えてゆき、光の消滅をもってサントの死は告げられた。
盗賊たちのナンバースリーもまでが死んだという事実を飲み込むのはそう遅くなかった。
ただ、そんな光景を見た他の盗賊たちからは戦意などとうに失われ、ビクビクと怯えている者や泣き謝るものさえもいた。
それもそうだろう。『盗賊とは逃げたもの。』言い過ぎとも言い切れないほどこの時代の盗賊はすべてのものから嫌われ、「堕ちに堕ちたもの。」「裏切り者のなれの果て。」「身体中に黒き線を刻んだ者。」と様々な名で呼ばれている。
そして本当にこのとおりだった。なぜなら軟弱者の彼らに最後まで戦うという選択肢はなく、仲間を見捨ててまで醜く逃げ延びる。それが彼ら――この時代の盗賊だ。
だから――
「もう俺は関われねえぜ!」
「俺はもうこんなとこ来ねえ!」
「あんたについてきたのが間違えだったんだ!」
アルシアが見つめるだけで彼らは逃げさり、いの一番に森の外へと駆けていった。
ただそれは一人の男を除いてだ。
「みっともねえ奴らだ。」
「あなたも逃げなくていいの?」
「誰が瀕死の獲物を前に逃げるっつうんだ。それにてめえは大霊墓に行ったあいつへの手向けでもあるからな」
「そっか。じゃあ、あなたも私が倒す。」
「ハッ、すぐに捕まえてその化けの皮、剥がしてやるよ。」
アルシアとアグラダの二人の戦士による戦いが今始まった。
あと一話投稿出来たらなぁーって思っていますが私の都合上このあと半年(それ以上それ以下はない絶対ない。 だって書きはしたいから)は投稿できなくなるかも。
てか、主人公が空気すぎるなぁ……。って思う人いると思います。私もそうです。次回ね、次回、ようやくオルト君が主人公になるから。待っててください。では!




