1560年(永禄3年) 尾張へ進撃、今川家
昨年から大きな戦が無い、表面上は穏やかな日々が続いていた。しかし、北は美濃の斎藤、南は東海三国を治める今川家。西の伊勢では全域を治める勢力はないが、一向宗の勢力が強い。今の尾張は織田家の統治が利いているから大丈夫だが、戦や飢饉で人心が荒れると、信仰というのは枯れ野に火が着くように、一瞬で浸食していくのだ。
しかし、そんな穏やかな日々を打ち砕く報が入ってきた。
「海運商人から、服部党の船が、尾張に入ってくる商船を襲っているらしく、当家に泣きついてきた。今や尾張全域に勢力をおこぼすようになった織田家に、一土豪にすぎない服部党が単独で動くとは考えにくい。服部を動かしたのは一体どこの勢力か、密偵からの情報を聞き漏らさず、尾張侵攻の気配を逃すな!!」
清州城内を、家臣の森三左衛門殿が駆けずり回っていた。
戦の前兆、しかも小競り合いではない、大規模侵攻を予感させる空気感があった。
しばらくして、今川義元が駿河から大軍勢を率いて尾張へ兵を進めている、との知らせが入ったのだ。
先代の信秀の時代から、三河の松平とは領地の奪い合いを繰り広げてきた。そして今までも、小競り合い程度の侵攻は何度となくあったが、今回は小競り合いでは済まない大軍勢が動いているとう報告だった。
「今川勢は2万を超えるとうい話だ。我が尾張の兵は、どれだけかき集めても5千が精々。さすがに相手にならぬ」
「だが、今までの戦でも、数の不利をはね返してきた。我らなら、今度も今川をはね返せるやもしれん」
「今川兵は遠征に耐えうる程に精強だ。寄せ集めの我らではさすがに無理があろう。ここは城に籠り、反撃の機会を伺うが上策ではないか」
「これだけ分が悪ければ、下手に手を出すのはどうかと。いっそのこと今川に降るのも一手ではないか」
「そんな事をすれば、末代まで腰抜け、臆病者との誹りをうけるではないか。なればいっそ、打って出ようではないか」
「策も無しに打って出ても、いたずらに兵を、民を失うだけになろう。打って出るにしても、なにか策を練らねば」
「策でどうにかなる数の差ではあるまい。こうなれば、玉砕覚悟で打って出て、後世に名を残すべき」
そしてそれを、俺だけが少し違う心持ちで聞いていた。
(ここでも信長は終わらない筈。きっと何か良い案が出てくるはず)
家臣達の結論が見えない議論を、信長様はただ眺めているだけだった。
連日議論は続いたが、結論は見えず、上策も出ないまま、ただ日にちが過ぎていた。そして、その間にも今川勢は尾張へと近づいてきている。
そして、海では服部党からの商人に対する妨害が続いていた。恐らくは、海からも今川の侵攻があるかもしれない。
まさに八方塞がりの状況で、さすがの信長様もすぐに方針を出せずにいた。
今川勢先鋒は、すでに三河との国境を越え尾張に入っていた。
尾張の三河に近い鳴海、大高、沓掛の各城は、信長様の家督継承時に今川家へ取り込まれていた。そして、その大高城へ今川の兵糧がどんどん送り込まれている、という連絡が入ってくる。
それでも、信長様は動かなかった。
今川勢の本陣が尾張を越え、とうとう織田の領地へ侵攻がはじまった。織田領の守りである丸根砦、鷲津砦と今川勢が交戦を始めた、との報が伝わったのは、夜明け前の事であった。
それを聞いた信長様は、突如舞い始める。
『人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり』
『一度生を享け、滅せぬもののあるべきか』
舞い終わると、そのまま城を飛び出していった。ついていけたのは小姓組の5名のみであった。。
岩室長門守、山口飛騨守。長谷川橋助、佐脇藤八、加藤弥三郎。
皆、小姓組であったことに、火をつけたのが河尻与兵衛殿だった。
「馬廻りが小姓に負けてなるものか!!みな、殿を追いかけようぞ」
信長様の近くに居た小姓の方が、先に動けたのは当然でしかない。それでも、戦働きで馬廻りが小姓に遅れを取っては成る者か。
信長様と小姓組を追いかけた。
熱田の辺りに差し掛かった時、夜明けの空に2本の黒煙が立ち登っているのが見えた。恐らくは、今川に攻め込まれていた報があった鷲津、丸根砦が陥落した煙と思われた。
信長様が入った善照寺砦へ、我々馬廻りがたどり着いたが昼前。その頃にはまだ、砦には僅かな兵しかいなかった。
それが、昼には追いついてきたのか、兵が続々と集まり二千を数える程になっていた。
しかし、今川本隊は二万を超える。兵力差が埋まるわけではなかった。
ふと、集まった兵の中に意外な顔があった。出仕停止となっていた前田又左殿が、騎馬と数名の馬廻りを揃えていた。
「ま、又左殿?どうしてここへ?!」
「いやぁ、信長様にご恩を受けておいて織田家の危機に駆け付けない。この前田孫四郎利家、そんな義理を欠く男ではない」
今の立場(無職)を気にせず意気揚々と馬上で槍を振り上げる又左殿に、存外の頼もしさを感じる。
「しかし、今禄はないはず。馬やお付きの者達はどうなされた?」
「はーっはっは。金貸しから借りてきた。なぁに、この戦が終ってからは何とでも致す」
この兵力差の中だが、豪快な又左殿が加わった事が何より心強かった。
昼に差し掛かったというのに太陽の光は、空は黒い雲にさえぎられて、今は夜明け前のような暗さであった。そして、そこから一粒、また一粒と、大粒の雨が降り始める。
「これは好機ぞ!雨音は我らの足音を、奴らに迫る殺意を消してくれる。この兵力差でできる事は、敵総大将を討つのみ、である。今川治部大輔の居所が解り次第、奴の寝首を掻きに行くぞ!!」
信長様の檄が飛ぶ。
敵がいくら大軍でも、この雨と視界の悪さによって、分断できる時間が生まれる。敵本陣に攻めこもうと、周りの敵兵が集まるまでの、ほんの僅かな時間かもしれないが、その時間に賭ける、という事なのだろう。
敵総大将を討てれば勝ち。
逃せば、大兵力をもって我ら織田勢を磨り潰しに来る。
海は服部党が手引きした事で、今川の水軍に抑えられて、熱田や津島の港を抑えられるのも時間の問題だろう。
この戦の相手は今川だが、織田勢とすれば時間を相手にした戦であった。
「ご報告!今川本陣は雨の降りだしと共に桶狭間にて停止しました!!」
槍が掲げられる。
「決戦は桶狭間、である。静かに、だが素早く、向かえ!!この闇から、今川の首筋を嚙み切ろうぞ!!!」
「おおおおお!!!!!!」
信長様の声に、集まった兵たちも声を上げる。
しかし、それは雨音によりかき消されて、砦から漏れる事は無かった。
人物紹介
森三左衛門:森可成。元は美濃の土岐家臣の家系だったが、斎藤道三による土岐家の追放とともに尾張へ移り弾正忠家へ仕えるようになる。森蘭丸のお父さん。
今川治部大輔:今川義元。海道一の弓取りと言われるほどの戦上手。3男だったので幼少期に仏門に入っていたが、家督を継いだ兄が早世したため、庶兄の玄広恵探と家督争い(花倉の乱)に勝利。寄親・寄子制度や検地など、信長に領土統治の参考にされたのに、あまり凄さが伝わってない、残念な人。