1565年(永禄8年) 鵜沼始末
大沢殿を連れて、出立した犬山を抜けて小牧山へ着くと、事前に使いを出していた為か、すんなりと信長様への拝謁まで進んだ。
「なんだ、本当に調略してまいったのか」
そう言ってきたのは、今回の美濃攻略に参加していない、犬山に留守居役の佐久間久六殿であった。
家臣団からは、そういった称賛の声もあったが、元服前から付き合いの古参や縁故が多い小姓組や馬廻りの面々にとっては、一足軽が手柄を立てるのは、面白く思っていない。
「この木下藤吉郎、鵜沼城を調略し、城主大沢次郎左衛門殿をお連れし戻ってまいりました」
一部の面々から寄せられる反感の視線の中、藤吉郎は意気揚々と報告を行う。
「ふむ、そなたが大沢か。一色を見限る、と」
大沢殿が額を床につけるほと平伏し、信長様の鋭い視線が見えていない。
「道三殿を見限り、高政についた大沢殿、か」
この信長の言葉に、大沢殿はどっと汗が噴き出す。信長様の、道三殿に対する思いを読み誤ったか。
「わ、わたしは高政殿についたわけではありませぬ。当時から犬山との国境で高政様にも道三様へも兵を出すことはありませんでした。ただ、美濃の統治される方へ付き従ったのみ、です」
そう大沢殿が言い訳の如き反論をしに顔を上げると、冷たい目をした信長様と初めて視線があった。
その瞳の冷たさに、大沢殿は身震いをする。
「わたしに道三様を亡き者とするような意志は無く、傍観が罪とおっしゃりたいのですか」
「……傍観が罪であれば、その最たるは儂であろうな。敵討ちもできずにみすみす病に仇を取られて。しからば、義父の残した美濃という土地を得る事が、せめてもの手向けと思うて、美濃攻めを行っておる」
「であれば、尚の事」
大沢殿の言葉は、信長様へは届かない。
「しかし!!頭では解かっておっても、心がついて行かんのだ。今になってこの信長へ降るなら、なぜ道三殿へ助力しなかったのか、と。問わずにはおれんのだ」
「……当時、細かな事情は伝わっておりませんでした。親子で不仲だという程度でしか伝わっておらず、高政様が兵を上げた時は耳を疑ったものです。正直、どちらへ着くか考えあぐねている間に戦が終わった、というのが真相でございます」
「……そうか」
そう言って大きく息を吐くと、首を擡げて天井を見上げる。
「道三殿を見捨てた其方を、許せそうにない。首を刎ねよ」
周りに居た、見知った顔の小姓と馬廻りが一斉に立ち上がり、大沢殿を拘束する。
その姿は、目を当てられなかった。
大沢殿は押さえつけられる中、藤吉郎殿へ向けた、賭けた命が間違いだと言わんばかりの悲しい目を向ける。
藤吉郎殿は、自らの約定を守れない、命を守ると言った相手の、命が今刈り取られようとする様を、歯を噛みしめて見ていた。
そんな姿を見ていられなかった。
「お待ちを!!信長様!!」
その声に、全員の動きが止まる。そして、その声が自分が発したものであるのにも驚いていた。
「何か言いたいことがあるのか?毛利河内よ」
「は、今、大沢殿の命を取れば、美濃攻略は不可能になりまする。何卒お考え直しを!!」
それを聞くと、大きく息を吐いた後、天井を見上げていた首を正面に降ろして俺へと正対する。
「続きを申せ」
「は。此度の美濃侵攻で大沢殿は織田方の調略に応えた最初にござる。その大沢殿の首を刎ねた、とあらば、この先織田の調略に応じる者は居なくなるでしょう。であらば、美濃の総勢が死兵と化して織田勢に襲い掛かりまする。縦しんば一色から領地を切り取ったとしても、領民からの反発は必定。尾張の兵が、民がすり減ってゆき、近いうちに擦り切れまする」
俺が話している最中も、ここぞとばかりに飛騨守殿が首を刎ねようと、刀を抜き放った。
「待て山口飛騨。毛利河内は続けよ」
「は。そもそも、此度の美濃攻めは、一色の求心力低下により各地の一色家臣の調略の見込みがあってはじめられたもの。五郎左殿が建てられた当初の指針もそのようになっておりまする。美濃は一色のみを除いて織田がすげ変わる事で、後々国力を維持し、周辺への隙を見せないようにする事も、目的の一端でありましょうや。それを、大沢殿の首を刎ねる事で全てご破算となりましょう。首を刎ねれば、信長様の一時、気が晴れるでしょうが、後世に愚行として末永く伝わりましょうぞ」
「殿を愚弄するか!!馬廻りとはいえそれは看過できんぞ!!」
飛騨守殿が抜き身の刀を、俺の方に向ける。その刀を持つ腕を、動かぬように前田又左殿が羽交い絞めに抑えた。
「山口よぉ、殿はお前に『待て』って言ったよなぁ。勝手に動くんじゃないよ」
「又左ぁ、邪魔をするか!」
二人が力比べを行うが、羽交い絞めにしている方が態勢としては有利だが、それ以上に膂力の差があるように見える。
「やめんか二人供!!殿の前で」
佐脇殿が停めに入るが、二人が力を緩める事は無かった。
「フッ、なるほどな。儂の気が晴れるだけ、か。毛利河内、確かにそなたの言う事に理があろう。かといって、今すぐに大沢を臣下に加える気にもならん。如何様にするのが良いか?」
信長様の気が変わられたようだ。一先ず安堵、といった所であろう。大沢を取り押さえていた者達も、拘束を解いてはいるが、飛騨守殿と又左殿の力が緩まりはしなかった。
「はい。出立前に信長様が仰せになりました通り、この度の出陣の功は全て木下藤吉郎殿にある、と。しからば、大沢殿の処遇も木下殿に預けるべきかと。大沢殿を木下殿に客分としてお預けになり、信長様が臣下へ加えるとされた時に、お引き立てになるがよろしいかと存じます」
「ふっはっはっはっは、そうか。確かに儂が申したな。木下藤吉郎、そちにこの大沢を任せる。兵は、丹羽の後詰に付けよ。あと山口飛騨は補佐から外れて小牧山に戻って頭を冷やせ。代りは佐脇藤八が務めよ。毛利河内と共に、藤吉郎を補佐せよ」
「ははぁ」
一同平伏する中、飛騨守だけは不服を訴えたが、佐脇、又左の両名により連れ出されていった。
なんとか、織田家失脚の原因にならずに済んだ、という安堵と、つい出過ぎた事によるしわ寄せがどこに来るのか、という不安とが押し寄せる。
「河内殿、感謝いたす。そなたのお陰で、わしは将として最初の約定を違えることなく済んだ。本当にそなたのお陰じゃ。いくら感謝しても足りん」
藤吉郎殿から感謝を言われても、不安が頭をよぎる。飛騨守殿のあの荒れようが、どこに向かうのか、知る由も無かった。
大沢殿を藤吉郎殿の家の者に任せ、鵜沼に残してきた軍へと合流し、加治田に向かった丹羽五郎左殿の軍に追いつくべく軍を進める。この先は、全てを決める軍の長ではなく、全軍の中、一軍を指揮する将としての動きとなる。
「飛騨のがすみません。普段から武家たるを誇っている事が、此度は少々悪い方へと出たようだ。普段は気の良い奴ではあるんですが」
進軍途中の会話で、佐脇殿が飛騨守殿をフォローするように言う。実際、今まで俺が馬廻りのお勤めをしている時でも飛騨守殿が今回のように激昂する事が無かった。
飛騨守殿だけが特別武士階級優先の思想なのか、武士の奥底の思想がまだ理解できていないのか。
「そりゃぁ、わしみたいな足軽に頭飛び越えられたら気を悪くするのも解からんでもない。しかし、おぬしは話が解るようで安心したわ。これから頼みますわ」
藤吉郎殿は気にしていないようだが、これから織田家で部将として生きてゆくのに、今の藤吉郎殿には味方が少なすぎる。
まだ始まったばかりではあるが、かといって表立って俺が味方になった所で、五郎左殿が言っていた古参勢の懸念に巻き込む事になりかねない。
俺はあくまで野心無く、信長様からの命に従うように見せないと。
はずみで消されるのは御免だ。
目立つのもいけないが、命に従い生き残るのであればある程度功を立てる事にはなる。このバランスを取るのが、何とも難しい所だ。
そんな思いを馳せながら、次の戦場となる加治田へ向かって、馬上で揺られてゆく。
読んで頂きありがとうございます。
良ければ高評価、ブックマークを頂ければ、創作の励みになりますので、よろしくお願いします。
※最近新しい登場人物が出ないので、今回も人物紹介は無しです。




