1562年(永禄5年) 兄からの手紙from河内
相変わらずの戦と嫁との日々の中、手紙が届く。
紙の質は良さそうな物であったが、書いてある内容は、読んで良い気のする物では無かった。そして、この手紙が届けられたこと事態が何かの火種になるのを恐れ、俺はこの手紙を持って、信長様へご報告に上がることとしたのだ。
「此度はどうした、河内守。もう嫁と喧嘩でもしたのか?ん?」
「そのような事は。まぁ、まだ幼き妻ゆえ、家人にいろいろ教育して貰っております」
「まぁ良いわ。で、今日は勤め以外で登城するのは如何なる理由ぞ?」
「は、先日私宛てにこのような書状が届き、正直持て余しております。ご相談がてらに、この書の目的も果たそうと思い、持ち寄ってまいった次第です」
懐から書状を取り出し、この時小姓勤めをしていた長谷川殿へ渡すと、中を検める。
「ほう、で、送り主は誰ぞ?」
「は、斯波義銀、さきの今川侵攻のおり、服部党をそそのかし尾張へ招き入れた咎にて信長様が追放なされた、不肖の我が兄、でございます」
これを聞いた信長様の目が細まる。追放された咎人からの文とは、内容によっては危険な物となる。
「長秀、そち、武衞殿におうたのは如何ほどであるか?」
「はい。信長様の元でお世話になるようになってからは一度。尾張守護の就任の時のみであった、と記憶しております」
その時も、決して良き出会い方でも無かった。正室の子と庶子で身分を弁えよ、と。とてもではないが、親が亡くなって兄弟仲良く生きてゆこう、というような思いは含まれていなかった。
「右近、文にはなんと書いておる?大まかでよい」
「は。尾張を出てから、河内の畠山殿の所で名家の縁を頼りに世話になった。すると間もなく三好なる四国の田舎者に河内を追われ、紀伊へと落ち延びる事になった。京に近き所でよき暮らしを望んだものが、結果その日暮らし。このような生活は嫌だ。尾張で信長殿がどれほど私をよく扱てくれていたのかがよくわかった。同じ父を持つ者同士、どうか信長殿に執り成してはもらえないか。兄弟の誼を重んじられる事を願う、との内容です」
「ほう、武衞殿は河内におったか。畠山を河内から追い出すとは、三好殿の権勢益々といった所か。これは儂も負けてはおれんな。美濃に手こずってばかりはおれんか」
信長様は義銀の事よりも、三好の動向の方に興味があるようだ。
「で、長秀。そなたはこれをなぜ儂の元へ伝えた?その意を申せ」
きた、ここが本題。
「はい、咎人より罪が重いからといって信長様へ執り成せと言われても、正直私の心根は動きませぬ。縁薄き兄なれど、兄には変わらず。かといって信長様への忠心と比べれば、兄弟の情はさほどに重さはなく」
我ながら、兄の事を滅茶苦茶に言っているな。
「ふ、兄をそのように蔑むか。容赦ないのう」
「信長様の背中から斬りかかろうとした兄ならば。なんなら絶縁とも思うておりましたが、命を助けられた恩すら忘れた、この思慮なき兄でも、信長様の役に立つ使い道があるかもしれぬと思い、持ち寄った次第です」
長谷川殿へ書状を寄越せと手を伸ばすと、渡された症状に軽く目を通す。
「そちはどう思うか、右近」
「は、徳川との同盟が成ったとは言え、まだ今川と和睦したわけでもありませぬ。まだお許しになるのは早いかと。ここで許せば、今川を誘い入れた事を軽んじかねません」
それを聞いた信長様は、書状を俺の前へと投げ出す。
「だ、そうである。いづれ許す時が来るかもしれぬが、今ではない。まだまだ、世で揺蕩うがよい。『儂に名前を出したら烈火の如く怒って執り成すどころではない』とでも返事しておけ。もし斯波の名が要る時がこようと、まだ其方もおるし、の」
「……承知しました。わたしとしては『毛利』でありたいものですが、信長様が望まれるのでしたら、その時はこの体に流れる血、良きようにお使いください」
「そうか。では下がれ。」
「はは」
城を後にする中、斯波の名を復活させて尾張守護の肩書が必要になる。そんな事態になるには、信長様の力が尾張一帯に及ばなくなる時でしか考えられない。
すなわち、また織田でお家騒動が起きる、と言う事である。
毛利屋敷へ着くと、嫁が出迎えてくれる。
「旦那様~、今日もお勤めご苦労様でした」
いまだ幼い嫁を見ながら、そのような時が来ない事を祈るばかりであった。
人物紹介
長谷川右近:長谷川橋介。信長の小姓で桶狭間で最初に信長につき従った5騎の一人。赤母衣衆の一員。
畠山:畠山高政。河内守護。畠山家は斯波家と同じく室町三管領家の一つ。三好家の畿内侵攻により居城の高屋城を何度も奪われるが何度も取り戻す。しかし高屋城は最後信長に取り潰された。その翌年紀伊の岩屋で死去。




