1562年(永禄5年) 犬山事変
浅井との縁組が成った織田家は、美濃攻略へ本腰を入れてゆく。
墨俣だけでなく、美濃への橋頭保を確保するべく、家老の佐久間半羽介を大将として美濃穂積の十九条へと軍を差し向ける。
しかし、その試みは大雨によって阻まれることとなった。一時は十九条の地に防衛陣地を築くも、大雨による呂久川の氾濫により崩壊。そこを一色軍に突かれる形となり、守将が討死する事態となっていた。
「なぁなぁ、長秀~。どっちにするか考えたか?」
そんなお家の空気にお構いない、軽い話し方で与四郎殿がまた職務の合間に話しかけてくる。普段はこう緩んでは居るのに、戦場では別人のような働きを見せるのだらか、人は解らないものだ。
「なんのことです?与四郎殿」
「このまえ言ったろ?嫁にするのはどっちだって話だよ。早くしないと他にも当たらないといけなくなる」
あの、従姉が娘を連れて出戻ってきてるという話だったか。たしか従姉は母位の歳だったはず。
「あれ、本気だったんですか」
「冗談だと思うたか?この身内思いの与四郎様の言う事だぞ」
本当かどうか、わからない事を言う。
「お家がこんな時に」
「こんな時だからだろう。嫁を取り子を為す事は、すべてお家の為になる事ぞ」
もっともな事を言われると、つい断る口実を頭の中で探してしまう。
この戦が続く世で、家族を持つというのを不安に感じてしまうのは、この時代の人と少し感性が違うのだろう。むしろ子供が居て、安心して戦に出れる、という時代にまだ自分は染まってないのだろうか。戦場で散々血濡れているというのに。
「さすがに母の如き年齢の方はさすがに。娘子殿は幾つです?」
つい断る口実を探すように問いかける。
「今年で13になるか」
「わ、若すぎないですか?」
「そうか?去年、又左の知り合いが嫁に迎えたのが12だったらしいから、さほど変わった事でもあるまい?」
「いや、それにしては……」
そしてまた、駆け込んでくる足音により会話が中断される。
「火急の伝令にござる。殿へ取次ぎ下され」
「合い分かった、しばし待たれよ」
執務室へ伺いをたて、信長様の元へと通す。
「ご謀反でござる。犬山の織田十郎左衛門殿ご謀反。兵を上げたとの事です」
これを聞いた信長様は、驚きを隠せなかった。
「信清がか?!えぇい!龍興の口車にでも乗りおったか」
「犬山勢は楽田城へ進軍、落ちるのは時間の問題かと」
「北の一色の動きはどうか」
「稲葉山からはまだ動きがあったという報告は上がってきてはおりません」
「至急調べさせよ。単独で動くとは考えにくい。少なくとも、儂ならこれを尾張へと攻め込む好機とす」
「は、直ちに」
部屋から小姓の一人が飛び出してゆく。
「信清め、姉を娶らせたというのに、伊勢守の仕置きに不満でもあったか?!」
そこで、おずおずと声を挙げたのは、小姓の岩室長門守であった。
「先んじての美濃の十九条へと攻め入った際、信清殿の弟君の源三郎殿が討死されております」
「それか!!信清め、弟の死を一色へは向けずに儂に向けおったか。一番近い小牧山には兵を揃えて城を固めよ、と。長門守、そちが直接行ってまいれ。動くのは儂が合流してからぞ」
「は、小牧山城へ出向き、出陣の準備をして殿をお待ちいたします。では」
そういって、岩室殿も執務室を後にした。
「しかし、お艶の方に続き今度は犬山殿か。立て続けて殿のお身内の輿入れ先と戦になるとは。これでは、先日お市様が輿入れした浅井ともいずれは……」
家臣のだれかが漏らした、呟き程の小さな声だった。
「敵に回らぬための縁組じゃ。でなければ道理に合わぬわ!!出陣の準備をいたせ!!!」
信長様の葛藤をかき消すような怒号が、その場のだれもかもを慄かせ、身動きできずに固まってしまう。
それを憤慨したのか、固まる我らを後に、信長様は足音を立てて部屋から出てゆく。
急報が入ると、出陣となる。
身内との戦が続く事が、心身への疲労を積み上げ、大きな失敗を生むのではないか。今の信長様には休息が必要に見えるが、それを情勢が許す事は無かった。
人物紹介
織田源三郎:織田広良。犬山城主織田信清の弟で信長の従兄弟。
岩室長門守:岩室 重休。信長の小姓で母衣衆。桶狭間で出陣に付き従った6人の一人。「隠れなき才人」と評される。
犬山殿:信長の姉で、織田伊勢守家を尾張から追放した後の所領で揉めていた、従兄弟の織田信清に嫁いだ。お艶の方と違い再嫁しなかったとされる。




