1560年(永禄3年) 桶狭間の後処理、兄の責任
甚大な被害と、織田家への絶大な名声を生んだ今川の尾張侵攻が終り、色々と事後処理が行われていた。
鳴海城を、義元の首と交換にした岡部元信はすんなり駿府へ帰ることはなく、帰りの駄賃と言わんばかりに刈谷城を攻め、水野信近を討ち取っていった。刈谷城は、兄の水野信元が取り返す。
服部党は熱田へと攻め込んできたが、今川敗北の報が入ると、海路より撤退していった。
被害が軽微だったことは、奇跡としか言いようはなかった。
なにより大きかったのは、今川に臣従していた松平家が旧領の三河で独立した。当主の松平元康は、幼少は織田家でも人質生活を過ごしており、その際信長様との親交があったらしい。
しかし、当然今川家の次期当主である今川氏真との親交もあったはずで、どちらを敵に回すのか天秤に掛けた結果、の上での独立なのであろうと思われる。
まだ表立ってにはされていないが、織田と松平が手を結び今川へ対抗する目論見が水面下で進められていた。しかし、今川は甲斐の武田、関東の北条と姻戚関係を結んでおり、代替わりする今川家に、この2家がどう対するかによって、力の均衡が崩れる切っ掛けになりえた。
そして何より驚いたのが、桶狭間の戦いの論功行賞だった。
大将首を取った新介が一番の功績だと思っていたが、勲功第一を受けたのは簗田出羽守であった。
この出羽守、戦場で相手の本陣まで行った俺が見かけたことも無く、槍働きが評価された訳ではない。
元来諜報に長けていて、今回の戦でも、今川の侵攻具合や本陣の位置を調べ上げた事が評価された、という。
褒美として与えられた沓掛城は元々、先代信秀様の時代に領していたが、信長様の代替わりの時に今川側に寝返った経緯がある城であった。それを、今回の戦で今川から取り返したという曰く付きの領地であった。
そして、大将首の新介と、一番槍の服部小平太には城は無く、銭のみであった。
俺も、討ち取った近衛が、藤枝何某という名のある将であったということで、十分な銭の拝領となった。
しかし、問題はその後。
論功行賞の後、改めて信長様の執務室へ呼び出しを受けたのだった。
「毛利長秀参りました」
いつもは自分の職務でもあった取次を、今回は自分が訪問する側になっているので、河尻与四郎殿に取り次がれていた。
「長秀殿、入られよ」
「はっ」
執務室へ入ると普段と違い、信長様の脇には家老格の佐久間半羽介殿に、森三左衛門殿の姿があった。
「……来たか、長秀」
「はい。お呼びに従い参上しました」
先んじて、三左衛門殿が声を掛けてくれた。
「そういえば、先日の今川とのいくさ、本陣を突き大将首に繋がる活躍をしたそうだな。大将首の新介といい、毛利の織田家への忠義、この上ないな」
「は、有りがたき幸せ」
「で、今川との戦の裏で、服部党が海から熱田へと攻めてきたこと、お主は知っておるか?」
「はぁ?はい。出陣前の軍議でそのような話が出ておりましたので、わたしもその場におりましたので、耳にはしておりました。それが如何いたしたのでしょうか?」
その先を、三左衛門殿は言い澱む。
「その服部党を焚き付けて、今川との誼を仲介したのが武衞殿、と調べがついたのだ」
は?
「武衞殿が?なぜそのような事を?」
「うむ、どうやら武衞殿は今の織田家との関係に不満があるようでな……」
「は?はぁ」
「織田に庇護されている今の立場から、尾張守護に相応しい地位を取り戻す、と今川に宛てた書状にあったのだ。これを、ただの児戯と捉えられなくもないが、実際に今川が動いたからには、此度の戦、引き金は武衞殿によるもの、という観方もできる」
「うげぇ、え、いや失礼。取り乱しました。義銀殿が原因で?」
俺はとにかく混乱した。
え?今の義銀って、織田家に飼い殺し状態かもしてないけど、暮らしていくには何の心配もない状態なはず。そんな生活に、何を思って波風立てようというのか。
「そうだ」
信長様の声で、一気に場の空気が絞まった。
「此度の戦勝ちはしたが、結果多くの者が散っていった。大学、七十郎の大叔父、隼人正、永らく織田家に仕えてききた忠臣達。いずれ今川とは雌雄を決する事はあったであろうが、それは織田に有利なときに、こちらから仕掛ける事を考えて居った」
珍しく信長様は『後悔』をしているのだろうか?
「それが、此度の結果となった。その責の一端、武衞殿にある。そして、それをお主はどう思うか?長秀?」
差すような視線が向けられる。
今回の今川侵攻、義銀が余計な事をしなければ、少なくとも『今』は起きてなかったのた確かだ。
「は。此度の義銀殿の振舞い、ご恩を受けた織田家に反旗を翻したに他なりません。厳罰に処すべきかと存じます」
「ほう?そうか?それは、弟である其方がそう思う、か」
「は」
「では、兄の責は弟に及ぶべきである、と思うか?」
そうだよな。主に反抗して外敵を呼び寄せたら、それは一族取り潰しでもおかしくない。
「そ、それは……」
即答できない。
この問いかけをしてきた信長様の、考えが解らない。
どっちだ?どう答えたら?命が助かる?
「どうだ?答えぬか?」
腹を決める。決めないのが決まった。
「それは、わたしの決める事ではない、と考えます。決めれるお人は、信長様ただ一人にございます」
そう、上司に丸投げ。
自分で判断できない事は上司に丸投げするに限る。
「そして言わせていただければ、わたしは既に毛利の家の者です。斯波の再興なんぞは一節も考えておりません。血のつながりに思う所が無いわけではありませんが、大恩ある織田家に仕える毛利家の者として、そして末永く織田家に仕えるよう、この名を十郎より頂きました。末永く織田家に、信長様に仕える事しか、頭にありません」
「フ、フッハッハッハ!!」
「と、殿?!」
「フ、そうであるな。失った家臣は惜しいが、さらに得難い臣を失う事もあるまい。武衞殿の責、一族には類は及ぼさぬ。此度は当人のみの責、とする」
「ははーー」
首の皮一枚つながった、かな?
親が居なくなって、他の家に養子に入って名前が変わって。
それでも、血筋というのは付いて回るのか。
人物紹介
斯波義銀:斯波武衞家15代で最後の当主。毛利長秀の兄。傀儡の身に抗った父と同じく、今川と手を結び信長に対抗しようとするが、桶狭間で今川義元が敗北し失敗する。




